第12話

「では、ユキオ卿はその若さで家督を……。さぞや大変だったことでしょう」


 応接室に案内された俺たちは、シュトラハビッツ家から贅沢なもてなしを受けていた。フィオナは楽しそうに旅の出来事をガーブル卿と母のリネットに語り、ファンシアは高級そうなお菓子を大口で頬張り、その光景を満足そうに見つめる幹夫。女神は着いて早々フィオナに約束の酒をねだり、高そうなワインをがぶ飲みしていた。


 一方、椅子に座った俺はまるで借りてきた猫のようにその光景をじっと見つめている。


「それで、ユキオさんが治める領地はどの辺りに?」

「え……と……その…………」


 フィオナによく似たリネットの笑顔を見ていると、もうこれ以上は無理だと思った。


「ごめ――「世界を救う任務が終わるまでは秘密なのよ」


 観念し、謝罪の言葉を述べようとしたのだが、フィオナの言葉に遮られてしまう。


「あら、どうして秘密なの? 何か理由があるのかしら?」

「お母様、辺境の地を統治するって簡単なことじゃないの。他国からの攻撃を防ぐためにも、ユキオはずっと前線で戦ってきたのよ。そんな将軍のような存在のユキオが不在だということが公になれば……」

「そうか!」


 ガーブルが閃いたとばかりに声を上げた。彼は妻のリネットに、なぜ俺が領地のことを話したがらないのか、自分の考えを誇らしげに語り始めた。


「いいかい、リネット。彼の地ではユキオ卿の存在は絶対なのだ。それは何も領民に対してだけではない。辺境の地を守護するユキオ卿が不在ということが他国に知られてしまえば、それはまさに他国にとって絶好の好機になってしまう」

「わたしもお父様の意見と同じよ。だからユキオは身分を偽っているの。情報が漏れないようにね」

「まあ、そういうことでしたのね」


 全然違うのだけど……。

 よくここまで都合よく解釈できるものだなと、逆に驚きを感じている。


「ともかく、クナッパーツブッシュ家との婚約がまだ正式になっていなくて良かったわ。ね、あなた」


 リネットの問いに対して、ガーブルは深く頷いた。


「今ならまだお断りできるのよね?」


 フィオナが不安げな瞳で問いかけると、ガーブルは微笑みながら問題ないと答えた。


「バード卿にはまだ正式にお受けするとは伝えておらん。それに、ウィル様にとっても7つも年の離れたお前と婚約するより、今回の話がなかったことになった方がいいに決まっている。もちろん、お前にとってもだ」


 うんうんと頷くフィオナを見ていると、非常に胸が痛い。


「それに引き換え、ユキオさんは今年で17歳なんですよね? フィオナとはひとつしか年が変わらない。とてもお似合いだわ」

「しかも、その年ですでに家督を継いでおり、辺境伯だ! 今後はラムザの強い後ろ盾にもなってくれるはずだ。なってくれますよね、ユキオ卿!」


 とテーブルに手をついて身を乗り出してくるガーブルに、

「え……あ、はい」

 俺は気圧される形で力になることを約束してしまった。

 力なんてないのだが……。


「あはっ、あははは……はは………」


 しかし、これにはフィオナもリネットも大満足だったようで、シュトラハビッツ家は安泰だと抱き合っていた。

 ちなみにラムザとはフィオナの双子の兄とのことだ。






「あああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 用意された客室で、俺は激しくもんどりを打ちながら転がっていた。


「なんでこんな事になるんだよっ!」

「きゅだらない嘘をつくからです、ひっ」


 それはその通りなのだが、まさかフィオナとの婚約に発展するなんて誰も思わないじゃないか。


「何度も言いますけどねぇ、ひぃっ……ゆぎおざんは消えてなぐなる存在なんでしゅからね! ……ひっ」


 こればかりは酔っぱらいのいう通りだ。

 俺は大貴族でもなければ、この世界の人間でもない。そもそも生者ですらない。

 仮初の肉体を与えられた魂だけの存在、それが今の俺なのだ。


「やっぱりフィオナやご両親に本当のことを話そう」

「そうしゅべきでしゅっ! ……ひぃっ」


 食事の席で全てを打ち明けることを決断した俺は、まるで処刑を待つマリー・アントワネットのような気持ちだった。




 ◆◆◆




「これは一体どういうことだ!」


 その頃、ウィルが帰宅したクナッパーツブッシュ家では、鏡の前でバード・クナッパーツブッシュ伯爵が怒りを爆発させていた。


「私は息子を始末するように言ったはずだぞ! その息子がなぜ生きて帰って来ている。答えろハイムラ!」

「列車に勇者が乗り合わせていた。どうやらそいつが邪魔をしたらしい」

「貴様も勇者だろッ!」

「もちろん、その場に俺が居れば片付けることは容易だったろうな。だが、不幸にも俺はその場にいなかった」

「ふざけるなっ!」


 バード伯爵は手にしていたグラスを床に叩きつけ、鏡の中の男に怒気を強めた。


「これでは何のために貴様ら妖盗蛇衆を雇ったのかわからんではないか!」


 そこにノックの音が飛び込んでくる。


「旦那様、どうかなさいましたか?」と、大きな音に驚いた屋敷の使用人が急いでやってきた。


「なんでもない」

「しかし、大きな音が――」

「何でもないと言っておるだろッ!」

「!? も、申し訳ございません!」


 使用人は恐怖に青ざめ、ドアを開けることなく、その場から逃げ出すようにして去っていってしまった。


「明日にはシュトラハビッツと婚約の話を進める手はずになっている。そして来週には晩餐会が控えてある。表向きは私の生誕祭とされているが、ここで大々的にクナッパーツブッシュ家とシュトラハビッツ家の婚約が発表される。その前に、なんとしてもウィルを殺さねばならんのだ」


