第14話
「ふ、ふざけるなぁああああああッ!!!」
獅子のように吠えたバード伯爵は、大理石のテーブルが叩き割れてしまうのではないかと思うほどの迫力で拳を叩きつけた。
「これはどういうつもりだガーブル!」
「お、落ち着いてくだされ、バード伯爵!」 「落ち着けだと!? 貴様らシュトラハビッツ家は私の好意を無下にしたのだぞ! これが落ち着いてなどいられるかァッ!!」
「お怒りはごもっとも。ですが、これにはちゃんとした理由があるのです」
「理由だとっ!? クナッパーツブッシュ家からの婚約を断る理由とはなんだっ! 言ってみろ!」
「娘はとある辺境伯から婚約の申し出を受けたのです!」
バード伯爵は〝辺境伯〟という言葉を耳にした瞬間、目を見開き、驚きの表情を浮かべた。
「へ、辺境伯だと!?」
――ば、馬鹿なっ……ありえん。相手は没落寸前の子爵家の娘だぞ。一体どこの酔狂な辺境伯がそのようなことを。
「嘘だッ!」
言葉に詰まる父とは対照的に、ウィルは真実を追い求める探偵のように声を張り上げた。
「あいつが辺境伯なわけがないっ! フィオナは騙されているんだ!」
「どういうことだウィル! 私に詳しく話すのだ!」
ウィルは自分の目で見てきたユキオという人物について語り始めた。
彼の目に映るユキオには貴族らしさがまるで感じられなかったという。具体的な部分を聞かれると、ウィルはためらいなく「彼の全てがそう感じさせた」と答えた。
「そもそも辺境伯が従者の一人も付けずに外出するなんてありえない!」
「だからそれは――」
「正体を隠すためだって言うんでしょ。でもそれならどうして貴族専用車両のことを知らなかったんだよ! 正体を隠すためにあえて貴族専用車両を使わなかったというのならまだ理解はできた。けど、あの時のユキオは明らかに貴族専用車両の存在自体を知らない様子だったじゃないか! それにボクが一番引っかかったのは、ユキオのベルボーイに対する態度だ。貴族はあんな風に平民にぺこぺこしたりしない! あれではまるで三流商人だ」
根っからの日本人気質な雪夫は、人から親切にされると謙虚に感謝の意を述べ、頭を下げてしまう。この態度が貴族らしくないとウィルは指摘した。
「貴族が、ましてや辺境の地を支配する辺境伯が平民に頭を下げるのはおかしい! あれではとても辺境の地を支配できるとは思えない!」
ウィルの主張は理に適っているが、これに対しフィオナは異を唱える。
「ユキオの強さを知る領民たちは、その程度のことで彼を軽んじたりしないわ。彼は貴族ではなく、戦士としての誇りを大切にしているの。同じ仲間として共に困難を乗り越えた友には、気遣いの必要はないという信念から、故意に平民のような態度を取ってきたのよ。それが彼の習慣であり、優しさなの。ウィルはまだ子供だから理解できないだけよ」
「違う! フィオナは騙されているんだ! あいつはただの詐欺師だ!」
まるで嵐のような大声でユキオを罵倒するウィルに、フィオナは混乱していた。なぜウィルがこれほどまでにユキオを敵視しているのかわからなかったのだ。そして、フィオナとの婚約を諦めきれないバード伯爵も、「息子の見解に同意せざるを得んな」とこれに賛同する。
「伯爵はまだユキオに会ってもおられません!」
「……っ。では、実際にお目にかかり、彼が辺境伯か、ただのペテン師か見極めさせて頂くとしよう」
「え……あっ、ちょっ――お待ち下さい!」
フィオナは応接室を出て、ユキオの元に向かおうとする伯爵を急いで引き留めた。
「私が辺境伯に挨拶をしに行くことに、何か問題でもあるのかね?」
「伯爵、彼は立場上身分を隠しているのです」
「だからどうしたと言う。すでにここにいる全員が辺境伯であることを知っておるのだろ。ならば問題あるまい」
「しかしっ!」
「ガーブル! ユキオとやらの元まで案内せいっ!」
バード伯爵はフィオナの言葉を遮るようにガーブル子爵に向かって怒号を轟かせた。怒りに歪む顔の中、ギャラリールームの美術品には一切目もくれず、熊鷹のような眼で宿敵を捜し回っていた。
「お、お待ちくだされ、バード伯爵!」
ガーブル子爵の呼びかけは、もはやバード伯爵の耳には届いていなかった。
――ここまで来て、今更どこの馬の骨とも分からぬ男にフィオナたんを盗られてたまるかっ! 化けの皮を剥がしてくれるわ!
