第8話

「僕たちに残された移動回数は、あと4回です」


「……4回……少ねぇな」

「なるほど、それは――そうかもしれないわね」


「次のフェーズまで残り4回。……回数を使い切るまでに、肖像画についてどうするかそれを決めねばな」


「肖像画といえば、ここでの記憶が失われてないってなら、肖像画はひとりでに壁に戻ったってわけだよな。……部屋が生きてるって話も合ってるかもしれねえ」


「僕たちのほかに人がいなければ、そうでしょうね。まあ、他に人がいないのを確認したばかりなので、いないでしょうが。幽霊でもいない限り。………………いやそんなことはないでしょうけど」


 幽霊と言った瞬間、ピクリとミシェルさんの肩が震えたのをみて、そう付け加える。

 え? こんな世界にいるのに幽霊が怖いの? ウソでしょ? 

 いまの状況の方が怖くない?


「なあ、もう1度、壁から肖像画を外してみねえか? 何か、変わってるところがあるかもしれねえ」


 その言葉をきっかけに、各々が自分の肖像画が描かれた一面の壁へと向かって、4枚の絵画を外していく。

 結論から言えば、変わったところはなかった。


「……次のフェーズで記憶を失うかもしれないからな。確証のないことも含め、書いておこう」


 白石さんがそう言いながら、自分の左手をべろりと舐めた。

 多分、血が固まってしまっているのを溶かしているのだろう。

 ペンがあれば貸せたが、あいにく、持っていない。


 唾液で溶いた血液。それが付着している左手をパレットのように水平に保って、白石さんは胸につけているネクタイピンを取り、ペン代わりにする。



・複数回、このハイドアの記憶を失くして彷徨っている可能性がある。


・3回部屋を移動すると、何かが起こる。第1フェーズでは記憶を失うが、2回以上この異界に来た可能性がある者は、過去の記憶を思い出す。これを書いた時点では第2フェーズを経験していないため、記載不能。我々は今から、次の部屋に向かう。少なくともこの文字を読んだならば、第2フェーズより後だ。とすれば、残りの部屋移動は、多くとも2回までということになる。


・右の部屋の肖像画は、死者を集めたものではない可能性がある。少なくとも、人為的に殺された者の肖像画はなかった。ただし、すべての肖像画を揃えた結果が死亡であり、その者たちの肖像画が飾られるというのなら、話は別。黒人男性の肖像画はダニエル。白石とザンの、前回の仲間。


・この部屋自体がモンスター。この部屋は生きている。


「……ひとまず、こんなものでどうだろう」


 赤い壁紙に、くっきりと残されたA4サイズの白い壁紙。

 そこに血で文字を書いたものだから、もう赤すぎて目が痛くなってくる。


「俺は希望を捨てねえが、死んでるかもってことは、書かなくていいのか?」


 ザンさんがミシェルさんを見ながら言った。

 それに対し、白石さんが答える。


「ああ。書かなくても気づくかもしれないが……。なにも絶望させることはないだろう」


 さて、これでこの部屋でやれることは、無くなってしまった。

 もとより、絵が飾られているだけの殺風景の部屋だ。

 雰囲気から感じたのか、ザンさんが僕の背中を優しく叩く。


「この部屋から移動しないわけにもいかねえだろ。それにカゲフミのおかげで、移動制限の回数が分かったんだ。あの時言ってくれなけりゃ回数のルールに気づかずに、全滅だったかもしれねえ。お手柄だ。残り4回、有意義に使おうぜ」


 …………さっきからそうだが、ザンさんが僕に対して優しい。

 第一印象はもっと怖い人だったんだけど。

 いまはもう、名前で呼んでくれてるし。


「いや、すまねえな。妻に関する事柄を忘れてた俺は、確かに子供が嫌いだったけどよ。思い出した俺は、そんなに子供は嫌いじゃねえんだ。さあ! 次は右の部屋でいいよな?」


