第17話
「……お望みとあらば。……お疲れになりましたら、私めは一晩中起きておりますので、お戻りになりましたらお声がけ下さいまし。極上の部屋をもって、お待ちしております。……それと、その。外にいる連中は、原初様を崇拝する者ばかりでは御座いません。どうか、お気を悪くしないようお願い申し上げます」
遠慮がちに、申し訳なさそうに、モンスターが言った。
僕を連れて、長いこと歩き続ける。
そしてようやく、赤い光が差し込む縦穴が見えてきた。
多分、外だろう。
出口に近づくにつれ、赤い光が強くなった。
洞窟の内側の壁が、赤く染まっていく。
もうすぐ外に出られるというところで、向こう側から赤い光を背後に4匹のぎょろ目に連れられた、背の高いモンスターが見えた。裸同然だ。
胸があるから、女だろう。
頭はヒツジで、その頭には湾曲した大きなツノが2本生えていた。
下半身は二足歩行のヤギ。丸裸の上半身は、女性の人間のものだった。
こういうの、なんといったか。確か、バフォメットだ。
ゲームの敵キャラで良く出てきた。
設定的には悪魔だが、このモンスターはそうじゃないだろう。
だって、泣いている。
「あのモンスターは? 連行されているようだが」
「贄でございますな」
尋ねると、管理長のモンスターは淡々と続けた。
「原初様はまだ、大半の力を失くしておいでだ。その封印を解くため、血と死をもって捧げているのです。ご存じでしょう?」
ご存知じゃない。
なんだそれ。
「止めさせろ」
「……へ?」
冗談でしょう、とばかりに大きな目が見開いた。
そして、目を細くして僕を見てくる。
やばい。怪しまれたか。
でも、あのモンスターは泣いてる。
そりゃそうだ、僕だってモンスターだって、きっと死にたくない。
だから僕は、さらに低い声で言った。
「あの女の血は、主の封印を解くのに相応しくない。解放しろ。……なんだその目は。わたしの言葉に従わないというのか?」
背中に冷や汗が垂れる。
この言葉選びで、良かっただろうか。
だが、無用な心配だった。
管理長は慌てた様子で、ちょうど隣を通る女モンスターを呼び止めた。
「おいお前! 尊き者が自由になれと仰った。……贄には、ならなくて良い」
管理長の言葉に、女バフォメットの目が見開かれた。
怯えた様子で泣きわめく。
「待ってください! どうか、どうか! 私を贄に! どうかっ!」
えぇ……。死にたくないから泣いていると思ったけど……。
もしかしてあの涙は、贄に選ばれた喜びの涙だったのか?
生贄になるのは光栄なことだ! とか、そういう……?
モンスターと人間で常識が違うって白石さんが言っていたけど。
ここまで違うとは――そう思ってたけど、違った。
「私が贄にならなければ、家族が生贄になってしまいます。どうか、どうかッ!」
このバフォメット、家族のことを想って、自分が犠牲になろうとしていたらしい。
一概にモンスターと言っても、僕の抱くモンスター像とは違うのかもしれない。
「ええい! 尊き者の前でみっともない! わめくな!」
「…………お前の血は、復活には相応しくない。血であれば当然、家族もだ」
「ああ、ああ…………っ!」
感極まった様子で、ツノの生えた女モンスターが平伏した。
彼女を連行していたギョロ目たちは、もうとっくに平伏している。
この異世界、何かあったら地面に頭をこすり付けるのが習わしなんだろうか。
「まったく。生贄とは犠牲ではなく、名誉であるというのに……っ!」
しかし、最初に会ったあのカイブツは、封印されているのか……?
その解除方法は、血と死?
もしかしてあいつ、相当危ないモンスターだったんじゃないか?
