第19話

「まだ始末していなかったのか?」


 一瞬、榛村と目が合ったような気がしたのだが、その視線は迅速にフィオナとクルセアに移った。その後、彼女たちからも速やかに視線を外し、何かを探すように周囲を見渡していた。


「なんだ、もう殺ったのか」

「は? 何を寝ぼけたことを言ってるんだい。まだあんなにピンピンしてるじゃないかい」

「そうだぞハイムラ! 私はお前が勝てるというからここまで来たのだ。ちゃんと殺してもらわねば困るぞ」


 怪訝な面持ちの榛村は、再び俺、フィオナ、クルセアと順番に視線を向け、今度は時間をかけて慎重に周囲を観察しはじめた。


「ソイフォン、辺境伯の特徴は?」

「……金髪碧眼のガキだよ」

「歳は?」

「は? そんなのあたしが知るわけないだろ」

「大体で構わない。お前から見て、辺境伯は何歳くらいに見える」

「たぶん、ナオキと同い年くらいじゃないのかい? 少なくても二十代には見えないね」


 榛村は無言で目薬を取り出し、両目に一滴ずつさした。それから再び俺を凝視する。


「どっからどう見てもじじいにしか見えないんだが……?」

「じじい……? 何のことだい?」

「お前らのいう辺境伯が、俺にはヨボヨボのじじいにしか見えないって言っているんだ」


 目頭を押さえながら俺のことをじじい呼ばわりする榛村に、ソイフォンとバード伯爵は相当戸惑っていた。ちなみに幹夫のクラスメイトには俺のことが老人に見える魔法がかけられている。


「ハイムラ! 貴様何か変な薬でもやっているんじゃないだろうな」

「馬鹿を言うな。スポーツマンの俺が薬物に手を出すはずがないだろ」

「寝ぼけてるってことはないのかい?」

「さっきまではその可能性もゼロじゃなかったと思うけど、今はありえないだろうな。完璧に目が冴えている。それより、残っているのはソイフォン、お前だけか?」

「残念だけどそうなっちまうね」


 榛村は手下が肉塊となった光景を見つめ、混乱した表情で「何が何だかわからない」と言いながら、寝癖のひどい頭をかいていた。


「こうなる前にドラゴンゾンビは使わなかったのか?」

「使ったさ、糞の役にも立たなかったけどね」

「ちなみに瞬殺だったぞ」

「瞬殺……? 冗談だろ?」

「だと良かったんだけどね……あいにく本当の話さ」


 俺は榛村たちが話に夢中になっている間にクルセアを脇に抱え、フィオナの手を引き、この場から逃げることを決断した。


「いいの、逃げちゃって?」

「あれ以上あの場に居続ける意味なんてないからな。それに、早いところクルセアを安全な場所で休ませてやりたい」

「……そうね」


 馬車の中で、俺たちはクルセアから直接、彼女にとってウィルが主君を超えた存在であることを聞いていた。

 彼女はウィルが生まれてすぐにクナッパーツブッシュ家に雇われ、18歳から10年間にわたり彼の世話をしてきた。クルセアにとって、ウィル・クナッパーツブッシュは息子のようであり、同時に弟のような存在でもあった。ウィルを失った傷は深く、もしかしたら彼女は二度と以前のような強い女性には戻れないかもしれない。


「ユキオ、外よ――――きゃっ!?」

「うわぁっ!?」


 滝をくぐり、川を渡って森に足を踏み入れようとしたその瞬間、今しがた通ってきた洞窟の入り口が突如として爆発し、水しぶきが舞い上がった。



「なんだよあれっ!?」


 洞窟から巨大な芋虫が這い出てこようとしていた。


「お前、じじいなのにめちゃくちゃ身軽とか、ギャップえぐ過ぎだろ」


 巨大芋虫の先端に不良のように座る榛村が、ケタケタと笑いながらこちらを見下ろしていた。


「お前こそ、そんなバカでかい芋虫どこに隠し持っていたんだよ」

「ああ、これ? カブトムシの幼虫って土の中で過ごすんだけど……知らない?」

「どう見てもカブトムシの幼虫ってでかさじゃねぇだろ!」

「確かに、どちらかと言えばモスラの幼虫だよな」


 榛村は無警戒に芋虫から飛び降り、スタスタと歩み寄ってきた。戦闘に備えて、俺は脇に抱えていたクルセアを巨木の下にそっと置いた。


「ユキオ!」

「フィオナはクルセアを頼む」

「……わかった」


 榛村が彼女たちに近づかないよう、俺はふたりから距離を取ることにした。


「強いんだってな。ドラゴンゾンビを瞬殺したって聞いたときは正直驚いた。俺の手札の中でも、かなり上位の強さだったんだけどな」

「アンデッド系は一見厄介そうに見えるけど、弱点さえ突ければ脆いだろ」

「そういうものなのか。昔からサッカーばっかでその手の知識が微妙なんだよな。さすがに現地人だけあって詳しいな。その年で辺境の地を治めるだけはあるってことか」

「……」

「どうかしたか?」


 榛村はどうやら俺を異世界人と勘違いしているようだ。それは構わないが、考えてみると、俺の本当の目的はこいつらを日本に戻すことだ。それなら一か八か、女神の言う通り説得してみるのもひとつの手かもしれない。


