第10話

「…………カゲフミ、お前は、何を思い出したんだ」


 僕の目から恐怖を感じ取ったのだろう。ザンさんが尋ねてくる。

 ごくりと生唾を飲む。

 この記憶を言うのには、勇気が必要だった。


 ……レナという子の記憶があれば、今みたいに勇気を振り絞らなくてもすぐに言えたんだろうか。分からないけど、なぜかそんな気がした。


「…………ふぅ」


 一息おいて、心を落ち着かせる。

 そうだ、落ち着いて、落ち着こう。

 きっとウソに違いない。


 だってそれは、恐ろしいことだ。

 人を殺すだなんてこと、僕にはできない。――そう思いたい。


「脱出方法は、3人を殺して、唯一の生存者になることだそうです」

「……っ!」

「それは……」


 全員の顔が引きつる。

 特に顕著だったのは、ミシェルさんだった。


「罪を犯した数に……脱出方法が殺人……? ははっ。イヤになっちゃう。最低ね、この異世界」


「……ミシェルさん……?」


 綺麗な金色の髪に自身の指を這わせて、ミシェルさんが声に嫌悪を混ぜながら、静かに言った。


「2人が思い出した記憶はウソじゃないかも……。あのね、私が最期に覚えている光景は、剣を振りかぶるジャイルよ。……あの刹那にできたか分からないけど、私がジャイルに反撃して、殺したという可能性があるわ」


「…ジャイルとは、過去に君が一緒に探索していたときに探索者のローラ君を殺したという……? いや。あの壁の数字……君はたしか、2だっただろう?」


「数なら合うわ。私が見た数字は2よ。ジャイルで1人、そして、記憶にない4人目の仲間よ。その人がジャイルの共犯者なら、おそらくそいつも……。壁の数字が罪を犯した回数――殺人の回数なら、辻褄が合ってしまう」


「……はっ。ここにきて、前回の4人目の記憶がないというのが厄介になるとは……。せめてその4人目が、善人かどうかさえ分かればいいのだが」


 ミシェルさんが続ける。


「それに白石さんは、前回の手の傷口が開いたわよね? だけど私には傷がないわ。アイツは振りかぶっていたから、私の上半身には剣が当たっているはず。そのときの私の態勢から、防御も回避も、確実に間に合っていない。なのに、私のどこにも傷跡はないの。それってつまり、何か行動をとったから。攻撃される前に、私がジャイルを殺したから傷を負っていないのだとすれば」


「………………自傷と他傷とで、違うかもしれんがな。それに、防いだやも……しかし防いだのなら、そこから戦闘に……ううむ」


 ミシェルさんが人を殺している姿なんて、想像もしたくなかった。

 でも仮に、脱出方法が殺人だったのなら。

 そのジャイルって人が2人を襲ってきたことにも、理由がつく。

 ついてしまう。


「……こんなこと、言いたくなかったけど。右の部屋の肖像画は、脱出に成功した人たちじゃないかって言ったわよね。仮にそうだとして、あなた達2人、そのドミニクって人に殺されているのかもしれないわ。あなた達2人と、記憶のない4人目を殺してドミニクが脱出条件をクリア。そう考えることだってできる。……矛盾がないの。ザンさんとカゲフミ君の2人が思い出した記憶には……。ううん。むしろ私に傷がないからこそ、その記憶を否定した方が、矛盾が強くなる」


