第9話

「………………」


 部屋に入ってから、少し、待つ。

 ……何も、変化はない。


 いや、感じないというべきか。

 すでに何か、重要な何かを忘れているかもしれない。


「まずは壁に書いた文字を確認しよう。ミシェル君は、口紅の回数を数えてくれ」


 頷いて、ミシェルさんが自分の肖像画を外す。

 壁から見えたのは、口紅の跡が2つ。

 そのとなりに新しくつけて、これで3つになった。


「左の部屋にきたのは、これで3回目よ。私の記憶と一致するわ」


 全員が頷く。

 この部屋に来たことは、誰も忘れてはいない。

 今度は白石さんが肖像画を外した。

 白い壁に箇条書きされた記録を、全員で読む。


「…………どうやら探索時の記憶も、奪われてはいなさそうだ」


 確かに、壁に書かれた記録と僕たちが覚えている記憶は一致していた。

 今のところは何もない。

 記憶を失ってもいないし、思い出してもいない。

 だけど、そんなことがあり得るか?


 法則が違っているのか?

 何か、見落としているのか……?

 それとも本当に、何もないのか……?

 探索時の記憶は奪われていないが、別の記憶を奪われている可能性もある。



「待って……、思い出したわ。前回の記憶よ。感情の肖像画をすべて揃えたら、死んだわ」


「えっ」


 ということは、やっぱり肖像画は、揃えちゃダメだ。

 にしても、なんでミシェルさんだけが新しい記憶を思い出したんだ?



「――ッ! みんな武器を構えろ! 部屋の隅に固まれ! 何かいるッ!」


 唐突に、白石さんが叫んだ。

 そのまま素早く左手の指輪をクルクルと回す。

 するとその左手に、銀色のレイピアが握られた。


 緊迫した声で指示され、僕たちは部屋の隅を背後に4人で固まった。

 だけど、何が何だか分からない。

 だって、何もいない。


 この部屋には、肖像画があるだけだ。

 他には何もない。6畳の殺風景な空間だ。

 だけど白石さんの目線は、あっちこっちに飛んでいる。

 その表情も真剣だ。


「なんなんだよ!」


 ザンさんが言いながら、両の拳を突き合わせる。

 すると彼の両手から肘までがみるみる内に黒くなって、見るからに硬質化する。

 肘からは岩のような突起が50センチほども生えてきた。


「え? 何? なにッ? どこにッ?」


 次に動いたのはミシェルさんだった。

 傘を前方に突き出し、カチカチッと何かを押すと、傘が2つに分離した。

 左手には傘の上部を盾のようにかかげ、右手には紅い柄がついた細い剣を持っていた。

 どうやら傘が分離して、剣と盾になるらしかった。


 ミシェルさんが僕の服を強引に引っ張り、傘の盾の内側へと移動させる。


「わけ分かんないけど! 多分、あなたが一番、死んじゃダメ!」


「お前、武器もねえのか! ミシェルと一緒に俺の背後に回れ! 守ってやる!」


「ドアを守れ! ドアを背後にッ! 唯一の逃げ道を占領されたら終わりだッ!」


 前を向いたまま白石さんが叫ぶ。

 4人全員でゆっくりと移動して、部屋全体が視界に入るように唯一のドアを塞ぐように、ぴったりと背中をくっつける。


「……どうして? 一体、何を思い出したんですか?」


 僕の質問に、白石さんが青ざめた顔で警戒を続ける。


「君たちは、思い出していないのか? この部屋に、見えないモンスターがいる! 私たち4人は、そいつに全滅させられた!」


「全滅? わたしたち、4人ですって?」


 盾を構えながら、ミシェルさんが怪訝な顔で訊いた。


「本当に覚えていないのか。いまここにいる全員が、すでに死者だ。部屋に入るなり、君たち3人は見えないモンスターに首を切断されて即死した。幸い、私は腹部を貫かれただけで一命をとりとめたんだ」


 白石さんの言葉が理解できない。

 あれ、待って。……3人?

 え、僕も……?


