第22話 新たなトビラがオープン!
ケーキ屋さんの女子トイレの洗面台前。用を済ませたあと前髪を整えていると天音が背後からやってきた。
そういえば女子同士でも連れションっていうのかな? 実はこういうのって初めての展開だったのを思い出す。
なんだか、うん? と首を傾げているような気がする。
鏡の中の天音と目が合ったところで俺は疑問に思っていたことを切り出した。
「ねえ、あの子天音のことねっちって呼んでたけどどうして?」
「なんだそんなことぉ? 最初は天音っちって呼んでたんだけどね。もっと短い方がいいって言われてこうなった~! 名前呼びよりすっごく親しみ感じるでしょ?」
「ん、あー。言われてみればそうかも」
「でしょでしょ! じゃあミサちゃん待ってるからいこいこー!」
「ぐえっ!」
天音からタックルのような勢いで抱きつかれ席に戻ったのだけど。
さらさら、さらさらさららー。
目の前のミサちゃんはコーヒーカップに五スプーン目の砂糖を入れてしまった。
よくありがちな甘いもの好きキャラはフィクションにはいるけど、さすがにこれは味覚にどこか問題を抱えてそうで心配になっちゃうな。
「そ、それって入れすぎなんじゃないかな……?」
「せんぱいはご存知ないんですか? これがすごく美味しい飲み方なんですよ。よかったら一口いかがです?」
首を傾げたあと、ミサちゃんは微笑みながらこっちにカップを差し出してきた。
この場合、無自覚の悪意と呼ぶのが相応しい。
見た目は純然たるブラックだけど、一口飲み込んだら確実に吹き出してしまうやつに違いないのだから。
「ちょ、ちょーっと今は遠慮しておこうかな……」
「うーん、やっぱりボクっておかしいんですか? ねっちもなんか嫌がるんですよね」
ミサちゃんは天音を見つめながらコーヒーをすすっている。
幸せそうにチーズケーキを頬張っていた天音は手にしたフォークを置いた。
「だっからぁ、あたしコーヒー苦手だって言ってるじゃーん! それよりそれよりさ、おねえはどう?」
「聞いてた以上の破壊力だった。毎日一緒にいられるねっちが羨ましくなったよ」
「でしょでしょー! じゃあミサちゃんもおねえの妹になったら?」
「おぉ、お試しみたいな?」
「いいね、レンタルおねえいいかもぉ!」
二人は手の平をぴったりと合わせながら、あははうふふと微笑みあっている。
正直この会話はどこまでが冗談なのかわからない。
女子の会話は男の
つまり黙って聞いているほかなく、手持ちぶさたな俺としては新たなケーキに集中するしかない。
「それ一口もらってもいいですか、せんぱい?」
黙々と食べている中、聞こえてきた声に顔を上げるとミサちゃんが期待するような眼差しを向けてきていた。
さっきコーヒーを貰わなかったのもあるしここでまた断るのもな。
「はいどうぞ!」
俺は手を止めてフォンダンショコラの皿を差し出した。
「違うよおねえ。そこはあーんだよぉ?」
弾むような天音の声に、ミサちゃんは目を閉じながらうんうんと頷き淡い桜色の唇をわずかに開ける。
それはまるで口づけを待っているかのよう。
さすがにこの雰囲気の中「そういうのはちょっと」なんて言ったら場が冷めてしまうことくらい予想できる。
「じゃあ、はいどうぞ」
一口大のショコラを差し出すと、「ん……はむっ」。ミサちゃんはフォークごと咥え満足そうな表情を浮かべている。
「おいしい?」
「ん~~~~~。とーってもおいしいですせんぱい」
「ならよかった」
「ぜひボクのもどうぞ。こちらも絶品です」
俺は差し出された木苺のタルトを同じようにぱくっとする。
そのあとは何事もなく普通の女子会みたいだったけど、食べるたびにミサちゃんにじっと見られてたのはなんだったんだろう?
