ボリュジナーブの最奥部

第2話

「なら、遠慮はいらないね。いらっしゃい。ここからは、わたしたちの世界だよ」 

 顔もないのに、そいつがニヤリと笑ったように感じた。



「さて、面白いことになった。賭けで負けるなんて、久しぶりだ」

「賭け……?」


 聞き返すと、そいつは7本の足でゆったりと立ち上がった。


「もう1人の人間が来るか来ないか。来るとしたら、どのくらい後に来るかの賭けをレナ君としたのさ。人間が来るなんて久しぶりなのに、それが2人ときた。はは、さすがに負けたよ」


 乾いた笑い声を出して、ソイツは7本のうち、胴体の胸の中心から真っすぐに生えたガリガリの腕をのばして1つのペンダントを取り出した。


「彼女、すごいね。正確な時間こそズレたものの、ほぼピッタリだ。……ほら、これはその報酬だよ」


 ああ怖い。

 ペンダントを受け取った瞬間、このガリガリな腕が急に伸びて、僕の喉元を締めるんじゃないか。

 そんな想像が頭のなかに巡る。


「なにもしないさ」


 僕の恐怖を感じたのか、ソレは優し気な声でのたまう。

 震える両手を差し出すと、カチャリとペンダントがボクの両手のうえに乗っかった。

 掲げて、見る。


 銀色の細いチェーンに、卵型の形をした土台が付いている。


「その土台に当てはまる8つのカケラを集めるといい。全部集めて、わたしに頂戴。君たちのいた世界に戻るドアを開いてあげるよ。カケラが近くにあれば、その土台が光るようにしてある。さあ、サービスはここまでだ。頑張って生き残ってね」


 それだけ言うと、怪物の体がブシャッと液状化して、飛び散った。

 液体は畳に染み込み、あとには赤茶色のシミだけが残る。


「……っ」


 ニオイは、ない。

 だけど、ものすごく嫌な感じだ。

 すぐにでもここを出たい。


 僕はもらったペンダントを首に下げると、自分の体に液体がかかっていないことを確認してから――と思ったら、ズボンの裾に液体が付着していた――唯一のドアへと向かう。



「よし、いくぞ」


 木製のドアだ。

 右手でドアノブを握ると、ドクンと心臓のように脈打っている。 

 だが嫌悪感はない。

 他に行くべき道もない。


 ドアを開けると、その中は真っ暗闇だった。

 そういえば、さっきもそうだった。


 行ってみるまで、どんな場所か分からない――そういうことだろう。

 僕はひと息おいて、ドアを開けたその先へと足を踏み入れた。




――




 ドアの先は、花柄の壁紙だった。


 水色や明るい緑色、黄色など、色とりどりのカラフルな花の壁紙が、咲き乱れるようにして貼られている。

 色合いが明るすぎて、目が痛くなりそうだった。


 入ってきたドアを閉めて、前を見る。

 どうやらここはダイニングキッチンらしい。


 家具といえば、4人掛けソファに食器棚、テレビにラジオ。

 少し古めかしいが、どこにでもありそうな、ただのリビングだ。

 20畳くらいだろうか。

 広さでいえば、教室の半分くらいはあるだろう。



「4人目。これで全員か」


 老いた男の人の声。

 そのリビングには、4人の人間がいた。

 手足もちゃんと2本ずつ。顔だってある。

 どう見たって人間だ。


「こ、こんにちは?」


 とりあえず挨拶してみる。

 目前にいるのは、黒いスーツをピシっと着こなした50代くらいの白髪おじさんだった。

 背筋が伸びているからか、それとも身長が高いからか、弱々しい印象は受けない。


「こんにちは。ただ時間的には、こんばんはだね」


「あら? だけど時計をみる限り、いまは4時よ。早朝か深夜かは分からないけど。こんばんはでは、ないんじゃない?」


 そう言ったのは、大学生くらいのお姉さんだった。

 金髪に琥珀色の眼……外国人だろうか。

 それにしては、流暢な日本語だ。


 海外に行けば同じ外見の人はいそうだけど、特徴的なのは、その服装だった。

 彼女はコスプレとかで良く見るような鎧を身にまとい、真っ赤な和傘を持っている。


「いやいや。それはこの部屋の時間だろう? ハイドアを通った世界じゃ、いつどの時間に移っても不思議じゃない。私の腕時計じゃ……あ? 確かに4時だ。おかしいな。まだ、それほど時間は経っていないはずだが……壊れちまったか? しかしボロい時計だな。どうして、こんなものを付けているんだったか」


「時間なんて、どうでもいいだろ。どうせ腹も減らねえし、眠る必要もねえんだ」


 荒れた声で言うのは20代くらいの黒い短髪のお兄さんだった。

 こういうのをガテン系っていうのだろう。

 灰色のタンクトップと筋肉がよく似合っている。


「腹も減らないし、眠る必要もない? どういうことですか?」


 僕の質問に、お兄さんが首をかしげる。


「なんだお前、初心者か? ハイドアを通った異界じゃ、俺たち人間は、腹も減らねえし睡眠もいらん。なんなら飯を食ってもクソすらでねえ。だけど安心しろ、ケガは治る。それと、俺は子供ぁ嫌いなんだ。あんまり話しかけんなよ、クソガキ」


 ハイドアっていうのは、怪物も言っていた。

 異界と異界を繋げる、ドアのことだ。


 初心者かって言うくらいだから、この人は色んな世界を行ってきたに違いない。

 それに、子供嫌いだと言うわりに、しっかりと教えてくれた。

 根は良い人なんだろう。


 どうせなら茎と葉っぱまで良い人であれ、と思うけど。

 無理して食料をゲットしなくていいのは、大きなアドバンテージに思えた。


「それに、言語が違っても言葉が分かるわ」


 なるほど。

 だから明らかに日本人じゃない、お姉さんの言葉も分かるのか。

 そう言われてよく見れば、お姉さんの発する言葉と口の動きが一致していないように見えた。

 白髪のおじさんが補足する。


「もっとも、異界に棲む化け物の言葉が分かるとはいえ、会話が成立するとは限らん。やつらの常識と人間の常識とでは違うからな」 


 あれ? だけど待てよ。

 あの怪物は、人間が来るなんて久しぶりだと言った。


 ここに4人も人間がいるのは、不自然じゃないか?