「待った。それならなんで私たち生きてんの? ……服や鎧だって、破れてないし……血痕もないわよ」


「血痕は吸収されたんだろう。君たちが生き返ったのは、私が霊薬を使ったからだ。仲間全員の状態を、5分前に戻すって霊薬をな。……取って置きの薬だったが、使ったら瓶ごと消える代物だ。手元には一滴たりとも残ってはいない。もう、回復手段がない。――敵は不可視だが、音は聞こえるはずだ。こちらに致命傷を与えられたのなら、物理的にも存在している。防御はできるはずだ。みんな、耳を澄ませるんだ。なにか聞こえないか?」


 言われて、耳を澄ませる。

 だが、聞こえてくるのはキーンという耳鳴り。

 それと、自分の息遣いと、心臓の音。

 それ以外には、気配も音も感じない。


 6畳の部屋がまるで広く、遠く感じた。

 何もないように見える空間に目をこらし、肖像画が動いていないか、周りで音がしないか。

 ――緊張しながら、神経を張り詰めさせる。

 …………こんなに緊張しているのは、人生で初めてかもしれない。

 ミシェルさんが、声を押し殺して言う。


「……本当にいるの?」


「…………確認しよう」


 レイピアを構えたまま、白石さんがスーツのポケットに手を入れた。

 取り出したのは砂の入った小瓶だ。コルクを抜き、その長い腕を縦に、横に、斜めに、何度も振るう。

 銀色と茶色の砂が部屋中に飛び散り、壁に当たっては落ちていく。

 それが、どの方面に撒かれた。


「…………どうやら、いないみたいだ」


「ふうぅ……」


 緊張が解かれ、思わずへたりこむ。


「それで? 思い出したのは、私たちが全滅した記憶ってこと?」


 剣と盾を構えたまま、ミシェルさんが問う。


「ああ。入ってすぐだった」


「…………その霊薬って、持っていることを思い出したの?」


「間一髪でな。思い出せなきゃ、私もそのまま死んでいただろう」


「その霊薬、本当に持ってた?」


「………。………どういうことだ?」


「……私が思い出したのは、4つの肖像画を揃えたら死んだっていう過去の記憶よ。でも――」


 警戒を解き、ミシェルさんが剣と盾を合体させて傘にもどす。


「最初にこの部屋に入ってきたとき、私の肖像画は2枚だった。多分それは、過去に描かれていたから。前回すべて揃えて死んだというのなら、この部屋の私の肖像画は、すべて揃えられているべき――矛盾しているわ。……それに、過去に得た情報だけでは、私は肖像画を揃えようとは思わない。前回までの私が、すでに肖像画を揃えて死んでいるというのは不自然よ」


「……つまり、第2フェーズで得た記憶は、ウソだと?」


「ええ」


 自信たっぷりに、ミシェルさんが言い終えた。

 そうか。そういう可能性もあるのか。

 確かに疑って考えれば、矛盾がある。


 さっき撒いたばかりの砂は、もう1粒たりとも残っていない。

 この部屋に吸収されたんだ。

 だとすれば。


「たしかに血痕や頭髪はすぐに吸収されるのに、霊薬を使っている間、僕たちの死体だけが残っていたのは変です。さっき話してくれたローラさんのご遺体も、すぐに消えてしまったと言っていたのに……。都合よく霊薬を使うまでの間、僕たちの死体だけが吸収されなかったとは考えられません」


