7分30秒小説『勇者、死すべし』

 聖剣一閃、逆袈裟に斬り上げた一撃が、魔王の左手を切り飛ばした。振り下ろされようとしていた魔王の杖、右手ごと宙に舞う。杖に込められていた魔力が暴走し、魔導士の胸を撃ち抜いた。

「エリス!」

 魔導士の名を叫び駆け寄る勇者。魔導士は地に伏して呻く。魔王は玉座の後ろに立ち込めていた闇の中に消える。残ったのは、勇者と戦士、僧侶、そして深手を負った魔導士のみ。辺りには、魔物の死体と勇者軍の兵士の死体が、境目が分からぬほど入り混じって床を埋め尽くしている。生き残りは勇者パーティーの4人だけ――かと思われたが。


「ま……魔王を追わねば!」

 ローブを着た瘦身の男がふらふらと立ち上がり掠れた声で叫んだ。強い目で勇者を見据えている。

「生き残りがいたのか?」

「勇者よ。すぐに魔王を追いましょう」

「いや、引き返す」

「なにっ!」

「このままでは彼女が死んでしまう」

 僧侶が回復魔法を唱えているが、効果は現れない。

「一刻も早く城に戻って手当をしなければ」

 戦士が頷く、僧侶も頷く。ローブを着た男が吠える。

「勇者よ!今魔王を逃せば、すべてが振り出しに戻ってしまうぞ?」

「どういう意味だ?」

「魔王をここまで追い詰める為に払った犠牲、失われた命、それらがすべて無駄になるってことだ!そんなことは許されない!行きましょう!」

「駄目だ。彼女を見殺しにはできない」

「……何故です?」

「何故?当たり前だろ?大事な仲間だ」

「仲間……仲間のため?」

「そうだ」

「聞いてくれ!もう一度言う。今魔王を逃せば――」

「分かっている」

「じゃあ、今すぐ奴を追おう!それが勇者の務めだろ?」

「君、名前は?」

「ルーファス。魔杖兵隊の隊長だ」

「ルーファス君、君には大事な人は居るか?」

「居る」

「その人が目の前で死のうとしているのに、見殺しに出来るか?」

「出来る!現にそうした!いいかよく聞け勇者よ!あんたがさっきから踏んでいる盾、それは俺の親友の盾だ!幼なじみだった。兄弟同然の関係だづた。だが死んだ。あんたを守るために、魔王の放った火球を身代わりに受けてな。俺はそれを視界の端に見ながらも助けようとしなかった。友を見捨て、魔王へ攻撃することを選んだ。何故だか分かるか?」

「聞かせてくれ」

「より多くの命を助ける為だ。今ここで魔王を倒さないと、何の罪も無い人々が殺され続ける。それだけは避けなければ――」

「君の言いたいことは分かる」

「戦士は黙ってろ!お前の足元に散らばってる肉片が何か分かるか?それは俺の恋人だ!この戦いが終わったら結婚するはずだった。だがお前の負った傷を回復している間に、魔王の攻撃に巻き込まれて八つ裂きにされてしまった。部下も皆死んだ。おせっかい者のトビー、ギャンブル好きのダン、ダール、ケント、カレン、ヤコベ、エイダ、皆それぞれに家族がいる。俺だって魔王を追うのを止めて、奴らの亡骸を集め、弔ってやりたい。すぐにでも家族のもとに返してやりたい。でも今は――」

