第12話

「はにふるんでふか」

「まだ笑っちゃダメ。一応ね」


 こくりと頷き、手を離してもらう。

 ただ頬を鷲掴みされただけなのに、なんだかちょっとドキドキしてしまったのが悔しい。


「2人ともちょっと落ち着いて。死者が飾られているこのこの部屋に、私たちの肖像画はない。だから私たちは生きているっていうのは、確かだと思うわ。だけど」


 ソファーの背に手を置いて、続ける。


「残念ながら否定できたのは、肖像画を揃えたら死ぬというウソだけよ。死なないだけで、肖像画を揃えたら自殺衝動が高まるだとか、攻撃性が高まるだとか、そういう可能性は捨てきれない。……ウソだと信じたいけど、第1フェーズでカゲフミ君だけが記憶を失ったように、彼の思い出した“唯一の生存者になること”は依然として正しくて、それが本当のクリア方法だという可能性もある。確実に、肖像画を揃えたら勝ちっていう情報がでてくるまで、揃えるのは止しましょう」


 ……ミシェルさんの言う通り、現状分かったのは、肖像画を揃えても死なないってことだけだ。

 死なないだけで、肖像画を揃えたらもっと嫌な目に合う可能性もある。


「……たしかにその通りだ。しかし、ミシェル君が思い出した記憶がウソだということは確定しただろう。あとは右の部屋の連中がどうなったか、それを知るだけだな」


 笑顔を真顔に変えて言う白石さんに、ザンさんが大げさに声を張る。


「おいおい。肖像画を揃えた人たちがどうなったかなんて、俺たちに分かるわけねえだろ? いま無事ですかって聞きに行くってのか? だれに? どうやって?」


 そう。

 僕たちには、彼らの現状を知るすべも、連絡をとるすべもない。

 過去で仲間だったらしいドミニクさんについても、白石さんとザンさんは、第1フェーズを境に記憶がないらしい。


「……右の部屋でのヒントがあまりに少なかったのは……。僕らが知るべき情報を、見逃がしていたから……? もしかしたら肖像画を揃えた後のことに関するヒントを、僕らは見逃してしまっていたのかも」


 僕の発言に、ザンさんが静かに尋ねる。


「…………戻ってみるか……?」

「だめよ」


 それを、ミシェルさんが即座に却下する。


「自殺行為だわ。もしヒントがあったとしても、もう移動回数が残っていない。肖像画を揃えることがクリア条件だと信じているなら、なおさら左の部屋に戻らなくちゃ。リビングに入った時点で、ここが、情報を集める最後の時間なのよ。次にドアを開けたなら、そのときは決断のとき」


「右の部屋にどんな情報が隠されていたか――もはや我々に、それを知る手立てはない。まずはこの部屋をもっと、注意深く、調べてみようじゃないか。何かあるだろう。そうじゃなきゃ困る。…………私はとくにまた、水道が気になってな」