「は、はい……」


 ザンさんの中では記憶が混ざり合って、いい具合に折り合いがつけられているのかもしれないが……それを受ける当人からしたら、やっぱり困惑してしまう。

 思わず「はい」と返事をしてしまった。


 だが、さっき出たばかりのリビングに戻るのは悪手だ。

 右の部屋に、ヒントが追加されているかもしれない。


「それじゃあ、開けるぜ」



 廊下に出て、ザンさんを先頭に右の部屋のドアを開けて、中に入る。



 家具が置かれていない6畳ほどの部屋。

 部屋の4面すべてに4枚ずつの、合計16枚の絵画。

 さっきと同じで、床に並べていたはずの絵画はすべて、赤い壁に戻されて飾られている。


「さあそれじゃあ、外してみましょうか」



 向かって正面にある壁には、中年太りしたアジア系男性が4枚。

 調べるのは僕。


 右手にある壁には、赤毛の少女が4枚。

 そこにミシェルさん。


 左手にある壁には、20歳ほどの黒人男性が4枚。

 懐かしむように見つめるのはザンさん。


 ドアがついている壁には、品の良さそうな老婆の絵が4枚。

 ――そこに白石さんがついて、絵画を外していく。


 A4ほどの肖像画は、ずっしりと重い。1枚目を外すが……。何もない。

 本当に、何もない。

 ヒントがない。

 ……そういえば、ヒントらしきヒントって、『記憶を失っている』の文字くらいだった。

 でもあれは、白石さんが過去に書いたから得られたヒントだ。


 異界が用意したものではない。

 ミシェルさんが言っていた。

 クリア型はクリアこそできるものの、理不尽なものもあると。

 4枚目を外すと、残る真っ白いA4サイズの白壁に『0』と書かれた数字がでてきた。


「数字がでてきました! 0です!」


 思わず叫ぶ。

 この0が何か分からないけど、光明だ。きっとヒントに違いない。


「こっちにもあった。2だ」

 白石さんが言う。


「あら、私も2よ」


「こっちは3だぜ」

 どうやら全面に1つずつ、数字が隠されていたらしい。

 いや、さっき確認したときには無かったんだ。


 隠されていたのではなく、現れたという方が正しいだろう。

 だけど0と、2と、2と、3か。意味が分からない。


「暗号か……? いや、そんな。本当に脱出ゲームみてえな……?」


「違うだろう。入力する装置もない。おそらく、数字本体に意味があるはずだ」


「同感ね。……にしても、どの数字を先頭にして考えればいいのかしら」


 ミシェルさんがため息をつく。

 確かに、最初の文字が分からないと推測のしようがない。

 しばらく考えてみるが、まったくもって分からなった。


 ぜんぶ足してみると7になるが、だから何だってんだ。

 僕が0で、白石さんとミシェルさんが2で、ザンさんが3……。


「カゲフミ。お前、彼女いたことあるか?」


「答えなくていいわよ。それ、セクハラでしょ」


 ヘラヘラするザンさんを、ミシェルさんが睨む。


「うむ。経験人数と言うなら、私は数え切れんから違うな」


 それに白石さんが悪ノリする。


「んもう!」


 付き合いきれない! とばかりにミシェルさんが背中を向ける。

 それから各々、自分が出した数字と向き合い、熟考する。

 ……しばらくして、はっと、つい思った。


「……もしかして……いや、でも」


「なにか、気づいたの?」


 ミシェルさんが尋ねる。

 だけど、いま思いついた考えは……――果たして、言うべきだろうか……。


 ぼくの感じる雰囲気が、重苦しいものに変わっていく気がした。

 ザンさんが振り返り、白石さんも静かに、こっちを見てくる。


 いや、言うべきだろう。違うというなら、否定されればいい。

 そうすれば、無限に思えるような考え方から1つ、間違った答えを減らせることができる。

 正解に近づくんだ。

 皆に向き直り、ゆっくりと、言葉を選ぶ。