 そう考えたが、いや、と首をふる。


 レナと僕がハイドアを通ったんだ。他に人間がいても、不思議じゃない。

 僕たちは特別な子供じゃない。

 普通の子どもだ。

 あの怪物と出会っていないだけで、迷い込んだ人間は多数いるのだろう。


 1つ言えるのは、この世界は「ハズレ」じゃないってことだ。


 ハイドアは幸せな世界にも、絶望の世界にも繋がると、あの怪物は言っていた。

 つまり、どんな異界に繋がってもおかしくない。

 初っ端から人と会えるなんて、こんな幸運なことはないだろう。


 首に下げたペンダントを見る。光ってはいない。

 ってことはこの異世界に、ペンダントのカケラはないのだろう。


「あの。レナって子、知りませんか? 僕、その子を助けるために、ハイドアを通ったんです」


 いま僕がここに居るのは、夢でもゲームでもない。現実だ。

 やるべきことは決まっている。


 レナを見つけ出して、帰ることだ。

 そのためには情報がいる。友達がいなくてゲームしてたんだ。

 こういうの、得意だろ。


「レナ……? 知らないな」


 白髪のおじさんが答える。

 一拍の間があく。

 どうやら他の3人も、レナのことは知らないようだった。


「とりあえず4人で全員みたいだし、簡単に自己紹介でもしねえか? 俺はザンだ」


 タンクトップを着たガテン系のお兄さんが、そう名乗った。


「私はミシェル。よろしくね」


「カゲフミです。………えっと、15歳です」


「わたしは白石だ。まずは、このハイドアの探索といこうじゃないか。敵がいるかもしれないから、用心するようにな」


 探索……。

 調べるってことだよな。


 今いる場所はリビングだ。

 ただ、あまりに生活感がない。

 ゴミ箱には何も入っていないし、まるでモデルルームだ。


 冷蔵庫もないから、駆動音すらない。静かすぎる。

 生活感がある家具といえば、食器棚だけだ。


 下部は両開きの木製ドアで、中が見えない造りだが……。上部のスライド式のガラス戸が開かれていて、4つのグラスが入っているのが見えた。

 なぜか1番左のグラスだけが、口を上向きにして置かれている。

 残りの3つは、下向きに置かれているのに……。


「えっと、……どうします? とりあえず、この部屋を調べてみますか?」


 食器棚を背後にして、3人に向き直る。


「ここはさっき調べたの。――4人で固まって移動すること、そのメッセージがあっただけで、他には何もなさそうだったわ。次の部屋に行きましょう」


 鎧を着た女性――ミシェルさんが答えてくれた。


「次の部屋……」


 あたりを見回して、気が付いた。

 ドアが1つしかない。

 さっき僕が入ってきたドアが、跡形もなく消えている。


「え、こわ……」


「何にも怖かねえよ。ドアを閉めたら、使ったハイドアは消える。常識だろうが」


「なんにせよ、行くべき道は1つだな」


 白石さんが綺麗な歩き方で、唯一のドアへと向かう。


「開けるぞ」


 ドアを開けると、ドア枠の中は虹色のケムリが渦巻いていた。

 だけど白石さんとザンさんは、平然な顔をしてその中に入っていく。


 取り残されるのは怖いけど、ドアの中に入るのも怖い。

 ひるんでいると、ミシェルさんが僕の肩に手を乗せた。


「大丈夫。怖くないよ」


 そう言って、証明するかのように虹色のケムリの中に消えていった。

 僕はその言葉を信じて、目を瞑ってドアを通った。



 ドアの先は、20メートルはありそうな、だけど狭い、フローリングの廊下だった。

 家の作りはやはり、どこにでもありそうな印象を受ける。

 団地とか、アパートとかで良く見る光景だ。


 廊下の壁にはリビングと同じように、カラフルな花柄の壁紙が貼ってあった。

 少し行った先の左右には1つずつ、合計2つの茶色いドアが見える。

 念のために振り返って見れば、ちゃんと後ろにドアがあった。



「……玄関がないわね」


 ミシェルさんが言う。

 確かに言われてみれば、廊下の先に見えるのは壁だった。


 逃がさない。

 そう言われているようで、気味が悪かった。


 どこにでもありそうな雰囲気だが、やはり、違う。

 どこか不気味だ。



「外界には繋がっていない、ということか。先にほかの部屋を調べよう。――うむ、ドアの奥から物音はしないな。開けるぞ」


 先導していた白石さんが右のドアに耳をぴったりと押し付けたあと、先陣を切って真っ暗なドアの中に入る。


 僕たちも後を追うと、白石さんは部屋の中心で固まっていた。



「……これは……」


 引きつった白石さんの顔が見えた。白石さんだけじゃない。

 僕も含めて、全員の顔が引きつっていた。

 ああ、異様だ。

 やっぱりここは、異世界だ。

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