 それだけ言って、白石さんはキッチンへと向かっていった。

 頼れていたはずの背中は、すこしだけ小さく、そして寂し気に感じた。


 当然だろう。

 生きていることが分かって、脱出方法も分かったと思ったのに、それでもまだ確定には至らない。

 この異界に来て、僕はレナという子のことを忘れ、ウソか本当かも分からない酷い情報ばかりを与えられた。

 なにが“クリア条件は唯一の生存者になること”だ。ふざけんな。


 この部屋は、僕たちを弄んでいる。

 加えて、いま部屋にある時計は、12時を示していた。

 次の4時までにクリアしなければ死ぬのが本当なら、探索できる部屋は、もうこの部屋しか残っていない。

 なのにこの部屋を選んだことが、正解かどうかさえ分からない。


 もしかしたら、致命的な失敗をしているかもしれない。

 もしかしたら、本当にクリア条件は、唯一の生存者になることかもしれない。


 僕でさえ、そう思うんだ。

 だが、白石さんとザンさん、ミシェルさんの3人は、少なくとも2回以上、この異界を彷徨っている。

 なんども心の中をぐちゃぐちゃにされ、直され、またぐちゃぐちゃにかき乱され……その心労は、計り知れない。

 この異界の性質は、あまりに酷い。


「大丈夫です。僕たちは必ず、この異世界に勝利します」


 だから、なんの確証もないけど、僕はその背中に向かって宣言した。

 気持ちで負けて、なるものか。

 そう思いをこめた言葉に、白石さんが振り返る。


「ははッ! この老いぼれに激励の言葉とは。……その激励、心強いなぁ。カゲフミ君、きみはきっと、良い老いぼれになる。ハイドアを通ってなお、老いぼれにな」


 優しく微笑んで、白石さんはキッチンの奥へと消えていった。


「わっ!」

「んじゃ、俺は食器棚を見るか」


 乱暴に僕のあたまを撫でて、ザンさんも僕たちに背を向ける。

 どうやら僕の言葉は、自分自身にも効果があったらしい。

 少しだけ軽くなった心のおかげで、前向きになれた気がした。


「きっと大丈夫。よしっ、探すか」


 言葉にすると、なんだかパワーが湧いてくる気がした。

 そうして、ぼくたちは行動を開始する。


 結局みんな、最初に自分が調べた箇所を探すことになった。

 もっともその方が違いに気づけるから、最良の選択だったかもしれない。


 真っ暗な画面を映すテレビを見る。

 相変わらずコンセントもないし、電源ボタンを直接押しても反応はない。

 画面も真っ黒いままだ。


 どこにも、“クリア方法は3人を殺すこと。”なんて、恐ろしいことは書いてない。

 やっぱり、あれはウソだ。

 そう思い込んでいると、後ろから声が聞こえた。


「おいカゲフミ! ちょっと来てくれ!」


 食器棚を調べているザンさんの声だ。

 呼ばれていくと、食器棚の中に納まっていたグラスがその中で割れているのが目に入った。

 ザンさんがその中に手を伸ばし、割れた破片を持っている。

 ホログラムじゃない。


「……開けたときには、もう割れてたぜ」


 僕も同じようにして、手を切らないようにして破片に手を伸ばす。

 持てる。本物だ。


「こりゃ、やっぱりヒントだよな! ……頭脳担当を呼ぶか、喜ぶぞ。おーい、白石さんとミシェル、コッチに来てくれ! ヒントだ! 多分! わけ分からねえけど!」


 投げやりで無責任な言葉で、ザンさんが2人を呼ぶ。


「こっちのソファーは、相変わらずフカフカなだけよ。なんの情報も吐き出さなかったわ」


 ため息をつくミシェルさん。……なんだかそのため息さえ、妙に色っぽく見えてくる。

 いよいよ、僕は重症らしい。


 おい僕、集中しろ。いまは集中するんだ。

 そう言い聞かせて、目の前の割れたグラスを注視する。

 白石さんがゆったり歩いてきて、僕たちに尋ねた。


「こっちも何もなかった。水は変色しないし、何の手がかりもなさそうだったが――良かった。で、どんなヒントだね?」


「食器棚を最初に開けたときにはコップが4つ入ってたんだが、次にカゲフミが開けた時には、コップはホログラムになっていた。んで、次に開けたら中身は空っぽで、いま開けたらコップは本物だったが、4つとも割れてたんだ!」


「……要領を得ないが、4つのコップの状態が、ガラス戸を開ける度に変化していったと、そういうこということで良いのかね?」

「その通りだ!」


 そう、きっとヒントのはずだ。

 なんの理由もなく、こうも変化が起こるはずはない。


 考えろ。もっと深く、もっと鋭く、もっと鮮明に。

 この異世界に、勝つんだ。


「最初に見たときは3つのグラスが下向きに、1番左のグラスだけが、上を向いて置かれていた……。ザンさんか誰か、食器棚のグラス触りました?」


「いいや、私は触っていない」

「俺も使ってねえ」

「私もよ」


 全員が一様に否定する。ってことは、あのグラスは初めから、あの向きが正しいものとして置かれていたことになる。

 なぜわざわざ、1つだけ向きが違うなんて仕様にした?

