第4話
『無暗に行動するな。おそらく時間が進む。我々は記憶を失っている』
「……白石さん、時計見てくれる? 確かさっき、4時だったよね?」
ミシェルさんが壁の文字を凝視しながら言った。
白石さんが腕時計に目を這わし、その目が見開かれる。
「4時ぴったりだ」
その言葉に、ザンさんが続ける。
「ってことは、この文字はハッタリってことだな。はん、部屋を調べられて、何かまずいことでもあんのかあ?」
「違う。そうじゃない。4時、ピッタリなんだ」
白石さんの言葉に、はっとする。思わず声が出る。
「時間が、進んでいない?」
「その通りだカゲフミ君。秒針は動いて1周しても、他の針が動いていない」
「……腕時計、壊れたとかじゃなくて?」
ミシェルさんが問う。
「確かリビングに壁掛け時計があっただろ。見に行ってみようぜ」
「でも、この文字は? 無暗に行動するなって――」
僕の言葉を遮って、ザンさんが冷たい声で言い放つ。
「じゃあテメエはそこから動くな。これはクリア型だ、調べなきゃ始まんねえんだよッ」
……子供嫌いだとか言ってたけど、命がかかってるなら、それこそ意見交換すべきじゃないか。
そんな風に言わなくたって、いいじゃないか……。
そう言えるだけの勇気を集めていると、後ろにいたミシェルさんが僕の前に出て、ザンさんに詰め寄った。
分厚い胸板に指を突きつけ、その顔を見上げて吠える。
「ちょっと! 他人で怒りを発散してんじゃないわよッ!」
怒気のこもった声色で、僕に代わってミシェルさんが怒ってくれた。
「あのなあ。さっき脱出ゲームだとか言ってたがよ、ここは異界だ。命がかかってんだ。遊びじゃねえんだよ」
「口論してクリアできるならそうするが、そうじゃないだろう?」
ヒートアップしていく2人の間に無理やり手で割って入り、白石さんが静かに言う。
「まずは時計を確認するためにも、リビングに行こうじゃないか。我々は、協力しなければならない。そうだろう?」
しぶしぶといった様子で、2人が離れる。
「チッ。行くぞ」
舌打ちして、ザンさんが部屋のドアを開けた。
開け放たれたドアの中は、相変わらず虹色の煙が渦巻いている。
「さあ行こう」
ザンさんの後を追って、白石さんが黒いドアの中に消えていく。
ミシェルさんに促され、僕も廊下に出た。
ザンさんを先頭に、次いで白石さん、ミシェルさん、ぼくの順番で、リビングへと向かって廊下を歩く。距離はおよそ15メートル。
シン……と静まり返った空気が、すごく気まずい。
そんな雰囲気を壊そうとしてくれたのだろう。
ミシェルさんが声のトーンを弾ませて、僕に尋ねる。
「ところでさ。レナちゃんって、カゲフミ君の彼女?」
振り返ってきたミシェルさんの顔は、性質が悪かった。
ニヤニヤしている。
「れッ、レナは、ただの幼馴染の、友達ですよ」
「またまたぁ。そんなに赤くなっちゃって。可愛いなぁ、もう」
明らかにからかわれている。
これはこれで居心地が悪くなるからやめてほしい。
これなら、さっきの空気のがマシだった。
「カゲフミ君はレナちゃんの、どんな所が好きなのかなあ?」
ミシェルさんの頬は、ものすっっっごい吊り上がっていた。
ああこれは……、これはだめだ。
僕が答えるまで、ずっと聞き続けてやるぞって、そういう顔をしている。
…………一言だけで言って、終わらせよう。
そう考えて、僕が好きなレナの、内面について思いを馳せる。
彼女の何が好きかって、多分1番の要因は、勇気があるところだ。
積極的で、とりあえずやってみようの精神で、色んなことに挑戦している。
本当に、すごいと思う。
僕は昔から内気だった。
だからなおさらすごいと思ったし、そんな彼女みたいになりたくて、勇気を出そうと思えているんだ。もっとも、告白する勇気はでなかったけど……。
15歳の僕には、これらを包み隠さず言うのは荷が重かった。
でも言わなきゃ、聞き続けられる。
……あまりの恥ずかしさで、僕のあたまは真っ白になっていた。
「……………。…………ま、真っすぐなところ、……かな」
前を歩いているザンさんと白石さんが、ずっと静かだ。
もしかしなくとも、僕たちの会話は聞かれているのだろう。
ああ。本当に恥ずかしすぎる……!
