シセルメイカイ
第16話
まずは隠れて、見て回れ。闇雲に動くな。
白石さんのアドバイスが頭をよぎり、その場から飛び出して泣き叫びたい感情を、必死で堪えた。
目の前の両開きのドアの隙間から、涙が溢れる目で向こうの部屋をのぞき込む。
石造りの、9畳ほどの部屋が見えた。
奥にはドアの付いていない出入口があり、その両脇には松明がかけられている。
誰もいない。
モンスターも、ザンさんも、白石さんも、ミシェルさんも――。
僕の先にハイドアをくぐり、待ってくれているはずの人たちの姿は、そこにはなかった。
ハイドアをクリアするとき、白石さんとミシェルさんの様子は、どこかおかしかった。
別の理由だと思い込んでいたけど――。彼らは分かっていたんだ。
ハイドアをクリアすることが、死ぬことだと。
そうだ。あの食器棚のグラス。
あのグラスは割れたあと、すぐに消えた。
どこにも無かったんだ。
生きたまま次の回に移動するなんて変化は。だから白石さんはミシェルさんに、「気が付いているな?」って訊いたんだ。
2人とも、知ってたんだ。
僕は、その場で崩れ落ちた。
あまりの脱力に、手の力も抜けてへたり込んだ。
カラン! と音がなり、石床に紅い和傘が転がった。
ポケットに手を突っ込むと、指の爪先で瓶に触れる硬い感触もあった。
震える手で、自分の唇にそっと触れる。
もうかなり薄くなってはいたけど、その指先に、紅い口紅が付いた。
「夢じゃ、なかったんだな」
あのハイドアのことは、夢じゃない。……ってことは。
「この結果も、夢じゃないんだな……」
ポケットから小瓶を取り出して和傘を掴み、僕はそれを胸で抱える。
ちゃんと覚えている。
今度こそ忘れない。
ザンさんから、白石さんから、ミシェルさんから貰った温かい言葉、アドバイス、その笑顔、過ごした時間。
ぽたりと、僕の目から涙が滴る。
『だからどうか、負けないで』
ミシェルさんの言葉が、頭のなかで聞こえてくる。
きっと打ちのめされると、分かっていたんだ。
だけどそれを言えば、僕はあの異界で、留まっていただろう。
死なせたくないから、僕はミシェルさんと、一緒にいただろう。
白石さんとミシェルさんは、僕を次に進ませるために、あえて言わなかったんだ。
「負けないよ。負けない」
そうだ。僕が生きているのは、彼らのおかげだ。
こんなところで、うずくまって泣いているわけにはいかない。
そう思うけど、僕の目からは涙が溢れて止まらなかった。
泣き止んだら、この異界を探索しよう。
泣き止んだら、レナのことを見つけて、家に帰ろう。
「そうだ……。泣き、やんだら…………うっ、ううぅう」
救ってくれた3人の恩人を想って、声を押し殺す。
彼らの心情を考えれば考えるほど、深い哀しみは目からあふれ出てて、止まらなかった。
……――それから、どれだけ時間が経っただろう……。
泣いて泣いて、涙は乾いて、僕の全身を脱力感が襲ってきたころ。
「誰ぞ、いるのか?」
奥の石造りの部屋からドアを挟んで、少し高い男の声がした。
隙間から覗いて見ると、明らかに人間じゃない。
だって、小さな尻尾が生えていた。
慌てて和傘を持って立ち上がり、息を殺す。
「ふん、スンスン……このニオイ……?」
鼻を鳴らし、そいつがペタペタと歩いてくる音が近づいてくる。
ああやばい。バレている。
視覚じゃなくて、嗅覚が鋭いタイプだ。そう直感した。
頼む。人間に友好的なモンスターでありますように……っ。
ギィィィイと歪んだ音がして、僕を隠していた木製のドアがゆっくりと開かれる。
扉を開けたそいつは、緑色のローブを頭から被った80センチほどのモンスターだった。
腰がひどくひしゃげている。
そのうえ、なぜか僕にお辞儀をしていて、その顔は見えない。
だけど、やっぱりモンスターだ。
ローブの後ろから垂れている細い尻尾が、石床のうえでクネクネと動いていた。
「このニオイ、間違いありません。あなた様は、もしや、尊き者ではありませんか? おお、ご尊顔を拝するのも恐れ多い……! どうぞ、このお面をお使いくださいまし。あなた様のためだけに造ったお面。もっとも位の高い面でございます」
そう言って、モンスターが下を向いたまま黒いお面を恭しく差し出してきた。
人間だと、バレているのだろうか。
そのうえで、こんな扱いを受けている……?
