第17話

「行くの?」


 用意が整い、玄関ホールまでやって来ると、屋敷の人間が勢揃いで俺を待っていた。


「で、なんでフィオナが剣帯を装備しているんだよ」

「わたしも一緒に行くからに決まっているじゃない!」


 ガーブルに事情を求めるように視線を向けると、「一度いい出したら聞かない娘でして」と苦笑していた。


「はぁ……で、お前は付いてこないのか?」

「めんどくさそうなんでパスです」


 階段に座り込み、ワイングラスを傾ける女神は、相変わらず薄情な飲んだくれだった。


「幹夫は……見送りもなしか」

「ミキオなら食堂でファンシアとケーキ食べていたわよ」

「あっそう」


 にしても、本当にクソめんどくさい事になってしまったな。

 涙ながらに土下座までされてしまっては、さすがに拒む勇気が湧かなかった。

 その結果がこれだ。


「ではフィオナ嬢、共に参るとするか」


 ガーブルから借りた剣を装備するバード伯爵からは、なんとも言い難い怪しさが漂っていた。


「本当に伯爵も行かれるんですか?」

「もちろんだ。息子のためなのだぞ。それに、フィオナ嬢を守るのは騎士の務めであろう。ほら、危険だから手を握ってやろう。おー、フィオナ嬢の手はとてもスベスベしておってキモチよいのー」

