第11話
「ど、どうしよう……」
温泉での一件以降、俺は生きた心地がしなかった。
フィオナが俺を大貴族だと勘違いしてしまい、その結果として彼女の父と対面する必要が生じてしまった。女神のことを誤魔化すためとはいえ、貴族であるという嘘をついたことを今更ながら後悔していた。
手遅れになってしまう前に、今からでも平民であると訂正すべきなのだろう。
よし! そうしよう。
そう思って1日、また1日と時間だけが過ぎていき、気がつけばあっという間にピリリカに到着してしまった。
「雪夫ゾンビみたい。……酔ったぁ?」
「お前じゃないんだから、列車酔なんてしないよ」
6歳児が気にかけるほど、俺の顔色は悪かったのだろうか。
「……ひでぇ」
列車を降りて、窓に映った自分の顔を見て、思わずつぶやいてしまう。これは確かにバイオハザードなゾンビである。
「げっ!?」
フィオナは俺を大貴族だと勘違いしており、彼女との視線が交わると、俺は恥じらいと焦燥からとっさに視線をそらしてしまった。まるで秘密の扉が閉ざされるような瞬間。だが、その微細な仕草を不可解な瞳で観察する人物がいた。ウィルである。
「あっ、俺ちょっと御手洗い行ってくるわ」
非常に気まずい雰囲気に耐え切れず、俺はますます悪化する状況から逃れるようにしてトイレに逃げ込んだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ! マジでどうすりゃいいんだよ!!」
もし俺がフィオナの実家に行ってしまえば、最悪の場合、取り返しのつかない事態に発展しかねない。俺のでっち上げた嘘が原因でシュトラハビッツ家が没落してしまうなんてことになれば、フィオナに合わせる顔がない。
いやいや落ち着け、仮にクナッパーツブッシュ家との婚約の話がなくなったとしても、今すぐにシュトラハビッツ家が爵位を辞退するという話ではない。フィオナの兄が国に認められる可能性だってあるんだ。
「……いや」
本当にそれでいいのか……?
シュトラハビッツ家を窮地に追い込んでおきながら、いざとなったら他力本願に事態が上手く進むことを期待する。
最低のクソ野郎のすることじゃないか。
「あー、もうっ!」
一言嘘であったと認めるだけで済む話なのに、なぜそんな簡単なことができないのか。
嫌われたくない。好かれたいという浅はかな欲望が、ますます厄介な状況に拍車をかけている。
「許してくれるか分からないけど、とにかく誠心誠意謝ろう」
それがフィオナのためにも、自分のためにも一番なんだ。
「この嘘つきッ!」
「!?」
気合を入れてトイレから出ると、まるで待ち伏せされていたかのようにウィルが立っていた。
「な、なんだよいきなり」
「お前みたいな品性の欠片もないやつが、クナッパーツブッシュ家より爵位が上なわけがない!」
「――!?」
なっ、なんでそのことをウィルが知っている。そんなもん考えるまでもなく、フィオナが言ったからに決まっている。
「フィオナは騙せても、ボクのことは騙せないぞ! そもそもお前が貴族だということ自体、ボクは怪しいと思っていたんだ。それが辺境伯だと。……馬鹿にするなっ! そんなみすぼらしい恰好の辺境伯がいてたまるかっ! 大体なんだよそのヘンテコな服装は!」
「……っ」
このジャージを選んだのは俺じゃない。異世界で動きやすい服装という理由から、女神がこの肉体と一緒に創造したものだ。文句があるなら女神に言え。
「これは、その……正体を隠すための衣装だ」
何言ってんだろ、俺……。
「というか、まだ家督も継いでないガキが親のふんどし借りて粋がってんじゃねぇよ」
「なっ、なんだと!? ボクはクナッパーツブッシュ家の人間だぞ! 伯爵家の人間にそんな口を利いてただで済むと思っているのか!」
「はぁ? 俺が辺境伯だってこと忘れたんじゃないだろうな。立場上俺の方が上なんだよ。わかるか?」
「嘘だッ!」
「嘘じゃねぇし」
生意気な態度をとる10歳の子供に腹が立ち、衝動的に嘘をついてしまった。気づいたときにはもう手遅れで、目の前の少年は歯ぎしりをしながら、嫉妬に狂った目つきで俺をにらみつけていた。
「すぐに化けの皮を剥がしてやるからな!」
