第2話 俺だよ、俺俺!

「……」

「……」


 天音と目が合ったまま互いに固まること十秒ほど。無言に耐えかねた俺はつとめて明るい調子で話しかけた。


「天音、俺だよ。そう、俺俺!」

「あ、やっぱりそうなんだ……?」

「わかってくれたか。ああ、お前の思ってるとおりだ」

「逃げずにここで待っててくださいね。おにいのストーカーさん?」


 なんてこった。

 スマホを取り出した天音は「あれ、110番って何番だっけ!」などと大声をあげながら部屋を飛び出していった。

 相当混乱してるようだがここで通報されるわけにはいかない。

 あとを追いかけていき天音の部屋まで乗り込んで手を掴む。


「頼む、話を聞いてくれよ!」

「な……なにするんですか。やめてください」

「だから俺は」

「あなたなんかと話すことはなにもありません!」

「だから俺が葵なんだって!」


 まずは逃げられないように勢いのまま天音をベッドに押し倒す。

 力の差もあるしこれで大人しくさせてしまおう。

 だがそう思ったのも束の間、天音はすぐに抜け出すと俺から距離を取りドアのところまで逃げていった。

 おかしいな。この体のせいかいつもの力が発揮できてない気がする。


「それってどういうことですか……?」

「俺もなにがなにやらなんだけどさ。朝起きたらこの姿になってたんだ」

「なんですかその突拍子もない設定は。人の家に侵入しておいてふざけないでください」

「だから本当なんだよ」


 しばらく同じやり取りが続き時間が過ぎていくと、天音は大きく溜め息をついた。


「しつこい人ですね。それが事実ならあなたがあたしの兄だと証明してみせてください」

「待てよ、そんなのどうやって」

「できないならこのまま警察呼びますけど?」


 天音はスマホをちらつかせ俺に怪訝けげんな表情を向けている。


「昨日言ってたデザートだが……プリンにしようかと考えてるんだ。お前好きだろ、こんがりさせたカラメル」


 これならいける。俺達の間でしか共有していない情報なら信じざるを得ないはずだ。


「そんなことまでどうして知ってるんですか? ……もしかしてあなた」


 天音は部屋を飛び出していきリビングでなにかを探し始めた。


「なあ、信じてくれるよな?」

「そうですね。ここで盗聴器が見つかると確信しています」


 なんてこった。

 初めて目にする天音の淡々とした対応に心が折れてしまいそうだ。かくなる上は援軍を呼ぼう。

 ポケットからスマホを取り出し、緊急事態と称してメッセージを送信。天音の様子を見ながら到着を待っているとインターホンが鳴った。


「おはよう天音ちゃん。葵くんが大変だって聞いたんだけど――あ、どうも初めましてーぇ!」


 一人は舞だが俺を見るなりだらしない顔をしだした。こいつ、例によってよからぬ妄想を繰り広げているな。


「え、円城さんまで一緒とは奇遇だな! お……おーい、葵。葵はどこにいるんだ!?」


 お前もか。

 落ち着かない様子の清四郎はリビングを出て二階まであがっていってしまった。

 相変わらず天音からは警戒されっぱなしだが、この二人なら有利にことを運べるはずだ。


「つまり、このお姉さんが自分を葵くんだって言ってるんだよね?」


 表情が強張ったままの清四郎が戻り、ようやく全員が揃うとすぐに舞が切り出した。


「それはこの人の狂言です。そんなの絶対あり得ないですから。ところで二人はどうして来たんですか?」


 天音は舞と清四郎を交互に見ながら言葉を返し、清四郎はいち早くそれに答える。


「天音ちゃん、俺達は葵に呼ばれたんだよ。大変なことになったから来てくれってさ。でも肝心の本人がどこにもいやしない」

「そこでなんだがちょっとこれを確認してくれ」


 俺がメッセージの送信画面を二人に向けると舞は覗き込んだ。


「ていうかこれ、葵くんのスマホだよね。確かロックは指紋認証だって言ってたような……」

「ああ。つまり、本人以外じゃこの画面まで辿り着くことはできないはずだよな?」