「ちょっ、なにすんのよッ!?」

「ぐはははは――ついな、つい」


 本当に息子の安全を心配しているのか疑問だ。あれではただのセクハラおやじではないか。


「ユキオ!」

「伯爵、彼女は俺が守りますから、伯爵はご自分の身だけをお守りください」


 顔をひきつらせて駆け寄ってくるフィオナの肩を抱き寄せた瞬間、バード伯爵からは凄まじい殺気が向けられた。


「クルセア! さっさと馬車を出せッ!」


 明らかに不機嫌になったバード伯爵の背中を、思わず凝視してしまう。


「なぁ、伯爵はフィオナに気でもあるのか?」

「は? ……嫌だ、やめてよ気持ち悪い。伯爵はお父様より7つも年上なのよ?」

「ああ、うん。だよな……」


 俺は本当は76歳らしいので、何だかちょっぴりショックだった。


 シュトラハビッツ夫妻に別れを告げた俺たちは、クナッパーツブッシュ家の馬車に乗り込んだ。




 ◆◆◆




「本当にこんなところにアジトなんてあるのか?」


 ピリリカから東に進むと、霧に覆われた渓谷が広がっている。バード伯爵によれば、妖盗蛇衆のアジトへの入り口は滝の奥に位置しているとのこと。


「ユキオ、こっちに通路があるわよ」


 馬車を降りて渓谷を徒歩で移動し、滝の奥に洞窟を発見したのだが……なにか引っかかる。ここに来るまで全くと言っていいほど魔物の気配がなかったのだ。


「少しうまく進み過ぎてないか?」

「そう?」

「お前の父、ガーブル子爵は渓谷の魔物に気をつけろって言ってたぞ。魔物なんて一匹もいないじゃないか」

「きっと運が良かったのよ」

「だといいんだけどな……」


 クルセアの思い詰めた表情とは対照的に、バード伯爵はまるでピクニックにでも行くかのように、軽快な足取りで進んでいた。


「伯爵、あまり先を急ぐと魔物に襲われる可能性が高まりますよ」

「ふんっ、私は貴殿のように臆病者ではない。心配してくれずともよい」


 誰も心配などしていない。仮にこの酒樽が魔物に襲われたとしても、助けるつもりなんて微塵もない。


「ウィル様! どこにおられるのですかぁ!」

「ちょっとクルセア! そんなに大声で叫んだら敵にこちらの居場所が筒抜けになってしまうだろ!」

「しかし、小声ではウィル様に私の声が届きません!」

「いや、そりゃそうだけど……」


 クルセアは人の忠告を聞かず、主君の名を叫び続けている。その光景に、俺は思わずため息をこぼしてしまう。


「ユキオ、ちょっとこっちに来て!」

「今度は何だよ……って、こりゃすげぇな」


 フィオナに呼ばれて洞窟の奥に進むと、そこには場違いなほど巨大な鉄扉が立ちはだかっていた。


「明らかにここがアジトよね?」

「ウィル様!」

「だろうな――ってちょっと待てクルセア! さすがにこんなでかい扉はあけ……」


 バード伯爵が軽く鉄扉に手をかけると、驚くほど容易に扉が開いてしまった。その得意げな表情が、なんとも腹立たしいものだった。


「ほら、早くせんか。辺境伯殿は臆病なうえにのろまでかなわんな」


 この野郎。

 相手が貴族でなければ張っ倒しているところだ。


「そりゃすみませんね」


 むっとしながら鉄扉をくぐり抜けた先には、漆黒の闇が広がっていた。


「これじゃあ何も見えないな。明かりはないのか?」

「そんなの持ってきてないわよ」

「ウィル様! どこですかぁー!」

「なあクルセア、頼むから少し静かにしてくれないか」


 敵地で視界を奪われた上に聴力まで奪われては、たまったものではない。

 何か明かりになるようなものはないかとポケットをまさぐっていると、ガタンッと音を立てて背後の扉が閉まった。


「ん……?」


 同時に誰かが駆けていく足音が聞こえる。

 そして次の瞬間、


「まぶしっ!?」

「な、何よこれ!?」

「うっ!」


 まばゆい光が俺たちの視界を一瞬にして奪い去った。


「これって……」

「どうやらハメられたみたいだな」

「……っ」


 不明瞭だった視界が次第にクリアになり、武器を携えた悪漢たちの顔が浮かび上がってくる。


「はじめからこれが狙いだったってわけね」

「そのようだな」

「卑怯なっ」


 にやりとした笑みを浮かべる悪党たちの中に、俺は見覚えのある女を見つけた。

 女盗賊ソイフォンだ。

 彼女も俺に気づいたようで、薄い微笑みを浮かべながら静かに一歩前進する。


「こんなところで会うなんて奇遇だね。坊やはそんなにあたしの事が好きなのかい?」

「どうだろな? というか、招待してくれたのはそっちだろ? 俺はてっきりこの間のダンスの続きを踊りたいのかと思っていたよ。まだ途中だったろ?」

「そいつは悪かったね。でも、あたしはダンスとセックスの下手な男は相手にしない主義なんだ。悪いね」

「盛大にすっ転んでおいてよく言うよ。それに、えらそうなこと言う割にはぺったんこじゃん」

「なっ、お、お黙り坊やッ!」


 平手打ちを思わせる厳しい言葉に、俺は眉を持ち上げざるを得なかった。


「あたしは着痩せするタイプなんだよ! というかね、あんた自分の置かれている状況がわかっていないのかい?」

「俺の置かれている状況……? ダンスが下手で胸の小さな女と、その他大勢の雑魚に囲まれているこの状況が、どうかしたのか?」

「……っ。その減らず口、いつまで続くか見ものだね――お前たち!」


 ソイフォンの叫びに応じて、悪漢たちは一斉に武器を掲げた。


「間違っても金髪の女は殺すんじゃないよ!」


 列車ではあれほどフィオナを殺そうとしていたソイフォンが、今度は手下に殺すなと指示。この変化に驚くのは俺だけじゃない。フィオナ自身も相当に困惑していた。


「どういうこと?」

「っんなの俺が一番聞きてぇよ」

「ウィル様はどこだぁっ!」


 俺たちが疑問符を抱く中、クルセアは相変わらず主君のことで頭がいっぱいのようだ。


「答えろ! ウィル様をどこにやった!」

「相変わらずピーピーとうるさい女だね。坊やならこの先の地下牢でめそめそ泣いているよ。ママを殺した仇だなんだとうるさくてかなわないよ」

「いっ、今なんて言った!」

「ピーピーとうるさい女だね――」

「その後だ!」

「地下牢でめそめそ泣いてる坊やについてかい? それとも、坊やのママを殺した件についてかい?」


 腰の剣に手を伸ばすクルセアからは、凄まじい殺気が放たれていた。


「メナ様を貴様が殺した、だと? どういうことだ、答えろ!」

「鈍い女だね。はっきり言わなきゃわからないのかい? メナ・クナッパーツブッシュを殺したのはあたしだよ」

「!?」


 ――まずい!

 そう思ったときには、既にクルセアは腰の剣を抜いていた。


「貴様かぁああああああッ!」


 今にもソイフォンに襲いかかってしまいそうな彼女に手を伸ばし、俺は冷静になるよう声をかけた。


「なぜ止めるのです!」

「冷静に周りを見てみろよ。突っ込んだところで袋叩きにされて終わりだろ」

「だとしても、私は戦うためにここに来たんです!」

「そりゃちげーだろ」

「何が違うと言うのですかっ!」

「俺たちがここに来た理由は、盗賊を殺すためでも捕まえるためでもない。ウィルを助けるためだ。目的を履き違えるな!」

「……っ」


 とは言ったものの、このままではどの道4人でこの人数を相手にすることになる。

 4人で……?