「では、いってらっしゃいませ」
疑問が残るまま……。
僕は管理長に見送られて、洞窟の外に出た。
どうやら洞窟は、枯草色の丘の上にある大岩を削られてできていたらしい。
丘を下ったその先にあるのは、お店だろうか。
明るい光が何個も連なって見えた。ガヤガヤと騒がしい音もする。活気がありそうだ。洞窟の中とは、えらい違いだった。
空を見上げれば、時間は夜らしい。
真っ赤で大きな満月が、1つ夜空に浮かんでいた。
ただデカすぎる。
夜空よりも、赤い満月の方が視界に映る割合が多い。
明らかに、地球じゃない。
……はやくレナを見つけて、もとの世界に帰りたい。
「でも、このペンダントのカケラ……本当に集めて良いのかな」
あのカイブツは、これを集めてわたしに渡してねと言っていた。
もとの世界に戻してあげるとも。
でも、もしかしたらアイツは邪悪なモンスターで、これを集めると本来の邪悪な力を取り戻すとか、そういうの、あり得そうだ。
服の中にしまっていたペンダントを引っ張り出すと、その台座が淡い光を放っていた。
「……カケラが、この世界にあるんだ」
現状、ぎょろ目が崇めている“原初のカイブツ”が僕にとっての敵か味方か、それは分からない。だけど、僕には選択権がなかった。
ハイドアの数は、本当に多いと言っていた。
数ある異界の中から婆ちゃんちのトイレのドアを見つけるなんて、奇跡に近いだろう。
多分、自力じゃ不可能だ。
罠かもしれないと思っても、カケラを集めるしかない。
もっとも、カケラを集める前にこの世界で死んでしまったら意味がない。
まずは、この異界の情報収集だ。
ペンダントを服の中にしまい、考える。
差し当たって、この異界で人間はどう思われているのか、カケラの所在を知っている者がいるか、それを聞き込もう。
赤い月光のもと、踏み鳴らされた地面を下りる。
洞窟の入り口を背後に、お面は付けたまま、僕は下の喧騒へと向かった。
下り終えると、すごい人込みだった。いや、モンスター混みか。
道の両脇には隙間なく屋台や出店が並んでいた。
お祭りみたいだ。
その中をワイワイガヤガヤと、色んな種類のモンスターが行き交っている。
スケルトンにデュラハン、どっからどう見ても人間だが透けて浮いているゴーストや、さっき見たバフォメットが多い。他にもハーピィやら鬼らしきもの、小さな竜の形なのにその頭から尻尾まで、人間の頭部を連ならせて体ができているものいる。
本当に、色んなモンスターがいた。
思わず、怖気づく。
顔を隠しているとはいえ、僕の正体を守っているのは、このお面1枚だけだ。
ゴクリと生唾を飲み、勇気をだして、その喧騒の中へと進む。
店の明かりが強い。
どの店も、ドアや扉の仕切りがなかった。
そのせいか、店の光や声がダイレクトに伝わってくる。
僕は両脇にきょろきょろと視線を送りながら、当てもなく歩いた。
僕の付けているお面を見たモンスターは、一様に体を強張らせて固まった。あるいは、見て見ないフリをしようとしていたり――。
そういえばあの管理長は、もっとも位の高いお面がコレだと言っていた。
その効果だろうか、大勢のモンスターがひしめき合っていても、僕は誰にもぶつからずに歩くことができた。
「ったくよぉ! 生贄にされる俺たちの身にもなれってんだ!」
ある店を通りがかったとき、そんな荒っぽい声が聞こえた。
ふと止まり、情報が得られやしないかと、のれんを押しのけて店のイスに座る。
「い、いいい、いま言ったのは俺じゃねえ!」
「ひっ! い、いらっしゃい。お口に合うか分かりませんが、ご注文は……?」
カウンターの奥で、スケルトンのモンスターが怯えた様子で僕に問う。
そうか、ここは飲食店だ。頼まなければ不信に思われてしまう。失敗した!
僕は客席に並べられている料理に目を馳せた。
視神経がついたままの丸々とした眼球の盛り合わせ、ピンクがかったクリーム色の脳みそ。でろりとした血液のついた内臓……そういった物が、テーブルいっぱいに並べられている。本当に失敗した。
人間のものかは、分からない。だけど、サイズが小さいように思えた。
…………もしかすると、並べられているのは子供の――?