「榛村尚輝、日本に帰る気はないのか?」


 日本という言葉に榛村の瞳がわずかに見開き、その後、そっと目を細めた。


「……あんた、異世界人じゃないのか?」

「俺は天界からの使者だ。女神に頼まれ、お前たち勇者を日本に連れ戻しにきた」

「連れ戻す……? 勝手に連れてきておいて随分と勝手なんだな」


 その点に関しては同感だが、こいつに至っては犯罪に手を染めているので強制送還は妥当な判断だ。


「どこの国でも外国人が暴力行為を行えば、国家権力で本国に送りかえされる。当然の処置だ」

「……で、どうやって日本に?」

召喚陣発動ゲートオープン


 あらかじめ女神から聞いていた魔法陣を足下に展開させた俺は、その上に立つよう言った。


「断ればどうなる?」

「強制送還になるだけだ。ちなみにそうなった場合は俺がめんどくさい」

「送還と何が違う?」

「送還は魔法陣の上に立ち、自ら帰還を唱えることで日本に帰れるらしい。強制送還は文字通り強制的に日本に送り返すことだ。この場合、転移者であるお前たち勇者を殺すことになる。お前たち勇者はこちらの世界で力尽きると、日本に帰るようになっているんだと。聞いてないか?」

「初耳だ」


 女神の説明が充分でないことは否めない。仮に死んでも元の世界に戻れることを知っていれば、勇者活動に前向きになった者もいたはずだ。少なくとも、その情報の有無によって勇者としてのアプローチが大きく変わっただろう。


「そうか……俺たちは死んでも日本に送還されるだけだったのか」


 榛村は一見、落ち込んでいるように見えたが、次の瞬間には腹を抱えて大笑いしていた。その笑顔の裏には悪意に満ちた表情がのぞいていた。


「ってことは何か? この国を手に入れるのに、わざわざこんなに慎重になる必要はなかったってことかよ! あーあ、必死こいて手持ち集めたり、資金集めたりとくっそめんどいムーブしてたのに、死んでも元に戻るだけぇ? それなら早く言えっての、もっと大胆に動けたのによ」


 榛村に対して強制送還の詳細を伝えた結果、逆に望ましくない結果を招いてしまう。彼は死んでも問題ないという考えに変わり、ますます無責任な思考に拍車がかかってしまったようだ。


「教えてくれたことは素直に感謝するぜ。つまり、じいさんも死んでも問題ないんだろ?」


 榛村は大きな勘違いをしている。

 既に死んでいる俺には、彼らと違って帰るべき世界がない。仮に再び死ぬようなことがあれば、俺の魂はその時点で消滅するだろう。簡単に言えば、天国にも地獄にも行けず、ただ無に帰することになる。つまり、俺を待っているのは何もない世界。そこで意識だけの存在となり、半永久的に無を彷徨い続けることになる。


「……だろうな」


 しかし、その事をこの男に話すのは危険だ。


「そっか――なら、遠慮なくぶち殺していいわけだ!」


 にやりと口角を上げた榛村から、凄まじい殺気が全身に漲り、森の中から地鳴りのような足音が幾つも近づいてくる。


「女神に雇われてるってことは、お前もチートを貰っているんだろ? 毒霧を浄化し、ドラゴンゾンビをいとも簡単に倒してしまうところから察するに、お前黒州くろすと同じ回復系だろ!」


 黒州という人物のことは知らないが、外れだ。


「そういうお前の能力はテイム系か?」

「なぜそう思う?」


 俺でなくても、この魔物に囲まれた状況を見れば、誰でも想像がつくだろう。


「ドラゴンゾンビと魔物の大群、どっからどう見てもテイマーだろ」

「否定はしない。だが、それが分かったところで回復術士のお前に何ができる? いくら剣の腕が立とうが、この数の魔物をひとりで相手にするのは骨が折れるだろ? ちなみに、俺は既に一万近い魔物をテイムしている。そいつらが、この先の山で待機している。理解できるか? 俺の指示で一万の魔物が一斉にピリリカに押し寄せるということだ!」


