第16話

「勇者様っ! 勇者様はどこに居られますかァッ!!」


 急いで屋敷に駆け込むと、クルセアは大声で勇者幹夫を捜し回っていた。


「なんだ騒々しい」と、走り回る彼女にバード伯爵は冷たい口調で言い捨てた。


「旦那様、ウィル様がぁっ、ウィル様が何者かに攫われましたッ!!」


「「「「「!?」」」」」


 その場にいた全員が彼女の悲鳴混じりの声に驚き、一瞬、凍りつくような静寂が広がった。やがて、使用人たちのざわめきが室内に響き渡っていく。


「クルセア、ウィルが攫われたというのはどういうことなの。わたし達にもわかるように説明して」


 フィオナが冷静に声をかけると、その凛とした態度に触れ、クルセアはわずかに落ち着きを取り戻していた。


「それが――――」


 クルセアは事の経緯を彼らに説明し、ウィルの母の形見のブローチを皆の前に差し出した。


「クロウニー、すぐに庭の足跡を調べるのだ!」

「かしこまりました」


 ガーブル子爵の迅速な指示を冷めためで見つめる男がいた。バード伯爵である。

 一方で、その様子を観察していた雪夫は違和感を覚えていた。

 息子が誘拐されたというのに、バード伯爵はまったくもって動揺していなかったのだ。まるでそうなることを予測していたかのように淡々とした表情でやり取りを見守っていた。


 ――なんか妙だな。


 雪夫は伯爵の態度に違和感を覚えながらも、具体的にそれが何なのかがわからなかった。


「旦那様、どちらへ!」

「少し花を摘みに行くだけだ……」


 しっかりとした足取りで化粧室に向かうバード伯爵をよそ目に、ガーブル子爵たちはブローチが落ちていたという庭先へと移動する。雪夫はバード伯爵の態度を不安に感じながらも、フィオナたちと共に庭先に向かうことを選んだ。


「ユキオ、こっちよ!」

「……ああ」


 一方その頃、化粧室へと向かったバード伯爵は、手鏡に向かって怒号を飛ばしていた。


「時と場所を考えろと言っておるのだッ! こちらには貴様と同じ勇者もおるのだぞ!」


 癇癪を起こしたバード伯爵を一瞥し、榛村は〝またか〟とため息を吐き出した。


「勇者の名前は? ……聞いたんだろ? ならさっさと教えろ」

「名前……? たしか、ミキオとか言っていたはずだが」

「幹夫……ああ、安斎か。なら問題ない」

「問題ないとはどういうことだ! わかるように説明しろ!」

「いつでも始末可能ということだ」

「本当なんだろうな」

「伯爵、俺が嘘をついたことあるか?」

「……っ」


 ――安斎が女神から授かったチートはたしか武器だったはず。なら安斎自身はただの雑魚ってことだ。

 その点、俺の力はまさにチートそのもの。神にも匹敵する無敵の能力だ。


「それと、悪いがもう1億ほど用立ててもらえるか?」

「なっ!? 馬鹿を言え! 金ならもう渡したはずだ!」

「そうか。ならガキを解放することにしよう。……あっ、ちなみにお前に雇われたことをうっかり話してしまった。悪いな」

「っ!? ――――待て!」


 通信を終わらせようとする榛村を、バード伯爵は大声で引き止めた。


「1億、払うんだな?」

「……払う。ただし! 辺境伯を殺せ。それが条件だ」

「辺境伯……?」


 状況が理解できず、榛村は眉をひそめた。


「勇者ミキオに資金提供をする、金髪碧眼の男だ! やつが生きていると、私の計画に支障が生じるのだ」

「金髪碧眼の男……」


 ――そんなやつソイフォンの報告にいたか?


「たぶん、そいつはあたしをやった奴だよ」


 榛村の傍らに立ち、バード伯爵との会話を聞いていたソイフォンが口を開いた。


「は? お前をやったのは安斎だろ? 眼鏡かけてたろ? 黒縁のダサいやつ」

「安斎……? 誰だい、それ? あたしをやった奴は自分のことを確かにユキオと名乗っていたよ。あたしのことを口説く男なんて滅多にいないからね、あのふざけた男のことはよく覚えているよ」

「……そうか」


 ――ユキオ……どう考えても日本人の名前だよな? しかし、うちのクラスに金髪碧眼の外人はいない。ソイフォンは見たこともない武器を使う男にやられたと言っていたから、てっきりチート武器を使いこなすクラスメイトかと思っていたのだが……違うのか。

 ってことは、ソイフォンをやった奴の正体は日本人っぽい名前をした、ただの現地人ということになる。


「くっくっくっ――あっははははははははははははははは!」


 榛村が突然膝をたたいて大笑いすると、ソイフォンも鏡の中のバード伯爵も、一体何が起きたのかと困惑を隠しきれない。


 ――つまりクソ雑魚ってことかよ!


