第15話
「祈るから、その場で立っていて。次の異界でレナちゃんと逢えますよう。あなた達が、無事にもとの世界に帰れますよう、祈るから。せめて私に、祈らせて」
意思の強い口調でそう言われ、僕は彼女の祈りを受け入れることにした。
床に置くと吸収されてしまうかもしれない。
その理由から紅い和傘を預かり、彼女が僕の前で、跪く。
そのまま優雅な動作で手を組んで、ミシェルさんは祈りはじめる。
……数分間。
僕は目の前で祈るミシェルさんを、ただ見つめていた。
言葉はなかった。
ただ、目を瞑り祈るミシェルさんの顔から汗が垂れるのをみて、一生懸命に祈ってくれているのが分かった。
だから、僕は待った。
ミシェルさんが自分の顔の汗を拭い、立ち上がるまで、僕はミシェルさんを見つめ続けた。
「効果があると、いいんだけど」
立ち上がったミシェルさんは、照れくさそうに笑っていた。
和傘を返そうとすると、多分痛かったんだろう、膝をさするミシェルさんが首を横に振った。
「それ、あげるわ。多分、持っていけるはず」
「えっ。でも、ミシェルさんの武器が無くなるんじゃ……」
「私は、もっと良い武器があるからいいのよ。最強の武器がね。カゲフミ君こそ、次の異世界に行ったときに困るでしょ?」
たしかに次の異界に行ったとき、すぐにモンスターが攻撃してきたら困る。
でもこの和傘があれば、少しは敵にとっての脅威になれるかもしれない。
ミシェルさんだけが戦って、僕だけが戦わないのはイヤだった。
「傘を開く突起があるでしょ? そこを1回押すと普通に開いて、2回連続で押すと、剣と盾に分離するの。とある異界の戦闘民族に作ってもらった武具だから、盾は頑丈だし、傘に戻せば手入れもいらないわ。もちろん傘のままでも防御ができる、優れものよ」
話だけ聞けば、かなり良さそうな武具だ。
……本当に、僕が貰っていいのだろうか。
「自分で武器を見つけたら、ちゃんと返しますね」
僕の言葉に、ミシェルさんがにっこりと笑う。
「そうね。だけど、直接の手渡し以外では受け取らないから、それまでしっかり使ってね」
「分かりました」
「うん。…………それじゃあ、カゲフミ君。さきに行って、次の異界がどんなところか、見てきてくれる?」
頷いて、紅い和傘を持ったまま、僕はハイドアへと歩いた。
そのすぐ後ろを、ミシェルさんが歩いてくるのが音で分かる。
「レナちゃんのこと、絶対に見つけてね」
「……記憶にないですけど、努力してみます」
そうして、開け放たれたハイドアの前についた。
「そのまま行って。振り返らずに。まっすぐに」
ミシェルさんの言葉に、僕はハイドアへの一歩を踏み出した。
ドア枠の中。
うねうねと動く、真っ黒い煙のようなモヤ。その中に、右足を突っ込む。
地面はある。右足が、地面に付くのを感じる。
そのまま左足を動かして、全身をハイドアの中へと入れようと思ったところで――なぜか、そのまま行ってはいけないと感じた。
ドアの中に踏み入れた左足を、無理やり引き戻すような……背中を引っ張られるような、そんな感覚もあった。
とっさに左足を引っ込めて、ミシェルさんに振り返る。
背中を引っ張られた気がしたが、ミシェルさんじゃない。
彼女の手は、胸の前でクロスされている。
じゃあ、誰が――。
そんなことを思う余裕は、僕にはなかった。
胸のまえで腕をクロスしているミシェルさんが、彼女が、声を出さないように口を一文字に結んで、大粒の涙をボロボロと流しているのが見えたからだった。
「振り向かないでって、言ったのに……」
そう口を開いたので限界だったのか。
抑えていた感情が溢れるのを止められないとばかりに、ミシェルさんは泣きながら僕にすがりついた。
「わだしは、わたしだって、カゲフミ君のことが好き。忘れたくない、忘れられたくない! 覚えていてほしい! 私だって、一緒にっ! …………っ」
怒っているわけじゃない。ただ感情の波が高すぎただけ。
それは分かっていた。
だけどこんな告白、初めてだった。
僕もミシェルさんの事が好きだ。
正直、僕のなにが彼女を泣かせてしまっているのか、僕には分からなかったけど……。ここまでハッキリと言われて返事をしないなんてこと、僕はしたくなかった。
忘れているというレナの名前が頭をよぎったけど、僕は意を決して、口を開く。
「あの、ミシェルさん、実は僕ふぉ――」
だけどその口を、ミシェルさんが片手で鷲掴みにしてきた。
困惑していると、ミシェルさんは琥珀色の瞳を涙で濡らしながらいたずらっぽく微笑む。そして空いているもう一方の手で、自身の唇に、そっと人差し指を立てた。
「しーっ。……それは多分、言う相手が違うかなあ。本当に、残念だけど。……さ、向こうで待ってる。私もすぐに行くから、カゲフミ君も。でも、ゆっくりね」
困惑する。わけが分からない。
だけど、ミシェルさんが僕の告白を遮ったのは分かる。
言わせたくないのも、分かった。
その理由までは分からないけど、多分、レナって子が関係しているんだろう。
もしかしたら僕とそのレナって子は、本当に付き合っていたのかもしれない。
だとしたら、その関係を思い出してから言ってほしい。
そういうことかもしれない。
僕が頷くと、ミシェルさんは僕の口から手を離した。
