第18話

「いけない、燃えちゃう! また明日の晩、ここに来て! 詳しく話すわ!」


 幽霊だから、日の光が苦手なのだろうか。

 メイリンはそう言って、裏路地の中へと飛んでいった。

 そして地面の影に突っ込んで、まるで影と同化したように姿が見えなくなる。


「誰にだって、最初はあるか……」


 だけど、白石さんもザンさんも言っていた。

 基本的に、人間はモンスターには敵わないと。

 僕だってそう思う。

 できることなら、戦うなんてことはしたくない。

 メイリンと通ってきた裏路地を通って、もとの大通りへと戻る。


「あれ……?」


 もとの大通りのはずなのに、両脇には屋台がなかった。

 代わりにあったのは、寂れた店だ。

 窓ガラスが割られ、ドアはなく、その中にはイスもテーブルもなく閑散としていた。

 おまけに、いたるところに『悪霊退散』の札が貼ってある。

 ……モンスターの世界というより、幽霊の世界なのかもしれない。


 しっかりとお面を被れていることを確認して、僕は丘を登って洞窟を目指す。

 洞窟のぎょろ目モンスターと、ゴーストのメイリン。

 そのどちらの味方につくべきか。


 今得た情報だけで言えば、味方したいのはメイリンの方だ。

 生贄なんて、おっかない。

 対するメイリンは可愛かったし、人間に悪意もない。


 でも、味方を選ぶってことは、敵を選ぶってことだ。

 ……そんな都合よくいかないかもしれない。

 だけど、なんとか戦う道がないか、それを考えよう。

 だって、戦うのは怖い。


「おお、尊き者よ、お待ちしておりました! お疲れでしょう、さあ、どうぞこちらへ!」


 本当に、一晩中待ってくれていたのだろう。

 管理長は洞窟のすぐ手前で僕に気づき、平伏してから洞窟の中に招き入れてくれた。

 

「……人間とは、管理長にとって、どんな存在なんだ?」


 ジメジメした洞窟の内部に入り、緩やかな坂を上りながら、低い声で聞いてみる。


「……何やら話を聞きましたかな? ご安心を。人間については私も話でしか聞いたことがありませんが、我らにとって脅威にはなり得ません。しかしながら、その血はとても旨いと……。ふふふ。もっとも、生贄にすれば原初様の復活の手助けにもなりましょう。ええ、もちろん贄にしますとも!」


 ああやっぱり。戦うことになれば、相対するのはこっちだろう。

 もちろん、戦うなんて選択肢は選びたくはないけど。

 怖いし、絶対、敵わないだろうし。

 なにより、白石さんたちの遺言のようなアドバイスに、逆らいたくなかった。


「この洞窟は、管理長たちが掘ったのか?」

「いいえ。我らに用意されたものです。尊き者よ」


 この洞窟は、本当に広かった。いや、奥に長いというべきか。

 岩をらせん状に掘り進めて造られたんだろう。

 階層的には、全部で3階か、4階か……。

 とにかく僕は、何度もカーブを通って、突き当りの部屋に通された。


「さあ着きました、尊き者よ。我らが根城で、1番の部屋です。どうぞごゆるりと……」


 管理長はそう言って、すぐに背中を向けて去っていった。

 僕が通された部屋は、多分、洞窟の最奥だ。

 1番の部屋と言ってたけど他の部屋と同じように窓はないし、あるのは簡素なベッドと壁にかけられた2本の松明だけだ。

 おまけにドアもないから、部屋は廊下から丸見えだ。


 僕の見張り役か、それとも守り役か。

 2匹のぎょろ目モンスターの姿が、部屋の外に見える。

 ……これじゃあ、仮面を外すわけにもいかない。


「……あした起きたら、この洞窟にペンダントのカケラがないか、それも探さなきゃ」


 そう呟く。この数時間で、本当にいろいろあった。

 レナがいなくなって、僕もハイドアを通って。

 そして白石さんやザンさん、ミシェルさんと会って、彼らに守られて……。


 ザンさんとミシェルさんは、眠る必要がないと言っていた。

 だけど、疲れは溜まる。

 精神的に、疲れた。


「必要がないだけで、眠れはするだろう……」


 布団もないベッドに横たわって、僕は静かに目を瞑った。




――




「人間だ! 人間がいたぞ! 自ら名乗った! 人間だ!」


 どれだけ眠っただろうか。

 僕はけたたましく叫ぶ、そんな言葉で目を覚ました。

 慌てて自分の顔を触ってみるが、その感触は硬い。――仮面は取れていない。

 なにか、別の理由でバレのたか……?


 急いで立ち上がり、ベッドの近くに立てかけてあった和傘を持つ。

 傘を開くボタンを2回押して剣と盾に分離させようと思ったところで、ぎょろ目のモンスターが大慌てで部屋に入ってきた。

 ローブの色が灰色だ。管理長じゃない。


 ぎょろ目は平伏してそのまま、しわがれた声で「尊き者よ、お眠りのところ申し訳ありません!」と声を張る。


「さきほど人間が現れまして、自らを人間だと答えました! 目下、捜索中でございます!」


 さきほど? 現れまして?

  ……僕の正体が、バレたわけじゃないのか。

 寝起きの頭を働かせる。


 ってことは僕以外に、ここに人間が来たのか!



「ああああ! なんたる失態! なんたる失態! あああ申し訳ありません尊き者よ! 人間を取り逃がしたばかりか、原初様の封印を解くカケラを、奪われてしまいました!」


 五体盆地したまま、緑色のローブを纏った管理長が部屋に入ってきた。


「カケラ? カケラがあったのか?」


「はいッ、しかし、しかし、奪われてしまいましたあァッ! 必ずや捕らえ、カケラを奪い返しッ、その血が滴る1滴まで余すことなく贄と致しますッ! ああ誓いますともッ!」


 あのカイブツに関係のあるカケラ。

 十中八九、僕の首にかかったペンダントのカケラだろう。

 それが、ここにあったけど、奪われた……。


 ……………奪う? なんのために?

