第7話

 ミシェルさんが左手で持っていた哀しみの肖像画を床に置いて、別の肖像画へと目を向ける。


「1回目に来た時には哀しみと恐怖の2つだけだったのに……。新しく、怒りの表情が追加されているわね」


 確かに、ミシェルさんの怒りの表情が描かれていた。

 さっきはなかった肖像画だ。

 この表情には、見覚えがある。


『ちょっと! 他人で怒りを発散してんじゃないわよッ!』


 ミシェルさんが怒ってくれたときの顔だった。

 ミシェルさんの壁には4枚のうち、すでに3枚の肖像画が飾られている。

 今は黒塗りになってるけど、順当に考えれば残る肖像画は“喜び”の表情だ。


 すべての肖像画が揃ったとき、何が起きるのか……。

 多分だけど、良いことではないのだろう。


「ほかに増えた肖像画といえば……。私の哀しみと、カゲフミ君の哀しみだな。ああ、私の肖像画も3枚になってしまった。もう後がないじゃないか、くそったれ」


 白石さんが悪態をつく。

 白石さんのスペースには喜びと哀しみと、恐怖の肖像画が飾られていた。

 新たに描かれた白石さんの肖像画は、親友を思い出したときの“哀しみ”の顔だった。

 罪悪感に押しつぶされそうな、重苦しい表情。

 やっぱり、見覚えがある。


「……さっき白石さん、この顔をしてました」


「私も、カゲフミ君の肖像画の表情に、心当たりがあるわ。記憶を失ったと私が言って、カゲフミ君がそれを理解したあとの顔に見える」


 ああ、そうか。

 もっとも大事な人の記憶を奪われている――そう言われたときに、こんな顔をしていたかもしれない。


「……やはり、この異界に来てからの表情が描かれているわけか」


「……確かに俺は、この異界に来てから喜びは味わってねえからな。だが重要なのは、この絵の完成が、何を意味するかだな」


 ……少しして、言いづらそうにミシェルさんが切り出した。


「ちょっと話が逸れるんだけどさ……私のこの、哀しみの肖像画があるでしょう?」


 思わず胸元をぎゅっと抑えたくなるほど、悲しそうな表情をしているミシェルさんの肖像画。

 それが全員に見えるよう、ミシェルさんが手に取って掲げる。


「この表情をしただろうときの記憶を、さっきリビングで思いだしたの。……ローラが殺されたときに、私、この表情になったと思うわ」


「……ローラというのは、さきほど君が思い出した……?」


「ええ。だけどローラが殺されたのは、異界のルールにじゃない。一緒にいたジャイルに殺されたの。そのあと目を離した数秒で、ローラの死体も血痕も、ジャイルがナイフから血をふき取って捨てたティッシュも、全部がなくなっていたの」


「誰かが片付けたとかじゃ……?」


「痕跡が消えるまでは、本当に数秒だったわ。成人女性を隠せる時間はない。しかも私、ローラが殺されたショックで頭を掻きむしったの。髪の毛だってたくさん抜けたのに、泣いて床に目を伏せたら、もう落ちてなかったわ」


 ミシェルさんの髪の毛は金髪だ。目立つ。見落としたってことはないだろう。

 改めてみても、この部屋にもホコリ1つない。


 リビングにも、廊下にも、ゴミやチリは何もなかった。

 不自然なほどに、綺麗なままだ。

 それに、そうだ。

 白石さんの血も垂れていたのに、リビングの床は綺麗だった。


「多分この部屋は…………。吸収して、いるんだと思う」


 白石さんの顔が引きつる。

 部屋全体を眺めまわして、言った。


「それはつまり、君はこう言いたいのかね? この部屋そのものが、モンスターであると?」


 真っ赤な、てらてらとした壁紙。

 一瞬、臓物をなげつけたような赤黒い色の壁紙が、ドクンと脈打つように感じた。


 ザンさんが顔を険しくして、唸るように言う。


「部屋が生きているだと……?」

「推測だけどね。私は、人間は食べない。あのメッセージは、そういうことなんじゃないかって」


「生きていれば人間。死ねば肉。体毛やカケラは、本人から離れれば人間っていう認識じゃなくなって、捕食が可能ってことかよ」


 カケラって言わないでほしい。


「……となると、次の4時までにクリアできなければ死ぬというのも、真実味がでてくるな。なにせ、生きている人間は捕食できないのだ。喰らうために閉じ込め、殺す。理にかなっている」