「……」


 いない。


「おい、伯爵は、バード伯爵はどこだ!?」

「え……?」

「旦那様……?」


 盗賊たちに意識が集中していたため、俺たちは今の今までバード伯爵がいなくなっていることに気がつかなかった。


「今頃気がついたのかい?」

「貴様、旦那様をどこにやった!」

「クックッ」


 再びクルセアが怒りを爆発させると、ソイフォンは肩を震わせ始めた。


「本当にめでたい連中だね。伯爵もそう思わないかい?」


「「「!?」」」


 奥の通路から、バード伯爵が血だらけで歩いてくる。彼の手には、見慣れた少年の生首が握られていた。


「ウィル……さま?」

「いやっ……」


 状況が理解できない俺の隣で、フィオナは口元に手を当てたまま半歩後退し、クルセアは全身の力が抜けたかのようにその場に座り込んでしまった。


「なんだい、結局自分で殺しちまったのかい?」

「貴様らが余計なことをペラペラと喋ったせいだ。計画を変更せざるを得んだろ」

「そうかい。そりゃ悪かったね」

「……もういい。それより、ちゃんと例のものは用意してあるんだろうな」


 ソイフォンは胸元から指輪を取り出すと、それをバード伯爵へと投げた。


「ばっ、ばかものっ!」


 宙に舞った指輪を手に入れるため必死なバード伯爵は、息子の首を荒々しく地面に投げ捨てた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 少年の生首がクルセアのもとに転がり、彼女はまるでこの世のものとは思えないほどの悲鳴を響かせた。


「クルセア……」


 しかし、眼前の男はそんなことに微塵の興味も示さなかった。


「おーあぶないあぶない」

「そいつが魔道具、誓いの指輪チャームさ。そいつをあの女の指に嵌めればいい。そうすれば、指輪を嵌められた相手は、指輪を嵌めた相手のことを無条件で愛するようになる。つまり、あのお嬢ちゃんは伯爵の言いなりってわけさ」

「そうか、ならば問題ない」


 初めて見る残酷な死に、足がすくんで吐き気がこみ上げた。クルセアと一緒に叫びたい気持ちを必死にこらえつつ、俺は無意識に女神権限を発動していた。


 ――精神凍結マインドロック


 一時的に感情を鈍感にした俺は、今すべき事を瞬時に考え、行動する。


 フィオナとクルセア、ふたりを連れて速やかにこの場から離れる。

 そのためには……。


「――――!」

「伯爵、頭を下げなッ!」


 神の宝物庫から魔剣ストームブリンガーを手に入れた俺は、身体への負担を最小限に抑えながら敏捷性を向上させた。同時に、取り巻く悪漢たちに向かって突進し、首を断ち切りながらソイフォンへと刃を振り下ろした。


