第19話
「ゆっくりしすぎましたな。私も、薄れる前に人間のニオイを嗅ぎにいかねばなりません。お話の途中で残念ではございますが、これにて失礼させて頂きます」
管理長はそう言って、狭い通路で僕の横を通り抜けて駆けていった。
分厚い鉄扉の近くまで行って、処刑の間と呼ばれる穴を覗き見る。
深淵。
こういうものを、そう名付けるんだろう。
深く、深く、狭くて暗い穴が、僕を覗き込んだ。
もう、僕が助けてしまったモンスターの姿は見えない。
「…………行かなきゃ……」
罪悪感と、責任感。
大きかったのは、どちらだろうか――。
気が付けば僕は洞窟を出て、ふたたび祭りのような喧騒の中にいた。
昨日と同じように、大きすぎる真っ赤な満月が頭上に昇っている。
夜だ。
「ああ? なんだ? やけに今晩はゴキブリ共が多いじゃねえか」
「しっ! お前ッ、バカ野郎。蔑称がヤツらの耳に入ったら殺されるぞ。……聞いた話によれば、人間が来たんだと。俺たちが捕まえたら向こう100年間、家族含めて生贄にならなくて済むらしいぞ! ……もっともそりゃ、生贄じゃなくて処刑されるだけかもしれんがな」
耳を澄ませなくとも、モンスターの話題はその1つだった。
人間が現れた。
その話題で、モンスター達は熱い議論を交わしている。
人間を捕まえて差し出すか、伝承を信じて放っておくか。
「俺は捕まえるぜ。見ず知らずの全く別の生き物のために、なんだって人間とやらが命を張って助けてくれるってんだ? あり得ねえ。伝承はウソだ」
「俺は逃がすね。毎夜毎夜、消滅に怯えながら過ごすのはもう沢山だ――って、うわっ、止めろ! ウソだよ、冗談だ! 止めてくれッ! そんなこと言ってねえ! やめッ」
耳を塞いで、湖を目指す。
昨日、助けになると即答すれば良かった。
きっと彼女は、僕をぎょろ目に突き出したりはしないだろう。
人混みを抜け、路地を走り、湖の畔に辿り着く。
「…………良かった」
安堵したような、よく澄んだ声が聞こえた。
湖に着くと、空中で揺らめく姿があった。あのゴースト……メイリンだ。
「あなたを捕らえて、向こう100年間わたしは無事――そう思われていなくて、良かった。……来てくれたってことは、ある程度、覚悟はしてきてくれたんだよね?」
メイリンの言葉に、僕は、頷けなかった。
ここに来たのは、戦う覚悟ができたからじゃない。
あのモンスターとその家族を死なせてしまった――その罪悪感と責任感から僕はここに来たんだ。
そしてその理由は、多分、慰めてほしかったから。
僕は助けに来たんじゃない。
助けてもらいたかったんだ……。
「……伝承の人間は、僕じゃない。僕は戦えない。僕には、恐るべき力なんてないから」
だから、戦うのが怖い。
なんの力もないから。
メイリンは僕を頼ってくれてるけど、僕はただの、人間のこどもだ。
伝承に残るような戦士じゃない。
僕の弱気な発言に、メイリンは「んー?」と首をかしげる。
「そうかな? あなたは逃げることもできたのに、ここに来てくれた。それってすごい勇気じゃない? 私はその勇気こそ、恐るべき力だと思うな。……だってさ、どんなに強大な力をもっていても、逃げ出すなら何の意味もないでしょ? だけどあなたはここに来てくれた。わたしは、そのことがとっても嬉しい」
メイリンの言葉に、僕は思わず泣きそうだった。
涙で潤んだ視界で、紅い和傘を持ち上げて見つめる。
ミシェルさんも、白石さんも、ザンさんも、僕を救ってくれた恩人たちはみんな、逃げ出さずに、その勇気をもって僕を次に向かわせてくれたんだ。
既に死んでいることを悟って、クリアが自分たちの消滅を意味すると知っても、それでも僕を次に行かせるために。
「でも安心した。あなたが――って、名前は教えてくれないの?」
「かげっ、カゲフミ。僕の名前は、カゲフミ」
尋ねられ、涙声だったのに気づいて言い直す。
僕が涙を拭うのを待って、メイリンが優しく笑った。
「カゲフミが、酷い目に遭ったんじゃないかって思ってたの。……人間が逃げた! 探せ! ってヤツらが叫んでたから、私てっきり……。……だけど残念だけど、もうこの町も人間の味方ばかりじゃない。特に、子どもがいる者は」