少年が捨て台詞を残して去っていく後ろ姿を見ながら、俺は口にした言葉が取り返しのつかないものだったと悔い、一人で頭を抱えていた。
「ふぅー、スッキリしました。あら、雪夫さんじゃないですか? そんなところでしゃがみ込んでどうしたんです? 皆さんのところに行かないんですか?」
「――女神様、助けてください!」
「め、女神様っ!? な、なんですか気持ち悪い。なにか変なものでも食べちゃったんじゃ……」
「食べてない!」
「まさか……16歳にもなって漏らしちゃったんですか?」
「ちゃうわッ!」
「なんだ、違うんですか……」
「なんでちょっとがっかりしてんだよ!」
「ではどうしてトイレの前でこの世の終わりみたいな顔をしていたんです?」
「それは……」
俺は自分がこんな状況になった経緯を率直に話した。
最初は黙って聞いていた女神も、次第に軽蔑の視線を向けてきた――が、今はそんなことはどうでもいい。この苦境を脱する手段があるとするなら、それは神の力以外にはないのだ。
「バカなんですか?」
「なんとでも罵ってくれて構わない」
「はぁ……ここ数日ソワソワしているとは思っていましたが、まさかそんなくだらない嘘をついていたなんて、本当にどうしようもない人間ですね」
「そりゃ嘘をついたことは俺の責任だけど、元はと言えばお前のせいだろ! お前が自分の正体をペラペラと明かさなければ、俺だってあんな嘘をつく必要がなかったんだ」
「……は? まさか私のせいにする気ですか? それはさすがに神経疑っちゃいますよ。そもそもフィオナさんに辺境伯だと指摘された時に、違うと一言おっしゃっていればこんな事にはならなかったわけですよね。違いますか?」
「うぅ……」
ぐうの音も出ないとはまさにこのことだ。
「……た、たしかに、今回の件に関しては俺が100%悪い。だから、そのことを認めた上でこうして頼んでるんじゃないか。……お願いします。助けてください女神様!」
俺は恥を忍んで土下座をした。
だというのに……。
「無理です」
女神は俺の真摯な懇願をあっさりと一蹴した。
「というか、ちゃっちゃとフィオナさんに真実を話して謝ってしまえば済む話じゃないですか」
「あのガキに俺が辺境伯だって言っちまったんだよ!」
「なら、ウィルさんにも謝ればいいだけの話ですよね?」
「嫌だっ!」
「は?」
「それだけは嫌だって言ったんだ! なんで俺があんなクソ生意気なガキに頭を下げにゃならんのだ! それにあのガキはめちゃくちゃ性格が悪い!」
「そうですか? 普通にいい子ですよ?」
「いいや、悪い! もしも俺が貴族でないということを知れば、権力を振りかざして何をしてくるか分かったものじゃない! 最悪俺の処刑だってありえる! そうなれば、幹夫のクラスメイトたちを日本に送還することもできなくなる。そうなれば困るのはお前だろ。だから……な? 頼むよ、女神様!」
「こんな時だけ様を付けてもダメです。それに、ウィルさんはそこまでしませんよ。まあーせいぜい下僕のように扱われるだけです」
そう言って、フィオナは俺の肩をポンポンと二度たたいた。
「お、おい、どこ行くんだよ。まだ話は終わってないだろ!」
「雪夫さんが謝れば済む話です。それより早くフィオナさんの家に行きましょう。お酒をご馳走してもらう約束をしているんです」
女神は手をひらひらと振りながら、フィオナたちのもとに戻っていってしまった。
「なんて薄情な女神なんだ……」
しばらくの間呆然としていると、フィオナが満面の笑顔で近づいてきた。
「よかった。なかなか帰ってこないから何かあったのかと心配しちゃった。あっ、そうそう。さっき駅員の人が教えてくれたんだけど、最近この辺りに妖盗蛇衆が出たんだって。列車でのこともあるし、わたし達も気をつけないとね」
「ああ、うん。……そうだな」
フィオナに手を引かれ、俺はいやいやながら幹夫たちと合流した。その後、駅まで迎えに来ていたシュトラハビッツ家の馬車に乗り込んだ。ちなみにウィルとクルセアとは駅で別れた。彼らにも迎えの馬車が来ていたのだ。できればもう二度とウィルに会いたくない気持ちもあったが、シュトラハビッツ家とクナッパーツブッシュ家は近い距離にあるようで、たぶんまたすぐに再会することになるだろうとのこと……。