吐き気を催すのには十分だった。
「うっ……!」
鼻を押さえようとして、お面をしていることを思い出す。慌てて喉元を左手で絞めて、呼吸を止めさせる。
ニオイも嗅ぎたくない。口から入る空気さえお断りだ。
ここで吐くわけにはいかなかった。
チラリと見れば、お金らしきもので会計をしている。
金の概念があるんだ。
「っ……。いや、財布を忘れた。また来る」
そう言って、僕は店を出た。とんだ冷やかしになってしまったが、別に良い。
店主も安心していた様子だし、ウィンウィンだ。
とにかく決まった。飲食店以外だ。それ以外の場所で、情報を集めよう。
まだ気持ちの悪い胸を押さえながら、両脇の店をながめて歩く。
だけど、飲食店以外の店なんて見当たらなかった。
どうなってんだモンスター文化。食いしん坊か! 止めてくれ。
「いや……! 離して!」
モンスターに避けられながら店をきょろきょろと見ていると、そんな声が聞こえた。
店と店の間の、細い路地裏の方からだ。
「いいや、我らが教えを侮辱する言葉が聞こえた。断じて許せん。陽光炙りの刑だ」
「……!」
言葉にならない悲鳴をあげる女ゴーストと、例のぎょろ目のモンスターが3匹が、その路地裏にいた。
青く長い髪が、水中のように空で漂っている。
捕まっていたのは、どこか神秘的な、美しいゴーストだった。
ゴーストは上空に逃げようとしているのだろう。
顔を空に向けて必死に動いているが、ぎょろ目の力が強いらしい。足を捕まえられ、飛んで逃げることができない様子だった。
……助けたお礼として、情報収集できるかもしれない。少なくともこのお面は、ぎょろ目にとって、絶対の優位性があるはずだ。
「離してやれ」
路地に入り、低い声で告げる。
振り返ったぎょろ目モンスターは僕を見るなり、ゴーストの足を掴んだまま即座に平伏した。引っ張られ、ゴーストが地面にぶつかる。
「いだっ!」
「し、しかしこの者は――」
「聞こえただろう。いま従えば、わたしに“しかし”と言ったことも見逃してやろう」
「しぃい、失礼いたしましたっ! 尊き者よッ!」
ぎょろ目モンスターはパっ! とゴーストの足から手を離し、大慌てで去っていた。
一方、すぐに逃げられるかもと思ったが……僕の考えに反して、女ゴーストは逃げ出さなかった。唖然とした顔で、宙に浮いたまま僕を見る。
「……そのお面、原初に関係する者? なんで助けたの? ……何が目的……?」
好奇心が強いのか、疑り深いのか、ゴーストが尋ねてくる。
さっきあのぎょろ目は、「我らが教えを侮辱した」と言っていた。
教えとは多分、“原初のモンスター”に関すること。
考えた通りなら、このゴーストはお面を付けている僕に対して、良い感情をもっていないはずだ。つまり、あのぎょろ目モンスターとは、反対の考えを持っていると考えていい。
とはいえ、このゴーストが人間の味方ってことが確定したわけじゃない。
だから、確かめる必要があった。
「あなたにとって、人間とはどんな生き物かな?」
低い声のまま、尋ね返す。
人間だとバラして喰われるくらいなら、お面を被ったまま、手出しできない敵として思われていた方がいい。
でももしこのゴーストが、人間に敵対心を持っていないなら――。
そう考えていた僕に、女ゴーストは陶器みたいな白い顔を、ニヤリと歪ませて哂った。
綺麗な青い髪に、整った可愛い顔、澄んだ声。
それらをもってしてモンスターだと思わせる、恐ろしい笑みだった。
「お前ら異形のモンスターを殺す、救世主よ」
敵意に満ちた声を聴いて、僕は決心した。
どちらが僕にとっての敵か、あるいはどちらとも敵か。
それは分からないけど、少なくともこのゴーストは、人間を喰う側ではない。
「どうか、騒がないで。絶対に、騒がないで。……まだ死にたくないんだ」
そう念を押してから、僕は空いている左手で黒い面を取った。
「ぼくは人間だ」
言った瞬間。女ゴーストの青くて長い髪が、宙に浮いたまま綺麗に逆立った。
