第16話 えーえむえすあーる?

「おねえ、昨日も遅くまでゲームしてたでしょ? お肌に悪いから夜更かしはだめだって言ってるじゃーん!」


 それは朝の九時ごろ。

 俺が遅めの朝食を取っていると、天音はぷくっと頬を膨らませ不満げに声をあげた。


「わかってるんだけど、ついついやりすぎちゃうんだよね」

「ほんっとそういうとこはおにいのままだよねぇ。じゃああたし遊び行ってくるから!」

「遅くなる時は連絡してねー」

「さすがに朝帰りはしないもーん!」

「あ、はは……」


 ミーアとの出来事が浮かぶと俺は言葉に詰まってしまった。

 天音が慌しく出ていったあと、部屋に戻りパソコンの電源をオンにする。午前中に通話しようと約束していたのを思い出したのだ。


『お、来ましたねぇ。昨日は本当にお疲れ様でした』


 ボイスチャットの相手はアリスさんであり、彼女は舞の仕組んだドッキリ配信中に偶然出会った女の子だ。


『いえいえ、こちらこそありがとうございました。まだ少しだけ眠たいです……』

『あら、葵さんも? 次は時間に気をつけないとですね~』


 あははと愉快に笑う声が聞こえてくる。


『それでお話っていうのは?』

『皆さんの配信をよく拝見してるんですけどね。コメントなどを見た感じでは、葵さんが一番視聴者さんの関心を集めているみたいなんですよ』

『え、そうなんですか?』

『またまた。ご自分の魅力をもうちょっと認識するべきかと思いますよ~。葵さんも他の方のように変わったことをしてみませんか?』


 チャンネルの収益化以降、全員揃っていない時は個人個人で活動することも増えている。

 舞のゲーム配信は以前から。他にはミーアが一人カラオケの様子を流していたり、天音がおしゃべりしていたり。

 ただ一人、石動いするぎさんは恥ずかしがってなにもしていないようだ。


『うーん、特になにも浮かばないですけど』

『葵さんいい声してるし……ASMRエーエスエムアール――はご存知ですか?』

『もちろん聞いたことはありますよ。もしかしてわたしがそれを?』


 ASMRには色んな種類のものが存在していて、その一つに耳元に誰かがいて囁いたり耳かきをしたり、といったシチュエーションのものがある。

 好きな人は好んで聞くようだけど、個人的にはそこまでジャンルだ。


『はい! そういうのには興味ありません?』

『でもそんなのできるかなぁ……』

『もちろんやってみたいかどうかでいいですよ。もしやる気ならサポートしますし、チャンネル的にもプラスになる可能性があると思うんです』


 あの海でのこともそうだけど、俺はいつも皆になにかをしてもらってばかり。こういうところで貢献したら少しは恩返しができるかな?


