第21話 すかっ、すかっ、すかっ。
『おー、葵ちゃんコミケで売り子やるの?』
夜の十一時。
俺はソーダ味の棒アイスをかじりながら、男の時に愛用していた黒T一枚で舞との通話をしている。
これもすっかりぶかぶかになってしまった。けど長らく体に馴染んでいたものだから手放せない。
一応誤解のないように言うと、青下着は上下ともにお風呂あがりに装着済み。
とはいえこの格好……女の子としてはしたないかもしれない。けしからんかもしれない。もし天音がこれでふらふらしていたら注意の一つは確実にしているところだ。
でも最近はめっぽう寝苦しいこともあって、こんな風になってしまうのも仕方がないというかなんというか。
うん。言い訳のしようのないくらい完全に言い訳だ。
それでも、男の時は上半身裸だったのを考えれば服を着ているだけマシだと思い込むことにしよう。
『でもさー、まだ迷ってるとこだからわかんないよ』
ベッドに寝転びながら答えたのだけど、ほぼ同時に舞からは弾んだ声が聞こえてきた。
『やろうよやろうよ! 葵ちゃんのことだからある程度注目は集めるだろうけどメインはあくまでも同人誌の方だから』
『そういうものなんだ?』
『うんうん。それにいざとなればうちも同行しよう』
『円城院!』
通話を終えて部屋の電気を消す。
どうやら舞にはお気に入りのサークルがあるようで、もののついでみたいな口振りだった。
コミケに毎年行っているならそれこそ心強い。おまけに経験者様の言うとおり人目を引かないならやってみてもいいのかも。
そんなわけで少し前向きになり始めた翌日の朝。
「おっねえー! 聞いて聞いて!」
この騒がしい声は言うまでもなく天音だ。
ベッドに勢いよく飛び込んでくると俺の胸にうずくまり頭を左右に揺らしてきた。
結んでいないさらさらのストレートヘアが鼻に当たりくすぐったい。
「ちょっと落ち着いてよ。ちゃんと話聞いてあげるからさ」
頭を軽く叩きながらの説得も空しく、天音はむうむう言いながら胸にめりこんでいく。
ぞわっ、ぞわぞわ。
頭が動く度に体がぴくんと反応してしまう。
「ちょ、やめ……。わかったからいったん離れなさいって! いい加減にしないと朝ごはん抜きにするんだから!?」
「お代官さま、それだけはご勘弁をーっ!」
そんな流れもあり、今はベッドの上でお互い正座しながら向かい合っている。
正面の天音はそれはもうにっこにことしていて嬉しそうだ。
「で、なに? なんかいいことでもあったみたいだけど」
「それはもうだよ! あの時練習したみたいに正体を打ち明けたんだけどね。皆ちゃんとわかってくれたんだ!」
「おー、よかったじゃん」
「うんまあ、なんとなくそうじゃないかって思ってたらしいけどね……。それでも勇気出して告白できたのはおねえのおかげ!」
「やだなあ、わたしは関係ないって。天音が頑張ったから全部うまくいったんだよ。だからもっと自分を誇りなさい」
そう言った途端、天音はうつむいてううぅ~とうめき声のようなものを上げ始めた。
反応に困り恐る恐る頭をなでていると、天音は唐突にこっちに向き直り俺の肩に手を置いた。
「ねえねえ、今日は予定なにもないんだよね?」
「まあね」
「じゃああたしがおねえのエスコート役になりまーす」
「うん? それってどういうこと?」
「ほんと鈍いなぁ。今日は一日付き合ってもらいますよお姉さま!」
朝食後、いつもどおり勢いに押されるまま着替えを済ませると一緒に家を出る。
すれ違う人達からの視線にも大分慣れてきた。
ふんふんふふーんと、上機嫌に鼻歌を響かせる天音と繋いだ手を大きく揺らしながら駅前までやってきた。
「ねえ、ここってさ」
「ふっふー。バイキングだよ!」
「そんなに食べたかったならわたしが作るのに。どう考えてもこれって効率的じゃないよね」
「あーあ、おねえはまだまだだね~。こういうのはおうちじゃだめなんだよ? ほんとまだまだ初心者さんですねっ」
「もう、天音までそんなこと言うんだから」
そんなこんなで今俺達はケーキ屋さんにいる。
もちろんこれまでにこんなお店に来たことはなく、広がる景色に広がるのはキラキラとした女の子の姿ばかり。
とはいっても俺だって女の子だし今さら緊張なんてしない。
そうこうしていると天音が先を歩き出した。
「さあ食べるぞぉ~! いざいざ、しゅっつじーん!」
「ちょっと待ってよー」
天音から遅れるようにして、俺は色々なものに目移りしながらトレーに好きなものを乗せていく。
基本を抑えたシンプルなチョコレートケーキ、苺のづくしのショートケーキ、さつまいものモンブラン、懐かしさを覚えるカラメルプリンに、箸休め的なコーヒーゼリー。
なるほど。一朝一夕には用意できないだろうなかなかのラインナップのようだ。
そう思っていたのも束の間、俺はぐいぐいと進んでいく天音のあとをついていくしかできなかった。
「ううう、ほーんとさいっこーだねぇ~」
ほっぺたを子リスのように膨らませ、もぐもぐと食べ進める天音の笑顔を見ながら俺も同じように頬張ってみる。
うん、間違いない。これらは絶妙なバランスのもと成り立っている。
この配合は一度研究してみなければ気がすまない。
いたく感心しながら次々に口に運んでいると、天音の口の周りはクリームだらけになっていた。
「天音、サンタクロースみたい」
「うそー? おねえ、とってとってー!」
「まったくもう」
紙ナプキンで優しく拭っていると、天音は突然スマホを手に取り微笑みだした。
「ねえねえ、お友達が一緒したいって言ってるんだけどいい?」
「だったらわたし先に帰ろうか?」
「ううん、おねえにはいて欲しいかなぁ~」
結局、天音の友達を待っている間にトレーに乗せたケーキをすべて平らげてしまった。
思いのほか甘いものはお腹に入るようにできているみたい。
そんなことを考えていると天音が隣に座り、俺の腕に抱きついてきた。
ぎゅっ、すかっ。
すかっ、すかっ、すかっ。
そうか。違和感があると思ったら、天音にはミーアと違って腕に当たるものがなにもないんだ!
「そろそろ来るみたい……ん、なんだろ? おねえからすっごく失礼なこと考えてるオーラを感じるぅ」
「またまた~。えっと、なんか最近距離感おかしくないかなって!」
「え、そう? でもあたしいつもこんな感じだよ~!」
そんなこんなで話をしていると、店内に入ってきた女の子が俺達の正面までやってきた。
天音はやっほーと手を振っている。
「ど、どうも。ボク、ミサって言います! ねっちとは本当に仲良くさせてもらっていて。そうだ。葵せんぱい握手いいですか?」
言いながら、ショートの青髪がよく似合うその子はこっちに両手を差し出してきている。
こんな可愛らしい子がボクっ子なんて驚きだ。
それよりも、せんぱい……。先輩とはなんと心地のいい響きだろう。
「よろしくねミサちゃん!」
俺は気づいた時には立ち上がり、彼女の両手を強く握り締めていた。
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