「これは、ただの思い付きですが……この数字、もしかしたら、この異界を経験した回数ではないかと思って」


 一瞬、誰かが息をのむ音が聞こえた。

 そしてすぐに、ザンさんが口を開く。


「でもよ、もしそうだとしても、この部屋の肖像画は他人だ。誰がどの数字に該当してるかなんて、分からねえだろう?」


 一瞬、僕もそう思った。

 だけど、そんなことはない。気づいてしまった。


「僕たちが確認して初めて、この数字が表れた。この部屋が生きているというなら、僕たちを観測しているはず。それなら、目の前の数字は、自身に関係がある可能性が高い……。それにみなさん、無意識だと思いますけど……、左の部屋にあった自分の肖像画の配置と、いま調べている場所、位置がまったく一致しています」


 入って目の前に、僕。

 左にザンさん。

 右にミシェルさん。

 扉側に白石さん。


 それぞれの肖像画が飾られていた方角の壁を調べているのは、偶然だろうか。


「あっ」とミシェルさんが声を上げる。


 僕も含めた全員が、本当に無意識だったんだろう。

 いや。記憶に介入できるんだ。

 そう調べるように、意思や意識に介入されているのかもしれない。


「……うっわ。マジだぜ……」


 ザンさんが顔を引きつらせながら言う。

 白石さんが眉をひそめて続けた。


「……でもだとすれば、カゲフミ君の0が、今回を含めないのだとしたら――私とミシェル君は今回が3回目、ザン君は、4回目ということになるが……」


「……てことはなにか、もしこの回数が本当に『クリアできなかった回数』だとしたら、俺は3回もチャンスを貰いながら、脱出ができてねえってことかよ」


 自嘲気にザンさんが呟く。


「アホじゃん、って言いたいところだけど、言えないわね。私には、額縁の裏の壁に文字を書こうなんて発想は思い浮かばない。……だから、次の自分にヒントは残せない。クリアできずに、堂々巡りってわけね」


「文字を残すと考えたのも、ここにはいないドミニクという者だ。私も同じだったのだろう。しかも思い出せる記憶は、直前の1回。その情報量も、第2フェーズが始まる前という少なさだ。…………クリアできなくとも、納得だな」


 白石さんの声が沈んでいった。

 僕は慌てて、言葉を付け加える。


「でも、ちょっと待ってください。この数字が『クリアできなかった回数』だという証拠はありません。さらに言うなら、壁の数字も、おそらく意味があるだろうという認識で、確実に意味があるとも確定していません」


 だから、希望を捨てないでください。

 そう言おうとした僕に、白石さんがウィンクをして返す。


「そういう可能性があるというのは、重々承知だ。そのうえで、脱出しようじゃないか」


「とりあえず! もう他にヒントも無さそうだし、次に行こうぜ。まだ俺たちは生きてるって、信じてよぉ!」


「なに。生きているに決まっているさ。しかし問題はここからだな。次にドアを開けて部屋に入れば、第2フェーズだ、おそらく何かが起こるだろう。開けるべきはリビングか、左の部屋か――」



「絶対に、左の部屋よ」


 白石さんの言葉に、ミシェルさんが割って入る。


「もし仮に記憶を失うことになっても、左の部屋なら肖像画の裏にヒントが残してある。次に向かうべきは、左の部屋よ」


「良し。ならば左の部屋に戻るとするか。みんな、この部屋を出て構わないかな?」


 白石さんの問いかけに、全員が頷く。

 外した絵はそのままに、そうして僕たちは部屋を出た。


「おそらく無意味だろうが、気は引き締めていこう」


 廊下。

 しん、と静まりかえり、思わずブルリと肩を震わせる。

 それを見られたのか、白石さんが僕の背中を優しく叩いてくれた。


「開けるぞ」


 それから白石さんが、左の部屋を押し開けた。

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