ぶわっと立ち上った青くて長い髪の毛。輝く黄色い目の瞳孔はきゅっと縮まって、驚愕に変わる。
軽蔑に歪んでいた小さな唇は、一瞬にして大きく開かれた。
「きゃぁああああぁぁぁぁああ!」
「騒がないで、ほしいんだッッ!」
女ゴーストは口と目を見開いたまま、何度もその場で空中旋回した。
僕は慌ててお面を被り直す。
「……あのゴースト、摘発されたのか、え、あのお面、最上位だろ……? 終わったなぁ」
なんて声が聞こえる。良かった、まだバレてない。それに、賭けには勝った。
やはりこのゴーストは、人間に悪意はない。
「まだこの世界に来たばかりで、情報が欲しいんだ。どこか、静かに話せる場所はない?」
いまだ旋回するゴーストの腕をなんとか掴み、静止させる。
ゴーストって触れるんだ、とか思いながら、ゴーストらしからぬ明るく黄色い目がキラリと輝く。
「それならこっち! 私に付いてきて!」
興奮した様子でゴーストは言って、上空へと向かっていく。
ちょっと待ってくれ。
「にんげ――僕は、空を飛べないんだ!」
「あはっ、伝承の通りね!」
そう言うと、ゴーストは低空飛行で裏路地を進んでくれた。
数回曲がっただけでほとんど直線に5分ほど歩き、やがて、湖の畔へと案内された。
ゴーストは湖の畔に着いても止まらず、そのまま水の上まで浮いて、僕を見る。
僕は湖のふちの地面に立ち、ゆらゆらと浮かんでいる彼女を見上げる。
透き通るような白い肌――。
比喩でもなんでもなく、そのゴーストの肌は白かった。それに手や顔やドレスと着物の中間のようなヒラヒラした淡い紫色の服も、そのすべてが少しだけ透けて見える。
風は、ぴたりと止んでいた。
だというのに、見上げるゴーストの髪は水の中にいるように漂い、彼女の着ている服から伸びる4枚の帯も、同じように空中で舞っていた。
瑠璃色染みてきた夜空を背後に、ゴーストは僕の目の前で浮きながら整った綺麗な顔を笑顔にして言う。モンスターらしからぬ、可愛い笑顔だった。
「わたし、メイリン。ようやく人間が来てくれたわ! わたしたちの世界を、救いに来てくれたんでしょう?」
メイリンと名乗るゴースト。
その顔はゴーストには似つかわしくなく、とても生き生きと輝いていた。
彼女を助けたのは僕だけど、わたしたちの世界を……?
「いや。救いに来たわけじゃ、ないんだ」
そもそも、僕こそ助けてほしいんだけど。
その言葉はなんとか飲み込んで、事実を告げる。
メイリンは喜びの顔を曇らせ、その黄色い目を細めた。
「でも、あなたは人間なんでしょう? それなら、私たちを助けられるはず! 伝承で知っているもの! …………もしかしてお前、本当は人間じゃないのか……?」
ひやりと、周りの空気が冷え込む。
「ちょ、ちょっと待って。その伝承って、どういう?」
「やがて窮地に陥ったとき、とあるドアから人間が現れる。その者、まるでゴーストだが肌は透けず、空は飛べない。しかし恐るべき力で敵を葬り去るだろう――。それが伝承よ」
とあるドア、ハイドアのことだろう。
メイリンの体は、少しだけど、たしかにその後ろが透けて見える。
僕たち人間の体は、もちろん透けない。空だって飛べない。
この伝承は、間違いなく人間のことを言っている。
でも、恐るべき力……? 悪いけど、多分それは、僕じゃない。
「僕は、戦ったことがないんだ」
白状すると、メイリンは不思議そうな顔を浮かべる。
「誰にだって、最初はあるでしょう?」
それはそうだ。そうだけど――。
どう返すか迷っていると、湖がキラリと輝いた。
いつの間にか、赤い満月が消えていて、空がうっすらと明るくなってきている。
夜が明けるんだ。
「いけない、燃えちゃう! また明日の晩、ここに来て! 詳しく話すわ!」
幽霊だから、日の光が苦手なのだろうか。
メイリンはそう言って、裏路地の中へと飛んでいった。
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