 消え入りそうな声で言い終えると、その場でしゃがみ込んで、ミシェルさんは両椀をクロスするようにして自分の肩を抱いた。

 その腕と肩が、細かく震えていた。

 ミシェルさんの中では、2人を殺したことが確定しているのかもしれない。


「……」


 白石さんが、目を細めてミシェルさんを見る。

 ザンさんも僕も、震えてうずくまる彼女を見ていることしかできなかった。

 だけどミシェルさんはあのとき、僕の代わりにザンさんに怒ってくれた。

 真っ暗いドアの中を通るのが怖かったときに、気にかけてくれた。


 確証のない言葉を言うのは、無責任だろうか。……それでも僕はゆっくりと、ミシェルさんに近づいた。

 驚かせたくなかったし、拒否する時間も与えたかった。

 だけどミシェルさんは、僕がすぐ近くに行くのを許してくれた。


「あ、の」

「…………」


 返事はない。

 僕は震えて座り込むミシェルさんの背中に、そっと手をおいてさすった。

 ゆっくりゆっくりさすっていると、彼女の呼吸音が、落ち着いていくのが分かった。

 良かった。


「僕らが思い出した記憶は、きっとウソです。……だって、ミシェルさんは優しい人です。誰も殺してなんかいません」


 ミシェルさんは無言だった。言葉を発しない。

 しばらくして、ミシェルさんが顔をあげて、僕を見た。

 一瞬だけ見えたその目に、涙は無かった。

 なかったけど、とても傷つき、悲しんでいるように思えた。


「ありがとう」


 そう言ってゆっくり、ミシェルさんが僕に抱き着いた。


「え、ちょ、ちょっと」


 中学生の僕には意味の分からない展開だった。

 まわされているミシェルさんの腕が、僕の体をきゅっと絞める。


 不思議と、ミシェルさんの鎧が体にあたっても、僕は痛みを感じなかった。

 それどころか、鎧越しなのに体温まで伝わってくる。

 正直、恥ずかしいのでやめてほしかった。――というのはウソだけど、どうしていいか分からなかった僕の腕は、ずっと宙ぶらりんだった。



 ミシェルさんの後ろにいるザンさんと、目が合う。

 するとキスしろだとか、抱き返せ! だとか、そういうジェスチャーを大きな動作で送ってくる。僕は意地でも、ミシェルさんの背中には手を回さなかった。


「……ありがと。みんなごめんね。ちょっと、取り乱したわ」


「いいさ。長い人生には、こういうことがいくつかあるものだ。それに、2人の記憶が本当だと、まだ確定したわけでもない。じっくり考えれば、より良い答えが見つかるだろう。それも、人生では良くあることさ」


 白石さんがウィンクをして言った。


「いいなそれ、俺も使おう。うっほん、長い人生には――」

「ええ、ありがと」


 言葉を遮り、お礼を言うミシェルさん。

 それにザンさんが、ふっ、と短く息を吐いた。


「気にしちゃいねえさ。だがいいか、俺の知るドミニクは良いやつだし、俺たちは殺されてねえ。なにせ、今生きてんだ。だから思い出した記憶はウソだ、安心しな。俺にも抱き着いてみるか? 最高のビートがお前を待ってる」


 両椀をひろげ、ザンさんが人を小ばかにしたようなムカつく顔をする。

 その目はミシェルさんを見て、次に僕を見てきた。


 抱き着いたことを茶化され、なんだか僕の顔が熱くなる。

 きっと僕の頬は、赤くなっているに違いない。


 こんな顔を見せたくない――というのに、ミシェルさんがまっすぐ僕の顔を見てくる。

 ちらりと見返したが、なんだこれ恥ずかしい! 目を合わせられなかった。


 逃げるようにして、ミシェルさんから1歩下がる。

 するとミシェルさんが1歩、僕に詰め寄ってきた。


 なんで追いかけてくるのさ! 

 そう思いながら、僕よりも背の低いミシェルさんの瞳を見る。


 琥珀色の目がちらりと見えただけだったのに、僕はすぐに顔をそらしてしまった。



「あれ? 恥ずかしがってくれてる……? …………へえ?」


 なんて言って、また1歩詰め寄ってくる。

 もともと距離が近かったのに、これでは逃げ場がない。


 天井を見て、僕は意を決して、ミシェルさんの顔をまっすぐに見つめた。

 といっても、目を見るのは恥ずかしいので眉間だ。

 でも聞いたことがある。眉間を見ると、相手は目を見ていると錯覚するらしい。


「――っ!」


 一瞬、ミシェルさんの頬が赤く染まった。

 どうだ恥ずかしいでしょうッ!? もう止めましょうよ! ほら! 後ろでザンさんがキスしろってジャスチャーを送ってくる! すごく大げさに! 完全にオモチャになってます!

 ふざけんなよなぁ!


