第8話
――どすっ。
「いたっ!?」
「ファ、ファンシア!?」
男にぶつかったファンシアが尻もちをついてしまい、幹夫は慌てて彼女の元に駆け寄った。
「どこに目を付けているんだ、このボケッ!」
「あぁ? てめぇこそ目ん玉ついてんのかぁ?」
「ぶつかってきたのは君の方だろ。目ん玉ついていないのは君の方じゃないのか。ファンシアのプリティなヒップが傷ついていたらどう責任取るつもりだ。言ってみろ!」
幹夫のやつはレーヴァテインもない丸腰の状態なのに……ある意味すごいな。まさに狂人だ。
「あいつ死んだな」
「よりによってドブラに喧嘩売るとか、まともな死に方できねぇぜ」
「この間の奴なんて、皮を剥がされたあとに両目をえぐり取られたんだぜ。ひっひっひっ」
「あのブレスレットとネックレスだって、これまで殺してきた奴の前歯だけで作られてんだ」
「おーこぇこぇ」
気性の激しい男が、目に怒りの炎を灯していた。
「上等だぁ、そこの女を犯す前にてめぇの臓物をプールにぶち撒けてやらぁ」
男は手にしていた湾曲剣をスッと幹夫に突きつけた。
「御主人様!」
不安げな表情のファンシアの頭に手を添えた幹夫は、余裕たっぷりの微笑を浮かべている。
「大丈夫だよ、ファンシア。僕にはこのチートぶっ……あ、あれ? ………ない、僕のレーヴァテインがない!?」
幹夫はようやく自身が水着姿だということに、自慢の魔剣がロッカーの中にしまわれていることに気づいたようだ。その瞬間、彼の顔から血の気が引いて、青白く変色した肌からは滝のような汗が流れ落ちていった。
「おいコラァッ、何しれっと背中向けてんだよ、てめぇ……」
「いや……その、ちょっと急用が――」
「お前みたいな悪者はすぐに御主人様がやつけるもん!」
「あっ、煽っちゃダメだファンシア」
「おいおい聞いたかよ、このひょろいもやしみてぇな兄ちゃんが、このオレをやつけるらしいぜ」
手下の盗賊たちが微笑みを浮かべる中、幹夫はそっとファンシアを抱きかかえた。周囲をきょろきょろと見渡す彼は、全神経を集中して逃走経路を見つけようとしていた。
「め、女神っ!」
危機的な状況の中で見いだしたのは、自身にチート武器を授けてくれた天上の神の存在。
――しめた!
彼はきっとそう思ったことだろう。
「いいところで会った! 僕にもチート武器をもう一つくれないか! じいちゃんに二つあげたんだから、僕にだって貰う権利はあるだろ! ……おい、聞いているのか!」
当然のように彼女に駆け寄るが、
「ひぃっ、ありゃ? これはこれはゴミ夫しゃんじゃありましぇんか……ひっ。けっしょうかいてどうかしましたぁ? ぷーくすくす」
「うわぁ、酒臭ッ!!」
頼みの綱はただの酔っぱらいと化していた。
「死ねやゴラァッ!」
「――――バ、バカよせっ!?」
ドブラの攻撃をかろうじてかわした幹夫は、ファンシアを抱えたまま更衣室に向かって駆け出した。
「おめぇら逃がすんじゃねぇぞ! 追いかけろ!」
「ぎぃやぁああああああッ!?!?」
レーヴァテインをしまったロッカーに向かおうとする幹夫。しかしその背後には、象の群れのように無数の悪漢が迫りつつあった。
「へへ、ドブラの旦那には悪いが、先に楽しませてもらうかね」
残った盗賊たちがクルセアと女神を取り囲んでいた。
「ユキオはミキオのところに行ってあげて」
「え、あっ、ちょっと――」
それだけ言い残すと、フィオナは物陰から飛び出し、落ちていたデッキブラシ片手に悪漢たちへ突っ込んで行ってしまった。
「えええええええええええっ!?」
俺はてっきり身を隠してやり過ごすものとばかりに考えていたので、フィオナの意外すぎる行動には驚きを隠せなかった。
「こらっ、彼女を離しなさい!」
「なんだぁ? お前も俺たちと楽しみたいのか?」
「っなわけないでしょ!」
フィオナが男に向かって突進し、跳躍の勢いで手に持っていたデッキブラシを男の頭上から一気に振り下ろした。その衝撃で男は白目をむき、その場に崩れ落ちた。
「なっ!? てめぇこんなことしてただで済むと思うんじゃねぇぞ!」