 バード伯爵の話を黙って聞いていた榛村は、一瞬困惑に眉根を寄せた。


「失礼だが伯爵、ご子息が亡くなってしまえばシュトラハビッツ家との婚約もなくなってしまうのでは?」


 榛村の疑問に対し、バード伯爵はフッと鼻で笑った。


「それはない。シュトラハビッツ家は我がクナッパーツブッシュ家の後ろ盾なくしては、爵位の保持すらままならぬ状況なのだ」

「シュトラハビッツ家としては、クナッパーツブッシュ家との婚約がなければ貴族としての未来が絶たれる可能性があるということか」

「その通りだ」


 しかし、シュトラハビッツ家を潰したいのであれば、単純に子息と婚約させなければいいだけの話。そうすればシュトラハビッツ家は国からの評価を受けられずに自滅する。

 わざわざ息子を生贄にする必要などどこにもない。

 榛村がこの点を指摘すると、バード伯爵は懐から一枚の写真を取り出した。


「誰がいつ、シュトラハビッツを潰したいなどと言った」

「……違うのか?」

「私はな、ハイムラ……欲しいものがあればどんな手段を使ってでも必ず手に入れる。これまで、私に手に入らなかったものは一つもない。今回も同じだ」


 そう言いながら、バード伯爵が榛村に見せた写真には、一人の少女が写っていた。

 少女の名はフィオナ・シュトラハビッツ。

 バード伯爵はフィオナの写真を見つめ、うっとりとした表情で頬を寄せ、まるで恋する乙女のようにため息をついた。


「フィオナたんと婚約するのはウィルではない、この私だ。――ああ、この時を私がどれほど待ち望んでいたか、ハイムラ...…貴様にはわかるか?」

「た、たん……あ、いや……」


 榛村は一瞬、聞き間違いしたのかと戸惑っていたが、やがてそれが聞き間違いではないことを理解した。


「あの子がまだ6歳だった頃からだ!  シュトラハビッツで初めてフィオナたんを見た瞬間から、私は彼女との結婚を夢見ていた。この11年間、私はその夢のためにどれだけ奮闘してきたか。ガーブルの功績を裏で握りつぶし、シュトラハビッツ家を追い詰める舞台を整えた! そして、救世主のようにウィルとフィオナたんの婚約を提案する。当然、窮地に立たされたガーブルはこの提案に飛びつくだろう。しかし、その話が直前で破綻する。ウィルの死という悲しい出来事によってな。これにより、シュトラハビッツ家は終わりだと諦め嘆くだろう。そんな時、私は彼らにさらなる提案をするのだ。苦肉の策として、私とフィオナたんの婚約を提案する!  誰もがシュトラハビッツ家の存続のため、私とフィオナたんの婚約に賛成するだろう。こうして私はフィオナたんと晴れて一つになることができるのだ!」


「この変態ロリコン野郎がっ……」と、榛村はまるで性犯罪者を見るかのような目でバード伯爵を睨みつけた。


「ん……? なにか言ったか、ハイムラ」

「……いや、何も言っていない」


 フィオナの写真を懐にしまったバード伯爵は、貴族然とした表情で榛村に向き直った。


「貴様ら妖盗蛇衆は来週の晩餐会までに必ず、我が息子――ウィル・クナッパーツブッシュを始末するのだ!」


 榛村との通信を切った後、バード伯爵は再びフィオナの写真を見つめ、夢想にふけっていた。


「フィオナたんがあと少しで私のものに……ぐふふ」


 バード伯爵は嬉しさのあまり、写真を相手にワルツを踊っていた。

 一方通信を終えた榛村は、呆れた様子でやれやれと頭を振っていた。


「聞いたか? ソイフォン」

「ああ、とんだ変態野郎だね。あたし達はあんな変態のために働くのかい? 今の妖盗蛇衆の頭はあんただからやれと言われれば従うが、個人的にはやりたくない仕事だね」

「だから殺さずに攫うんだ。ウィルを生かして捕らえ、あの豚から搾れるだけ搾り取る」

「なるほど……そういうことかい。あんたもえげつないね。本当に勇者様なのかい?」

「バカな異世界人がそう呼んでいるだけだ。国を乗っ取ろうと画策するやつはいても、真面目に魔王退治なんてするやつ、うちのクラスにはいないよ」

「王様はとんでもない連中を召喚してくれたもんだよ、まったく」

「……嫌だったか?」


 榛村が問いかけると、不敵な微笑みを浮かべたソイフォンが彼の上に跨って座った。


「言ったろ、強い男は嫌いじゃないって」

「俺もどこかのロリコン伯爵とは違い、色っぽい年上の女なら歓迎だ」

「ナオキ、あんたとなら天下だって夢じゃないよ」

「当たり前だ。この世界で天下を取るのはこの俺だ」


 くちびるを何度も重ねたふたりは、そのままベッドに崩れ落ちた。

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