「オーケー。そのユキオとかいう貴族は俺が始末してやる」


 目尻に滲んだ涙を指先で拭いながら、榛村はバード伯爵の依頼を承諾した。


「ソイフォン、ガキを使ってユキオとかいう貴族をおびき出せるか?」

「容易い御用さ」


 榛村の要望をかなえるため、ソイフォンは少年が捕らえられている地下牢へと足を向けた。





「うそだ……そんなの、うそだっ……」


 異臭がただよう通路の奥に、手足を縛られた少年がいた。彼は鉄格子に囲まれた空間に閉じ込められており、目は怒りと悲しみで腫れ上がっていた。


「哀れなお坊ちゃんだね。自分があの男に愛されている、本気でそう思っていたのかい?」


 薄暗い室内にコツコツとヒールの音が響き渡り、息を呑むほどの麗人が姿を現した。


「貴族にとって子は道具。そんなことは坊やだって知っていることだろ? 知っていながら、それでも自分だけは特別だって思っていたのかい?」

「……っ」


 女が少年を見下す目は、極めて冷酷であった。


「一つ昔話でもしてやるよ」

「お前たち盗賊の話なんて聞きたくない!」


 幾重にも反響する少年の叫びを嘲笑うかのように、女は淡々とした口調で話し始める。


「7年前、まだあたしが妖盗蛇衆の頭だった頃、あたしはピリリカである貴族から仕事を依頼された。どんな仕事だったと思う?」

「しるかっ」


 冷徹な視線を少年に注ぎながら、女は話を続けた。


「あたしも依頼内容を聞いたときは耳を疑ったよ。だってその男、自分の妻を殺してくれと言ったんだ。小さな子供のいる母親を殺してくれってね」

「――――」


 女は、少年の顔が青ざめていく瞬間を、まるで獲物を仕留める蛇のような目で見下ろしていた。


「あたしに仕事を依頼した男の名は――バード・クナッパーツブッシュ。あんたの父親だよ」


 少年の息が一瞬止まり、次の瞬間、まるでハリケーンが吹き抜けるかのような勢いで彼は叫んだ。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 憎しみの炎を瞳に灯した少年は、縛られた体を引きずりながら地を這いずり、女の足元まで移動すると、そのまま女に向かって頭を振り上げた。


 ――ガンッ!


 と、凄まじい衝撃音を轟かせながら、少年の額は鉄格子に激しくぶつかった。


「殺してやるッ、殺してやるっッ! お前だけは絶対にこの手で殺してやるッ!!」


 少年は繰り返し額を鉄格子にぶつけては、血と罵詈雑言を女に向けて吐きつけている。

 女は静かにその様子を見つめ続けていた。




 ◆◆◆




「クロウニー、すぐに王国駐屯兵にこの事実を伝え、一刻も早く捜索隊を組織させよ!」


 迅速で的確なガーブルの指示により、屋敷の使用人たちは慌ただしく動きはじめる。

 しかし、息子が盗賊に誘拐された可能性があるというのに、バード伯爵はトイレに行ったっきり戻ってこない。

 なんちゅう呑気なオヤジだと言ってやりたいところだが、やはりあの冷静な態度には違和感を覚えてしまう。


「王国駐屯兵などには任せておけません!」


 ウィルの捜索を即座に行うべきだと叫ぶのは、彼の従者であるクルセアだ。


「あなたの言い分もわかるけど、手掛かりがない以上、下手に動き回るのは得策とは言えないわ」

「娘のいう通りです。犯人はきっと何らかの要求をしてくるはず。辛いでしょうけど、今はこらえる時よ。わかるわね?」

「では、せめてこのことを勇者様に……」


 神頼みならぬ、勇者頼みをしたいというクルセアの要望を受け、俺は客室でファンシアと昼寝をしている幹夫を叩き起こすことにした。


「なに……もうご飯の時間?」

「ファンシアもお腹すいた」

「ちげぇーよ――ってちょっ!?」

「勇者様ッ!」


 俺を押しのけて割り込んできたクルセアは、まだ寝ぼけた様子の幹夫に向かって必死に状況を説明していたが、彼は興味なさそうにあくびを繰り返している。


「ふわぁ〜」

「お願いします勇者様! どうかウィル様をお救いください!」


 彼女は安斎幹夫という人物を大きく誤解している。彼は勇者などではなく、単なる異常犯罪者。したがって、彼はウィルの生死には無関心で、彼の関心はいつも一人の幼女にだけ向けられていた。


「それよりご飯まだ? ファンシアもお腹すいたって言ってるし、早めに用意してもらえないかな? てか、ちょっと退いて、邪魔」

「ゆ、勇者様、どちらへ!」

「食堂」

「あ、あの、ウィル様を――」


 ファンシアの手を引いて食堂に向かう幹夫の後を、クルセアは必死に追いかけていた。


「駐屯兵に報告したんでしょ? なら問題ないって。それに、まだ誘拐だって決まったわけでもないでしょ? 僕だって、あれくらいの年の頃にはよく一人で遊びに行ったもんさ。この世界の人たちはちょっと過保護過ぎるんだよね。それに、彼は騎士団学校にも通ってるんでしょ? 心配しすぎだよ」