 なにか、理由があるはずだ。



「ホログラムの時は、すべてが下向きに置かれていて、今は砕けている……。割れている今は……向きなんて分からないな。うーん。グラスの向きは関係ないのか……?」


 報告から、だんだんと思考に変わっていく。

 いや。関係ないなんてあり得ない。

 ホログラムのときは、全部が同じ向きだったんだ。

 絶対に、理由がある。

 考えろ。


 思いつくなかで関連するワードは、グラス・コップ・一番左だけ・上向き・下向き・幻・ホログラム・割れる・バラバラ・本物・偽物……。


「どうして1つだけ、コップの向きが逆さだったんだろうな」


 …………さかさ。逆さ? さか………さ、………! っ!

 考えて、考えて、考えて考えて考え抜いて、ザンさんの言葉をきっかけに、僕は1つの仮説に辿り着いた。


「このグラスは触れて、確かに割れていますよね?」


「なにか思いついたのか?」


 驚きに満ちた顔で、白石さんが尋ねる。

 ゆっくり頷くと、嬉しそうに微笑んで、白石さんが右手で割れたグラスの破片を触る。


「確かに、触れる。確認したぞ」

「ええ。コップも割れてるわね。その形状もバラバラよ」


「僕の考えが正しければ、ガラス戸を1度閉めて、もう1度開けたら……。今度は多分、中身は空っぽです」


「……やってみようぜ」


 ザンさんが言って、食器棚の上部、スライド式のガラス戸を閉める。

 ――少し間をおいて、再び、ザンさんが勢いよく食器棚を開けた。

 すると思ったとおり、その中は、空だった。



「……はは。まるで、マジシャンのアシスタントになった気分だぜ」


 中を触ってみても、グラスの破片は何も残っていなかった。

 ザラザラとした感触はなく、僕の手は滑らかに木目のうえを撫でる。

 手のひらを見ても、なんの汚れもついていない。


「……それで? その、僕の考えとやらは何なの?」


 自分でも推理しているんだろう、難しい顔をして食器棚を睨めながら、ミシェルさんが問う。


「僕が気づけたのは、逆さというワードのおかげでした。最初に見た食器棚の中の状態は、3つのグラスが下向きに置かれていて、1つが上向きに置かれた状態です。3つが同じで、1つだけが違う。その状況は――」


 目を見開いて、白石さんがゆっくりと言葉をこぼす。


「第1フェーズ……?」


 こくりと頷く。


「そうです。第1フェーズでは、3人が記憶を思い出して、僕1人だけが記憶を失った。思い出すのと忘れるのは、真反対の出来事。つまり、逆さです。1つだけ逆さだったあのグラスは、僕を表していたんです」


「私たちに与えられる影響と、食器棚の中身の変化が同じということ? そうなるとホログラム、触れられないコップは……偽物……? もしかして、ウソを表している?」


 ミシェルさんが難しい顔をやめて、ぱっと輝いた顔をあげて僕の目を見つめた。

 僕は意識しないように意識しながら、まじめに答える。


「はい。触れないグラス、つまり、偽物です。そして、そのホログラムのコップの向きは、下向きでした。第1フェーズで、下向きのグラスが意味していたのは――」


「記憶を思い出すこと! そうか! つまり意味するのは、思い出す記憶は偽物! 第2フェーズで思い出した記憶は、ウソってわけだ! それに、全員分のコップが下向きだった。俺たちが思い出した記憶は、全部ウソだ!」