 白石さんの記憶が本当なら、入室してすぐに僕たちは死んだ。

 そのあと、白石さんが腹部を貫かれた。

 その間に、僕たちの死体は吸収されているべきだ。

 霊薬とやらを使う暇なんてない。


 しかも、使ったら瓶ごと消える代物ときた。

 一見それは、使ったからもう持ってないとも考えられるけど……。


 第2フェーズがウソなら、初めからそんなものは存在していない、だから持っていない。

 そういう考え方もできる。


「……なるほどな。あり得る話だ。納得もできる」


 指輪をくるくると回してレイピアをしまってから、白石さんが続ける。


「しかしなぜ、ウソの記憶を思い出したのは私とミシェル君の2人だけなんだろうか」


「俺ぁ、なんにも思い出してないぜ……?」


 すぐに考え付くのは、僕とザンさんがやっていなくて、白石さんとミシェルさんがやった行動がトリガーになっているという可能性だ。


 僕たち2人はそれをやっていないから、“まだ”ウソの記憶を思い出していない。

 もしくは単純に、僕たち2人には何もないか、もしくは何か、忘れているかだ。


 まずは、入ってからの行動を思い出してみよう。ドアを開けたのは白石さんだ。

 だけど、ミシェルさんは開けてない。

 ドアを閉めたのは僕だ。

 ってことは、トリガーはドアノブを触ることじゃない。


 そのあと、ミシェルさんが肖像画を持って、白石さんも――。



「2人とも自分の肖像画に触っています。白石さんは、過去の記録を読むために。ミシェルさんは、この部屋に来た回数を確認するために」


「きっかけは、自分の肖像画を触ることか。なるほど。たしかにザン君とカゲフミ君は触っていないな」


「……どうする? 俺たちは肖像画に触らない方がいいか?」


 恐る恐ると言った様子で、ザンさんが問う。

 それを、ミシェルさんがピシャリと否定した。


「いいえ。触った方がいいわ。危険なら止めたけど、ウソの記憶を思い出すってだけなら、話が別よ。嘘をつくってのは、高度な知的作業よ。ただ生きてるだけならそんなことはしない。やっぱり、この部屋には意思があるのよ。そうでなければ、ウソの記憶で私たちを惑わせるなんてことしないわ! 意思があるなら、狙いと目的がある。となればおのずと、ついた嘘から知られたくない情報が……、クリア方法が見えてくるはずだわ! 隠したいウソが何なのか、私たちは知る必要がある!」


 腕を元の形にもどして、ザンさんが頷く。


「俺たちを貶めるはずのウソの毒牙が……逆に、俺たちにとってヒントになるってことか。よし、それじゃあ俺は、触ってみるぜ」


 言いながら歩いて、ザンさんが自分の肖像画を手に取る。


「…………、なにも思い出さねえぜ?」


「思い出すきっかけが、肖像画を触ることだと確定したわけではありませんし……。2人が思い出したときもタイムラグがありました。そんなにすぐ思い出さないんじゃ……?」


 自分の哀しみの肖像画を取りながら、そう答える。

 でも僕の考えが正しければ、これで何かを思い出すはずだ。

 思い出せ、思い出せ。


「……はっ。ビンゴだ、カゲフミ。思い出したぜ、俺ぁ」


 肖像画をもとの位置に戻して、ザンさんに振り向く。


「あの右の部屋にあった各々の数字……あれは、この異界を彷徨っている回数じゃねえ。この異界に来てから犯した、罪の回数だ。……ウソの記憶って言ったな? たしかに、お前ら2人が思い出した記憶はウソかもしれねえ。矛盾があるからな。でもよ、俺らが思い出す記憶までウソだと、確信をもって言えるか? どうやって確かめる? 第1フェーズじゃカゲフミだけが記憶を忘れて、俺たち3人が過去の記憶を思い出した。今回だけは、与えられる影響が全員同じだと、証明できるのか?」



 ……確かにあのとき、僕だけが記憶を失った。

 僕だけが。

 もしかしたら4人のうち1人だけ無作為に選ばれて、他の3人とは違うルールが適用されているのかもしれない。そもそも、他とは違うのが1人とも限らない。


 白石さんとミシェルさんが思い出した記憶はウソでも、僕とザンさんが思い出す記憶は本物かもしれない。


 第1フェーズのときは、記憶を思い出す3人と、忘れる者が1人いた。

 第2フェーズが、全員でウソの記憶を思い出すのではなく……。

 ウソの記憶を思い出す人たちと、本当の記憶を思い出す人たちで別れていたら?

 すべてがウソだと、決めつけてはいけないのかもしれない。


 そう考えていると――、とたん、僕は思い出した。



 “3人を殺し、唯一の生存者になること”。

 それが、この異界のクリア方法だ。



 テレビを調べているときに、そうテレビ画面に書いてあったんだ。

 そうだ、僕はあのとき、恐ろしくて言えなかったんだ。

 ふと、ザンさんと目があった。


「…………カゲフミ、お前は、何を思い出したんだ」

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