第10話

「こんな所に居たんですか」


 1号車に居たくなかった俺は、一人でウィルのスイートルームを離れ、代わりに11号車のコンパートメントルームから窓の外を眺めていた。


 ちなみに幹夫は賊を倒した御礼にと、車掌から1号車の部屋を与えられている。ゴージャススイートルームとかいうふざけた名前の部屋だ。



「……お前か、酔いは覚めたのか?」

「二日酔いで頭が割れてしまいそうです」

「解毒魔法使ったらマシになるんじゃないのか?」

「ですね。でも、それだとせっかく飲んだのにもったいないじゃないですか」

「……二日酔いの頭痛がか?」

「天界には禁酒法があるので、二日酔いも貴重な体験なんです」

「……なんでお前が女神なんてやってんだよ」

「かわいいから?」

「……」

「いや、そこはツッコんでくださいよ! そんな理由かよーって!」


 無理して明るく振る舞おうとする女神に嫌気が差し、俺は再び窓の外に目を向けた。


「一言言っておきますが、雪夫さんは使命を果たせばこの世界から消えます。跡形なく木っ端微塵に消えてなくなります。……それと、雪夫さんは実際には76歳なんです。17歳のフィオナさんに本気になってどうするんです」

「んっなことわかってるよ」

「わかっているなら1号車に戻られたらどうです? フィオナさん、寂しそうでしたよ」

「嫌だ」

「76歳のおじいさんがみっともないですよ」

「何歳だって恋は自由だろ。年の差なんて些細なことだ」

「生者ならそうかもしれませんね」


 女神はいつになく辛辣だった。


「転生特典だけどさ、あれ――」

「無理ですよ。幹夫さんのクラスメイトを全員日本に帰したあと、雪夫さんだけこちらに残ることは原則不可能です。何度も言いますが、雪夫さんはすでに亡くなっているんです。今の雪夫さんの肉体は借物、本来の雪夫さんは魂だけの存在なんです」

「なら、この世界に転生すれば問題ないってことだろ」


 俺には転生という最強の切り札がある。


「確かにそれなら可能です。しかし、その場合フィオナさんとは17歳差になります。雪夫さんの襁褓が取れた時にはフィオナさんは結婚しており、子育ての真っ最中でしょう」

「……なら俺を17年前に転生させればいいだけの話だろ!」

「無茶苦茶言わないでくださいよ」

「なら出ていけっ!」


 融通の効かない女神に苛立ちを覚えた俺は、コンパートメントルームから彼女を追い出した。


「あいつも神の端くれなら、時間跳躍くらいやってのけろってんだ」


 一人きりの個室で、俺は蒸留酒を煽りながら悪態をついていた。


「婚約か……」


 別に俺だって本気で17歳のフィオナと付き合いたいとか、結婚したいというわけではない。ただ、誰かにフィオナを取られたくなかった。なんとなくだけど、他の誰かに彼女を染められるのが嫌なんだ。たとえ相手が毛も生え揃っていない子供だとしても、ヤキモチを焼いてしまう。


「……クズだな、俺」


 幹夫のことを性癖のねじ曲がった変態野郎だと罵っていたが、案外俺の他人に対する愛情や独占欲もそれに匹敵するのかもしれない。

 あの時だって、フィオナは助けたいが、別にウィルは死んでも構わないと本気で思っていた。


「血は争えないってやつか……」


 孫の幹夫のサイコパス気質は、間違いなく俺の遺伝なんだろうな。


「……風呂、行くか」


 貴族専用車両の豪華絢爛なホテルとは違い、コンパートメントルームには風呂がないため、温泉のある7号車に移動する。


「3階、温水プールは立入禁止か」


 あれだけの大事件があった後なので、当然といえば当然の対応なのだが、しばらくはウォータースライダーを楽しめないのかと考えると、やはり少しさみしい気持ちになる。

 7号車は全体的に、昼間よりも警備が厳重になっていた。


「とりあえず受付に行くか」


 エレベーターで2階の受付に移動し、入場料の2000ギルを支払う。

 毎回受付で金を取られるのには納得がいかなかったけど、日本人である以上、風呂に入らないという選択肢はない。

 本当は全裸でゆっくり入りたいところだが、混浴が前提のスパランドでは、水着の着用が必須とされている。

 こればかりは仕方がない。


「また随分と凝った作りだな」


 温泉施設のフロアマップには、ヨーロッパエリアⅠの古代ローマ風呂やヨーロッパエリアⅡのアトランティス風呂など、堂々とあちらの世界の情報が記載されていた。中にはアジアエリアⅠ、日本渓流露天風呂風と書かれたエリアまで存在する。