「冷静になれ!いくら魔王が手負いでも、魔導士が居ないパーティーで挑めば返り討ちに合うに決まっている。苦しいが今は退くしかないんだ」

「俺が居る」

「君が?済まないが、一兵卒である君に彼女の代りは務まらない。もう行くぞ」

「聞け勇者!俺の話を」

「聞いても無駄だ。君とは価値観が違い過ぎる。君の言っているのは綺麗ごとに過ぎない。私はどんな時でも、仲間を見捨てたりはしない」


「そうか……ところでさっきこんな物を拾ったんだが」

 ルーファスの手が千切れた黒い腕を掴んでいる。腕は杖を掴んでいる。

「それは――」

「魔王の腕、そして魔王の杖だ。魔王の眷属以外がこの杖を握ると、たちどころに全身が燃え上がり灰になるという。しかし、こうして奴の腕を介してなら――」

「物理的に持ち上げたに過ぎない。そんな状態で杖の魔力を使うことなど――」

 魔王の腕ごと杖を振うと、黒い炎が現れ、石柱を蝋のように溶かした。

「出来るみたいだ。さあどうだ?これならそこの魔導士に引けを取らない戦力になるだろ?さぁ、今すぐ魔王を追うぞ!」

「分かってくれ。彼女はただの仲間じゃない、旅の間中皆を支えてくれた、私にとって世界一大切な人なんだ。だから見殺しには――」

「ふざけるな!お前らの足元に散らばってる肉片も、俺にとって世界一大切な人だったんだぞ!」

「行くぞ」

「待て!行くな!今魔王を逃せば、多くの命が失われることになる!」

「分かっている。じゃあな」

「……腐ってる。腐ってやがる」

「なんだと?」

「お前たちを守るために多くの兵が死んだ。だがお前たちは、彼らの死に関心が無い。報いようという気持ちも無い。仲間?友情?お前らにとって仲間以外の命、その他大勢の命は塵芥のようなものだ……行け」

 勇者一行は、振り返りもせずに、立ち去った。

「魔王は俺が倒す」


「今話したことが真実だ」

 痩身の男がこけた頬を引き攣らせて笑った。男の向かいには女が座っている。長身の女だ。ペンの動きが止まる。最後に打ったピリオドの前に、今しがた男が話した内容が、一言一句漏らさず書き留められている。

「やはり……取材に来て正解でした。今の話を公表しても構いませんか?」

「それはどうかな……」

 男はグラスに残った酒を呷り、顔を顰める。

「それが貴方の願いではないのですか?」

「実はそうでもない」

「何故です?貴方こそが魔王を倒した真の勇者ではありませんか?勇者達は貴方の手柄を横取りしてしまったんですよ?」

「そうとも言い切れんよ。実際に魔王の手を斬り落としたのは勇者の聖剣だったしな。それに……奴らの功績が汚されると、死んでいった俺の部下達の功績まで一緒に汚されてしまう。部下達だけじゃない。俺の親友やそして……旨い酒だな。手土産にこんないい酒を貰っちまって、ちびちびやるつもりが飲み干しちまったよ」

「やはり貴方こそが真の勇者です。でも貴方が望まないのであれば、今お聞きした話を公表することは控えます。最後に一つだけ聞かせてください」

「もういいだろ?なんだか疲れた」

「杖はどこにあるのです?」

「杖?」

「魔王の杖です」

「ああ、あれか、魔王を倒すと城が崩れ始めた。奴の魔力によって支えられていたんだろうな。時空が歪んで不安定な状態だった。魔王の腕と杖、あれらは強力過ぎる。強力な力は平和を乱しかねない。だから俺はあの杖を魔王の城に置いて来た。今は誰も辿り着くことのできない時空の狭間にある」

「そうですか……」

 女が素早く手を振り上げる。蝋燭の炎が揺れる。長い針、その先端がきらり。

「ほう」

「実はそれを聞きたかったのです。勇者様は危惧されてました。貴方が魔王の杖を持ち帰っているではないかと。そして杖の力を使い、自分に復讐を企てているのではないかと」

「なるほど、奴の考えそうなことだ」

 皮手袋をした左手を椅子の横に立てかけた杖に伸ばす――。

「動くな!」

 針が前進する。男の右眼に触れるほどの距離まで。

「致死毒を仕込む手もあったが、流石に勘付かれると思ってね。MPを0にする効能に留めた。良かったよ。何の疑いもなく飲み干してくれて」

「なるほど、考えたな……道理でさっきから体が怠いわけだ……俺のMPは今すっからかん……か……なら観念するしかないな。魔法の使えない俺はただの痩せて非力な男。プロの暗殺者であるアンタの前じゃあ子猫のようなもんだ……この状況をひっくり返す術なんてある訳無い――」

 女が口端を裂いて笑う。

「死ね!」

「普通ならばな」

 女の体が吹っ飛ぶ、壁にぶち当たり、鈍い音がした。

「何故?……魔法が使える?……MPは0のはずなのに」

「知らないのか?魔王の杖は、使用者に無尽蔵に魔力を与え続ける。そして――」

 皮手袋を脱ぐ。肘から先、漆黒の肌。

「その腕!?」

「移植した。さて――」

 女がこと切れるのを確認して、ルーファスは呟いた。

「勇者、死すべし」

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