「ウィル、クルセア、伯爵を止めて!」
「無理です、というか嫌だね」
「え、ちょっ……ウィル!?」
ウィルがあっさりと言い放つと、フィオナの表情には戸惑いの色が広がった。
「ボクは婚約者を奪われた立場なんですよ? ボクには知る権利があるはずです。奴が本当に辺境伯なのか、あるいはただのペテン師か。父なら必ず見極めてくださいます」
「まだ婚約はしていなかったわ!」
「する予定だった! フィオナはボクのお嫁さんになる予定だったんだ! それをあいつがっ! ……それに、今更ボクが何を言っても手遅れです。ああなってしまった父はもう誰にも止められません」
「ウィル様の仰るとおりです」
クルセアがしっかりとウィルの後ろに立ち、同調の言葉を返した。
「お母様っ!」
フィオナは助けを求めるようにリネットに顔を向けたが、母は手を差し伸べることなく首を横に振った。
その頃、雪夫本人はバード伯爵に捜されているとも知らず、庭先でファンシアとボール遊びに興じる孫をぼんやりと眺めていた。
――やっぱりファンシアは犬種だからボールが好きなのかな?
雪夫は転がってきたボールを拾い上げ、ファンシアが駆け寄ってくると、手のひらを彼女に差し出した。
「お手」
「……雪夫、その手なに?」
「これか? わからないのか?」
頷くファンシアに、雪夫は続けた。
「なら、おかわり、お座り、ちんちん、伏せ。どうだ?」
「ちょっとじいちゃん! ファンシアは犬じゃないんだからっ!」
「いや、どう見ても犬だろ」
「獣人は四足歩行の犬じゃないって言ってるんだよ! ボール返してよっ! さあファンシア、ボケ老人なんて放っておいて、向こうで一緒に遊ぼうねー」
「俺はまだ16だって言っているだろ!」
窓に映った自分の姿を確認した雪夫は、金髪の貴公子は健在だと確信し、満足そうに髪をかき上げた。その後、最も格好良く見える角度を模索していた彼の元に、大勢の乱れた足音が急速に近づいてくる。
「貴殿がユキオ卿であらせられるか?」
振り返ると、小1時間程前に目撃した小太りの男がすごい剣幕で立っていた。その後ろには申し訳無さそうな顔をしたシュトラハビッツ夫妻と、手を合わせるフィオナの姿があった。ウィルの顔には憎悪が満ちており、雪夫はその様子に嫌気が差していた。一方で、クルセアは命の恩人だと思い込んでいる幹夫を見つけると、うっとりとした表情で彼に見入っていた。
――なに、この状況……というか、このおっさんなんでそんなに血走った目で俺のことを睨んでいるんだよ。
まるで状況が理解できず、困惑に狼狽える一方で、
――この男がフィオナたんのフィアンセ、辺境伯だと……? 怪しい。どこからどう見ても平民ではないか。ん……? ちょっと待て! この奇妙な服はなんだ。一見すると品性の欠片も感じさせない衣装だが、生地は何を使っている。ウール、リネン、シルク、コットン、レザー、毛皮……わからん。このような服は見たことがない。
「ゴホンッ」
バード伯爵は動揺を隠すために咳払いをし、気を取り直して、目の前の男の身元を明らかにすべく質問を投げかけた。
「シュトラハビッツ夫妻のお話を伺い、是非ともお目にかかりたいと思いましてな」
「そ、そうなんだ」
「失礼ですが、以前からクナッパーツブッシュ家とシュトラハビッツ家が親しく交流していることはご存知ですかな?」
「あ……いえ」
「でしょうな。本来なら今日っ! 我が息子のウィルはフィオナ嬢と正式に婚約をする予定だったのです。しかし、突然、その計画を白紙にされるように頼まれましてな……。理由を尋ねると、旅先で出会った辺境伯殿が、なんと無理にフィオナ嬢に婚約を迫ったと言うではありませんか!!」
「え……無理矢理!?」
「権力を縦にして、フィオナ嬢に婚約を強要するなど、紳士の風上にも置けぬ行為ですな!」
「え、いや……えっ!?」
「伯爵! わたしは無理矢理など一言も――」
「フィオナ嬢は黙っていなさい!!」
フィオナが訂正しようとした瞬間、バード伯爵は雷鳴のような大音声を響かせた。
「……ところで辺境伯殿、これはまた随分と異彩を放つお召し物ですな」
「あ、はい……」
「お尋ねしてもよろしいですかな? ご出身地はどちらで?」
「え……」
――異世界の日本という国です……なんて言えるような状況ではない事くらい、フィオナやシュトラハビッツ夫妻の顔を見れば嫌でも分かる。ここは何としても辺境伯を演じなければ……。
しかし、まいったな。
異世界の地理なんて知るわけもない。第一、俺は今いる国の名前すら知らないのだ。ましてや辺境伯でもない俺が出身地なんて語れるわけがない。
