第5話
女神権限によるヒーリングオールでステラの脚を治療してから早一ヶ月、俺たちは未だにビスモンテ家に滞在していた。
「雪夫様♡」
「俺、もうずっとムクナと
「わたしも、雪夫様とこのままずっと……」
「うへへ、そう? まいったなー」
ゲストルームで朝から晩まで彼女と楽しく過ごす至福の時間。最初は足首まで長かった彼女のメイド服も、今では健康的な太ももがはっきり見えるほど短くアレンジされている。
すべてこの俺の好みにムクナが合わせてくれているのだ。
俺とムクナの仲睦まじい姿を見た幹夫は、じじいと若いメイドがいちゃこらしている姿に吐き気を覚えるといい、ここしばらくは姿を見せていない。きっとロリっ娘とよろしくやっているのだろう。
「何がまいったなーですか、雪夫さん!」
にしても、相変わらずこの女神はやかましい。
「あなた自分の使命を忘れたわけではありませんよね」
んっなこと言われたって、やっぱり俺も男の子だし、性欲には勝てないじゃん? ムクナだって俺にゾッコンなわけだし。
「……そうですか。性欲があるから雪夫さんは使命を忘れてしまうのですね。よ〜くわかりました」
あっそう。
ならもう一回戦やるから覗かないでくれる。
「インポス!」
「へ……?」
突然股間から力が抜け落ちていくような、奇妙な感覚が俺を貫いた。
「あれ、どうなさったのですか、雪夫様。いつもなら既に回復していると思うのですが……」
「………」
なっ、なんだこれは……?
急に冷や水をかけられたかのような、楽しんでいたベイゴマ遊びが「やだー、男子ってまだあんなことやってるの。本当に子供だよねー」と女子に笑われた瞬間、何かが俺の中で冷めたあの日と同じように、いや、それ以上の虚しさが全身を貫いていく。
まるで山頂に達した修行僧のようだ。悟りを得た俺は仙人か、あるいは賢者と呼ばれる存在へと変わり果てていた。
この日、俺から煩悩が消えた。
「いやぁああああああああああああああああああああああああああッ!!」
齢16歳にして、俺の聖槍ジャスティスボーイが女神によってへし折られてしまった。
「戻せっ! 今すぐに元に戻せっ!」
「雪夫様!? 突然どうなされたのですか!」
俺が突如として興奮したことに驚き、ムクナの瞳が倍に広がった。
しかし、今はそれどころではない。
「治してほしければ使命を果たしなさい」
何が使命だ、ふざけるなっ!
こんな事をしてただで済むと思うなよ。
「女神権限を執行する!」
俺がお前の力を使えることを忘れたか、このまぬけめっ。
「ヒーリングオール!」
……あれ、なぜなにも感じない。ステラの下半身不随すらも治した回復魔法だぞ。勃起不全くらい朝飯前のはずだろ。
そうでなければ困るッ!
「ヒーリングオール! ヒーリングオール! ヒーリングオール! ヒーリングオール! ヒーリングオール! ヒーリングオォオオオオオル!!」
半狂乱になりながら下半身にヒーリングオールを連発する俺を見て、ムクナはさぞや驚いたことだろう。
「旦那様っ! 雪夫様が、雪夫様がぁっ!!」
今にも泣き出してしまいそうなムクナが、慌てて部屋を飛び出してしまった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
その後一時間、股間にヒーリングオールをかけ続けてみたものの、効果はなかった。
「じいちゃん……僕、恥ずかしいよ」
「御主人様、雪夫死んじゃった?」
「ファンシアはこんなの見ちゃダメだ」
文字通り、俺は下半身丸出しのまま真っ白に燃え尽きていた。
「おおっ、遂に魔王を討伐しに行かれるのですな」
「雪夫様がいなくなると、寂しくなりますね、お父様」
はぁ……。
俺だって叶うものなら行きたくない――が、EDを治すためには幹夫のクラスメイトを見つけ出し、なんとしても日本に送り返さなくてはならない。
まさかインポスとかいう恐ろしい魔法が、掛けた本人でなければ解けぬ呪いだったなんて。
「行ってしまわれるのですね、雪夫様」
「ムクナ、君のことは忘れないよ」
「雪夫様!」
「ムクナ!」
感動的な別れの場面だと言うのに、幹夫は吐瀉物を吐き出してしまいそうな嗚咽音を響かせている。