『あの、サポートって例えばどんな?』

『専用の機材が使えるスタジオを借りようかと思ってて、そのお手伝いができたらと』

『アリスさんはどうしてそこまで』

『頑張ってる人を見てると応援したくなってしまって。余計なお節介なのはわかってるんですけどね~』

『いえそんなことは。とっても嬉しいです!』


 そんなこんなで後日、アリスさんと実際に会うことになった。集合場所は都内のお洒落なカフェで家からは少し遠出になるような距離だ。

 今回は誰にも頼らない形で進めていきたいのもあって、このことはいっさい打ち明けていない。

 天音にもクラスの子と遊びに行くとだけ告げてきた。


 こんな嘘をつくのは初めてかも。

 なんだか段々と楽しくなってきて、ワクワクしながら普段使うことのない路線バスに乗り込んだ。


「あなたがアリスさんですか?」


 到着してすぐ、オレンジ色のボブカットにフチなしの眼鏡の女性に声をかける。

 同じくらいの年齢だと思っていたのだけど、話を聞くにアリスさんは大学生らしく服装なんかもかなり大人びていた。


「やっぱり葵さんって可愛いですね~」

「そんなことないですよ。そういえばアリスさんって本名なんですか?」

奈那子ななこって言うんですけど、私のことは引き続きアリスと呼んでもらえれば~。では案内しますので色々見ていきましょう!」


 そうして俺達は席を立った。

 スタジオまでの道すがら、飲食店やアパレルショップなどが立ち並ぶ街並みを会話しながら歩いている。

 周囲は心なしかキラキラしているように思えて、その雰囲気に思わず目が泳いでしまう。

 普段見ている世界とはまったく異なっていることがよくわかった。


「う、なんだか物怖じしてしまいそうです」

「今回は雰囲気だけでもと思ってますので、リラックスしてやってみましょう?」


 空間には見渡す限りのよくわからない機材。

 貸しスタジオに入った俺は再び圧倒されていた。

 手渡された台本のようなものを読み上げていくのだけど、どうにもうまく感情を表現できず俯いてしまう。


「聞いてみて自分で棒読みなのがよくわかりました。わたしには向いてないのかな……」

「いえ、感情がこもって聞こえないのは照れが入りすぎてるせいですね。でもやっぱり声質自体はすごくいいので、もっと恥じらいを捨てて演じられるとよくなりそう~」


 明るい調子でアリスさんは首を振る。


「うーん、どうすればいいと思いますか?」

「例えばですけど、お友達と遊ぶ時大声を出したりしますか?」

「ほとんどないです」

「そうなると親しい方に協力してもらって慣れていくしかないですね。今日は顔合わせができたのでよしとしましょう!」


 その翌日、今はメンバー全員舞の家に集まっている。

 俺は思い切って相談してみることにした。


「なるほどー。恥じらいを捨てるにはどうすればいいか、だよね?」

「そういうのと無縁な舞ならなんか知ってるんじゃないかと思って」

「無縁は無縁だけどさー。でもどうしてそんなこと聞くの?」

「もっと元気よくやっていきたいなと!」

「そっか、ついに葵ちゃんにもプロ意識が出てきたんだねー」


 テーブル向こうの舞は楽しげに笑い、そのあとすぐ背後から声が聞こえてくる。


「はいはーい。街中に出て踊るとかどうでしょうか!」


 肩に手が伸びてきて振り返るとやっぱり天音がいた。


「踊れないしそこまではちょっとやりすぎ」

「ちぇー、あたしも一緒にやりたかったのにぃ」


 天音は残念そうにしながら正面に回り、ちょこんと俺の膝の上に乗っかってきた。

 それからわいわいと話をしていると石動さんが舞の隣に座った。


「私も恥ずかしいのなんとかしたい……」

「みゆっちはそういうの人一倍苦手だもんねー。じゃあ一番陽気な人に聞いてみますか」


 舞はテレビに釘付けになっているミーアに声をかける。

 今まで静かだったのは確実にアニメの力に違いない。

 するとミーアは立ち上がり、くるっと振り返るのと同時に俺のすぐ側までやってきた。


「葵サン、そんなの簡単なことですよ? 今こそあれしかありませーん!」

「え、あれって?」

「忘れずに持ってきてくださいね! さぁ、みんなさんもご一緒にいきましょーう!」


 どことなく予想はついていたけど、集合場所はこの間のカラオケ店だ。

 今回は五人なのもあって大きな部屋に通され、注文もそこそこにミーアが我先にと歌い始めた。


 二人だった時と違って恥ずかしいな。

 続けてマイクを握る天音と舞。それを見ていると曲を入れる手が思わず止まってしまう。

 それは遠くの席に座る石動さんも同じみたいで、視線がばっちり合うと苦笑いをした。


 でも、ここで思い切り歌えたらアリスさんの言ってたとおり演じることができるのかも。

 頷いたのと同時にミーアから手を引っ張られトイレに連れていかれた。


「さあ、葵サン。準備しますよ!」

「本当にやるんだよね?」

「思い出してください。この間みたいに盛り上がるだけでーす! さあ脱ぎ脱ぎしましょう!」

「待って、それは自分でできるからっ!」

「いーえアタシにお任せあれです! ――おやおや?」


 個室で二人きり。

 紫の下着姿のミーアは、俺の服を強引に脱がした上に胸を揉みしだいてきた。


「あ、や、ちょっと……着替えするだけって言ったじゃん」

「でも葵サン、前よりおっきくなってますよね?」

「そんなわけないでしょ」

「なんと気のせいでしたか!」


 ミーアは失礼失礼と笑っている。相変わらず距離感のおかしな子だ。

 着替えとメイクを終えて部屋に舞い戻るとちょうど曲が流れ始めていた。

 満足気な表情してるしこれもミーアの計算のうちっぽいな。

 そう思っていると背中をぐいぐい押されていく。


「これからアタシ達のライブ始まりまーっす! では葵サンからも一言!」

「えーっと、今日は頑張りまーす……」

「声が小さいです! もう一度、はい!」


 再びマイクを向けられ、俺は顔が熱くなるのを感じながら息を吸い込んだ。


「ああもう、頑張ればいいんでしょー!」

「グッドです! みんなさん、手拍子お願いしまーす!」


 そうして俺達は歌い始めた。

 服装はもちろん誕生日プレゼントにもらったコスプレ衣装で、振り付けは隣のミーアの真似をする。

 そうだ、今の自分をいつもの自分だと思わなければいけるかも。

 一曲目は表情がまったく動かせなかったけど、時間が経つにつれてどんどん楽しくなっていった。


「すっごいかわいー! 二人ともこっち見て!」


 天音がきゃーきゃー言いながら両手を振り、その隣の石動さんは手を叩いている。

 そして舞は満面の笑みでスマホを構えているのだけど、あれはきっと撮影しているに違いない。


「ね、次の曲いこ!」


 ミーアの手を取ると強く握り返してきた。


「わぁお最高でーす! 葵サン、ノッてきましたね?」

「いいないいなー。あたしたちも歌っちゃおうよ! ね、みゆさん!」


 このあとも場の勢いは止まらない。

 終わりの時間になる頃には恥じらいの感情はすっかりなくなってしまっていた。


『驚きました。本当この短期間で見違えましたよね~』

『うーん……特訓というのかな。ちょっと色々ありまして』

『いいお友達に恵まれましたね。これでまた葵さんの魅力を知ってもらえるのではないかと!』


 数日後、アリスさんからのOKが出た動画をアップロードしてすぐのこと。


「ちょっとちょっと、あの動画ものすごい反響だよー。なにより葵ちゃんが一人で動いてたなんて!」


 普段メッセージだけの舞も通話してくる程度には驚いていて、それと同時に喜んでいるのがわかる。


「いつも不意打ちされてばっかりだしたまにはね!」

「カラオケのも好評だったしかなり登録者数増えてるよ。これからも思いついたらどんどんやってもらっていいからねー」


 上機嫌で通話を終えるとすぐに石動さんからメッセージが入った。


『あお、デートをね』

『うん?』

『ミーアさんと対決することになったからよろしく』

『ごめんみゆ。ちょっとなに言ってるかわからないんだけど……』

『とにかく今週の日曜来て欲しいの』


 デート? 対決?

 詳しい内容はともかくとして、花火大会に向けて三人で浴衣を買いにいくことになりそうだ。

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