第9話
「いやだ……いかないで。おねがいだよ……目を覚ましてよ、クルセア!」
「ウィル……」
少年は青白い顔のまま、動かなくなった女剣士のそばから一歩も離れようとしなかった。フィオナはその様子を見て、悲しげに彼を見つめていた。
「命令だクルセア、目を開けるんだ! ボクの命令が聞けないのか!」
揺すってもさすっても目を覚まさないクルセアに、少年の目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
一旦ソイフォンのことは置いておき、俺も彼らのもとに駆け寄った。近くでフィオナを見ると、彼女の体は切り傷でひどく傷ついていた。一方でパレオ姿の美しい女剣士、クルセアは重傷を負っているようだ。
「これはひどいな」
彼女の腹は裂け、一部内臓が外に飛び出していた。その顔に生気の色はなく、一見すると死んでいるようにも見える。だが、わずかに指先が動いたことを俺は見逃さない。かろうじてではあるものの、彼女は生きている。
「まだ間に合うかな?」
俺は女神の力を再び行使し、クルセアを中心にグループヒーリングを発動した。天から一筋の光が降り注ぎ、その輝が彼女たちを包み込んでいく。
「え……? なにこの光」
「……これは、どういうことだ!?」
フィオナの傷も、少年の打撲痕も、暖かな光によって癒されていく。重傷だったクルセアの傷も徐々に癒えつつあったのだが、グループヒーリングでは完全な回復までは至らなかった。それでも、ひとまずクルセアの命は助かった。
「クルセア!」
「……ウィル、さま?」
「き、奇跡だっ!」
「よかった」
「あの――」
誇らしげに声を掛けようと思ったその時、
「まさか、これはあなたが!」
少し青白い顔をしていたが、クルセアは上体を起こし、予想外の人物にうっとりとした眼差しを送っていた。
「ん……ああ、さっきのチンピラ集団のこと? それなら僕が懲らしめておいたよ。小さな子供も遊ぶプールなのに、ここの責任者は何を考えているんだろうね」
そう語る幹夫の腰には、水着の上から剣帯が装着されていた。
「でも、もう大丈夫。君も心置きなくショタと遊びなよ」
幹夫はクルセアの胸に顔を埋める少年を見て、彼女も自分と同じ小児性愛者だと勘違いしているようだった。
「あなたは命の恩人です! どうかお名前をお聞かせください!」
「僕の名前? 安斎幹夫だけど」
「まさか、あなたは異世界から召喚された勇者様なのでは!」
「え、あ、うん、まあそうだよ。よく知ってるね」
「勇者様!?」
「嘘でしょ!」
幹夫の告白に、フィオナと少年も大層驚いている。
しかし、幹夫が異世界から召喚された勇者だと知るや、少年は先ほどの奇跡にも納得を示し、ひとり黙って頷いていた。
「ユキオは知ってたの! ミキオが勇者様だって」
「……ああ、まあ一応」
「そっか、そういうことだったんだ!」
フィオナは俺と幹夫の顔を交互に見比べ、何かを納得したように手を叩いた。
「ユキオは勇者ミキオの旅を円滑に行うためのパトロン兼パーティメンバーでしょ! 違う?」
「え……」
全然違う。
見当外れもいいところだ。
「ユキオが勇者の仲間なら、さっきの強さだって納得だわ」
「いや、あの……」
さすがにアホの幹夫のパトロンだのと言われるのは心外なので、訂正しようと試みたが、「あいつがいない!」という少年の声にすべてかき消されてしまった。
「え、まだ不良いたの?」
「ボクのことを踏みつけて、クルセアに酷いことをした女がいたんですよ! でもヒールを履いていたから、滑って転んで自滅したんです。さっきまでそこに倒れていたんですけど……」
「プールサイドでヒールは良くないな。ただでさえヌメヌメしてて転びやすいのに」
ふたりの会話は絶妙に噛み合っていない。というか、ウィル少年は先程の俺の活躍を見ていなかったのだろうか。