「しかしっ!」

「僕がいた世界ではね、事件が起きてからしか警察は動かないんだ。どうしてだかわかる?」

「……い、いえ」

「はっきりしないモノに時間と労力を使うのが馬鹿らしいからだよ。みんなめんどくさいことは嫌いってこと」


 俺は絶句して立ち止まるクルセアの肩を軽く叩き、心の中で「これで理解しただろう」と静かに語りかけていた。


「ちょっとミキオ、いくら何でもそういう言い方はよくないわよ。あなた仮にも勇者なんでしょ?」


 というフィオナに対し、ミキオは冷静に反論する。


「勇者だからって何でもやらせるのは間違っている。僕たちは進んで勇者になりたいと思ってこの世界に来たわけじゃないんだ。突然王様に呼び出されて大役を押しつけられた被害者なんだよ。それなのに勇者だからって理由だけで、神様も異世界人も何でもかんでも無料ただでやらせようとする。引き受けなかったら罪人扱いさ。フィオナたちはうんざりする僕の気持ちなんてわからないでしょ?」


 幹夫のこの発言は明らかに、俺や女神に向けられたものだった。


 考えてみると、確かに多くの部分でその通りだと感じる。

 異世界に突如として召喚され、チートを駆使して命がけで世界を守れと迫られる。これは明らかに不条理だ。

 幹夫のクラスメイトたちも、ひょっとしたら同じような思いを抱いていたのかもしれない。


 俺には転生特典という見返りが用意されているが、幹夫には見返りなんてものは用意されていなかった。

 それではやる気なんて出るはずもない。見返りもなしに命懸けのボランティアをする奴がいるとすれば、それこそ異常者だ。


 ――見返りか……。


 そんな事を考えながら食堂に足を運ぶと、そこでは再び不穏な雰囲気が広がっていた。


「ユキオ卿!」

「何かあったのか?」


 問いかけると、シュトラハビッツ夫妻と使用人たちの顔がはっきりと引きつり、不安を滲ませた。


「実は、先程庭でこのようなものが……」


 俺たちが幹夫のもとに向かってすぐ、庭に文矢が射ち込まれたという。


「……っ」


 ウィル・クナッパーツブッシュの身柄はこちらで預からせてもらった。ガキを無事に返してほしければ、辺境伯自身が俺たちのもとまでやって来ることだ。

 もし断わるなら、ガキの命はないと思え。

 それと勇者・王国兵の同行は許可しない。これを破った場合もガキは殺す――以上。

 妖盗蛇衆より。


「ひどい内容だな」


 まったく関係ない俺が呼び出されている状況に理解ができない。

 これでは暗に俺を殺したいと言っているようなものではないか。

 馬鹿らしい。


「――――!?」


 こんなもん行くわけないだろという俺の思考を先読みするように、バード伯爵が俺の前に立ちはだかった。


「ユキオ卿、息子のことをどうかお願い致します」

「バード伯爵、申し訳ないが――」

「行かないとは申されるまい。犯人の狙いが辺境伯殿なのは明らか。息子は巻き込まれただけなのです」

「いや、それはさすがに無理があるだ――」


 ――ザッ。


「へ……?」

「あ、あなた何をしているのっ!?」


 俺の首筋に白銀の剣先が押し当てられていた。


「辺境伯様に向かってこのようなことをして、ただで済むとは思っておりません。私の首でよければ、あとで好きなだけ刎ねてくれて構いません。ですから、どうかっ……どうかウィル様をお救いください!」


 鬼気迫る表情に反して、クルセアの手はガタガタと震えていた。


「お、落ち着くのだクルセア。いくら豪傑で知られるユキオ卿であっても、たった一人で妖盗蛇衆を相手にするのは不可能なのだ。それくらいはわかるであろう?」

「――だとしても、行ってもらわなければならないのですっ!」


「「「「「!?」」」」」


 耳が裂けるような大声を響かせるクルセアに、彼女の決意が感じられた。


「たとえ不可能だとしても、辺境伯様には行っていただきます。もちろん、私も同行します」

「二人でどうにかできる相手じゃないの! それくらい貴方にだってわかるでしょ!」

「そんなことわかっていますよ!! それでも、それでも助けに行かねばウィル様が殺されてしまいます」

「……っ」

「ウィル様はまだ10歳……死ぬにはあまりにも若すぎます。……たとえ愛はなかったとしても、フィオナ様にとってもウィル様は特別な御方だったはずです! ですから……どうかっ、どうか御慈悲を……」

「クルセア……」


 剣を手放したクルセアは、その場で身を縮め、ぶるぶると震えながら床に頭を打ちつけていた。

 その光景を当然のように見下ろすバード伯爵の顔には、薄く笑みが浮かんでいた。

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