「はぁ……憂鬱だ」
「家に着いたら真っ先にユキオを父に紹介するわ」
「……うん。ありがとう――――いっ!?」
苦笑いを浮かべると、向かいに座った女神がまだ本当のことを言っていないのかと目で詰め寄ってくる。気まずさから窓の外を見つめる俺の足を、容赦なく蹴りつけた。
「(雪夫さん、取り返しがつかなくなる前に言ってしまった方が賢明ですよ)」
「(……本当になんとか出来ないのか?)」
自分でも往生際が悪いという自覚はある――が、やはりすべてが嘘だったと告げることに躊躇いを感じる。
「(無理です)」
「(女神なんだからさ、実は貴族だった設定とかにできないのか?)」
「(できるわけありません)」
マジで使えない。
女神とはいえ、所詮こいつは下っ端なんだろうな。
「(雪夫さん、全部聞こえていますからね)」
「(あっそう)」
「(信じられません! 開き直る気ですか?)」
「(今考えごとしてんだから話しかけないでもらえるか)」
「(……そうですか。それはそれは失礼しました!)」
妙案はないものかと考えを巡らせているうちに、俺たちを乗せた馬車はシュトラハビッツ家に到着していた。
やばい……吐きそうだ。
胃に石を詰め込まれたような最悪な気分のまま、俺は重い足取りで馬車から降りた。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
燕尾服に身を包んだ上品な老紳士が出迎えに現れた。彼はシュトラハビッツ家の執事のようだ。
「お告げ通り、良い出会いに恵まれましたかな? おや……? そちらの方々は?」
「旅の途中で知り合った勇者一行よ。クロウニーも噂くらいは聞いているでしょ。国王陛下が異世界から勇者を召喚したこと」
「なんと!? では彼らが異世界から来た勇者様!」
「ええ、でももう一人は大貴族よ」
ちーん……。
終わった。
脳内でリンの音が反響する。
馬車を降りて2秒で全身の力が抜け落ちていく。
「旦那様! 大変ですぞ旦那様!」
クロウニーが大慌てで屋敷に駆け込み、しばらくすると立派な口髭を蓄えた中年の男性と一緒に戻ってくる。細身ではあるが、その風貌はまさに俺が思い描いていた貴族そのものだった。
「フィオナ! またしても勇者様とお知り合いになったというのは本当か!」
「本当よ」
とても誇らしげに答えるフィオナ。
「して、どちらが勇者様なのだ」
フィオナの父の眼差しは、俺と幹夫を交互に見つめ、その視線はまるでヒーローショーに連れてこられた子供のように輝いていた。
「彼が勇者ミキオよ」
フィオナが幹夫を指差すと、彼女の父は俺には目もくれず、一直線に幹夫の前まで進み、まるで長い間離れていた息子と再会した父親のように、熱い抱擁を交わした。
「ようこそお越しくださいました、勇者様!」
幹夫は極めて不快そうな表情をしていたが、彼はそれを気にせずにいるようだった。
「お父様、実は――」
「なんとっ!?」
そっと歩み寄ったフィオナが耳打ちをすると、彼女の父は驚きで目を見開いた。その視線が俺に向けられ、それだけで俺はすべてを察してしまった。極度のストレスとむかつきに襲われ、今にも倒れてしまいそうだった。
「辺境伯殿であることに気づかず、大変失礼いたしました。私はフィオナの父、ガーブル・シュトラハビッツ子爵です。これからはよろしくお願いいたします」
「……あ、はい――じゃなくて、頭をあげてくださいガーブル卿」
「そのような形式張った呼び方はご遠慮いただきたいですね、ユキオ卿」
「……はい?」
「私のことは、どうか父と呼んでください」
「…………」
突然のこの申し出に、驚きを越えて混乱が頭を覆う。フィオナに視線を向け、救いを求めるようにすると、彼女は頬を赤らめてうなずいた。
「……」
彼女は一体、父であるガーブル卿に何を言ったのだろう。
「さあ、とりあえず話は中で。妻のリネットにも紹介させてください」
この時の俺の心臓は色んな意味で、破裂寸前だった。
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