第20話

「あたしがこの2年で通った、ハイドアの数よ」


 すぐには、意味が理解できなかった。


 2年……?

 そんなに長い間、異界に閉じ込められて……、それを、23回も……?

 だからレナの身長が伸びていて、髪の毛も――。

 はっとする僕の顔を見て、理解したと分かったんだろう。

 レナは、淡々と続けた。


「その中には、泣きながら逃げ出した異界も絶望して諦めた世界もある。だけど、何個か救えた世界もあるの。以前に行ったハイドアで、カゲフミの話を聞いたわ。カゲフミが救わなきゃ滅びるはずだった世界よ。今あたしが一緒に帰ったら、彼らが死んじゃう。それはできない。…………それに、あたしは2年後のあたし。カゲフミが連れて帰るあたしじゃない。だから、一緒には帰らない」


 レナは、最後まで一定の声量で言い切った。

 悲しい顔で、だけど声に感情は出さずに、淡々と。


「……本当に、一緒に帰れないの?」


「ううん。帰らないの」


「…………分かった」


 理屈は分かる。

 2年経ったレナはきっと、僕の知るレナとは、少し違うんだろう。

 その成長してしまった体で、異界で傷ついた心で、もとの世界に帰りたくないのかもしれない

 分かるけど、嫌だった。


 でも、僕のイヤだという気持ちだけで、レナは考えを変えたりしない。

 それも分かっていた。

 頷く僕に、レナが優しく笑う。


「やっぱり、2年前のカゲフミが1番かっこいわね」


 どこがだよ。

 泣いてこそいないが、僕はきっと、ひどい顔をしている。


「でもそれじゃあ、いつになったら一緒に帰れるんだよ」


 ハイドアの仕組みは良く分かっていないけど、レナは未来の僕が救った世界に行ったと言った。

 つまり、時間軸がバラバラってことだ。

 僕の知るレナを見つけたとき、僕が2年後の僕かもしれない。


「少なくとも、カゲフミがあの世界を救うまでは嫌よ。でも、そうね。目印は必要よね」


 考えるそぶりをしたのは一瞬。

 レナはどこからか、柄にいくつもの宝石が散りばめられた短剣を取り出した。

 そして綺麗な長髪の――その純黒の毛を束ねて掴み、短剣で一閃。


「え?」

「えぇっ!」


 今まで静かだったメイリンと、思わず同時に声を漏らした。

 背中まであったレナの髪の毛は、いまやギリギリ肩に届く長さしかない。

 バッサリと切られた髪の毛が、彼女の左手に握られていた。


「例の2人を救ったあとに、少し前のあたしを見つけて。いーい? これからあたし、この長さをキープするから。ショートヘアのあたしは連れて帰っちゃダメ。髪の毛が肩甲骨までの、ミディアムヘアーのあたしを見つけるのよ。……もう、タイムパラドックスって、あたし良く分かんないから、未来の話は避けたかったのに」


 レナはそう言って左手に握られた、綺麗な髪の毛の束を掲げる。


「ほしい?」


 僕とメイリンがブンブンと首を横に振ると、少し残念そうに「そっ」と言って、地面に埋めた。ついで、短剣をいつの間にかどこかにしまい、僕の頬を片手で鷲掴みにした。


「ぶぅぉ」


 僕の口から、変な声が漏れる。


「これ、ムカついたから私もやりたかったのよね」


 なんて言って、すぐに手を離す。


「はい。もうそんなチワワみたいな顔はおしまい。いつもの柴犬みたいな顔にして」


 柴犬みたいな顔って、どんなだよ。それに、いつもの……。

 いつもの……?

 困惑しながら、僕は頷いた。

 パシリと両頬を貼って、顔をあげる。


 確かに、クヨクヨしていても仕方がない。

 目標は決まった。

 今一緒に帰れないのは残念だけど、2年前のレナを探すんだ。


 それにこんな顔、いつまでも彼女に見られたくない。

 柴犬みたいな顔に、なっていだんだろうか。

 いつも通りの顔を心がけると、レナは満足そうに頷いてメイリンに尋ねた。


「それで? メイリン。ここがあんたの元いた世界? あ、やば。これ言っていいのかな」


 元いた……?

 それになんだかレナは、メイリンのことを知っているように思えた。

 もしかしてここを無事に脱出できたとき、僕はメイリンと一緒に行動しているのか?


 ということは、この異界を無事に脱出できることは、確定している……?

 ……いや。

 頭がこんがらがるが、今の僕にとって過去は不変でも、未来は変わっていくはずだ。

 そうじゃなければ、例えば僕がここで「人間はここでーすっ! 僕もでーす!」と叫んでも無事だということになる。それはおかしい。

 安全は確定していないはずだ。

 メイリンは急に尋ねられて、少し慌てたようだった。


「そっ、そう! ここが、私の故郷」


「現状と、原因は?」


 レナが簡潔に問う。

 メイリンは気を落ち着かせてから、真面目な顔で話し始めた。


「……見たことがないモンスターがいたの。そいつは最初、1匹だった。いつの間にか出来てた洞窟に棲みついて、すぐにそこから小さなモンスターが這い出してきた。応戦できたのは、初日と2日目だけ。その後は、もの凄い数のモンスターが出てきて……。私たちが支配下に置かれるのに、時間はかからなかったわ。血がある種族は何かを復活させるため生贄にされてる。それが、これまでの経緯。最初のモンスターはいま、王と呼ばれてる。現状は……反抗する者は陽光炙りの刑に処されて殺されて、血がある者は、生贄にされる。……家族や恋人を殺されて怒りを持ってる者も多いけど、今生きてるのは、反抗しなかった者たち。……わたしも含めてね」