……伝承にある人間が来たと、どうしてわざわざ希望を持たせるようなことをギョロ目たちはモンスターに言ったのか。
それが少し、疑問だった。
だけどこの異界は、言うなれば恐怖政治だ。
人間を捕まえろ、そうしたら家族全員、生かしておいてやる。
そう言われれば、必死になって僕のことを探そうとするだろう。
僕は逃げ場がなくなるし、ここのモンスター達も一枚岩じゃなくなる。
イヤな手だ。
……きっと命令を出したのは、あの管理長だろう。
あいつ、相当な曲者だ。
そう考えていて、気が付く。
ぎょろ目やモンスターが探しているのは人間だけど、僕のことじゃない。
この世界に2人の人間がいることは、いま、僕しか知らないんだ。
「人間だとバレたのは、僕じゃない。新しくもう1人、この世界に来たんだ」
その人が、伝承の救世主だったらいいのに……。
そんな他人任せな思いを言葉に乗せて言うと、メイリンが目を見開いた。
「人間がもう1人? もう1人いるのねッ? それなら新しく来た人間も仲間に加えたいわね! カゲフミは新しく来た人間が、どういう人か知らない? 同じ人間でしょ?」
「人間は沢山いるから、分からないよ。今はたしか80億人とかいるもの」
全員がハイドアを通って、地球が空っぽには、なってないだろうけど。
「……おく? おくって、何?」
「沢山ってこと」
「ふーん。……それなら、しょうがない。すごく疲れるけど、探してみるかしかないわね。捕まったらきっと、殺されちゃうだろうし」
「ぎょろ目モンスターの管理長が400匹以上のモンスターを放ったって言ってた。まだ見つかっていないなら、かなりの実力者だ。……見つけるのは、大変だと思うよ」
そもそも、これだけ動員されているのに見つかっていないんだ。
隠れているに違いない。
僕は仮面を外せないし、メイリンはゴーストだ。
新しく来た人間は、僕らのことを仲間だとは思わないだろう。
見つかりっこない。
だけど、メイリンはニッと笑った。
本当に、ゴーストらしからぬ、明るい表情だった。
「わたし、生命探知の魔法が使えるの。正確には、心臓の位置が分かるわ。人間って、カゲフミと同じ生命体でしょ? それなら心臓も動いているし、見つかると思うのよね。あのゴキブリ共の心臓は見分けが付かないけど、住民の心臓は形も大きさも覚えているの! 魔法を使ったわたしの眼からすれば、初めてみる心臓は目立つと思うわ!」
魔法。生命探知。
そういうのもあるのか。
そういえば、ザンさんの腕も硬質化して肘が伸びてた。
特に装備はなかったように見えたし、あれも魔法だったのかもしれない。
「ダメよメイリン。その魔法は体力を消耗するんでしょ? 取っておきなさい!」
「え?」
突然、ぼくの影が喋りだした。
いや、正しく言えば、ミシェルさんから貰った和傘の影だ。
影はニョロニョロと動いて肥大化し、地面から離れて立体的な形を作る。
僕の良く知る、少女の姿に。
「まったく。逃げる側が先に鬼を見つけて、どうすんのよ。いい? まだ、カゲフミが鬼だからね」
有無を言わせぬ強い口調、まっすぐな、その物言い。
芯まで黒い純粋な黒髪に、野良猫を思わせる鋭いツリ目、大胆不敵な笑顔。
間違いなく、レナだった。
……でも、僕の身長は155センチ。
レナは150センチだったはずなのに、いまの身長はレナの方が高い。
髪の毛の長さは肩甲骨までだったのに、腰まで伸びている。
おまけに真っ黒だった髪の毛は、3筋のメッシュで一部がピンク色に染まっていた。
それに、それに。
良く見たら、顔つきも違う。
輪郭が、少しだけ細長い気がした。
幼さがなくなって、まるで年上のように見える。
タイプだ。可愛い。落ち着け、そうじゃない。
「……本当に、レナなのか?」
魔法があるんだ。
化ける魔法だって、あるかもしれない。
それにこのレナ、傘の影から出てきたんだぞ。人間じゃないかもしれない。
そういえばメイリンも初めて会ったとき、影に溶け込むようにして消えていった。
もしかして、ゴーストか?
