第13話

「……まったく眠れない」


 夕食の席でシュトラハビッツ家に真実を伝え、心から謝罪しようと決めていたが、その瞬間になると、フィオナの幸せそうな笑顔が俺の視界に広がり、言葉がどうしても詰まってしまう。


「やっぱり運命の人と結婚する方がいいに決まっているわよね」


 そんな風に微笑みを向けられてしまえば、実は辺境伯ではないとは言えなかった。しかも、幼少の頃から彼女のお世話を任されてきたというメイド長や、シュトラハビッツ家に長く仕えている執事のクロウニーさんに「お嬢様をお願いします」と涙ながらに頼まれてしまえば、ますます真実を口にすることができなくなった。


 それにしても、フィオナはいつから俺を異性として意識し始めていたのだろう。やはりソイフォンから助けたあのときだろうか、それともそれより前、彼女に胸を押し当てられたあのときか。あるいは行倒れていた彼女にビスケットをあげたとき……もしかしたら彼女はあのとき、俺に一目惚れしていたのかもしれない。


「フィオナの奴、俺のことを運命の相手みたいに言っていたもんな」


 自分で言うのもなんだが、俺はイケメンだ。フランス人だった祖母の血を色濃く受け継いだ俺は、一般的な日本人の風貌とは異なる顔立ちをしている。どちらかと言えば異世界人に近い顔立ちだと思う。

 地元の蚤取り橋商店街では、金髪の貴公子と呼ばれ女の子たちに騒がれたこともある。


「やっぱりハーフやクォーターってモテるんだよなー。珍しいからかな?」


 そんなこと言ってる場合じゃなかった。

 今日はもう遅いし寝るとしよう。

 そして明日、朝イチでフィオナにすべて話そう。


 三度目の正直という言葉もあるし、次こそは何があっても伝えるつもりだ。そもそもピリリカに来たのだって、幹夫のクラスメイトを日本に送り返すためだったはず。パステル・ビスモンテの情報によれば、この地に勇者がいる。早めに見つけて説得するなり、強制送還するなりしてしまおう。

 そうすれば、この忌まわしい呪いも解けるだろう。


「とにかく今はうじうじ悩んでいても仕方がない」


 起きたら土下座でも五体投地でもなんでもして、フィオナが許してくれるまで謝り倒そう。

 二、三発殴られるくらいは覚悟しておかないとな。


 そう思って眠りに就き、翌朝、朝食を食べ終えた頃合いを見計らいフィオナに声をかけた。ご両親に真実を伝える前に、まずは直接フィオナに謝罪するつもりだった。


「気持ちいいくらい天気がいいわね」

「ああ、そうだな」


 庭を歩きながら、いつ話を切り出すかタイミングを見計らっていたところ、門前に立派な馬車が停まった。


 あれは……。


 対応していた若いメイドが急いで屋敷に戻り、しばらくしてからガーブルとリネットが現れた。彼らの慌てぶりから察するに、来訪者はかなりの人物のようだった。


「あっ!」


 やはりそうだ。

 見覚えのある馬車から降りてきたのは小憎たらしい子供のウィル・クナッパーツブッシュとその従者クルセアだ。馬車からはさらにもう一人、小太りな男が降りてきた。


 ガーブルとリネットがあからさまな愛想笑いを浮かべているところを見るに、どうやらあれがウィルの父、バード・クナッパーツブッシュ伯爵なのだろう。男は俺が想像していたよりもずっと小柄で、言ってしまえば酒樽のような風貌だった。ウィルは母親に似ているようだ。


「それで、その……俺はフィオナにあや――「フィオナお嬢様!」


 フィオナに真摯な謝罪の意を伝えようとしたのだが、再び邪魔が入った。小走りで近づいてきたクロウニーが、フィオナに何か耳打ちしている。おそらく、クナッパーツブッシュ伯爵の訪問を知らせているのだろう。