「金になればなんでもありか……。さすが幹夫のクラスメイトだな」


 この施設を創りだした賢者とやらの性格が、少しだけ垣間見えたような気がした。


 夜が遅かったこともあり、脱衣所にはほとんど人はいなかった。

 俺は個人的に興味があった古代ローマ風呂で時間を過ごすことに決める。


「はぁ……」


 湯船に浸かりながら1日の疲れを癒していると、突然誰かと肩がぶつかった。


「あっ、申し訳ない」

「いえ、こちらこそ……あっ!」

「フィ、フィオナ!?」


 振り返ると、そこにはフィオナがいた。昼間とは対照的に、彼女は髪をまとめており、水着の上にはバスタオルが巻かれていた。濡れた髪のせいか、それともほんのり頬が赤いためか、いつもより彼女が色っぽく見えていた。


「なっ、なななんでいるんだよ!?」

「ユキオこそ」

「俺は……あの部屋には風呂ついてないから……そっちは風呂付きだろ。わざわざ入りに来る必要ないだろ」

「だってこんなに大きなお風呂入る機会、これを逃したらないかもしれないじゃない。……ん? ユキオ、ひょっとしてお酒飲んでる?」

「……飲んじゃ悪いか」

「悪くないけど、ねぇひょっとして何か怒ってる? わたしユキオを怒らせることした?」


 していない。

 ただ俺が勝手に拗ねているだけだ。


「うぅー……」


 湯船に口をつけ、ぷくぷくと音を立てながらつまらなさそうにこちらを見る彼女と目が合えば、10歳の子供に嫉妬していた自分が馬鹿らしく思えてくる。


「飲むなよ」

「飲んじゃ悪い?」


 彼女は不機嫌そうに口にした。

 先程の俺の言い方がよほど気に食わなかったようだ。


「そんなことないけど、さっきちょっとおしっこしたから……」

「――べぇッ!? きったなぁっ! 信じられない! ちょっと飲んじゃったじゃない! どうしてくれるのよ!」

「嘘だ」

「………っ」


 フィオナは立ち上がり、じっと目を細めてこちらを見下ろしていた。彼女からは何か言いたげな感じが漂っていたが、やがて何も言わずに俺の隣に座り直した。


「……」

「シュトラハビッツ家は子爵の爵位を有しているけど、領地を所有していないのよ」


 フィオナが口を開いて、静かな沈黙を破った。


「領税を収める通常の貴族と異なり、叙爵によって爵位を授かった者は国への貢献が要求されるでしょ? わたしの家系は祖父の代に爵位を得たから……つまり、わたしの代で一定の評価を得られない場合、与えられた爵位を辞退しなければならない」


 シュトラハビッツ家は貴族としての価値を問われているというわけか。


「でも、なんで俺にそんなこと話すんだよ」

「誤解されたままだと癪だからよ。わたし、ミキオとは違うから! 10歳の子供を恋愛対象として見たりしないもん」


 確かに、あいつと同じだと思われるのは癪だと思う。


「嫌なら断わればいいだろ」

「無理よ!」

「なんで?」

「なんでって……ユキオも貴族ならわかるでしょ? そんなに簡単な話じゃないの」


 フィオナは深いため息をついて、抱えた膝に頬を寄せた。


「わたしには双子の兄がいて、国から評価を受けるために、兄も頑張ってはくれているんだけど……」

「うまくいっていないのか?」

「……兄はかなりのマイペースな人だから。心配になった父が、今年のはじめにクナッパーツブッシュ家にわたしを嫁がせる提案をしてきたのよ。なぜかは分からないけど、わたしはクナッパーツブッシュ家に好意を持たれているみたい」

「クナッパーツブッシュ家の後ろ盾があれば、フィオナのお兄さんが国からの評価を受けやすくなるってことか?」

「うん。相手が伯爵家だから、ある程度国との交渉がしやすいと思うの」

「それであのガキ……じゃなくてウィルと婚約していたってことか」

「ううん。正確にはまだウィルとは婚約していないわ。そういう話があるってだけ。でも、ウィルが帰省するタイミングでわたしが呼び戻されたってことは……たぶん、そういうことなんだと思う」

「でも、フィオナのお兄さんの結果次第では、婚約しなくても済むんだろ?」


 それはそうだけど、とフィオナは複雑な表情を浮かべた。


「婚約するということは社交界で大々的に発表するということなのよ? たとえ兄が結果を出したとしても、婚約が成立した後では意味がないわ」


 もしも一方的に婚約が破棄されれば、シュトラハビッツ家の社交界での信用は大きく損なわれるだろう。特に相手が伯爵家であるため、どのような制裁が待っているのか予測がつかない。