じりっと下がった僕を、レナのツリ目が追う。
そうだよ、おかしいんだ。レナのことだ。
まずは隠れんぼをしていたのに、ほったらかしていた僕を怒るべきだ。
あれは僕が全面的に悪い。
なのに怒らない、ってことは、レナじゃない……っ?
「何考えてるか分かるけど、あたし別に、怒ってばっかりじゃないわよね? それに、あたしがあたしである証明なんて、あたしであるからとしか答えられないでしょ?」
レナだ。この答えは間違いなく、どう考えてもレナだった。
偽物ならもっともらしいことを言うはずだ。
なのに言わない。それは本物だからだ。
だけど本物なら、余計に疑問が生まれる。
身長が伸びているのは、髪の毛が伸びているのは、大人びて見えるのは、髪の毛の色が違うのは――、どうしてなのか。
でも、そんな理由なんてどうでも良かった。
だって、レナが目の前にいる!
「レナっ! 会いたかった!」
1歩踏み出してレナに抱き着こうとして、恥ずかしさが勝った。
勢いあまってその場でたたらを踏み、体勢を整えて、レナの目の前で止まる。
ミシェルさんには抱き着けたのに、なんだか、レナに対してはムリだった。
とてつもない恥ずかしさと緊張があった。
「……うん、あたしも会いたかったわ、カゲフミ」
レナが、僕の目の前にいる。
その事実が、戦わずに何とかしようと考えていた僕の心を傾けた。
期待させたメイリンを裏切るような形になってしまうけど、僕は死にたくない。
レナを戦いに巻き込んで、死なせたくない。
……戦いになれば――殺し合いになれば、その技術や経験のない僕らから真っ先に殺されるだろう。
それは、嫌だ。
なんとか洞窟に忍び込んで、処刑の間から逃げるしかない。
そうだ、あのペンダントを見せれば、人間だとバレても逃げれるかもしれない。
「レナ、僕と一緒に――」
言おうとした僕の言葉を遮って、レナは端正な顔を傾けて、静かに尋ねる。
「カゲフミ、そんなに臆病だっけ?」
どくんっと心臓が飛び跳ねて、沈んだ。
「……ぁ」
声が、出なかった。
やばい。いやだ。
嫌われる――それは僕にとって、何より怖いことだった。
心臓がバクバクいっている。目を合わせていられず、僕は思わず下を向いた。
「…………」
声が出ない。
メイリンは僕らの会話を、そっと待ってくれている。
レナはすぐに、地面にしゃがりこんだ。
お尻を着けずに折りたたんだヒザを抱え、レナの野良猫みたいに吊り上がった目が、下から僕をのぞき込む。
「あたしが知るカゲフミは、いつだってカッコ良かったけどなあ」
……それは、カッコつけてたからだ。
レナが好きで、頑張る彼女がカッコよく見えて、僕もレナにそう思われたいと思った。
だから僕は怖くないフリをした。
レナが好きなんだと自覚してから、僕はずっと臆病な自分を隠し続けた。
見つからないように、バレないように。
強がる自分だけが、見つかるように。
ここ3年でレナが見てきた僕は、カッコつけのメッキで覆われたそういう僕だ。
だけど本当の僕には怖いものが沢山あって、やっぱり臆病だ。
レナは、まっすぐ僕の目を見つめた。
……少しして、レナが言う。
「その様子だと、ラスティンとフィーナ。2人の名前に、憶えはないわよね?」
「……うん」
声が出た。
そのことに安心していると、レナは少し、寂しそうな顔をした。
「23」
立ち上がりながら、レナが言う。
僕よりも背の高くなった彼女の目を少しだけ見上げて、言葉を待つ。
「あたしがこの2年で通った、ハイドアの数よ」
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