「そう、わかったわ。ユキオ、どうやら伯爵が訪ねて来たみたいなの」

「ああ……そう」

「そんなに不安そうな顔しなくても大丈夫よ。伯爵にはわたしの口から直接お断りさせてもらうつもりだから」

「え……」


 優雅な微笑みを浮かべたフィオナが軽やかに踵を返し、屋敷の中へと姿を消した。


「どうしよう……」


 庭先にひとり取り残された俺は、呆然と立ち尽くしていた。




 ◆◆◆




 シュトラハビッツ家に向かう車中、バード伯爵は久しぶりにフィオナと再会できることで心が高鳴っていた。


 ――もうじきフィオナたんと会える。もっふん。この時をどれほど待ち続けたことか。


 息子のウィルとクルセアがいる手前、バードはにやけそうな顔を必死にこらえていた。ウィルの目にはそんな父の様子が凛々しく映っており、時折尊敬の眼差しを向けている。


 伯爵を乗せた馬車がシュトラハビッツ家の門前で停まると、駆け寄ってきた侍女に御者の男が即座にクナッパーツブッシュ家であることを告げた。侍女はこれだけで状況を理解し、門を開いて急いで屋敷に向かう。

 やがて、クナッパーツブッシュ伯爵を出迎えるべく、シュトラハビッツ夫妻が姿を現した。


「ようこそお越しくださいました、クナッパーツブッシュ伯爵」

「うむ、ガーブル卿も元気そうでなによりだな」


 そう言ったバード伯爵の目にはシュトラハビッツ夫妻の姿など映っておらず、その視線は先程から別の人物を探していた。


「ガーブル卿、そなたの娘、フィオナ嬢の姿が見当たらんようだが?」

「娘でしたらすぐにお呼びしますわ。それよりもあなた、伯爵様に中にお入りいただいてはいかがでしょうか?」

「それもそうだな」


 リネットの提案にガーブルは大きく頷いた。


「伯爵にここで立ち話をさせるわけにはいかない。さあ、お入りください」

「……う、うむ」


 屋敷の中を移動する間も、バード伯爵は心ここにあらずといった様子で落ち着きなく、周囲を見渡していた。その様子は応接室にやって来てからも変わることはなかった。


「ガーブル卿、フィオナ嬢はまだ来られないのか?」

「娘でしたらじきにやって来るでしょう。それよりもお疲れでしょう、さあお飲みください」

「……あ、ああ」


 シュトラハビッツ夫妻は、腕を組んだまま人差し指が忙しくトントンと動く光景を見て、伯爵の機嫌があまり良くない可能性があると、互いに目線だけで警告し合っていた。


「ガーブル子爵、フィオナと一緒に勇者様も来られたのではありませんか?」

「ウィル様はご存知でしたか」


 勇者という言葉を耳にした途端、キョロキョロ動いていたバードの視線がピタリと止まった。


「勇者……ウィル、何のことだ?」

「昨夜話したではありませんか」

「……そ、そうだったか」


 死んだとばかり思っていた息子が帰ってきたことに、バードは驚きのあまり息子の話を聞く余裕もなかった。


「ピリリカに向かう列車の中、ウィル様は妖盗蛇衆と名乗る賊に襲われたのです。その際、助けてくださったのが勇者様でした」と、後方に控えていたクルセアが改めて事情を説明した。


 ――ハイムラの言っていた勇者か。余計なことをしてくれたものだ。


「そこで父上にご相談なのですが、勇者様の旅の資金をクナッパーツブッシュ家が援助するというのはいかがでしょうか? 要は、我がクナッパーツブッシュ家が勇者様の専属スポンサーになるということです!」

「それはならん!」


 瞳を輝かせ、勇者ミキオの偉大さを熱く語るウィルであったが、父のバード伯爵はその場で息子の提案を却下した。


「なぜです!?」


 意外な父の反応に、ウィルは思わず声を張り上げていた。


「召喚された勇者は一人ではない。陛下が召喚した勇者は数十人に及ぶと聞く。これはあくまで噂に過ぎぬが、陛下御自身も本物の勇者を見極めることに難渋しているようだ。そのため、陛下は勇者たちに旅に出るよう言ったという」