「そういえば……」
俺とソイフォンが戦っている最中、ウィルは絶えずクルセアに抱きついて泣いていたことを思い出す。
◆◆◆
「くそっ、一体何なんだい、あの男はっ!」
隙をみて雪夫たちの元から逃げだしたソイフォンは、男子更衣室で倒れていた手下を回収し、速やかに7号車から離れることを決めた。
「……まだ頭が痛みやがる」
最後尾に移動したソイフォンは、頭が痛む中、胸元からコンパクトミラーを取り出した。それは遠くの相手と通信するための魔道具である。
『ソイフォンか、金づるは捕まえたのか?』
「それが……」
ソイフォンは先ほどの出来事を詳しく男に説明した。男は黙って話を聞いていたが、その顔に微妙な歪みが現れた。
『そいつは間違いなく俺のクラスメイトだろうな』
「やっぱりあんたの仲間なのかい」
『仲間じゃない。同郷というだけだ。作戦を変更する、お前たちは一旦戻ってこい』
「――ちょっと待ってくれ!」
男の命令に異議を唱えたのは、手下たちのなかで特にがっしりとした体躯を持つ男、ドブラだった。
「オレたちにやられっぱなしで帰れって言うのか!」
「よせ、ドブラ!」
「だけどよぉ!」
「忘れたのかいドブラ、今の妖盗蛇衆の
「でもっ!」
「でもも糞もないんだよ! この世は所詮弱肉強食さ。弱肉強食の世界であたしらは負けたんだよ。なら強者に従うのが筋ってもんだろ」
「……っ」
ソイフォンは男に戻るとだけ伝え、通信を終了した。
「てめぇら、撤収だ!」
女の指示に従い、手下の盗賊たちは次々と列車から飛び降りていく。
◆◆◆
「勇者様、ここがボクの泊まっている車両です」
傷が癒えきっていないクルセアを休ませるため、俺たちはウィル・クナッパーツブッシュの案内で貴族専用車両へと足を運んだ。
11号車にある俺たちの個室とは対照的に、1号車も7号車同様に空間魔法によって別世界と化していた。
「僕たちの車両とは全然違うね」
「ファンシアあの箱よりこっちがいい」
「だよねー」
「言っとくけど、あそこだってそこそこ高かったんだからな! 第一こんなホテルが完備されてるなんて、俺は聞いていないぞ」
「ユキオが貴族っぽくなかったから教えてくれなかったんじゃない? わたしもユキオは平民だと思ってたし」
「……」
ああ、そうだよ。
俺はどうせ一般庶民の平民だよ。
「ゔぅ……ぎもぢわるぃ」
「女神ちゃん大丈夫? お願いだからこんなところで吐かないでよ」
このポンコツ女神との関係を説明するため、仕方なくついた嘘ですとも。それが何かっ!
「クルセア、部屋に着いたらすぐに休んでくれよ」
「申し訳ありません、ウィル様」
「謝らないでくれ、クルセアはボクを助けようとしてくれたじゃないか」
「ウィル様……」
ちなみに助けたのは俺ですけどね……。
1号車は賢者の手により、贅を尽くした高級ホテルへと変身。ロビーには輝くシャンデリアと大理石の床が贅沢な雰囲気を演出し、上質な家具や花々が調和する。従業員たちはエレガントな制服でプロの笑顔を振りまき、コンシェルジュは広範なサービスでゲストに満足感を提供。全員が高貴なホスピタリティで魅了の舞台を創り上げていた。
「すごい部屋だなー」
「一応スイートルームなんですよ、勇者様」
創ったのは賢者であり、金を払っているのは父親にもかかわらず、ウィルは自慢げに鼻を高くしていた。
客室は暖かな照明で包まれ、贅沢なベッドと洗練されたデザインがマッチ。優雅な絵画が壁に飾られ、窓からは美しい景色がうかがえた。まさに非の打ちどころのない空間が広がっている。
「そもそも勇者様に平民が利用する11号車をあてがう方がどうかしているんです。あの冴えない召使いはクビにすることをオススメしますよ。というかユキオだっけ? 君の家の階級は? ……言えないところから察するに、準男爵か騎士と言ったところだろ。それでよくも勇者様のパトロンに名乗りを上げられたものだ」
