第4話 揉んで欲しい

「おにい、昨日髪乾かさないで寝ちゃったでしょ? 要注意、要注意ですよー」


 朝食を終えてすぐのこと。天音は俺の髪をセットしながら不満げに声をあげた。


「でもいつもあんな感じだぞ。自然乾燥のなにがいけないんだ?」

「髪が痛むからだよぉ。そんなわけで今日からはあたしがチェックします!」

「やってもらえるならそれはそれで助かる」

「そうだ。おにい髪長いしこれつけてあげるね」


 俺が鏡を覗き込むと、天音は白いリボンをくるくると巻きつけ結んだ髪を持ちあげている。


「ほら見て、ポニテだよポニテ!」

「確かにちょっと邪魔だなって思ってたんだ。うん、なかなかいいな」

「でしょでしょ? 今後のヘアアレンジも楽しみにしててね!」

「なあ」


 振り返りじっと見つめると天音はきょとんとして首を傾げている。


「ん、なーに?」

「昨日から色々すまないな。天音がいなかったらと思うとぞっとするよ」

「いいのいいの。おにいはいつもあたしのこと助けてくれるでしょ。そのお返しだと思ってよ!」

「ありがとな。お前は本当によくできた妹だ」

「えへへ……。今日の夜ご飯期待してますよお兄様!」


 満面の笑みを浮かべる天音の言葉を聞いて思い出す。

 そうだ、今日は昨日するはずだった予定を遂行するんだった。

 入念に身だしなみを整えたあと、リビングに戻ると天音はソファーにうつ伏せになってマンガ本を読んでいる。

 それはいいのだが、ホットパンツの隙間から白とピンクの縞々を覗かせているのは兄として看過できない。


「天音よ、パンツ見えてるぞ」

「そっかー」

「いつも言ってるけど少しは恥じらいを持ちなさい」

「わかったよー」


 ここまで一切の振り向きもなければ相変わらず見えっぱなし。完全に流されている様子に溜め息をつく。


「まったくお前というやつは。さて、これから駅の方まで行ってくるよ」

「おにい一人で大丈夫? 一緒に行こうか?」


 天音はマンガを置くと体を起こし俺の側まで寄ってきた。


「いやいいよ。一人での行動にも慣れておかないといけないしな」

「服装よしっと。んー、今のおにいにはメイクは必要ないかな。あ、念のためこれ持ってって。くれぐれもナンパ男には気をつけるんだよー?」


 なんか天音のやつ母親みたいだったな。防犯ブザーを受け取り俺は駅への道を歩き始めた。

 昨日買ったヒールはスニーカーと違って安定感に難があり、意識しなくてもゆっくりとした移動になってしまう。

 ま、急ぎの用事でもないし焦ることはない。

 電車を乗り継いだあといつもの大型書店に立ち寄り、目を引いた何冊かを手に入れる。

 お次は夕飯の食材だが天音を労う意味でも通常よりもランクを一つ上げてやろう。


「いえ、そういうのは……」


 それは上機嫌で店を出て駅へ向かっていた時だ。

 女の子が派手な見た目のチャラい男に声を掛けられている。身振り手振りから察するに二人はどうやら知り合い同士ではなさそうだ。

 少しずつ距離を詰め様子を伺っていると嫌がるような声が聞こえてきた。


 ここで見て見ぬふりをするのは俺の中ではあり得ない選択肢だ。

 もしなにか危ない展開になった時は人通りもあることだしこいつに頼ろう。


「あ、待った? 早く行かないと遅れちゃうよ!」


 俺はブザーを握り締めながら最接近し、声をあげながら女の子の手を取った。

 続けて戸惑う表情に向けてひそひそと囁く。


「あの人知ってる人?」

「違いますけど……あなたは?」

「困ってるように見えたからさ。今だけわたしに合わせてもらっていい?」

「わかりました」


 適当な話題を投げかけ友達を演じ続けていると、男はようやく諦め去っていった。

 さて、落ち着いてよくよく見てみれば俺はこの子を知っている。

 彼女は石動いするぎみゆ。そう、男の俺を振ったあのクラスメイトだ。


「ああ、よかった……」


 安心したのか石動さんはその場でしゃがみ込み泣き出してしまった。

 冷静な印象が残ってたのもあって驚きの一言だ。

 俺も同じように屈んで取り出したハンカチを手渡す。


「はい、これ使って」

「ありがとうございます」

「もしかしてなにかされたんじゃ……。交番までついていこうか?」

「いえ、違うんです。私男性がすごく苦手で」


 涙を拭う彼女とばっちり目が合いどきどきする。それにしても泣くほど苦手ってことは男性恐怖症のようなものかもしれないな。


「えっと……もう大丈夫そう? ちゃんと帰れる?」

「はい、お家はすぐなので。でもハンカチ洗って返さないといけませんね」

「同じの持ってるからそれはあげる。じゃあわたし行くね!」


 これ以上の長居は無用だな。俺は立ち上がり去ろうとしたのだが、すぐに声が聞こえてきて振り返る。


「待ってください。お礼をしたいのでせめて連絡先だけでも教えてもらえませんか?」

「そんなのいいって。いけない、急いでるからじゃあね!」


 中身が俺だなんてわかるはずがない。そんなのとっくに理解しているけどどこか気まずい。

 それでもこういう非常事態には足が回るもんだ。

 まじまじと視線を感じる中、何度かつまずきそうになりながらこの場を離れた。


「へえ、そんなことがあったんだね。でもすぐに人助けができるのってなかなかないことだよ!」


 夕食のラザニアを食べながら、フォークを手にした天音は興奮気味にまくし立てた。


「ちょっと放っておけなくてな。ま、相手がすぐに引き下がってくれて助かったよ」

「あたしだったらお礼するって食い下がるなー。どうしてそのまま帰ってきたの?」