「…………コップが割れたのは、第3フェーズで死ぬことを意味しているのかしら。破片が無くなったのは、その死体が吸収されたから? ……………なるほど、やっぱりね」


 わずかに、ミシェルさんの顔が曇る。

 自分で答えに辿り着けなかったのが、そんなに悔しかったのだろうか。

 しかし、良いところをザンさんに取られてしまった。


 もっとも、言いたかったことは全て言えた。

 なにか矛盾があれば、指摘されるだろう。


 そう考えていたが、指摘はなかった。

 白石さんが興奮した様子で、僕の右手を握ってぶんぶんと上下に振る。


「でかしたッ! これこそ、これこそ! 私たちが探していた、ヒントとウソを結びつける鍵だッ!」


「あ、ありがとうございます。でもこれだけじゃ、肖像画を揃えて良い理由にはならないですよね」


 僕の弱気な発言に、ミシェルさんが眉根を細めて詰め寄ってくる。


「いいえ、なるわ。あなた分かってないの? そんなに賢いのに! さっきまで、この異界の脱出条件は、2択だった。肖像画を揃えるか、唯一の生存者になるか。だけど、“唯一の生存者になること”は嘘だと、たった今、あなたが証明したばかりじゃない!」


 ……………………あ、そうか。

 殺されたローラさんの肖像画と4つの感情を揃えられていない肖像画が、一緒に飾られている時点で、肖像画を揃えないと死ぬのは確定事項だ。


 残された選択肢は、肖像画を4つ揃えるか、僕が思い出した記憶……唯一の生存者になることだった。でも、僕が思い出した“唯一の生存者になること”はウソだと分かった。


「消去法で、クリア条件は4つの肖像画を揃えること……!」


 僕の顔をみて、ミシェルさんが満足気に頷いた。


「でもよ、消去法でいいのか? 俺たちの命がかかってんだぜ。この異界、頭が良いって言ってたよな。嘘をウソと見抜かれたうえでの策だとは、考えられないか?」


「もっともな質問だが、この異界の目的は、我々を殺して、捕食することだ。それなら“肖像画を揃えないと死ぬ”という記憶を思い出させ、ウソだと匂わせ、我々に肖像画を揃えさせなきゃ良い。それができないのは、真実だからだ。それに、ウソをつけるほどの知能があるならそのウソで得られるメリットも考えるはず。……無いのだよ。我々に肖像画を揃えさせて、異界に与えられるメリットが」


「…………自死ならどうだ。自殺衝動が高まって、この異界の食料になる可能性は?」


 ザンさんの顔を見るに、弱気になっているわけじゃなさそうだった。

 徹底的に不安材料を排除したい。

 そういう意思が見える顔だった。


 その真剣なザンさんに、ミシェルさんが軽い調子で答える。


「自死って、死んでるわよね? さっき、私と白石さんで確認したけど。この部屋のどこにも、ドミニクさんの肖像画はなかったわ。肖像画が揃っている右の部屋の彼らが死んでいるなら、どうしてここに無いのかしらぁ?」


「へへ……」


 その言葉を聞いて、ザンさんの口からまっさきに漏れたのは、だらしのない笑い声だった。


「では、決まりだな。クリア方法は、肖像画を揃えること。――はは! こんなに心が軽いのは、なんだか久しぶりな気がするよ」


 白石さんがネクタイを緩め、「いや……」と言って、絞めなおす。


「まだ終わっちゃいないな。気を緩めかけたが、最後まで警戒心はもっておこう」

「いますぐ行くか?」


 ザンさんの言葉に、部屋全体をぐるっと見回す。

 肖像画の裏は調べたし、この部屋にある家具もすべて調べた。

 白石さんが水を流してみたが何も起きなかったというし、そもそも――クリア条件が分かったんだ。

 行っていいはずだ。


「ええ、勝ちに行きましょう!」


 そう高らかに言って、僕はリビングのドアノブに手をかけた。

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