第14話

「それじゃ、最後の戦いだな。おい、覚悟はいいか? 俺は怖ぇえぜ」


 発言者のザンさんの言葉に、僕たちは笑った。

 多分みんな、怖いのは同じだった。

 ザンさんが、白石さんが、ミシェルさんが、僕が、大きく頷く。


「生きて帰るぞ」


 ザンさんが重い声色で言って、ドアを開けた。


 ここから見えるドアの中は、やはり虹色だ。

 廊下を覗くことはできない。


 その中に、ザンさんが消えていく。

 次いで白石さんが、ミシェルさんが、煙の奥へと入っていく。


 6畳ほどの部屋に、1人。

 僕は歩みを止めることなく、彼らのあとを追った。




 ドアの先は、無地の壁紙だった。

 清々しさを感じるほど清潔感に満ちた、真っ白い、無地の壁紙。


 同じ廊下のはずなのに、受ける印象は大きく違った。

 なんだかここは、怖くない。

 不気味さも気持ち悪さも嫌悪感も、ここには無かった。


「はっはあ!」


 大きな声に驚いて左を向くと、笑って喜んでいる仲間たちの姿が見えた。


「やったぞ! やった! ついに、ついにこの異界に勝利したぞッ!」


 白石さんとザンさんが、手を叩いて喜びあっていた。

 仲間たちのさらに奥。


 玄関があるべき場所に目を向けると、そこには黄土色のドアがあった。

 ドアを見ていて気持ち悪さは感じないが、どこか異様な雰囲気を受ける。


 そう、異様だ。

 この異様さ、間違いない。

 ハイドアだ。


「うおおおお! カゲフミ! うおおおおお!」


 ザンさんが叫びながら、ほとんどタックルで抱き着いてきた。

 ほんのりと汗くさいし、年の差もあるけど、そんなものは関係ないと言わんばかりに男の友情を感じるハグだった。


 がっしりと抱き返し、喜びに応える。

 しばらくしてザンさんが背中をばしばしっと叩き、ハグを終えて離れる。


「カゲフミ、お前がいなきゃ、クリアは無かった!」


 面と向かってそんなことを言われ、思わず照れる。

 だけど、そうじゃない。

 クリアできたのは、僕がいたからじゃない。


「僕だけじゃありません。白石さんがいなければ、僕たちは記憶を失うことも分からずに、失敗していたはずです」


「そりゃ、ドミニクのおかげだな。……貢献度で言うなら、ミシェル君が1番だろう。序盤に3つの説を立て、リップで入室の回数を数え、最後にリビングの部屋に飾られているのが死者だと分かったのもローラ君と関わった君のおかげだ」