「みんなから見たら少年少女が抱き合っているように見えているかもしれないけど、僕にはヨボヨボの爺さんと少女が抱き合っている地獄絵図にしか見えないんだ。いい加減やめてくれ!」
ムクナと熱い抱擁を交わした後、最後にはステラのことも抱きしめようと手を伸ばしたが、気がつくと忍法変わり身の術のように、ステラとパステルの位置が入れ替わっていた。
「雪夫殿、そなたの事は決して忘れん」
「……ああ、うん。……ステラともお別れしたいからさ、ちょっといいかな?」
「そなたは間違いなくビスモンテ家の救世主!」
「いや、もう十分わかったから離れてくれる? ステラともお別れしたいからさ」
「他の誰がなんと言おうと、雪夫殿こそがまことの勇者!」
「だからそれはもうわかったって。俺まだステラとハグしてないんだよ」
「旅の資金はたっぷり用意しましたぞ。さあ、旅立たれよ雪夫殿!」
「いてぇっ!?」
どすこい押し出し一本、とパステルによって玄関先に放り出されてしまった。
「なにすんだよ!」
「雪夫殿、ウチのメイドで散々遊んだでしょ? もう十分だよね? ね?」
「……………………………………はい」
笑顔は浮かんでいるが、目には何の笑みもないパステルに不気味な感覚を覚え、俺は幹夫とファンシアを引き連れて急いで屋敷を後にした。
「パステルの奴、最後の最後で本性を出しやがった。ありゃ間違いなくサイコパスだ」
「じいちゃんがビスモンテ家の使用人に手を出すからだよ。なによりばあちゃんが可哀想だ」
「っんなこと言われてもなー」
俺にはそのばあちゃんって奴の記憶がない。そもそもお前のことだって覚えていないんだ――と言ってやりたかったが、面倒なのでやめた。
「ファンシア、雪夫死んだと思った」
「ある意味正解だ。ファンシアの慧眼には恐れ入ったよ」
俺の俺をぶっ生き返すためにも、さっさと幹夫のクラスメイトを見つけ出さないと、男の尊厳に関わる大問題だ。
「ところで、行き先は決まっているの?」
この俺も、ただ一ヶ月遊んでいたわけじゃない。パステルに頼んで異世界人、つまりは幹夫のクラスメイトたちの居場所を調べさせていた。そして先日、パステルからある情報がもたらされた。
「ここから南西に行ったところに、ピリリカという街があるのは知っているか?」
知らないと首を振る幹夫。
こいつは本当にファンシアの事以外はどうでもいいらしい。つくづく残念な男だ。
「その街に僕のクラスメイトがいるの?」
「たぶんな。パステルの話だと、その街に自称勇者様ってのがふんぞり返っているんだと。他に情報もないし、とりあえず列車でピリリカに向かうしかないだろ。……ん?」
黙って幹夫の隣を歩いていたファンシアの目が、パッと輝いていた。
「ファンシアも列車に乗れるの!」
なるほど、そういうことか。
どうやらファンシアは列車に乗ったことがないようだ。
「ああ、今からは列車の旅だ」
「わーい! ファンシア列車に乗るぅ!」
「僕もファンシアと一緒に列車に乗るぞー」
「御主人様もいっしょぉおお!」
6歳のファンシアはともかく、幹夫のやつは16歳にもなって何をやっとんのだ。改めてこれが自分の孫だと思うと悲しくなってくる。安斎家は衰退待ったなしのようだ。
◆◆◆
「ゲボォオオオオ」
俺たちは自称勇者に会いに行くためピリリカに向かうことになったのだが、そのためには一度ホスパリーという街にいかなくてはならない。長らく滞在していた街には鉄道が通っていなかったのだ。
「ファンシア!」
「うわぁっ、汚ねっ!?」
停留所があるホスパリーまでは快適な馬車移動のはずだったのだが、幼女は極度の乗り物酔いをするらしく、少し走っては止まってを繰り返していた。
「しっかりするんだファンシア!」
「ご、ごしゅじんさま……ファンシア、たぶん……ながくない」
「嫌だっ、死ぬなファンシア!」
「はぁ……」
このつまらんコントを見るのもこれで4回目だ。そのたびに雇った御者のおっさんが殺人鬼みたいな顔で俺を睨みつけてくる。
「いい加減にしてくれませんかね、旦那! さっきから全然進めやしない。本来なら1時間もあればホスパリーに着いてる頃なんです。それがもう2時間だ! これじゃあ全然割に合わねぇ! こっちも商売でやってんだからっ!」