「相変わらずっ、えげつない動きをする坊やだねッ!」


 驚くべきことに、ソイフォンは能力値が大幅に上がった俺の攻撃をスネイクリヴァーで防いでいた。


「おや、あたしじゃ防げないとでも思ったかい? 確かに身体能力はあんたのほうが圧倒的に上さ。でもね、戦闘経験に関しちゃあたしのほうが圧倒的に上なのさ!」


 噛み合う刃を押し返され、その反動を利用して俺は優雅に宙を舞い、地面に着地。


「!」


 狙いすましたかのように迫る穂先を寸前でかわした俺は、容赦なく悪漢たちを斬り伏せた。


「お、おいソイフォン! 貴様、本当に勝てるんだろうなっ!」

「問題ない」

「問題ないって……手下が全員やられてしまったではないかっ!」


 残る敵はソイフォンだけなのだが、手下をすべて失ったにも関わらず、彼女は一切取り乱す素振りを見せなかった。

 何かある。彼女の態度が暗にそう言っていた。


「フィオナ! クルセア! 一度退却だ!」


 ウィルの頭部を抱きかかえたまま、クルセアはまるで糸が切れてしまったように動かなくなっていた。完全に戦意を喪失してしまっている。


「フィオナ!」

「伯爵、これは一体どういうことなんです。なぜ、伯爵が御子息を……ウィルをっ!」

「フィオナ! もういい、理由なんて聞いたところでウィルは生き返らない! それよりすぐにここから離れるんだ! ――――!?」


 俺の手を振り払ったフィオナは、見たこともない顔でバード伯爵をにらみつけていた。


「答えて!」

「それは――」


 おぞましい笑みを浮かべた男は、フィオナへと指輪を差し出しながら、「私たちの愛のためだ♡」と信じられない言葉を吐き出した。


「愛……っ。伯爵はわたしの事を好いていたということですか」

「フィオナたんが6歳の頃からずっとだ。私はこう見えて一途なのだよ。どうだ、嬉しいか? 伯爵の私にこれほど想われて嬉しくないはずがないな」


 うえっ、気持ち悪っ!?

 あまりのおぞましさに鳥肌が立ってしまう。


「ではなぜ、わたしを御子息と婚約させようとしたのですか!」

「あれは単なる建前だ。フィオナたんと私がひとつに結ばれるための、いうなれば儀式のようなものだ。わかるであろう? 我々貴族は建前で生きる生き物。ガーブルより年上の私がフィオナたんに求婚しては、世間の目というものがあるのだ」

「世間の目……っ。そんなくだらない事のために、父にウィルとの婚約を持ちかけ、彼を殺したのですか!」

「フィオナたんと私の愛に比べたら、すべては取るに足らんこと。気にすることはない」


 イかれてるとしか言いようがない。 


「その男を殺し、私がフィオナたんを真実の愛へと導くのだ! さあフィオナたん、ふたりの愛の証にこの指輪を嵌めるのだ」

「ふざけないでっ!」


 フィオナが深い嫌悪感を示す一方で、バード伯爵は理解しがたい表情を浮かべていた。


「何が真実の愛よ! 気持ち悪くて仕方がないわよ! 何が悲しくてあんたみたいな蟾蜍ヒキガエルと結婚しなきゃいけないのよ! 死んでもお断りよ!」

「……っ」

「この際だから言わせてもらうけど、あんた臭いのよ! おまけにチビで短足なうえにデブでハゲ。気持ち悪い選手権があったら、あんたダントツで優勝できるレベルだってわからない? っていうかフィオナたんて何? 馬鹿じゃないの? いい年したおっさんが恥ずかしくないわけ? 恥を知りなさいっ!」


 フィオナが長らく抱えていた感情を吐露し終えると、バード伯爵の顔は真っ赤に変わり、まるで怒りに満ちた般若のような表情を浮かべていた。


「でゃあまれ小娘がぁあああッ!! 子爵家の分際で図に乗りおって! 結婚してやろうと思ったがやめだッ! 貴様のような女は性奴隷で十分だ! 地下牢に閉じ込め、何十人と死ぬまで私の子を産ませ続けてくれるわ!」

「地下牢に行くのはあんたの方よ。断頭台に上るその日まで、ウィルにしたことを後悔して過ごしなさい!」

「くっ……何をやっているソイフォン! 早くあの男をぶち殺せっ! ――――って、おい!?」


 バード伯爵が声を荒げたときには、すでにソイフォンは俺に追いつめられていた。


「貴様、ソイフォン! 負けたらただでは済まさんぞ!」


 戦闘経験では確かにソイフォンに劣る俺だが、チートの前では技術などほんのわずかな差異に過ぎない。要するに、慣れればどうということはなかった。


「うるさい男だね。ユキオ、あんたも調子に乗ってんじゃないよ」

「ソイフォン、もう終わりだ。お前じゃ俺には勝てない。諦めて投降しろ」

「くっくっくっ、あっははははははは!」


 追いつめたと思った瞬間、突如大笑いするソイフォンに、俺は困惑していた。


「力の差を知り、気でも触れたか?」

「気でも触れたかだって……こいつは傑作だよ。あんた、まさか本気であたしら妖盗蛇衆に勝てると思っているんじゃないだろうね」

「どういう意味だ」

「あんたが例えどれほど強くても、あんたじゃナオキには勝てない」

「ナオキ……? 妖盗蛇衆の頭はお前じゃないのか?」

「くっくっ、後悔してももう遅い! 出ておいで、ドラゴンゾンビ!」

「ドラゴンゾンビだと!?」


『グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 激しい地響きとともに天井が崩れ落ち、そこから空想上の生き物の代表格であるドラゴンが姿を現した。

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