仲間が攻撃されたことで、薄ら笑いを浮かべていた男たちの表情に激しい怒りが滲み始めた。
「女子供に対して暴力をふるっておきながら、どの口が言ってるのよ! 恥を知りなさい!」
「っんだとこの野郎っ!」
「妖盗蛇衆に手ぇ出しておいて、てめぇ生きて
クルセアを庇うように、フィオナは彼女の前でデッキブラシを再び構え直した。
「――あなたは!?」
フィオナの姿を見て、クルセアの瞳は驚きで大きく見開かれた。
「ど、どうしてあなたがここに!?」
「今はそんなことどうだっていいでしょ。それよりもあなたは彼をっ――――!?」
不意の一撃をデッキブラシで防いだフィオナであったが、鉄の剣と木製ブラシでは強度に差がありすぎた。柄が折れそうになった瞬間、フィオナは軌道を変えて相手を押し返した。
「フィオナ!?」
女盗賊に踏みつけられていた少年も、フィオナの存在に気づいた瞬間、驚きに彼女の名前を叫んでいた。
あの少年とフィオナは知り合いなのか……?
だとすれば、彼女が危険を冒してまで彼らの元に向かった理由にも納得がいく。
「フィオナ様、こちらを!」
「――――」
クルセアは盗賊から奪った剣をフィオナに手渡した。フィオナはその剣を中段に構え、隣ではクルセアも同じく剣を構えていた。
「ひぃっ、おしゃけはまだでしゅか?」
「お願いだからそのままじっとしててよ」
「この方は……フィオナ様のお知り合いですか?」
「……ええ、まあそんなところよ」
フィオナとクルセアは酔っ払いの存在に気を配りつつも、襲いくる盗賊たちから目を離すことはない。見事な協力プレイで盗賊たちを制圧している。
「ぐわぁっ……!?」
「――――!?」
「クルセア!」
しかし、突如として現れた刃が、容赦なくクルセアの肩を斬り裂いた。
「随分と好き勝手に暴れてくれているようだね。こちらには人質がいることを忘れたのかい? それとも、そんなことすら理解できないほどお馬鹿さんなのかい?」
「クルセア、フィオナ! ボクのことなら気にせず盗賊を倒すんだ! ――ゔぅっ……!?」
「お黙り、坊やッ!」
「ウィル様!?」
貴族の息子としての自負心が強気な性格を築いているようだが、それが災いし、彼はあのように容赦なく痛めつけられている。
人によっては踏みつけをご褒美と受け取る者もいるが、年若い少年ではまだその境地には到達していないだろう。これを機に目覚める可能性は無きにしもあらず。女盗賊は性格はさておき、優れたスタイルと美貌の持ち主なのだ。正直に打ち明けると、性格のきつそうな顔立ちが少し好みだったりする。もちろんフィオナの方が好みなのだが。
「うっ……」
「なんなのよあの剣」
妖艶な雰囲気をまとった女盗賊の全身を入念に観察していると、再びクルセアに向けて剣身が放たれる。
「魔法剣スネイクリヴァー、こいつを躱すことなんて不可能だよ」
魔法剣スネイクリヴァーは曲線美を描く独特な形状を持ち、独自の動きで使い手の意志に従って伸縮する。その剣身は蛇の頭のような繊細さを備えていた。
「これはかなり分が悪いな」
魔法剣を使用する女盗賊とは違い、フィオナ達が使用する剣はただの鉄の剣だ。あれではフィオナ達が近づくことはできそうにない。仮に距離を詰めたとしても、今の傷ついた彼女達ではおそらく勝てないだろう。
俺は幹夫とのわずかな戦闘経験しかないが、彼女たちの実力にははっきりとした差を感じる。
「あたしは女だからあんたらを犯す趣味もない。ひと思いにその綺麗な首を刎ねてやろう――いっ!?」
「ふだりにでぇをだぁずなぁっ……」
少年は恥と外聞を捨て、女の足に噛みついた。女盗賊は予期せぬ反撃に、表情が一変した。
「なにするんだいこのクソガキがァッ!」
「ぶぁっ……」
強烈な蹴りが鳩尾に叩き込まれ、少年はまるで巻貝のようにその場でうずくまった。
「貴様ぁあああああああああああああッ!」
僅かな隙が生まれると、怒りに燃えるクルセアが叫びながら襲いかかった――が、伸縮自在の剣を前に、彼女は無慈悲にも倒れ伏した。