 この国の王様は勇者ではなく、世界を滅ぼす存在――魔王を召喚していたらしい。


「榛村、本当に何一つリスクなく、異世界で好き勝手やれると思うか? お前の人生はせいぜい100年だ。けどな、死んだらマジで天国or地獄に行かされるんだ。ちなみに第1級地獄行きになれば、2800万年ものあいだ苦痛を味わい続けることになる」

「説得しようってか? くだらない」

「勘違いすんな。おまえを説得する気なんて俺にはねぇよ。ただ、何も知らないってのはフェアじゃないだろ? それに死んだあと、っんなの聞いてねぇって駄々こねてほしくねぇからな。てめぇみてぇなクソ野郎にはっ」

「ほざくなっ!」


 榛村の蛮声が響くと、未知の魔物が一斉に押し寄せてきた。腐敗にまみれた腐肉の巨像は骨が露出しており、動くたびに悪臭が漂う。不気味な四肢を持つ歪面の化物は、ゆがんだ顔で見る者に深い不安を抱かせる。這いずるように移動する蠕動の異形は、粘液にまみれており、近づくことすらためらわれる。最も厄介なのは悲痛な叫びを上げる幽霊。透明な体に傷だらけの姿が現れ、その声を聞くだけで激しい頭痛に襲われた。


「どうした? 逃げるだけか?」

「てめぇだって突っ立ってるだけだろうが!」


 にしても厄介だな。

 できればゴブリンとかオークとか、そういうベターな魔物を期待していたのだが、榛村が従える魔物はどれも異業種ばかりだ。それに、どこに潜んでいたのか知らないけど、次から次に蛆虫みたいに湧いて出てくる。これ以上増えられるとさすがにめんどうなので、一旦ここまでにしてもらうとするか。


夢境閉域むきょうへいいき!」


 俺は勢いよく手を合わせ、ユニークスキルともいうべきチート技を発動する。


「――!?」


 榛村たちを非現実な夢幻の空間に誘い込む覚悟を決め、彼らを現実世界から断絶。魔物の数がこれ以上増えないよう、夢幻の領域に隔離する。簡潔に言えば、異なる次元に封じ込めたというわけだ。

 ただし、夢境閉域の効果範囲は狭く、俺から10メートル以内にいる者に限定される。したがって、あれ以上増やされると対応できなくなっていた。


「ここはどこだッ!?」

「夢境閉域、言ってしまえばここは俺の頭の中の世界だ」

「頭の中だと!?」

「悪いけど、お前のチートは封じさせてもらった」


 あとは天上の神々に仕えるヴァルハラの騎士たちを創造すれば、彼らが魔物を討伐してくれる。たとえ制限なしに魔物をテイム可能な榛村であっても、魔物がいなければただの高校生。手数の多さは確かに脅威だが、逆に言えばそれだけの能力。個人的な感想としてはめっちゃ微妙。チート評価は最低の星一つと言ったところだ。


「俺のチートを封じた? ふふっ」

「?」


 チートを封じられたというのに、榛村が取り乱す様子はない。それどころか不敵な笑みを浮かべていた。


「お前、なんか勘違いしてないか? 俺のチートが単に魔物を無制限にテイムするだけだと、本気で思っているのか? そんなクソみたいなチート、誰が欲しがるんだよ」


 榛村の態度を見るに、単に強がっているというわけでもないのだろう。だとすれば、隠された能力があると見て間違いない。そしておそらく、それこそが榛村の真のチート能力ということになる。


「ん……?」


 突然、大きく息を吸い込んだかと思うと、榛村は次の瞬間、まるでドラゴンのように口から炎を噴き出した。


「げっ!?」


 予期せぬ攻撃に反応が遅れてしまい、前髪が軽く焦げてしまった。


「あっちぃ!? なにしやがんだてめぇっ!」

「驚いたか! これが俺のチート能力、〝統べる者〟だ!」

「何だよそれ?」

「俺はテイムした魔物のステータスをコピーし、その能力を自在に引き出すことができる。どうだ、凄いだろ!」

「え……それだけ?」

「むっ!? じ、じじいにはこの強さがわからないのかもな」


 確かに、一般的には非常に強力な能力だと思う。

 制限なしに魔物を支配し、そのうえ魔物の技だけでなく能力値をコピーできるとなれば、対テイマーの戦略が限られてくる。ただし、それでも所詮は魔物の能力に過ぎない。チート持ちを相手に魔物の力では対抗できないだろう。個人的には幹夫のレーヴァテインの方がずっと厄介だ。