「ウィルの方は今回の婚約に対して何も言っていないのか?」

「あの子はまだ10歳だもの。父親の言うことに逆らうとは思えない」


 ウィルの態度を振り返っても、フィオナとの婚約に消極的だった印象は受けない。むしろ、俺の目には彼が自ら望んでいるようにさえ見えた。


 そういえば小学生の頃、俺も近所の高校生のお姉さんに憧れていたことを思い出す。

 十代の頃の年上の異性には、何とも言えない神秘的な魅力があった。ウィルがフィオナに好意を寄せることも、彼の年齢を考慮すれば理解できてしまう。


 あれ、俺もまだ十代のはずなんだけど……。

 時々年老いた気持ちになるのは、生前の俺に関係しているのだろうか。


「ユキオの家の爵位……聞いてもいい?」

「え……なんで?」


 まずい。

 実はただの平民です。なんて今更言えるわけがない。


「その……わ、わたしとしてもできれば歳が近いほうがいいというか、気になる人がいいというか、運命の人がいいというか……」


 声が小さくて、いまいち何を言ってるのか聞こえない。それに先程よりも顔が赤い。フィオナの奴はのぼせているのかもしれない。


「だからっ! シュトラハビッツ家がピンチを脱することができるなら、何もクナッパーツブッシュ家じゃなくてもいいってことなのよ!」

「な、なるほど……」


 つまり、俺の家がシュトラハビッツ家の後ろ盾になれれば、彼女がウィルと婚約する必要はないということだ。


「で! 家の爵位は?」


 フィオナからは凄まじい圧を感じる。

 ここで平民ですとは口が裂けても言えなかった。言ってしまえば二度と口を利いてもらえなくなる可能性があった。それだけは阻止したかった俺は、ウィルに言われた通り準男爵家で通すことに決めた。


「……じゅ――」

「ユキオが準男爵家のはずがないわよね!」


 心臓が止まりそうだった。


「あの子はユキオのことを準男爵だと嗤っていたけど、わたしにはわかるの!」

「……な、なんで、そう思うのかな?」

「ユキオが準男爵家の人間なら、すでにどこかの騎士団に入団しているはずでしょ。だってあれだけ強いのよ! 騎士団学校で噂にならないわけがないわ。でも、わたしそんな噂を耳にしたことがないもの。田舎に住んでるから知らないんじゃないわよ。こう見えても、シュトラハビッツ家のために情報は集めているんだから」


 初めて、こんなにもイキイキと嬉しそうに話すフィオナを見る。


「となると、ユキオは騎士団学校に入学していないことになる。騎士団に入団するためには原則、騎士団学校を卒業する必要がある。けれど、ユキオはそもそも騎士団学校に入学していないので、騎士になることがなかったのよ。ではなぜ、ユキオはあれだけの武才を有していながら騎士団学校に入学しなかったのか。それは騎士団学校に入学するよりも大切なことがあったから。それはつまり!」

「……つ、つまり?」


 何を言い出すつもりだ……?

 緊張から生唾を飲み込んでしまう。


「ユキオの家は伯爵のさらに上! 辺境地域を支配する辺境伯! ご両親を早くに亡くしたユキオは、若くして家督を引き継ぐこととなるの。そのため、騎士団学校に進学する夢を諦めたんだけど、異世界から来た勇者ミキオとの出会いをきっかけに、ユキオはこの世界を救う使命に立ち上がることを決意したの。それがユキオが旅をしている理由よ。どう……あっているんじゃない?」


 いや、全然違います。

 一ミリたりと合っていません。

 思わず彼女の想像力に感服するほどです。


「……ど、どうだろう?」

「わかってる。極秘で動いているから言えないんでしょ。それくらいわたしにだって分かるわよ」


 否定したい。

 否定しなければいけないと分かっているのに、言葉が口から出てこない。

 口を開けたまま固まってしまった俺に微笑みかけたフィオナが、胸元のタオルを押さえて立ち上がった。


「ちょっとのぼせたみたい。先に上がるわね」

「……あ、ああ」


 浴室から出る瞬間、フィオナは一瞬だけこちらに視線を向けた。


「ピリリカに着いたら……ユキオのことを父に紹介してもいい? いいわよね」

「え……」


 去りゆくフィオナの後ろ姿を呆然と眺めつつ、一体何が起こっているのかと、俺は脳内プチパニックを引き起こしていた。


「えええええええええええええええええええええええええええっっ!?」

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