「あ、あぁ……いやだぁ……いやだよっ、グルセアぁ……」
嘲笑う女が、倒れたクルセアに必死に手を伸ばす少年の手を踏みにじった。
「許せない!」
怒りに震えながらフィオナは剣を握る手に力を込めていく。その視線が向けられた先には、狡猾な蛇のような女が立ちふさがっていた。
「おや、どこの誰かと思えば……あんたシュトラハビッツ家の娘だね」
「……どうして、あんたがわたしの事を知っているのよ」
「そりゃ盗賊だからね。仕事柄、金になりそうなネタは全部
女は明らかにフィオナを軽蔑するように笑みを浮かべた。
シュトラハビッツってのがフィオナの苗字だとすれば、彼女は貴族令嬢ということになる。仮に俺がこの世界に留まりフィオナと結婚した場合、俺の名はユキオ・シュトラハビッツとなり、正式に貴族の仲間入りだ。……うん、中々悪くない未来かもしれない。
「でも、良かったじゃないかい。ここであたし等がこのガキを誘拐し、帰ってくることがなければ、あんたも晴れて自由の身になるんだろ? あとは好きな男でも見つけて気ままに生きていきゃいいってわけだ」
「ふざけないでっ!」
「……まさかとは思うけど、このガキにホの字ってわけじゃないだろ?」
「わたしの肩にはシュトラハビッツ家の未来がかかっているの。あんたなんかには分からないわよ!」
「わかりたくもないねぇ。家のために好きでもない男と平気でまぐわうビッチなんぞの気持ち」
「なんですって!? 取り消しなさいっ!」
「嫌なこった。政略結婚なんて、生活のために身体を売ってる売春婦と同じじゃないかい。違うってんなら、何がどう違うのかご教授していただきたいものだね。それとも本当の事を言われてご機嫌斜めかい? ビッチな子猫ちゃん」
「――黙れぇっ!!」
激昂するフィオナの剣を、女盗賊はあたかも何事もないかのように容易に受け止めた。
「クックックッ、そんなに怒らなくてもいいじゃないかい。それより、ちゃんとパパに腰の振り方は教えてもらったのかい? 何ならあたしがレクチャーしてやろうか」
「殺すっ!」
ちびっこプールエリアで、ふたりは剣を交えながら水しぶきを舞い上げている。施設内には轟音が広がり、利用客たちの叫び声が響き渡る。
フィオナは怒りの力で女盗賊に立ち向かったが、徐々にふたりの実力差が浮き彫りになっていく。彼女の身体からは血が吹き出し、その激しい戦いの痕跡が至るところに広がり始めていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「なんだい、もう終わりかい? 口ばっかりでだらしのない女だね。締りのない女は嫌われちまうよ」
フィオナはますます厳しい状況に追い込まれている。女盗賊によって斬られたクルセアは、血溜まりの上で意識を失っており、妖盗蛇衆の目的であった少年は、泣きながら彼女の上に覆いかぶさったままだ。
「これはさすがにまずいな」
できればあんまり目立ちたくないんだけど……。
実際のところ、少年が誘拐されたり殺されたりすることはどうでもいい。俺の目的はあくまで幹夫のクラスメイトを暗殺することだ。
しかし、フィオナの命が危険にさらされているとなると、状況は変わる。気になる女の子に死んでほしくないと思うのは、男としては普通の感情だろう。
「よっと」
「――――!?」
「どう……して……」
疾風のような速さで俺がフィオナの前に現れると、驚きの表情を浮かべた女盗賊は急いで後ろに跳び退いた。
「まだ一緒に温泉入ってないからな」
「それだけの、理由で……」
俺にとってはフィオナと一緒に温泉に浸かりながらいちゃいちゃすることは大した理由なのだが、彼女にとってはそれほど重要ではないようだ。それが少し残念で、俺は不貞腐れたように彼女にじっと目を細めた。
「いや、だって……わたしなんかよりミキオがっ」
「ああ……幹夫か」
すっかり忘れていた。
しかし、たとえ幹夫がドブラたちに殺されたとしても、あいつは現代日本に強制送還されるだけなので問題ない。むしろ手間が減って助かるじゃないか。ファンシアはまだ6歳の子供なので、さすがに殺されたりはしないだろう。