 考えている間に、管理長ともう1匹のモンスターは居なくなっていた。


 紅い和傘を持ったまま、僕も部屋を出る。

 洞窟の中は、大変な騒ぎだった。

 こんな数、どこにいたのか……。


 数百匹のぎょろ目モンスターが短槍を持って、駆け足で動いていた。

 みんな緊迫した顔だ。

 ……だけど僕は人間だし、人間の味方だ。


 怪しまれるかもしれないし、僕が人間だとバレるかもしれないけど、「人間は捕まえるな、放っておけ」とでも言ってみようか……。



「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあぁあ!」


 そう考えていると、耳を覆いたくなるような、悲痛な絶叫が耳をつんざいた。

 心がザワつく。

 その絶叫は洞窟内で反射し、どこから聞こえたか分からない。


 僕は道行くモンスターに尋ね、声がした方に向かって走った。

 ああ、いやだ。この道は――。


「っ」


 処刑の間。

 頑丈そうな鉄扉は開かれ、その前に管理長が立っていた。

 僕に気が付くと、管理長は慣れた動きで平伏して、立ち上がって言った。


「尊き者よ。この声は残念ながら、人間のものではございません。しかしながら昨晩、贄になる資格がないと仰った者を、家族ともども、塵にしたところでございます! 祖父に祖母、父と母、あの娘に旦那、その赤子に至るまで、生贄となる資格のない者は、生かしておいても仕方ありませんからなぁ!」


 血の気が引くのが分かった。

 生贄なる必要がないって、昨日僕が助けた、あのモンスターのことだ。

 それを、家族ともども、塵にしたところ……?


 僕があのとき、彼女を助けようと思ったから?

 僕があのとき、彼女を助けたから、その家族ごと、殺したってこと?


「いや昨晩、強い祈りと魔法が込められた、砂の詰まった瓶を見つけましてな。あまりに強力な祈りが延々と増え続けていたので、処理に困り……。仕方なく処刑の間に放り込んだのでございます。しかし、見事なまでに強力な祈りッ! みな激しい痛みを伴って消滅していきましたね! 素晴らしい悲鳴でした! …………問題は、微量ながらも増え続けるこの砂をどう調節するかですな。しばらくは経過観察のため、処刑の間を開放しておく他ありませんなあ」


 管理長の言葉に、思わず、左のポケットをまさぐる。

 ない。

 白石さんから貰った、小瓶がない。


「失敬、戯言でしたな。人間についてはご心配なさらず。すでに400匹の仲間を放ちました。人間を捕まえるのは、時間の問題でしょう」


 心が、挫ける音がした――。

 いっそのこと、いっそのこと。

 このまま僕も処刑の間に入って鍵をかけて、この異界から逃げだしてしまおうか。


 いっそのこと、いっそのこと。

 今ここで、管理長を処刑の間に、突き落としてしまおうか。

 そんな考えが頭をよぎる。


「…………ああ」


 だめだ。逃げることは、したくない。

 ザンさんに。白石さんに。ミシェルさんに、レナに、合わせる顔がなくなる。

 それにこのタイミングで敵対しても、まだ洞窟にはぎょろ目モンスターが何百匹もいる。


 勝ち目はない。

 そう、勝ち目がない。

 いつの間にか、どうやったら勝てるかを考えている自分に気が付く。


 落ち着け……。そう自分に言い聞かせる。

 右手に持つ和傘の柄を、強く握りしめる。

 白石さんもザンさんも、戦うなと言っていた。

 それは人間がモンスターに敵わないからでもあるだろうし、僕に殺しをさせたくなかったからかもしれない。


 それに…………戦うって、じつは命の奪い合いだ。試合じゃない。

 怖くて、体が震える。

 僕の心は、葛藤でいっぱいだった。


 生贄は止めさせたい。でも戦うことになっても、モンスターとの殺し合いなんてゴメンだった。

 僕が勝ち続ける姿なんて、思い浮かばないから。


 僕にはケンカの経験はあるけれど、それは絆創膏を貼れば済むレベルでしかない。

 死んで絆創膏を貼られても、人間は生き返らない。

 殺されたモンスターも、生き返らない。


「尊き者よ、いかがしましたかな?」


 管理長が僕のことを見上げる。

 その顔を見るのもイヤだったけど、僕は大きな目玉を見ながら、静かに尋ねた。



「……人間が、生贄や殺しを止めろと言ったら、どうする?」


 仮に生贄を命じたのが“原初のモンスター”なら、この仮面を被る僕がそれを言うのは不自然だ。

 彼らは僕を、その使者だと思い込んでいる。


 それならなおのこと、僕の立場からすれば、生贄を推奨すべきだ。

 止めろと言えばその不自然さから、僕が人間だとバレてしまうだろう。

 ぎょろ目は1つしかない大きな目玉をパチクリさせて、質問に答えた。


「なぜ、人間に我らが従うのですか……? 人間は、贄です。私どもは原初様の復活まで支援致します! 私どもの肉体が贄にならないのが、もどかしいほどですッ」


 生贄は止めないと、管理長は言った。

 完全に相容れない。

 それが、分かってしまった。


「ゆっくりしすぎましたな。私も、薄れる前に人間のニオイを嗅ぎにいかねばなりません。お話の途中で残念ではございますが、これにて失礼させて頂きます」


 管理長はそう言って、狭い通路で僕の横を通り抜け、駆けていった。

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