「そうね。ローラのおかげはかなり強いけど、わたしも頑張ってたわ」


 みんなでみんなを称えあう。

 すごく、尊い時間だった。


「おい、なんで俺のことは誰も褒めてくれねえんだ?」


「あなた、何かしたかしら」


「…………しかし、カゲフミ君の気づいたポイントも、かなり大きかったな。移動回数に、食器棚のグラスが意味するところ、……我々では、気づかなかっただろう」


 ミシェルさんは辛辣だし、白石さんはザンさんの言葉を無視している。


「えっと――あ! 食器棚の法則に気づいたの、ザンさんが逆さってワードを使ってくれたからです!」


 慌ててフォローすると、白石さんが「ぷっ」と小さく笑った。

 彼が微笑んでいるのは何回か見たけど、楽しそうに笑う顔は初めて見たかもしれない。

 イメージ通りの、柔和で、優しい笑顔だった。


「冗談だったと思うが、君がそんなに必死こいてフォローすると、冗談ではなくなってしまう」


「え? 本当になにか貢献した? え?」

「おめえ許さねえからな」


 キスをからかわれた時の仕返しだろうか、ミシェルさんは冗談ではなさそうだった。


「まあとにかく! クリアできたのは、この4人が全力を尽くしたからだ。……君たちと戦えて、光栄だったよ」


 どこか寂しそうに、白石さんが言った。


「なに寂しがってんだよ。1つのハイドアから行ける世界は同じだし、閉めなきゃ同じ時間軸だろうが。おい、次の異世界でも、よろしく頼むぜ」


 ザンさんが屈託なく笑いながら、僕にごつごつした拳を突き出してきた。

 僕はその拳に、自分の握りこぶしを当て、笑って答える。


「こちらこそ!」

「…………。君からさきに行くかい? ザン君」


「おお、そうしようかな。幸い、このハイドアからは嫌な感じがしねえ。……まあ一応、先に行って安全か見てきてやるよ! その部屋から動かずに、待ってるぜ」


 そう言って、ザンさんがハイドアに向かって歩き出す。

 その距離、およそ3メートル。

 ザンさんが1歩踏み出すと、白石さんがその手を引っ張って引き留めた。

 次いで白石さんが右手を差し出し、ザンさんがそれに目をやる。


「なんだよ、こっ恥ずかしいじゃねえか」


 そう言いながら、2人は固そうな握手を交わした。

 ザンさんも、満更じゃなさそうな笑みだった。


「……。向こうじゃ、ゆっくり話もできんかもしれん。いまのうちにハイドアを通ったばかりのカゲフミ君に、選別かアドバイスでも送ってやろう」


 不思議そうな顔をするザンさん。

 だけど次には、笑って頷いていた。


「そうだな。っつっても、俺の装備は帰属だから渡せねえしなあ。教えるとしたら、まずは装備を整えろってアドバイスだな。俺が経験した異界じゃ、俺たち人間に悪意を抱くやつと、どうでもいいと思うやつらは半々だった。が、友好的なのも少しはいる。その時に、装備をゲットするんだ。だけどいいか。立ち向かおうと思うな。やつら、大抵が理解を超えたモンスターだ。敵わねえ」


「分かりました。肝に銘じます」

「おう!」


 それだけ答えて、ザンさんが白石さんの手を離す。

 そしてまた、僕たちに背を向けて、ザンさんは歩き出す。


 ハイドアの前まで行くとその場で止まり、ザンさんがゆっくりとドアを開けた。

 ドアの中には、真っ黒いケムリのようなものが渦巻いていた。。


「じゃあ、俺は先に行ってるぜ。向こうで待ってるから、早く来いよ」


 短く言って、ザンさんがドアの中へと姿を消していった。



「……やっぱりね」


 後ろにいるミシェルさんの声がした。

 彼女はその白い腕に、赤い4つの丸い点でマークを付けていた。

 多分、口紅で付けたんだろう。

 でも、なんで4つで、なんのマークなんだろう。


「ああコレ? ……そうね、なんでもないわ」


 僕の視線に気が付いたのか、そうはぐらかされる。



「さて。いよいよクリアするときが来たな」


 今度は前の方から聞こえた。

 白石さんの声だ。


 振り返り、僕よりもハイドアに近い位置にいる白石さんの顔を見る。


「……ミシェル君は、気が付いているだろう? あの食器棚の種明かしに。あのとき私たちが――ああ。分かった。私からは言うまい」


 なにか合図でも送ったのだろうか。

 話している最中、僕の背後に白石さんが視線を送ったと思ったら何か言いかけて、やめた。


 なんだろう。何を隠されているんだろう。

 ……でも、この3人だけで異世界をクリアした仲だ。


 2人が隠したのなら、隠したいと思うことなら、深く詮索はしまい。

 気になるけど、きっと、言ってくれるタイミングがあるはずだ。


「しかしクリアする前に、そうだな。これから老いぼれる君に、なにか贈りたい。靴は合わないし、この指輪は妻との結婚指輪。腕時計は私とともにあるべきだし――、そうだ。この小瓶をやろう」


 そう言ってスーツのポケットから取り出したのは、彼が左の部屋でまき散らした、銀色と茶色の砂が混じった小瓶だった。


「コルクを外すと、ほぼ無限に出てくる代物だ。茶色いのはただの砂だが、銀色の砂は邪気を払う祈りが込められている。大量に振りかければ、モンスターを焼き殺せる。もっとも砂は少量ずつしか出てこないから、ほとんど逃げるようだがね」


 コルクがしまっている5センチほどの小瓶を、両手で受け取る。

 かかげて見ると、茶色は8割、銀色が2割の割合で、砂が小瓶のなかに隙間なく入っているのが見えた。


「ありがとうございます」


「うむ。それと、基本的に人間は喰われる側だ。手に負えない世界だと感じたら、すぐに逃げなさい。異界には、本当にいろいろな世界がある。まずは隠れて、見て回れ。闇雲に動くな。そして、そこのルールに従うんだ。いいね? ――さて、それじゃあクリア1番乗りとさせてもらおうかね。君たち2人と、ここで戦えてよかった。検討を祈るよ」