「チッ……」
何なんだよこのクソ生意気なガキは。
つーか誰が召使いだ。
やっぱり助けるべきじゃなかったかもな。
「そうだ! もし勇者様さえご迷惑でなければ、父上に言ってクナッパーツブッシュ家が旅の資金などを援助いたしますよ」
「それは素晴らしい提案ですね。きっと旦那様も喜ばれることでしょう」
不快な気分であるが、相手が10歳の子供であることを考慮し、大人らしく振る舞うために仕方なくソファに腰を下ろす。
「ユキオ、ごめんね。あの子まだ子供だから」
フィオナが謝罪の言葉を耳元で囁くと、俺はフィオナが謝る必要はないと告げる。
「おい!」
俺たちの仲睦まじい様子を見た瞬間、ウィルがはっきりとした敵意を向けてきた。
「ん……なんだよ?」
「そこはボクの席だ」
「は? 席なら他にたくさんあるだろ」
「ボクはそこに座りたいんだ!」
「……あぁ?」
腹が立って10歳の子供を睨みつけたところ、生意気にもにらみ返してきた。
「どけと言っているんだ」
「断る」
「……」
「………」
「よいしょっ」
火花を散らす俺たちを見つめていたフィオナが席を立ち、自分の座席をウィルに譲ると言った。その提案を俺は断り、彼女にはそのまま座るよう伝える。
「彼の言うとおり、君が遠慮することなんてない。退くのはお前だ。ここはボクの部屋なんだぞ!」
「客として招待しておきながらずいぶんな態度だな。それとも、これが伯爵家の客人に対する礼儀なのか。ちなみにお前を招待した覚えはないとかいうのは無しだ。この部屋に入っている時点で俺は立派な客人だ」
「……っ」
勝った、と俺は微かに笑みを浮かべた。
ウィルは激昂し、顔を真っ赤にしながらも何か言おうとしているようだったが、言葉が見つからず、口をもにょもにょさせていた。
「じいちゃん……相手はまだ子供だよ?」
「雪夫、とっても大人げない」
「ファンシアの言うとおりだよ。僕は情けないよ」
「なっ!」
小児性愛者で人殺しのてめぇだけにゃ言われたくねぇんだよ。今すぐ日本に強制送還させてやろうか……まったく。
「フィ、フィオナはボクのお嫁さんなんだからなっ!」
「ぷっ」
思わず吹き出してしまった。
「ガキが色気付いてんじゃねぇよ」
「なんだとっ!?」
「フィオナは大人のお姉さんなんだ。わかるか? 大人の女の人ってのは、子供を恋愛対象として見たりしないの。フィオナの事をお嫁さんにしたかったのなら、あと数年は早く生まれてくるべきだったな。残念!」
「残念なのはお前の頭のほうだ! フィオナはボクの婚約者だって言っているんだよ!」
「…………………………………は?」
婚約者……? 10歳の子供とフィオナが? いや、ないない。それはさすがにない。
フィオナは幹夫と違って小児性愛者などではない。至ってシンプル、ドノーマルな人間のはずだ。
なぁ? とフィオナの方に顔を向けると、彼女はスッと顔をそらした。
へ……?
なんで顔をそらすんだ? どうしてこちらを見ようとしないんだ。
「……フィオナ?」
「……」
……いやいやいや、だってプールで俺たち結構いい感じだったよね? おっぱい押し当ててきたよね? ウォータースライダーふたりで滑ったよね? 行けなかったけど温泉デートの約束だってしたよね? (※デートではない) フィオナから誘ってきたんだよね? ありがとって♡付けてたよね? 俺に出会えてよかったって言ったよね?
「……ごめんね」
俺はソファからズルリと滑り落ちると同時に、まるで魂が口から抜け去ったかのような感覚を覚えていた。
「あっ、ちょっとじいちゃん!」
「御主人様、雪夫死んだ!」
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