 苦々しそうに、メイリンは言い終えた。


「……いやなことなのに、教えてくれてありがとう」


 湖の少し上を浮遊するメイリンに近づいて、レナは優しい声で言って頭を撫でた。

 …………やっぱり、僕の知ってるレナと少し違う。

 レナは優しいけど、頭を撫でたりとか、そういうスキンシップはしなかったはずだ。


 同じレナのはずなのに、その理由だけで、なんだか寂しく感じる。

 ああいけない。柴犬の顔だ。メッキだメッキ。

 頑張れ、クヨクヨすんな。

 取り繕っていた僕に、レナが振り返って尋ねる。


「それで、カゲフミはどう戦うの?」

「え?」


 思いもよらぬ問いかけだった。

 レナの中で、僕が戦うのは決まっているみたいな言い方だった。


「えっ、って。……メイリンの故郷を救うために、戦うんでしょう?」

「…………もちろんさ」


 どうやら僕は、心にメッキを多くつけすぎたらしい。

 戦うのは、相変わらず怖かった。

 だけど、そんな風に言われて「怖いから逃げます」とは言えない。

 好きな子に「できる?」と訊かれたら、返事は「できます」しかないのだ。


 だけど、メイリンの故郷を救いたいのは事実だ。

 生贄なんて、やめさせたい。

 その最後の後押しが『好きな子の前でカッコつけたい』っていう理由なのが、メイリンに申し訳ないけど……。僕らしいかもしれなかった。


 ……強がる前の表情を見られたのか、2年後のレナが優しく微笑んで、僕に近づく。

 こんなレナ、知らない。


 僕の知ってるレナは、もっと無邪気で、もっとお子様だ。

 こんなお姉さんみたいなレナの笑顔……。ぼくは知らない。

 近づいてくるレナは、すごく魅力的だった。

 可愛くて、安心できて、大人っぽくて。

 そんなレナが、僕の瞳を真っすぐに見てくる。


「自覚がないようだし、今だから言えるけど、カゲフミはすごいのよ。やるときはやる。それがカゲフミ。…………だからあたしを追って、ここにいるんでしょう?」


 終わりの言葉と、なんだかお姉さんなレナの色っぽい表情。

 それを見て、僕の心臓は飛びに飛び跳ねた。

 口から飛び出そうとか、羽が生えて飛んでいきそうとかではなくて、地面に打ち上げられた巨大魚。ドッタンバッタン大暴れして、僕の血のめぐりを激流に変えてくる。


 僕の頭が、かーっと熱くなるのが分かった。

 ――告白もしていないのに、好きなことがバレる。そんなのはいやだった。

 ちゃんと自分から、言葉で伝えたい。

 そう思うけど、僕はきっと、過去最大に顔真っ赤だった。


 僕の様子に気が付かなかったか、思っているほど顔にでていなかったか、それとも、頭上に昇る赤い満月のおかげか……。

 レナは変わらぬ顔で、僕に言う。


「だからきっと、カゲフミは最初から戦うと決めていたはず。でもね、戦闘はあたしがやるわ。カゲフミはできることをやって。精一杯、全力で」


 力強いレナの目と、言葉。僕は鼓動を、無理やりに落ち着かせる。


「僕も戦うよ。ちゃんと」

「……うん、偉いね。それでこそカゲフミだわ」


 …………なんだかこのレナ、調子が狂う。

 だけど、新しく来た人間がレナで良かった。

 そんな風に思って、ふと、管理長の言葉を思い出した。


「カケラを奪ったって聞いたんだけど……。奪ったの?」

「カケラ……ああ、これね。……この石、前にも見たことがあるんだけど……。その異界、悲惨だったわ」


 言いながらレナが右手を僕に向けた。

 ゆっくりと、握られていた指が開かれる。


 その手の中には、短辺がわずかに丸みを帯びた三角形の小さなピースが握られていた。

 材質は分からないが……その色は、ドス黒い。


「多分、乾く前から常に新しい血を流し続けていたんでしょう」

「うっ」


 メイリンがカケラを見て、呻く。

 僕は、服の中に隠していたペンダントを取り出した。

 明らかに、ピースの形と土台に付けられた枠線の形が一致する。


 ペンダントの土台は、強く光っていた。さっきよりも強い光だ。

 もしかしたらピースとの距離が関係しているのかもしれない。


「それなに? カゲフミ……」


 警戒。

 嫌悪。

 異物を見る目で、レナがペンダントに眼差しを向ける。


「最初に遭ったカイブツ、いるだろ? アイツがくれたんだ。……カケラを全部揃えたら、もとの世界に返してくれるって言ってた」


 触りたくもなかったけど、このままレナに持たせ続けるわけにもいかない。

 震える手で、僕はピースを持ち上げた。


 軽いはずなのに、ずっしりと重く感じる。

 そんな気持ち悪さが、ピースにはあった。


「……なにする気?」


 僕の動きを、レナが見守る。僕はカケラを持ったまま、静止した。

 ……ぎょろ目モンスターの倫理観は、明らかに僕ら人間とは違う。

 そんな彼らが神のように崇める“原初様”。

 そのカイブツの封印を解くピースを揃えて、本当に良いんだろうか。


「…………それ、集めて平気なの?」


 レナが心配そうに僕を見た。

 僕も不安に思っていたことを、口にだして訊いてくれる。


「その石、とっても嫌な感じがするの。血がどうとかじゃなくて、もとからの気配が……。うまく隠してるけど、すごく嫌な感じがする。……ねえカゲフミ、それ捨てましょ」

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