「どうなされたのです? まさか、ご自身が統治されている土地を忘れたわけではあるまい。ぶっはははは」
「そ、そりゃまあ……」
「ん?」
しどろもどろになる雪夫を見つめるバード伯爵の瞳が、まるで獲物を捕らえた鷹のように一瞬キラリと輝いた。
――やはり怪しい。私の貴族としての直感が告げている。この男は貴族ではないと。
「どうしたのですかな? お答えいただけないのですかな?」
「……わ、わたしは、その、敵国に私が不在だと知られるわけにはいかないのです。ですから、え……と、出身地をお教えすることはできません」
――うわっ、めちゃくちゃ睨んでるじゃん。それっぽいこと言ってみたけど、やっぱり嘘だってバレたのかな。
「私が貴殿の不在を敵国に密告する、そう言いたいのですかな?」
「いえ、そうではなく……どこで誰が聞いているかもわかりませんから。……た、たとえばあの茂みの奥に……」
雪夫が適当に指し示した茂みが、一瞬ガサガサと不気味に揺れ動いた。
「クロウニー!」
不審な気配に気づいたガーブルが執事の名を呼ぶと、クロウニーは老いを感じさせない俊敏な動きで茂みに飛び込んだ。
「……逃げられましたか」
驚きに目を見開くバード伯爵だったが、誰よりも驚いていたのは指摘した本人であった。
――な、なんかいた。て、適当に指さしただけなのにっ!?
「さすが武勇で辺境の地を統治するユキオだわ! 伯爵もこれでわかったでしょ? 彼は簡単に正体を明かせられないのよ」
誇らしげに胸を張るフィオナの隣で、ウィルは悔しさのあまり地面を蹴りつけていた。
「雪夫が何か見つけたの?」
「じいちゃんは昔からカブトムシを見つけるのが上手かったからね」
ボール遊びに夢中だったふたりも、興味津々と茂みの奥に入っていく。
「私、二日酔いがひどいんです。ちょっと静かにしてもらえませんか?」
自称天界一のエリート女神が、二階の窓から青白い顔を覗かせていた。
「あら、雪夫さん、修羅場ですか? 大変ですね、ふわぁ〜」
女神が他人事のようにあくびをするのを見て、不快そうに雪夫が睨みつけた。その一方で、同じく忌々しげに彼を睨みつけるのはバード伯爵だ。
――認めてなるものかっ。フィオナたんと結ばれるのはこの私だ!
「では、一曲お聴かせいただけますでしょうか、辺境伯殿」
「曲……?」
「まさか、辺境伯殿ともあろう御方が音楽を嗜んでおられないというわけではありますまい。音楽をこよなく愛する王家の意向により、貴族ならば子にピアノを習わせるのが常識。違いますかな、辺境伯殿」
「さすが父上! お見事です!」
――ぶっはははは! 当然だ! これで貴様も言い逃れできまい。みっともない演奏を披露した瞬間、貴様を虚偽罪でひっ捕らえてくれるわ。
「お待ちください、伯爵!」
婚約者のフィオナが、バード伯爵の提案に対して待ったをかけた。
「ユキオは早くに両親を亡くし、日々剣の修練に明け暮れていたんです!」
「それはお気の毒に。しかし、それを理由にピアノを弾けないというのであれば、ユキオ殿は貴族として失格ということになってしまいますな。貴族の子として生まれた以上、条件は皆同じ。違うか、ガーブルよ」
苦虫を噛み潰したような表情で、ガーブルは小さく頷いた。
「……っ、伯爵の仰るとおりにございます」
「お父様……」
――違う、これは伯爵の罠よ! たとえユキオが演奏を披露したとしても、伯爵は辺境伯の演奏ではないと難癖をつけるはず。
フィオナは幼少の頃からバード伯爵の演奏を聴いており、彼が国内でも屈指のピアニストであることを理解していた。そのため、フィオナは伯爵の提案を阻止しようとしたのだ。
――受けてはダメよ、ユキオ!
しかし――
「ピアノか、それならいいぞ」
「え!?」
「……っ」
予想外の返答にバード伯爵は驚きに息を呑み、フィオナは奥歯を噛みしめていた。
――馬鹿なっ!? ありえん! 演奏するというのか。まさか……本当に辺境伯ということは……いや、それはない! 此奴が真の辺境伯であるならば、この私が知らないはずがない。しかし、どれほど記憶を辿ろうと、この者の顔は記憶にない。
いや、待てよ。
数年あれば体型や容姿が変貌することはある。それが子供なら尚更だ……。
う〜ん……一体どっちなのだ!
バード伯爵が混乱する一方で、ユキオは悠然と屋敷に入っていった。
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