友好的なモンスターなんだろうか。
「しかし、伝承によればあなた様の足は7本だと……。いえ、もしや使者様でしょうか? あああ、お答え頂かずとも結構でございます。我らは原初様の忠実なる僕。詮索はしますまい。こうして尊き者へ贈り物ができただけで、おお、大変なる光栄でございます!」
その言葉で、分かった。足が7本。
このモンスターが言う尊き者は、僕が最初に出会ったカイブツに違いない。
……となれば、人間だから安全が保障されているわけではない。
そのお面を受け取り、マジマジと見る。
目の部分は空いていないし、どこかの民族みたいな、入れ墨のような模様が入っている。
だけど、お面を付けずに人間だとバレて戦闘になったら最悪だ。
だって僕は、戦ったことなんてない。
「お面の付け心地はいかがでしょう? 顔をあげても、よろしいでしょうか?」
前が見えなくなるが、仕方ない。僕は、お面を付けることにした。
きゅっと音がなって、僕の顔にお面が吸い付いた。
ゴムも何もないのに、すごいフィット感だった。
おまけになぜか、前も見える。むしろ鮮明に見えているかもしれない。
「……………うむ。良い感じだ」
あの怪物は、どんな声だったか。子供の声じゃなかったはずだ。
僕はなるべく低い声をだして、そう答える。
するとモンスターが勢いよく顔をあげ、僕を見た。
一つ目小僧。そういう感じのモンスターだった。
肌はくすんだ灰色。
顔の大半を占める大きな目が1つだけ、ギョロリと付いていた。
だが、見るからに小僧じゃない。その下の鼻や口には、細かいシワやシミが沢山ある。
とりあえず、ぎょろ目モンスターと呼ぶことにした。
「本来ならば王が案内すべきなのですが、生憎、繁殖中でございまして……。僭越ながら、私めが洞窟をご案内致しましょう」
は、繁殖中……。
しかし、どうしてこのモンスターは僕をあの怪物だと思っているんだろう。
そう思って見下ろしていると、僕のズボンのすそについた赤茶色のシミが目に入った。
そういえば、と思い出す。
最初にあったカイブツが消えるときに、僕のズボンの裾に液体が付いたんだった。
きっとコレのおかげだ。
あのカイブツが消えるときに付いた、血液のような液体の。
「では、こちらへ」
促され、僕はその小さなモンスターのあとを追った。
すれ違うモンスターは姿形こそ同じだったが、ローブの色が違った。
目の前を歩くモンスターは緑のローブを頭から被っているけど、ほかのモンスターは全員が灰色だ。
多分、何かしらの階級があるのだろう。
今度の異界は、岩をくりぬいて作られた洞窟らしかった。
通路の幅は2メートル。
すれ違うモンスターが僕に気が付くと平伏して頭を地面にこすりつけているが、その脇を難なく通り抜けられる程度に、横幅は広い。
そして、道も長い。
道が何本にも枝分かれしているのもあり、もう僕はさっきいた部屋に戻れそうにない。アリの巣みたいだ。
通路には4メートル間隔で、松明が壁に掛けられていた。
「ここは詰所でございます。一般兵が多く滞在しております」
モンスターの説明を聞きながら歩いていると、ある1本の小道が目に入った。
狭い通路の奥には、南京錠と鎖のついた鉄扉がある。
見るからに分厚く、頑丈そうだ。
「ここは?」
「処刑の間でございます。中には深い深い縦穴が開いておりまして、そこに罪人を落とすのでございます。下の岩盤には出口もないので、脱出する術はありません。落下の衝撃で死ねばそれで良し。生き延びても、食べる物がないのでやがて死にます。もっとも、ここで処理するのは空を飛べず、血を持たぬ者だけですがね」
聞かなきゃ良かった。そう思ったが、首を横にふる。
ここ以外に、鍵のかかった扉はなかった。
新たなハイドアを通るには、鍵のかかった密室に行くのが条件だ。
この異世界から脱出するときに、ここを使うかもしれない。
「おお、そのお面はもしや原初の……っ! なんと嬉しや……ッ!」
すれ違うのは、すべて同じような姿のモンスターだった。
みんな僕の付けているお面を見ると、そんな言葉を口にして平伏する。
これ、あの怪物じゃないとバレたときに、とんでもないことになるんじゃ……?
不安がよぎるが、なにバレなきゃ良い。と僕の心がザンさんみたいなことを言う。
この洞窟、広いが、豪華というわけではなかった。
あまり文明が発達していないのか。
煌びやかな装飾はされていないし、空気はどこか淀んていて、ジメジメしている。
まるで雨の日に通る、地下通路の空気に似ていた。
壁もどこか、触るとしっとりしている。
「申し訳ございません。最下部もご案内したいのですが、そこを御見せする権限は管理長の私にはなく……」
このモンスター、管理長だったのか。
でもその役職って、名前からしてかなり上位だよな?
それなのに見せられないってことは、もしかして最下層は、王とやらが繁殖中の場所だろうか。
うん、あり得る。別に見たくないな。
案内してくれた部屋は、書斎や詰所、処刑の間に厨房だ。王様に関する部屋は、紹介されていない。きっと王の部屋なんかも、最下層にあるんだろう。
「残るは外になりますが、外に住む連中は下賤の者ばかり。紹介には及ばぬかと」
「…………外があるのか?」
僕は低い声のまま、驚いて尋ねた。
ずっと室内だけかと思っていたが、違うのか。
でも確かに、考えてみれば当たり前だ。
ここは異界だ。スタートはハイドアを通る制約から室内だろうけど、必ずしも外にいけないわけじゃないんだ。
「……御覧になりますか? ……分かりました。では案内を」
「いや。1人で見たい」
いい加減、ボロが出そうで気が気じゃなかった。
こんだけ敬ってくれているんだ。
その存在を騙っているとなったら、人間であることも相まって即刻殺されてしまうかもしれない。
「……お望みとあらば。……お疲れになりましたら、私めは一晩中起きておりますので、お戻りになりましたらお声がけ下さいまし。極上の部屋をもってお待ちしております。……それと、その。外にいる連中は、原初様を崇拝する者ばかりでは御座いません。どうか、お気を悪くしないようお願い申し上げます」
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