「一体何のために陛下は勇者様たちに旅をさせているのです」

「見極めるため、ですかな」


 そう述べたのはガーブル子爵である。

 ガーブルの発言に対し、バード伯爵はゆったりと頷いた。


「今クナッパーツブッシュ家が特定の勇者に支援を申し出れば、中央の連中が黙ってはいない。場合によっては抜け駆けだ何だと非難されかねない。さらにやっかいなのは、もしその勇者が偽物だった場合、クナッパーツブッシュ家の評判は地に落ちることになる。勇者に支援するということは一見魅力的に見えるかもしれんが、これは言ってしまえば諸刃の剣なのだ。本物であれば得られる利益は大きいが 逆になれば同等のリスクが待ち構えている。余程のバカでもない限り、まだ手を出したがらん案件だ」

「――彼は本物の勇者様です!」


 バード伯爵の正論に異議を唱えるのは、まだ幼い息子のウィルだ。


「父上はあの光景を見ていないから信じられないのかもしれませんが、ボクは確かに見たんです! 瀕死のクルセアを包み込む一筋の光を、あれは間違いなく奇跡の御業でした。あんなことができるのは神か、それに選ばれた勇者様くらいです!」

「だとしてもならん!」


 父が頑なに援助を断る中、ウィルは不満そうに奥歯を噛みしめていた。バード伯爵もまた、同じく苛立ちを募らせていた。


 ――仮に本物であったとしても、私の邪魔をした愚か者に、なぜこの私が援助しなければならない。一文だって払いたくはない。それにハイムラの強さは本物だ。もしも私がハイムラ以外の勇者に援助を申し出たなどということが知られてみろ、怒り狂ったやつは必ず私を殺しにくる。ナオキ・ハイムラとはそういう男なのだ。


「それよりガーブル! 貴様の娘はまだなのか! 一体いつまでこの私を待たせるつもりだッ!」


 不機嫌を隠そうともしないバード伯爵が語気を強めると、シュトラハビッツ夫妻の額からは一筋の汗が流れ落ちた。


「リネット」

「ええ、少し見てくるわ」


 ガーブルの呼びかけに応じて、リネットは娘のフィオナを呼びに行くために急いで席を立った。その瞬間、応接室のドアが静かに開かれた。


「伯爵がお見えになっていると聞いて、少し支度に時間を費やしてしまいましたわ」

「おおっ、フィオナ嬢! なんと美しい!」


 フィオナの登場と同時に、先ほどまでの不機嫌な表情がまるで嘘のように消え、バード伯爵の顔には笑みが広がっていた。


「ご無沙汰しております、伯爵。ひょっとして……わたし、待たせ過ぎてしまったでしょうか?」

「いやいや、待ったなどとんでもない。女性は支度に時間が掛かって当然だ。気にすることはない」


 まるで別人のように穏やかな笑みを浮かべるバード伯爵に、ガーブルとリネットもほっと胸をなでおろした。


 バード伯爵が娘のフィオナを贔屓にしてくれていることは、夫婦にとって共通認識だった。そのため、伯爵が息子のウィルとフィオナの婚約を提案した際も、ふたりは伯爵が娘をかわいがってくれているからだと疑うことはなかった。

 しかし、実際の伯爵の思惑は違った。

 そのことを、シュトラハビッツ夫妻とフィオナ本人はまだ知らない。


「さあ、立ちっぱなしでは足が疲れるだろ。フィオナ嬢も座るといい」


 フィオナの登場により、一気に場が和み、しばらくの間明るく楽しい時間が流れていた。


「それでガーブル卿、ウィルとフィオナ嬢の婚約の話だが、正式に進めてもよいのだな。来週の晩餐会で――」


 バード伯爵の言葉を遮るように、花のように微笑むフィオナが口を開いた。


「御子息との縁談はとても魅力的なのですが、今回はご遠慮させてもらいます」

「そうかそうか、やはりこの縁談は魅力的か。そうだろそうだろ。子爵家が伯爵家と……ん? 今なんと?」

「ですから、婚約の話はご遠慮させていただきます」

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」


 一瞬、何を言われたのか理解できずに固まっては睫毛を鳴らす伯爵の隣で、ウィルも同じようにあんぐりと大口を開けていた。


「……フィオナ嬢も冗談を言うようになられたか。……しかしだな、今はそのような冗談を言っている場合ではない」

「伯爵、冗談などではありません。わたしは御子息と婚約するつもりはありません」

「ふ、ふざけるなぁあああああああッ!!!」

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