 白石さんはミシェルさんを見て、最後に僕を見た。

 どこか硬そうに見えた表情を崩して、優しく笑って、僕にウィンクを送る。

 僕もそれに、ウィンクで返した。

 慣れていないから、両目とも瞑ってしまったけれど。


「はっはっは!」


 機嫌良さそうに笑って、白石さんが僕の頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。


「生きろよ」


 そう言ってネクタイを締め直し、スーツの裾を払い、身だしなみに気を配る。

 そして腕時計の位置を直して、最後に指輪をきっちりと嵌め直した。


「それでは、前途ある者の未来を信じて……」


 格好よく宣言して、白石さんは背筋を伸ばし、堂々とハイドアをくぐっていった。

 僕の背後にいるミシェルさんに振り返り、ふぅっと短く息をつく。




「それにしても、よく2人だけでクリアできましたね」


 無事にこの異界から出られそうだ。

 振り返って見えたミシェルさんの顔は、朗らかに笑っていた。


「そうね」


 短くそう言って、彼女が自分の左腕を見る。

 そこには、4つの丸いマークが付いていた。


 そのマークを見て、彼女の顔に衝撃が走ったのが分かった。

 目を見開き――だけどすぐに、その顔は悲しそうなものへと変わる。


「ど、どうしたんですか?」


 歩み寄って、ミシェルさんの左手を取る。

 そのまま腕を見せてもらうが、マーク以外、とくにおかしなところはない。

 どこか痛いのだろうか、いや、そんな顔じゃなかった。


「えっ」


 見ると、彼女の目から何粒もの涙が垂れてきた。

 僕がそれに気づくと、ミシェルさんは1歩下がって、すぐに右腕で顔を隠してしまう。


「なんでも、なんでもないの」


 その腕でごしごしとこすり、すぐに笑顔を見せてくれる。

 もう涙は流れていなかったが、その目は潤んでいた。

 僕でも分かる。

 無理して笑ってくれているんだ。でも、どうして?


「どこか痛むんですか? それとも僕、何かしましたか?」

「ちが、違うの。ごめんね、少ししたら、落ち着くから」


 痛みはない。その言葉を聞いたとき、僕は迷わなかった。

 再び流れだしたミシェルさんの涙を見て、僕は彼女に向かって大股で近づき、その体を強く抱きしめた。


ミシェルさんの良い匂いを感じるが、安心したいのは、させたいのは、僕じゃない。


「何がなんだか、分からないけど……謝らなくていいんです」


 僕には戦う力がない。ケンカの数だって、たかだ知れている。

 頼りにはならないかもしれないけど、それでも、僕はミシェルさんが好きだ。

 彼女を、安心させたかった。

 一瞬間をおいて、ミシェルさんも僕を、強く抱きしめ返してくれた。


 彼女の呼吸音が間近で聞こえる。

 彼女の吐息が、僕の首筋に当たる。

 ドギマギするが、僕は一生懸命、ミシェルさんを安心させたい一心で抱きしめ続けた。

 やがて、ミシェルさんが静かな声で口を開く。


「ねえ。ここで一緒に暮らさない? 食べる必要はないし、この廊下で。眠る必要はないけどここで一緒に寝て、起きて、毎日好きなもののお話をして」


「……え?」


 ハグしたまま、僕は聞き返した。

 ミシェルさんの口と僕の耳は、すごく近い。

 聞き間違えるなんてこと、ないはずだ。


 だから、僕は聞き返した。

 クリアしない理由があるのかって。


「…………」


 ミシェルさんは答えない。

 数秒して、ミシェルさんが僕の肩に手をおいて、僕を優しく下がらせた。

 肩に手を乗せたまま、ミシェルさんが目を逸らして言った。


「なんてね。この異界を出たら、ここで受けた精神的な影響は消えるはず。だから、この世界での記憶も、多分、もどるかもしれないけど。戻らない、かも、しれないけど。…………それでも、レナちゃんのことは、思い出すはず」


「この世界での記憶って、僕はなにも忘れてませんよ? ぜんぶ覚えています。たった2人でクリアしたその内容を、忘れるわけ、ないじゃないですか」


「そうね」


 困ったように優しく笑ってから、ミシェルさんが僕の前で跪く。


「な、なにを」


 立たせようとした僕を、ミシェルさんは跪いたまま、手で制した。



「祈るから、その場で立っていて。次の異界でレナちゃんと逢えますよう。あなた達が、無事にもとの世界に帰れますよう、祈るから。せめて私に、祈らせて」


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