「あいつなら……まあ大丈夫だろ。それより、俺に助けられるのは嫌か?」
「そんな、嫌だなんてっ! ……ううん、すごく嬉しい。ありがとう、ユキオ」
「そっか」
その言葉を聞いてホッとした。
貴族はプライドで生きているようなものだと何かで読んだことがあったので、一騎討ちを妨げられた場合、機嫌を損ねるかもしれないと心配していた。しかし、どうやら俺の取り越し苦労だったようだ。
にしても、フィオナの奴は随分と顔が赤いな。
「あんた何者だい? 一体どっから現れたんだい」
「俺はただの通りすがりの雪夫だけど、お姉さんこそ名前は?」
「……ソイフォンよ」
「ソイフォンか。歳は? 彼氏はいるの?」
「あら、ユキオはあたしに気があるのかい? だけど残念、あたしは自分より弱い男には興味がないのさ」
「それって俺のことが好きってこと? 出会ったばかりで付き合いたいだなんて、ソイフォンもせっかちな女だな」
「クックックッ、あんたあたしより強い気かい? こりゃ傑作だよ。でもまあ……あんたみたいな頭のおかしな男は嫌いじゃないよ。ただし、ちゃんと実力が伴っていればの話だけどねっ!」
風切り音を轟かせながら、魔法剣スネイクリヴァーが俺の首に向かって伸びてくる。その剣はまるで鞭のようだ。
「仕方ない」
俺は女神権限を発動させると同時に、神の宝物庫から鉄製の手袋――ヤールングレイプルを取り出した。この手袋は神秘的な力であらゆる鉄を掌握する。
「そんなっ、ありえないわ!?」
ヤールングレイプルを持ってすれば、魔法剣スネイクリヴァーの剣身を捉えることなど容易極まりない。
「悪いけど、楽しい時間を邪魔してくれた罰はしっかり受けてもらう」
掴み取った剣身を振り上げると、反動で柄を握るソイフォンの体が宙に舞い上がった。
「!?」
そのまま剣身を振り下ろすと、柄を握りしめたままのソイフォンの体が猛スピードで地面に叩きつけられる。少しやり過ぎたかと反省した次の瞬間には、憤怒に燃えるソイフォンが鬼の形相で突っ込んできた。
「――殺してやるッ!」
魔法剣スネイクリヴァーを手放したソイフォンの手には、新たに短剣が握られていた。しかし、現在の俺は女神権限によって大幅にステータスが上昇しており、彼女の力では近接戦闘でも俺に傷をつけることは不可能だ。
「なぜだっ! なぜ当たらないっ!」
「そりゃソイフォンが一目惚れするくらい強い男だからな(インチキだけど)」
「ほざくなぁっ!」
「強い男が好きなんだろ? ……ああ、なるほど。ソイフォンは俺とウインナーワルツを踊りたかったのか」
「くっ……」
アン・ドゥ・トロワ、アン・ドゥ・トロワと華麗なステップで、俺はソイフォンの攻撃を優雅にかわす。
「そしてここでターン! 次いでソイフォンちゃんもクルリンパッ! からの決めポーズ!」
「あ、あたしをバカにするのも大概にしなァッ!」
血走った目のソイフォンが急速に進路を変える、向かう先には貴族の少年と血まみれの女剣士が横たわっている。
俺にかなわないと判断したソイフォンは、せめて少年をと思ったのだろう。
しかし、俺とのウインナーワルツが終わることはない。
――ぱんっ!
「なっ!?」
手を叩くと同時、俺と少年たちの位置が入れ替わる。女神権限によるテレポーテーションの応用技だ。
「あっ!」
「――――っ!?」
全速力で駆けてくるソイフォンと熱い抱擁を交わそうと思ったその時、激しい爆発音とともに施設内が大きく揺れ動いた。その拍子に彼女は血溜まりに足を滑らせ、派手に転倒。まるで氷の上をすべる皇帝ペンギンのように、壁に激突してしまった。
「あちゃー、あれではしばらく目を覚まさないだろうな。にしても……」
更衣室の方からは凄まじい爆風と炎が燃え上がっていた。
「あのバカ……やり過ぎなんだよ」
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