「さあ、レナちゃんが待ってるわ」
それに、ミシェルさんが僕を先に行かせたがっているのも分かった。
だから僕は、彼女の手を握った。
「別々じゃなくて、一緒に行こう」
さっき言ってた。“私だって、一緒に”。その言葉の真意も、僕には分からない。
分からないことだらけだ。
だけど、ハイドアを通ったあとだって一緒にいればいい。
レナという子のことを思い出しても、僕がミシェルさんを想う、この気持ちまで忘れるわけじゃない。
2股はしないから、本当に贅沢だけど、どちらかとはお別れすることになるだろう。
その時にビンタされるかもしれない。罵詈雑言、吐かれるかもしれない。
だけど今好きな人を傷つけて、保身のために予め別れておくなんて、僕にはできない。
痛い目を見るなら、1度に2人を好きになった、僕がみるべきだ。
「いっ……しょに? それは――考えてもなかった。でも、そうね。ふふ、それが1番良い。……そうだ。ちょっとだけ、わがまま言っていい?」
「もちろん!」
ミシェルさんが泣き止んだのを見て、僕は笑顔で答えた。
「エスコートしてほしいの」
「わ、わかった」
そう言われて断る人はいないだろう。
でも、どうやっていいか分からない。
ゲームばっかりしてないで、社会勉強をもう少ししておくべきだった。
「ハイドアから近すぎるわ。もうすこし下がりましょ」
そうして、大体10メートルほど離れる。
リビングのドアからハイドアまでの、ちょうど中間。
「それで……えっと、エスコートって、どうしたら……?」
「左ひじを曲げて、腕を三角にして。その腕の隙間に、私が右腕を入れるから……。あとは、そうね。ゆっくり歩いてね」
言われた通り、左ひじを曲げる。すると僕の胴と腕の間にできた空間に、ミシェルさんがゆるりと右腕を入れて、絡ませてくる。
腰と腰が密着して、これはかなり恥ずかしい。
だけど、わがままを聞くと約束したんだ。やるしかない。
それに、恥ずかしいけど……いやじゃない。いや違うか。
本音は、すごく嬉しかった。
「じゃあ、歩きますね」
「はい」
ミシェルさんが珍しく敬語で答える。僕たちは、ゆっくりと歩き始めた。
「失敗したわね。あの花柄の壁紙でも、むしり取っておくんだったわ」
「え? あの壁紙、赤黒くてテラテラしてて、気味悪くなかったですか?」
「それじゃなくて、最初のはカラフルだったでしょ」
「ああ確かに。……でも、どうして壁紙を?」
「…………花束の代わりよ」
「ああ確かに……?」
なんて会話をしている間、ミシェルさんはずっと、僕の横顔を見つめているようだった。妙に視線を感じる。
ちらりと左隣を見てみれば、思った通り、ミシェルさんが耳を真っ赤に染めながら、僕を凝視して歩いていた。
僕の視線に気づいて照れたのだろうか……下を向きかけたけど、結局下は向かずに、僕の顔を見つめ続けてくる。
泣いていたからか、その目は真っ赤で、耳も真っ赤で、唇は恥ずかしそうにプルプル震えていたけど――それでも、僕を見つめてくる。
その顔は、とても可愛かった。
僕の方が恥ずかしくなって、そんなミシェルさんを見続けていられなかった。
恥ずかしさから目を前に向けて、僕はハイドアだけを見て歩くことにした。
ハイドアまで、あと5メートル。4メートル。3メートル。
どんどん近くなる。
やがてハイドアの目の前まで来た時。
もう、背中を引っ張る感覚は無かった。
「ねえ。カゲフミくん。あのね」
左足が黒いモヤの中へと入ったとき。腕を組んだまま、僕の隣の一歩半後ろを歩いてた、ミシェルさんの声が聞こえた。
足を動かしたまま僕の名前を呼んでくれた、ミシェルさんの顔を見る。
柔らかそうで、優しくて、幸せそうな、天使みたいに可愛い笑顔が、僕を見た。
「わたし、最期にあなたを救えて良かった。――だからどうか、負けないで」
一瞬だけ見えた、僕にだけ向けられた、最高の笑顔。
思わず、僕の顔にも笑みが溢れた。
僕のそんな表情を見たからか、ミシェルさんも「ふふっ」と笑う。
だけど次の瞬間。
ハイドアの黒いモヤに視界を奪われて、僕は思わず前を向いた。
見えたのは、両開きのドアの隙間からこぼれる、淡い光だった。
多分、次の異世界に移動したんだろう。
いま居る場所は、物置か倉庫か……。
どうやらここはすごく狭い。ばあちゃん家のトイレより狭い。
おまけに、暗くてよく見えない。
両腕を動かしてみるが、関節がまっすぐになったところで壁に手が付けられた。
縦50センチ。横幅1メートルの空間ってところだろう。
「ザンさんたち、いまごろ待ちくたびれてますかね? ミシェ」
言いながら、気が付いた。
両腕を伸ばしたのに、どうしてミシェルさんに当たらないんだ?
どうして、僕が動く音しか、聞こえないんだ。
すぐには、左隣を見れなかった。
ああ、いやだ。そんなわけない。
こわい。
みたくない。
だけど僕はきっと、見なければならなかった。
エスコートしていた時、彼女は幸せそうに、僕の左隣を歩いていたんだ。
だから、きっと、いるはずだ。
ゆっくりと、左を見る。
「ああ……」
そこには、誰もいなかった。
僕の隣には、誰も。
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