本当に小さな声で白状したところで、僕はリビングの敷居をまたいだ。
「きゃーあ! まっすぐな人、いいよねえ。わかるわかる、ほかには他には!?」
「…………え? えっと、すみません、何がですか?」
「はぐらかしても無駄よ! こちとらハイドア生活で、恋バナなんて久しぶりなのよ! 根掘り葉掘りぃ、聞かせてもらうわよお! レナちゃんのことを、もっと教えて!」
「あの、だから。すみません」
リビングの時計を見やる。
さっきまで4時だったリビングの時計。その短針はちょうど、8時を指していた。
僕にはまったく、心当たりがなかった。
「だから、レナちゃんって、誰ですか?」
「………カゲフミ君?」
ミシェルさんが、訝しむような顔で僕を見る。
僕の顔なんかより、時計を見てほしかった。
そんなことを思いながら、壁かけ時計に目を向ける。
「……私の腕時計も、同じく8時になっているぞ」
「はっ! だけどよぉ、記憶なんて失ってねえなぁ! やっぱりあれは、あの部屋を調べられたら困るってことだろ」
「まあそう焦るな。時計のほかに、何か変わっているかもしれん。もう1度リビングを調べてみよう」
「待って!」
白石さんが言った後、ミシェルさんがものすごい形相で叫んだ。
僕を含めた全員の視線が、彼女を向く。
「あの文字っ、たぶん本当よ! カゲフミ君が、記憶を無くしているわ!」
え? ぼくが? 記憶を?
「いや、そんな事ないですよ。だって、僕は自分のことも分かりますし、意識もハッキリしています。忘れていることなんて、何もありません」
ザンさんが「ほらな」って顔をして、口を開きかける。が、それを白石さんが手で制した。
ミシェルさんが続ける。
「ならカゲフミ君。君はどんな理由で、ハイドアを通ったの?」
「どんなって――」
さっきも言ったばかりじゃないか。
「八百屋さんでトイレをしてて、しばらくして出たらハイドアだったって、さっきも言いましたよね?」
あの時は本当にびっくりした。
なにせ、1人で見ず知らずの世界に移動したんだ。
足がすくんで動けなかった。……それにしても、よく勇気を出せたよなあ。
いやもしかして、そのままトイレに引きこもっていれば良かったんじゃないか?
元の世界で誰かがトイレを開けたら、それで逃げられた気もするし。
うわあ、バカやっちゃったなあ。
そう考えていると、しかし、みんなの表情は固まっていた。
「…………あ?」
ザンさんが眉根をしかめる。
「テメェ、さっきと言ってることが違うじゃねえか」
白石さんが、はぁっとため息をついた。
「冗談ってわけでは……ないみたいだな。白状した時との温度差がひどすぎる」
そしてそのまま、白石さんが続ける。
「君が好きな女性のタイプは、まっすぐな人、そうだろう?」
どうしてこの人は、そんな質問を大真面目な顔をして尋ねてくるのだろう。
いや、白石さんだけじゃない。
ザンさんも、ミシェルさんもだ。全員が、僕の答えに注目している。
ということは本当に、僕は何かを忘れているのか?