 ザンさんを睨むが、ミシェルさんは背後のお調子者に、気づいていない様子だった。

 ミシェルさんが一息吸って、1度むせた。


 そして逃げる僕の視線を追いかけて、その琥珀色に輝く綺麗な瞳は、まっすぐ僕の目をのぞき込んだ。


「カゲフミ君も、ありがと。…………その、ありがと」


 たったそれだけの言葉なのに、僕の心臓は、早鐘を打ったように高鳴った。

 ああ。

 ああ、どうしよう。

 僕はきっと、好きになってしまった。


 だけど仕方がない。

 外見は可愛いし、僕はわりとお姉さん好きだし、なにより、他人を思いやる心がある。

 その心も、すごく素敵だと思った。


 お礼を言って照れているミシェルさんを見ていると、なんだかぽかぽかしたような、幸せな気分になってくる。心が高揚してくる。

 ――ああ、でも待った。


 僕には、レナという人がいたはずだ。

 覚えてないけど、僕にとって、かけがえのない人だったはずだ。

 そんな勇気が僕にあったかは分からないけど、もしも告白していて、成就していて、彼氏彼女の関係だったら。


 僕は、浮気だけはしたくない。

 ……だからこの気持ちは、とりあえずは秘めておこう。

 少なくとも、レナという子の記憶と、彼女への感情を思い出すまでは。



「……青春してるとこ悪いが、ここはまだ異界だ。まずは情報をまとめようぜ」

 

散々ミシェルさんの背後で楽しそうにしていたザンさんが、妙に大人ぶった声色で言う。


「べ、別に青春だなんて……っ! ちょっと抱き着いただけでしょ? でもそうね! たしかにそれは大事だわ! ええ!」


 僕からさささっと離れて、そっぽ向いてミシェルさんが言った。

 それに頷き、なにも起こりませんでしたと言わんばかりの冷静沈着さ、いつもと変わりない声で、白石さんが喋り出す。

 僕らをからかうことはしないのだろう。

 大人だ。ありがとうございます。



「この部屋に意思があって、我々にウソの記憶を思い出させたとしたら、その狙いがあると言っていたな? まずは、それを考えよう」


 ありがたく、その流れに乗せてもらう。


「モンスターに殺されて、生き返ったというウソをついた理由は……疲弊させるためですかね?」


「おそらくな。生き返らせた記憶を作ったのは、“なぜ今生きているか”の矛盾を壊すためだろう。不可視のモンスターがいるとなれば、おちおち探索もできん。体力と気力は減る一方で、正常な判断は難しくなっていたはずだ」


 おふざけモードはおしまいだ、とばかりに、真剣な顔でザンさんが続く。


「カゲフミが思い出したのは、クリア条件は殺人ってのだよな。……こればかりは、矛盾を得るのも難しいし、試すわけにもいかねえ。だが狙いは明白だよな。俺たちの仲を裂いて疑心暗鬼にさせて、最終的に殺させることだ。……そんな顔すんなミシェル。嘘に違いねえ。きっとなにか綻びがあるはずだ。違うか?」


 そうだ。

 ウソには必ず、なにかしらの矛盾が生じる。

 うまいウソは、違和感がないんじゃない。違和感が少ないってだけなんだ。


 必ずどこかに歪が生まれる。下手クソなウソなら、なおさらだ。

 それを探すんだ。どんなに小さくても矛盾を探せ。

 集めた情報と食い違いがないか。

 それを探すんだ。


「ザン君が思い出したのは、隣の部屋はループしている回数ではなく、この異界に来てから犯した、罪の数というものだったな。これの狙いは、我々に他者への不信感を募らせることだろう。仲間を信じられなければ、情報を共有しようとは思うまい。加えて、カゲフミ君が思い出した記憶を裏付けるためでもあるやも」



「……そして、肖像画を揃えたら死ぬの狙いは……ウソが見破られることまで考えられていたらお手上げだけど……。十中八九、肖像画を揃えさせないためでしょうね」


「ああ、だが確証が欲しい。それまで、肖像画を揃えるのは無しだ。表情には、一層気を付けよう。――よってここからは、肖像画を揃えることがクリア条件であること、カゲフミ君が思い出したクリア方法がウソであることを、確定させるヒントを探そうじゃないか。ただし、こじつけは無しだ。人は信じたいものを信じる素晴らしい生き物だが、その最中、見るべき光を見失う生き物でもあるからな」



 指輪を見ながら、白石さんが寂しそうに言った。

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