御者の怒りはもっともだ。俺がおっさんの立場だったとしてもいい加減キレていたところだろう。
「こんなに幼い子供が苦しそうにしているのに、なんだその言い方はっ!」
「あのねぇ、商売道具をゲボ臭くさせられちゃ堪ったもんじゃねぇって言ってんですよ!」
「――――ッ!」
これはまずい。サイコパスなロリコン男が激おこプンプン丸と化している。
この孫は魂の強制送還とは知らずにクラスメイト(田中君)を殺した過去を持つ。マジになったら何をするかわかったものじゃない。
「あーバカ抜くなっ! 馬車はここまででいい。ほら、ここまでの運賃だ」
俺は急いでサイコパスなロリコンから御者のおっさんを逃がすことにした。
一歩間違えればこの場が血の海と化していた。
「今度ファンシアに暴言を吐いてみろ! このレーヴァテインで消し炭にしてやるからな!」
なんだかこいつを現代日本に帰してはいけないような気がしてきた。
「まったく。というかじいちゃん、あいつ行かせて良かったの?」
良くはない――が、これが最善の選択だったと思う。もし何もしなければ、この孫は本当に殺人犯に変わっていたことだろう。
「ホスパリーまではどうやって向かうのさ?」
お前がそれを言うのかとため息をつきながら、俺はのろのろと歩き始めた。
「歩いてりゃそのうち着くだろ」
と幹夫には言ったものの、時速20キロの馬車旅から時速5キロの徒歩旅への変更は精神的にくるものがあった。こんなに遅いとナメクジにでもなったような惨めな気分になってしまう。
ホスパリーまでは後どのくらいあるんだろう。考えると歩くのが億劫になってしまうので、できるだけ考えない事にする。
「ん……あれはなんだ?」
しばらく歩いていると、前方に何やら奇妙な物体を発見する。近づいて確認すると、金髪ツインテールに黒マントをまとった痛々しい人間(少女)が、車に轢かれた牛蛙のようにうつ伏せに倒れていた。
「……」
どこからどう見ても明らかにヤバそうな女だ。俺の危機感知レーダーはこの女には関わらないようにと警鐘を鳴らしていた。
ここは無視して通り過ぎようと決意し、女の横を歩いていく途中――がしっ! と足首を掴まれてしまった。
「あっ、こら離せっ!」
「か弱い女の子が行倒れているのに無視するのはどうかと思うわ。それにわたしのスカートの中を覗いたわよね?」
「覗いてねぇよ! どんだけ自意識過剰なんだよ」
煩悩が消えた今の俺は正真正銘の賢者。
例えば、ミニスカートの女性が道端に倒れていようとも、そのスカートをめくって中身を確認するようなことはしない。
「つーかな、黒の見せパンなんて童貞くらいしか喜ばないってわからないのか? 男の気を引きたいなら純白か薄い桃色にしておけ。無地の黒なんて論外だ」
「なっ!? しっかりばっちりくっきり見てるじゃない! 見物料を請求するわ!」
「リバースカードオープン! 俺はナイスアドバイスを発動! ナイスアドバイスの効果により、見物料は相殺される! 残念!」
「はぁああああ!? 誰もあんたのアドバイスなんて求めないわよ! そんなの無効よ!」
「それを言うならこっちだって見物したくありませんでしたー。はい、論破!」
「ムカつくわねっ! 何なのあんたっ!」
ゾンビ女の手を振り払い先を急ぐ背後で、ぐぅ~と大きな音が響いた。
「……」
「お願いしますなにか食べさせてくださいこのままだと餓死してしまいます」
振り返ると女は一気に言い終え、そのまま力尽きてしまった。
「雪夫、鬼! 黒パンかわいそう」
「ファンシアは天使みたいに優しいね。いや、きっとファンシアと書いて天使と読むんだ。そうに違いない。じいちゃんもそう思うよね!」
「お前は口を開くなっ!」
しかしまあ、このまま死なれたら寝覚めが悪いのは事実だ。
「携帯食なんて持ち歩いてないから、ビスケットくらいしかないぞ――痛っ!? 俺の手を食うなっ!」
この女は俺がムクナからもらったビスケットを、遠慮することなく全部食べてしまった。
「全然足りないんだけど……」
「もうねぇよ」
「……そう」