帰りに天音に聞いてもとぼけた返事ばかりだったし、なにか裏がありそうな気がするんだけどな。
結局疑問を残したまま時間は過ぎてミーアとの約束の日になった。
「葵ちゃん、やっぱり先に来てたねー」
「待たせるよりは待つ方がましかなって……。え、わたしなんかおかしいこと言った?」
「やー、ほんとそういうとこ変わんないなって」
「そうだったっけ?」
天音が起きないようにこっそりと朝ご飯を仕上げ、家を出た待ち合わせ場所。
舞と隣同士並んで歩き始める。
これ、一人だったら確実に諦めてたかもしれない。
舞の先導のおかげで電車をいくつか乗り継いで最寄り駅に降り立てたのだけど、朝にも関わらず空からは強い日差しがじわじわと照りつけてきた。
天音に持たされた白いフリルの日傘――内側は黒になっていてこの夏の一押しらしい――を広げると隣からの視線を感じる。
「舞、もしかして持ってきてないの?」
「あはは。あまりに浮かれててすっかり忘れちゃった。ま、このくらいならなんとかなるよー」
「だめだめ。熱中症にでもなったらどうするの。ずっと楽しみにしてたんでしょ?」
俺は平然としている舞と日陰を共有するように腕を伸ばした。
そう、人生で一度も経験したことのない相々傘というものをしている。
まさか初めての相手が舞になるとは思わなかった。そういえば、深く考えなくてもこれって恥ずかしくなってくるやつなんじゃ?
ぐるぐるとこの状況を客観的に見ていると、舞からは楽しげな鼻歌が聞こえてきた。
「ほんっとうきうきだね」
「そりゃ葵ちゃんと一緒ですしー」
「ってまた変なこと企んでるんでしょ?」
「さーねー。さてさて、そろそろ着くよ」
そうしてコミケ会場に到着。
テレビで毎年目にしていた光景がそのまま広がっていて、俺は人の列にとにかく圧倒されてしまった。
「本当に傘借りたままでいいの?」
「いいって。これからもっと暑くなるんだから気をつけてね」
そうして舞は一般参加者の列に消えていき、俺はミーアとの待ち合わせ場所に向かった。
「葵サン、遠路はるばるゴクロウサマでーす!」
「なにその挨拶ー?」
「ふふふ、一度言ってみたかったニホンゴなのですよ! ではまいりましょうか!」
先を行くミーアについていく。
サークル関係者としてパスを貰っているのもあって、聞いていたとおり並ぶことなく場内に入ることができた。
周りの人達は作業に追われているようで忙しく動いている。
主催の人との挨拶を済ませたあとは、ミーアに教えてもらいながらスペース内の配置に取りかかった。
「そうです。やっぱり葵サンは飲み込みが早いです!」
「って、腰に手をまわすのやめてよ。なんか触り方もいやらしいし」
「まあまあ、いいじゃないですか!」
ミーアは笑いながら離れていく。
……うん。いつもやられっぱなしだし、たまにはこっちからやり返してみよう。
俺は背後に忍び寄るとミーアの脇腹に手を伸ばした。
いざ、作戦開始!
「このこの! くすぐりの刑執行ーっ!」
「ひゃあああ、やめやめ! やめてくだサーイ!?」
ミーアは身体をくねらせ逃れようとしている。
「やめろと言われてやめるばかがどこにいるんだー!」
脇腹が弱いとはいいことを知った。
悶えているミーアに追い討ちをかけ続けていると、ついにペタンと床に座り込んでしまった。
ただ、反撃成功の達成感もつかの間。
周りの人達と主催さんの視線が突き刺さっているのに気付いた俺は、急ぎミーアを起こし作業を続行した。
「まさか葵サンがあのような攻めをエトクしているとは驚きました!」
「ごめん。一応やりすぎたとは思ってるんだよ」
「おパンツがだめになったのはご心配なくでーす! それよりですよ。アタシ、新たなトビラを開いちゃったかもですね……!」
ミーアはうっとりとした表情をしていて危ない。
「いいから戻ってきて! ほんとごめんって!」
結局大慌てでコンビニへ行き、間に合わせの下着を調達する騒動になってしまった。
そんな流れもあって今はミーアと更衣室で一緒に着替えている。
今回はサークルさん指定の衣装なのだけど露出度合いが高いミニスカートだ。
もちろん、下にはスパッツを穿いているのもあって見えたりするとかの問題はない。
ちらほらと見られているような気がするなか、俺達は再びスペースに戻ってきた。
「それでは笑顔を忘れずに頑張っていきましょう!」
「おー!」
そうして即売会の開始時刻になると来場者が次々と押し寄せてくる。
待って待って。人、多すぎない?
思わずごくりと唾を飲み込みつつ、これが噂のコミケなのだなと実感することになった。
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