 ザンさんが右手をすっと挙げる。


「1ついいか。単純に気になったんだが、そのローラってのは殺されたんだよな? だけど右の部屋に、肖像画はなかったって、そういう認識でいいのか?」


「そう! 私もそこが気になっていたの! ザンさんと白石さんの記憶にあるドミニクさんは、肖像画があったのよね?」


「ああ」

 ザンさんと白石さんが頷く。


「もしかして、右の部屋は、死んだ人の肖像画を集めてるわけじゃない……?」


 ただ単に死んだ人間の肖像画を集めてるのなら、そのローラって人の肖像画があるべきだ。

 もっとも殺人によっての死亡と、肖像画を揃えたら死ぬというルールのもと死んだ人とで、飾るルールが違う可能性もあるけど……。


 実際のところ、右の部屋には4人分の肖像画があって不気味だが、必ずしも死んだ人間だと確定しているわけではない。

 僕たちが不気味に思い、勝手に、そう考えていただけだ。


「ドミニクさんって、お2人の最後の記憶だと、どうなっていましたか?」


 僕の質問に、ザンさんと白石さんがお互いに顔を見合わせる。


「……それが、俺が覚えてるのは、ほとんど今の状況までだ。ドミニクが最後にどうなったのかは記憶がねえ。ただ……明るいやつで、表情は顔に出やすかったな。ガンガン肖像画を揃えていた。あのペースなら、揃えていてもおかしくはねえ」


「私も同じだ。この部屋で、肖像画の裏の壁に文字を書き、2つ……いや、3つか。部屋を移動した。今回と同じ流れだったはずだ。リビングから左の部屋を探索し、右の部屋を探して何の変化もないことを確認し、リビングに戻ろうとしたところで、記憶が途切れている。彼が……いや。私たちが、最後にどうなったのかは記憶がない」


 申し訳なさそうに言う2人に対し、ミシェルさんはギラりと目を光らせる。


「やっぱり、私と同じところまでは記憶があるのね! ねえ、2人はその時点で、肖像画に描かれるのを、どう思ってた? 回避しようとしてた? カゲフミ君は、現状で肖像画を揃えたいと思う?」


 真っ先に返事をしたのは、ザンさんだった。


「俺はとくに意識してなかった。嫁に関することか、よほど気の合う友人が近くにいねえと、もともと笑うタイプでもないしな。揃えようと思わなきゃ、揃わねえだろうと思っていた」


「私は、肖像画を揃えないようにと考えていた。もっとも、現状では残り1つ。怒れば揃ってしまうが……」


 2人が答え終わったのを見計らって、僕も自分の考えを口にする。

 ミシェルさんの琥珀色の目が、僕を見据えていた。


「僕も、揃えたくはないです。……なんだか不気味で、怖いです」


「そうよね、不気味よね。……私も肖像画を揃えたくはなかったわ。――でもだからこそ、すべての肖像画を揃えてみるっていうのは、どう?」


 ミシェルさんの提言に、思わず、絶句した。

 白石さんもザンさんも同じだった。開いた口が塞がっていない。


「3つ目の説が正しかった場合、つまり私とザンさんと白石さんが、複数回このハイドアを彷徨っていた場合、私たちはいつだって最善の行動――肖像画を完成させない、そういう行動をとっているはず。死にたくないから、永遠にね。でも実は、それこそが異界の理不尽な罠! 右の部屋に飾られていた肖像画は、犠牲者の部屋ではなく、脱出に成功した人たちっていう可能性はないかしら。……殺された当時、ローラの肖像画も恐怖のものだけで、完成はしていなかったわ」


 確かに、そういう可能性もある。

 白石さんが低く、小さな声で呟くように言った。


「…………証明の、しようがない」

「でも、仮にここを繰り返しているというのなら……。私たちが抗い、すべての肖像画を揃えなかったからこそ、あるべきではないn回目の今があるというのは、事実でしょ?」


 一瞬、考える。

 その通りかもしれない。


「そうですね。肖像画が揃うことで、どうなるのか……それは分かりませんが、揃わないことで少なくとも2回目があり、すべての感情が描かれれば、良い意味でも悪い意味でも、恐らく2回目はない。多分、そうでしょう」


「だからって、肖像画を揃えようというのは短絡的だ。もっと考えてからにしよう。――ひとまず、良いことが分かったな。我々がこの部屋にくるのは2回目で、探索時の記憶は、失っていない」


「はい。それと、多分つぎに何か起こるとしたら、あと2回、部屋を移動してからです」


「……なんで、そう思うんだ?」


 ザンさんが尋ねる。

 ミシェルさんも白石さんも、不思議そうな顔をしてる。

 ……あれだけ色々な仮説を立てられた人たちが気づけないことに、僕だけが気づけたっていうのが、なんだか妙に嬉しくなる。


「記憶を失くしたり思い出したり――第1フェーズですが、それが起きたのは、右の部屋に入って、左の部屋に移動して、リビングに戻ってから。つまり部屋を3回移動したときに起こりました。さっき白石さんが言ってましたけど、別の回での記憶も、3回目の移動をしてから記憶がない。多分、3回目の移動で、何かが起こるんです。そして、経過する時間が4時間ずつで固定なら……かつ、4時になったら死ぬというのが本当なら、第3フェーズを起こしてはいけない。いまは8時。僕たちに残された移動回数は、あと4回です」

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