おっ! 意外と落ち込んだ顔がタイプだ。煩悩が消えたことですっかり気づかなかったけど、かなりの上玉だな。
「フィオナよ、あぶないところを助けてくれてありがとう。あなたがわたしのパンツを見たことは許すわ」
よっこらせと起き上がったフィオナは、一転して笑顔で手を差し伸べてきた。
「……雪夫だ。そりゃどうも」
「そっちの眼鏡君と獣人族の子は?」
「僕は幹夫です」
「ファンシアはファンシア。黒パン死ななくて良かった」
「心配してくれてありがとう。でもね、その黒パンって言うのはやめてくれるとお姉さん嬉しいかな」
「わかった、黒パンツ」
「よけい嫌だわ!」
この女、意外とノリがいい。
嫌いじゃない。
「なんで倒れていたんだよ」
「運命って言いたいところだけど、実はスリに遭って無一文になっちゃったのよ。帰省しなきゃいけないってのに、もー本当最悪よ」
「そりゃついてねぇな」
「ユキオたちもホスパリーに行くんでしょ? わたしも一緒に行っていい?」
「別に構わないけど、歩きだぞ? いやいや、あからさまに嫌そうな顔すんなよ。つーか見りゃわかるだろ」
「えへへ、冗談よ。女のわたしが一人で歩くよりずっと安全だもん。助かるわ。それに、これが運命かもしれないじゃない」
運命……?
なんだそりゃ。
「そっか」
空腹で倒れていたフィオナも加わり、再びホスパリーに向けて歩き始めた。
街に到着したのは完全に日が沈んでからだった。
「とにかく、レストランか酒場に行きましょう。このままだと胃袋が小石ほどの大きさになってしまうもの」
街に到着した時点でお互いに別れるつもりだと思っていたが、フィオナが提案して、結局俺たちは酒場に向かうことになった。
「さてと、遠慮せずに注文させてもらうわね」
「……ちょっと待て! なぜいちいち俺に言う」
「なぜって、わたし行倒れてたのよ?」
「それが何だよ」
「何だよって……わたし言ったわよね?」
はっきりわからないと言ってやると、フィオナはやれやれと首を振る。
「あのね、お金があったら3日間も飲まず食わずで倒れたりしないわよ。――あ、この骨付き肉も美味しそうね。一皿もらえるかしら?」
「ちょっと待てぇええっ! 何をしれっと注文してんだよ! 言っとくけど奢らねぇからな!」
「またまた」
「いや、冗談じゃねぇしっ!」
「ユキオ、無一文のわたしをここまで連れてきておいて、今更見捨てるなんて言わないわよね? あれだけ熱心に下着のアドバイスまでしておいて、飽きたから捨てるなんてあんまりだわ!」
「なっ、なに言ってんだよお前っ!?」
テーブルに顔を伏せては捨てないでだのと大声でのたまっているためか、あらぬ誤解をしている店内の客たちが、こちらを見てはひそひそと噂をしている。
空腹に腹を擦るフィオナの姿が悪目立ちしていた。
「うそだろ……あの男、あの女の子を捨てようとしているのか」
「ちょっと、あの子さっきからお腹をさすっているわよ」
「下着がどうのこうの言っていたし、そういうことなんだろうな」
「あんな女の子を弄んで捨てるなんて、とんだクズね。女の敵よ!」
信じられない誤解を受けている。
祖父のピンチだというのに、幹夫のやつはファンシアと料理を選ぶのに夢中だ。
なんちゅう薄情な孫だ。
そして、フィオナにも客の声が聞こえた様で、にやりと口元を歪めた。
「せめて
「よーしなんでも好きなものをじゃんじゃん頼みなさい! 腹いっぱい食おうな」
◆◇◆◇
「げぷっ、
「いくらなんでも食い過ぎだッ!!」
この女とはもうかかわりたくないと思い、酒場を出て、今宵泊まる宿に移動した。
「いい宿ね」
「だろ? ……ってなんでまだ居るんだよ!」
「あら、ユキオは女の子に野宿させる気なの? そういうのは感心しないわよ。それに、わたしみたいな美少女とひとつ屋根の下でお泊りなんて、ユキオってとんでもなく幸運の持ち主なんじゃない?」
「……そりゃどうも」
女神の呪いが解けていれば、フィオナのことを無条件で歓迎しただろう。しかし、今の有り様では、異性と同じ屋根の下で過ごすことはただの苦痛でしかなかった。
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