 天音によく聞こえるように言っても反応は薄い。さらに畳み掛ける必要がありそうだ。


「今から二人には葵にしかわからないことをそっと尋ねてもらいたい。それに対する俺の返答を聞けばはっきりするはずだ!」

「ていうか思ったんですけど、お姉さん話し方が完全に葵くんですよね。じゃあ私からいきますよー」


 俺の耳元までやってきた舞は、はあはあと息を荒くしているがまだなにも喋っていない。


「なにがしたいんだ。さっきからくすぐったいんだよお前は」

「いやあついつい。さて、最近あなたが告白して振られた相手は誰ですか?」

「く……生乾きの傷を深く抉りやがって」

「もしかしてわからないんですか?」

「ええい、石動みゆさんだこの野朗が!」

「じゃあ次橘くんお願い!」


 続いてはガクガクとロボットのようにやってきた清四郎だ。


「お前が本当に葵本人なら……今後も円城さんとの橋渡しよろしくな」

「だから何度も言わせるな。お断りなんだよバーカ!」

「そう返してくるのはどこ探しても葵だけだ! よし、天音ちゃんの説得は俺達に任せといてくれ」


 そうして疑いは晴れ、ようやく俺は天音からの信頼を勝ち取ることができた。

 だが根本的な問題はなに一つ解決していない。

 どうしてこうなったのかを四人で話し合うも、当然ながら答えが出ないまま昼を迎えた。

 簡単にさっとできる昼食を振舞ったあと、各自がスマホやらタブレットやらでこの現象について調べ始めている。


「あたし二分だけ寝るぅ……」


 黙々と読み進める中、腹いっぱいになったらしい天音はテーブルに突っ伏してしまったがこの際放っておいても問題はないだろう。


「かーわいいねぇ」


 羽のようなソフトタッチで天音の頭を撫でるのは舞だ。こうなってはこいつも戦力外と見ていい。

 それからは残り二人で画面と向き合う。しばらく時間が経った頃、清四郎がゆっくり立ち上がりスマホを向けてきた。


「葵、もしかしたらこれかもしれん」

「見つかったのか?」

「『性別の反転症状が見られた人物における、戸籍上の性別変更を国が限定的に認めた事例』だそうだ。ただ件数は全国で数えるほどらしくてな。どうしてそんなことが起こったかについては医学的な見解が出てない」

「そうなると病院で聞いてもなにも得られそうにないか……? とにかく今日は長々とありがとな」


 そうして舞と清四郎と帰っていったのは昼過ぎの二時。これからどうしたものかと考えていると、天音が泣きそうな表情を浮かべ抱きついてきた。


「どうしたんだ?」

「おにい、いっぱいひどいこと言っちゃってごめんね。あたし今すごく反省してるんです……」

「いや、あんな状況で簡単に信じる方が危ないだろ。もしお前がそうなったら俺だってまずは疑って掛かる。だからなにも気にすることはない!」

「うぅ、ありがとぉ。お詫びになるかわからないけど……女の子のことならあたしにお任せだよ」


 俺から離れた天音は腰に手を当て堂々と薄い胸を張っている。


「それどういう意味だ?」

「まずは、その……おにいブラしてないじゃん? あと、女の子の事情とか色んなことがあるんだけどちゃんと教えなきゃと思って」


 視線は俺の胸に向けられていて少しだけ恥ずかしそうだ。


「確かに下着とか服のことはわからないな」

「でしょ! これからそういう相談とかはあたしにして欲しいの」

「わかった。よろしく頼むぞ天音よ」

「じゃあ早速出かけよっか!」


 天音が勢いよく手を引っ張ってきたが、俺は引き戻しながら制する。


「まあそう慌てるな。今日はお前のを貸してくれればいいよ」

「ううん、どう見てもサイズが合わない……」

「ん、なんのだ?」

「もう、言わせないでよ。もちろんお胸とかお尻だってば! むー、わがまま豊満ボディなのを思い知りなさーい!」

「やめろ。待て、お前なにをしようってんだ!」


 このあと天音にあらゆるところを揉みしだかれたのは言うまでもない。

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