ごくりと生唾を飲み、真正直に、質問に答える。
「捻くれた性格をしているよりかは、まっすぐな人が好きです。でも、好きな女性のタイプは、おしとやかで、おっとりした人です」
「そんな質問じゃ、埒が明かないって。カゲフミ君、レナちゃんって知らない?」
「そ、それは本当だったら、僕が知っているべき人ですか? ……やっぱり……、覚えのない名前です」
ザンさんも、ミシェルさんも、白石さんも、全員が動かない。
「……これは、まずい」
「ああ」
ザンさんが嘆き、白石さんが真っ青な顔で頷く。
「何を忘れたのか気づくことができないどころか、記憶にほころびがでないよう、記憶を改ざんされている。俺たちも、すでに何かの記憶を失ったあとだと考えた方がいい」
「不幸中の幸いか、ハイドアに入ったことを覚えているのは安堵すべきか。そもそもの前提を忘れされては、脱出の意思すら失っていただろう。しかし、クリアすべきヒントを忘れて、いわゆる詰みの状態になっていなければいいが……」
「……いったん、情報を整理しようぜ。得ているはずの事実を確認しあおう。とりあえず、あのソファに座ってよ」
ザンさんの言葉に同意して、リビングの右側に置かれていた、コの字型の4人掛けソファに全員で座る。
ドアのある壁を背後に、一番右に白石さん、その隣にザンさん。次いでミシェルさん、一番左に、ぼくが座る。
目の前のテレビ液晶に照明が反射して、重苦しい4人の顔が見えた。
「……まず、カゲフミ君。君の記憶に欠けているのは、レナという少女だ。君は、その子を助けるためにハイドアを通ったと言っていた。そしてその子は、君にとっての想い人だ」
そう言われても、やはりまったく覚えがない。
白石さんが穏やかな声で続ける。
静かな空間で、しかし白石さんの声は、重く聞こえた。
「大前提として、我々はハイドアを通ってこの空間にいる。それはいいな? ――うむ。この空間は2LDKの間取りで、玄関があるはずの位置にドアはなく、壁があるのみ。今居るリビングを出ると廊下があり、両脇には1つずつドアがある。それぞれの部屋には合計32枚の絵画が飾られていた。右の部屋には、見知らぬ4人の肖像画が16枚。左の部屋には、カゲフミ君以外の肖像画が合わせて6枚。残る10枚は黒塗りの絵画だ。絵が飾られていた場所に壁紙はなく、私の肖像画が飾られていた壁には、『無暗に行動するな。おそらく時間が進む。我々は記憶を失っている』の文字……。みんなの認識はどうだろう? なにか、私が忘れていることはないか?」
白石さんが、恐る恐る聞いた。
間髪いれず、ミシェルさんが答える。
「行動を開始する前は、白石さんの時計もリビングの時計も4時を指していたのに、再びリビングに戻ると8時になっていた。でも私たちが使った時間は、せいぜい20分ほど。4時間も経っていないのに、4時間分の時間がいっきに流れていたことになる。それと、廊下を歩いていたときには覚えていたレナちゃんのことを、リビングに戻るとカゲフミ君は忘れてしまっていた。このことは、どう……?」
「ああ、いや覚えている。ありがとう。……ザン君と、カゲフミ君はどうだい?」
「そのレナって子のこと以外は、僕の認識と違いはないです」
ちらりと、ザンさんを見やる。
彼はうつむき、手をぎゅっと握りしめ、震えていた。
「ざ、ザンさん……?」
思わず声をかける。
ザンさんは両手で頭をかかえて、震えた声を吐き出した。
「4時間も経っていないのに。そう言ったよな? それは、証明できるのかよ? 実は俺たちは、4時間フルに使って探索してた。そうは考えられないか? それを俺たちはみんな、丸々忘れちまってる。――そうじゃないって、言いきれるかッ? そこのガキの顔を見たろ! 綻びのでないように、辻褄が合うように、不自然じゃないように、記憶を奪われてんだ! どんだけクリアに必要な情報を集めても、気づかないうちに忘れちまう! 次の4時まで、あと8時間。それまでにクリアしないと、俺たちは殺されるんだぞッ!」
眉根を潜める。
思わず釘付けになっていたザンさんから目を離し、ミシェルさんと白石さんを見る。
彼らも不自然に思ったのだろう、目が合った。
「あの、ザンさん? 次の4時までにクリアしないと殺されるっていうのは……。その情報は、どこで?」
「あ?」
恐怖と怒りが入り混じったような声で、ザンさんが答える。
「何言ってんだ! ……あれ? 俺、何言ってんだ……? あれ、この記憶は……なんだ?」
ザンさんが立ち上がる。目の焦点が合っていない。
ぶちり。
そう、音が鳴ったと思う。
リビングを照らしていた照明が消え、あたりが暗闇に包まれる。
それは、驚く声を出すよりも短い、ほんの一瞬だった。
その一瞬が過ぎた後、再び照明が付く。
「あ、あぁぁあ、ああぁあああぁぁぁっ。ぁああぁぁあぁぁっ!」
慟哭をあげたのは、ミシェルさんだった。
左手で頭をかかえ、右手で自身の胸倉をつかみ、下を向いて嗚咽している。
「えっ、ちょ、どうしたんですか!?」
一瞬躊躇して、彼女の背中をさする。だが、彼女の苦しそうな嗚咽は止まらない。
助けをもとめて白石さんとザンさんを見ると、彼らもまた、愕然とした顔をしていた。
まるで、ミシェルさんの声も聞こえていないようだった。
周りを見れば、カラフルな色で彩られていたリビングの壁紙は、いまや臓物を投げつけたような、赤黒い色に成り代わっていた。
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