「オーガの能力を使えば接近戦もこの通り――ぶぎゃぁっ!?」


 一直線に向かってきた榛村にチョップをお見舞いすると、地面に張り付くまんじゅうのように潰れてしまった。


「なっ、ば、ばがなぁ……」

「よわ……」


 今の俺は魔剣ストームブリンガーの効果により、盗賊たちの魂を吸収している状態なので、肉体が相当に強化されている。しかし、それにしたって榛村は弱い。オーガの筋力やスキルをコピーしたところで、Aランク帯の冒険者に劣る魔物の力で、チーターに対抗できるわけがない。


「ひょっとしてお前、最弱の勇者なのでは?」

「そ、そんな゛わげあるはずないだろ……」


 その後も榛村は様々な魔物の力をコピーして挑戦してきたが、俺はそれらを全て撃退。気がつくと、彼の顔は倍近くに腫れ上がっていた。


「なぜ、ごんなごどにっ……」

「もう諦めて日本に帰れよ。今なら自分の意思で帰還したことにしてやるから。そうすりゃお前の罪だって少しは軽くなるかもしれないだろ?」

「いやだ! どうせ戻ったって俺の居場所はどこにもない。もうベンチに座っているだけなんて耐えられないんだよ!」

「ベンチ……?」

「俺はこの世界でペレのような王様になるんだ!」

「ペレ……サッカーか? 言っとくけどこっちの世界にはサッカーなんてないぞ」

「ないなら作ればいいだろ。そうすれば俺が一番になれる」

「そんなので一番になって嬉しいのか? 虚しいだけだろ」

「万年ベンチに座らされるよりよっぽど嬉しいね」


 榛村が帰らないという意志を固く持っていることを理解し、これ以上は何を言っても無駄だと判断した。俺は再び精神凍結で感情を消し去り、魔剣ストームブリンガーを榛村へと突き出した。


「俺を殺す気かっ!」

「さっきも言ったが実際に死ぬわけじゃない」

「行為自体は同じだろ! ……じいさんに殺れるのかよ」

「問題ない」

「……っ」


 一瞬の静寂が広がり、魔物の力をコピーした榛村が、飢えたハイエナのように猛然と突っ込んでくる。


「なめんじゃねぇぞぉおおおおおッ!!」

「――――」


 すれ違う瞬間、俺は榛村の腹部に剣を突き刺した。


「ぐぅわぁッ……ま、まじで……ぎりやがっ、たぁ」


 榛村は水道管が破裂したかのように、腹から大量の血を吹き出し、力尽きるように膝をついた。俺はこれ以上は無意味と悟り、夢境閉域を解除。静寂が漂う中、ゆっくりと呼吸が浅くなった榛村に近づいた。


「ち、ちぐぅじょ……。ごんな、じじいに……ぐぞぉっ……」

「こんなところでペレなんて目指してねぇで、向こうでワールドカップを目指せよ。お前はまだ若いんだから、可能性がないわけじゃねぇだろ?」

「……じじいがっ、いいぎになっでぇッ……説教、しでぇんじゃねぇよ」


 最後くらいスポーツマンらしく爽やかに去れないものかとため息をつく俺に、榛村は驚くべきことを口にした。


「せいぜい……魔物駆除に、奮闘するごどぉだっ」

「どういう意味だ」

「おれのヂードは……魔物のズテーダスをっ、著しく向上させる。……一万だぁ……ごの意味、わがるがぁ?」


 不気味に微笑んだ榛村とは対照的に、俺の額からは一筋の汗が流れ落ちた。


「てめぇ……」

「ざまあみろ……ぐぞじじぃ……」


 暴言とともに榛村の体が消えていく。まるで最初から榛村尚輝という存在がこの世界に存在しなかったかのように、彼は幽霊のように透明になり、やがて視界から消えていった。


「最後の最後に何してくれてんだよっ! ――――ん?」


 それは榛村が消えた直後に起こった。


「なんだ……この揺れはっ」


 大地が突如として激しく震えだし、同時に奇妙な音が耳を刺すかのように鳴り響いた。


「まさか!?」


 東の山から激しい地響きが轟き、まるで山火事を彷彿とさせるような砂埃が舞い上がっていた。


「あの野郎っ……」


 それは前代未聞の魔物行進モンスターパレード。榛村尚輝は最後の最後でチーターとしての本領を発揮していた。


「こうしちゃいられない」


 俺は急いで先ほど別れたフィオナたちのもとに向かったのだが、そこでとんでもない光景を見ることになる。




「ゔぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」


 獣のように吠え狂ったクルセアが、バード伯爵の上にまたがり、彼を殴り殺していたのだ。

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