「別にそういうのが目的だったわけじゃないしな」

「さっすがー、あたしのおにい兼お姉ちゃん!」


 助けたのが振られた相手で、気まずさのあまり逃げ出したなんて口が裂けても言えるか。


「そうだった。冷蔵庫のプリン、俺の分も食べていいからな」

「え、それ本当!? わぁーい!」


 これ以上の追及を避けるには餌付けに限る。歓声沸き立つリビングから離脱した俺は風呂場に向かった。

 体を洗い終えて湯船に浸かっているとすぐに眠たくなってきた。慣れない靴で歩き回ったのもおそらくあるんだろう。

 実際にはこれは気絶をしているそうなのだとなにかで聞いた。だが気持ちいいものは気持ちがいい。俺は眠気に身を委ねようとしていた。


「おにい、お湯加減どーお?」


 その声で我に返ったところ、どうやら脱衣所には天音がいるようで扉の擦りガラスにはツインテールの影が映っていた。


「ちょうどいいよ」

「そっかー。じゃあお邪魔するね!」

「うん、ああ……?」


 眠気が完全に抜けてないせいかよく理解してないまま返事してしまった。

 お邪魔ってなんだったんだ? まあいいか。もう少しだけいい気分に浸っていよう。

 そう思っていると、ガチャンと扉の開く音が風呂場に響き渡り完全に目が覚めた。


「やっほー!」

「いやいや……お前なに入ってきてんだ?」

「え? さっきいいって言ったよね?」


 一言で表すならぺったんこ。

 視線の先には髪を下ろし一糸まとわぬ姿で首を傾げる天音の姿だ。

 身長自体は伸びているが、女性的な部分は一緒に風呂に入っていた小学生の頃と比べてもあまり変化を感じない。

 そんなことを思っていると天音が眉をひそめてこっちを見てきた。


「おにい、今すっっごく失礼なこと考えてない?」

「滅相もない。ていうかそんなに入りたかったなら飯の時に言っといてくれよ」


 立ち上がろうとすると、行く手を阻むように腕を広げた天音から止められる。


「だめー。一緒に入りに来たんだからそのままでいてよ!」


 別に今じゃなくてもいいと思うんだが、なにか面と向かって話したいことでもあるんだろうな。

 両親の代わりをするのは昔から兄の務め。

 腕組みをして待っていると体を洗い終えた天音が浴槽に入ってきた。


「こうして一緒なんてなんか新鮮だよねー」

「で、なにか悩み事でもあるのか?」

「やっぱりわかるんだ!」

「何年お前のお兄ちゃんをやってると思ってるんだよ。いいから言ってみな」

「胸を揉んで欲しいんだけど」


 なんだ、今のは幻聴か? ゲームや漫画でならともかく、そんなワードが現実に存在してたなんて俺は知らないぞ。

 いやいや、さすがに聞き間違いだよな。


「悪い、よく聞こえなかった。なにを揉んで欲しいって?」

「だから、あたしのおっぱい」

「お前気は確かか。本当なに言ってんだ!」

「別に変なことじゃないと思うけどなぁ。誰かに揉んでもらうと大きくなるって聞いたのー」

「だったらそれこそ友達にでも頼めよ。いっぱいいるんだろ?」

「うぅ……それは無理。あたし学校だとクールなキャラ演じてるし、そんなこと言えない」


 口まで浸かった天音は水面をぶくぶくとさせている。


「お前も色々苦労してんだな」

「だからお願い。可愛い可愛い妹を助けると思ってさ!」


 言いながら天音はわずかに膨らんだ胸部を近づけてくるのだが、俺としては溜め息しか出てこない。


「よく考えてもみろ。俺の中身は男だしそれに兄だ。色々とこう、常識的に問題があるのがわからないか?」

「確かに中はおにいだけど外見はお姉ちゃんじゃん。それってもう女の子ってことだしセーフだよ!」

「なんつう理論だ」

「もしかして実の妹の体を意識してえっちな妄想してるとか? あれあれー、触れないってそういうことになるんじゃない?」


 天音はにやにやとしながら挑発してくる。

 このメスガキめ。

 口は災いのもとという言葉を生意気なこいつにわからせてやろう。


「仕方ないな。ちょっと後ろ向いてろ」

「はーい!」


 背後から天音の体に手を伸ばすと手の平に柔らかなものが当たる。

 それにしても初めて触る他人の胸が妹のものになるなんて思いもしなかったな。

 こんなに小さくてもしっかり柔らかいところがある。その感触を覚えつつ力を入れすぎないように指を動かしていく。

 すると聞いたことのない甘い声が風呂中に響き始めた。


「あっ……やっ……くぅん」

「おい、急に変な声出すなよ」

「だっておにい、さっきから先っぽばっかりで触り方いやらしいんだもん。もっと手の平で全体的にほぐしてよ」

「お、おう。悪い……」


 いかん、あろうことか少しだけ変な気分になってしまった。

 わからされたのは俺の方なのか?

 気を取り直しマッサージのように手を動かしていると天音がこっちに向き直った。


「ありがと、もういいよー」

「そうか。俺は先に出るからしっかり肩まで温まるんだぞ」

「なに言ってるの? 交代だよ交代!」


 天音は手をわきわきとさせながらにじり寄ってくる。


「おい、お前またか」

「さすがおにいは話が早いー」

「わかったからせめて優しくしてくれ……」

「わあ、その顔すっごくいい。順調に女の子レベル上がってるね!」


 天音は俺の胸をがっつり揉みながら幸せそうな表情を浮かべている。

 なんだろう、自分で触るのと人から触られるのはどこか違う感じがする。

 時折体をびくんとさせながら過度なスキンシップを受け続けるしかなかった。

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