第6話

「多分、私たち3人はすでに、死んでいる」


 そういったミシェルさんの顔は、本気だった。

 本気で、その目は沈んでいた。

 だから、僕は言葉を紡ぐ。


「でも、そうじゃない可能性だってあります」


 僕の発言に、頭をかかえていたザンさん、遠くを見つめていた白石さん、視線を深く落としていたミシェルさんが顔を上げる。


「これは、あくまで仮説です。次の4時までにクリアしないと死ぬっていうのが、嘘の可能性もある。仮に本当だとしても、皆さんが複数回このハイドアに来ていたとしても、その4時になる前に、次の回に移動している可能性もあります」


 なにも想像の中でまで、絶望しなくてもいいじゃないか。

 そういう可能性があるというのは頭の隅っこに追いやって、これからどうするかを今は考えるべきだ。

 暗い想像は打開できる手段がないなら、暗い未来にしか繋がらない。


「……そうね。私もまだ、死んでいないと思うことにするわ」

「そうじゃなきゃ、やってられんな」

「いいこと言うじゃねえか、カゲフミ」


 奥さんのことを思い出した影響だろうか。

 ザンさんの表情はイタズラっぽく、そして優しかった。

 ふぅっと息を吸って、みんなの顔を見る。


「なのでまずは、この世界から脱出する方法を考えましょう。記憶を失うまでを、仮に第1フェーズと呼びますが……。その第1フェーズが始まるまではカラフルだった壁紙が、赤黒い花模様に変わっています。もしかしたら、ほかにも何か変化があるかもしれません。探してみませんか?」


 そう言いながら、辺りを見回す。

 部屋の広さは、教室の半分ほど。

 たぶん20畳くらいだ。


 部屋に窓はなく、家具といえば今座っている4人掛けのソファーに、目の前には黒いテレビ台と、その上に置かれた小さめのテレビ。足元にゴミ箱。少し歩けば食器棚があり、その奥にはキッチンがある。


「私はキッチンの方を見てこよう。備え付けの戸棚に、何かあるかもしれん」

「俺は時計と、食器棚の周辺でも探してみるか」


 白石さんとザンさんが、キッチン側を。僕とミシェルさんで、ソファー側を探すことになった。


「間違ってもこの部屋から出ないようにね。時間が進んでしまうと困るわ」


 立ち上がり、それぞれが動き出す。

 僕はまず、テレビを調べてみることにした。


 しかしどうやら、このテレビには電源コードがついていない。

 リモコンも見当たらないので、本体の電源ボタンを何度か押してみるが……。

 ウンともスンともいわない。


 黒いテレビ台には引き出しもない。

 すぐに調べるところがなくなってしまった。


「どう? 何か変なところある?」


 ソファーのクッションを外して調べているミシェルさんが、声をかけてくる。


「電源コードが付いていないので、電源が入らないのは当然ですし……うーん。ホコリも含めて何もないところが、強いていえば気になったところですかね」


 それどころか、ゴミ箱にゴミすら入っていない。

 清潔すぎる。


「……ソファーにも、何もないわね」


 外したクッションを戻しながら、ミシェルさんがため息をつく。

 そういえば、さっき垂れていた白石さんの血痕すら、フローリングの床には残っていない。

 白石さんが拭いたのだろうか。


「そっちはどうですか?」


 水道あたりを調べている白石さんと、食器棚を見ているザンさんに訊いてみる。


「おい、このコップ、触れねえぞッ! ホログラムみてぇだ!」


 ザンさんがいる食器棚の前に向かう。

 中のグラスは、4つとも下向きに置かれていた。


「えっ、うわ、本当だ……」


 綺麗に置かれているグラスに手を伸ばしたけど、確かに触れない。

 僕の手は空気を切るばかりで、何にも触れずにグラスを透過していく。

 まるで幻のようだった。


「…………なんでだろう?」


 ザンさんと考えていると、キッチンの方から白石さんの声がした。


「備え付けの戸棚は空っぽだ。こっちも何も――っや、待て。みんな、ちょっとこっちにきてくれ! 水道だ! 何かおかしい!」


 興奮した様子で、白石さんが叫んだ。その様子に、水道を凝視してキッチンに向かう。


「これを見てくれ!」


 白石さんが指さしたのは、シンクの中だった。

 出しっぱなしにした蛇口から、勢いよく透明な水が出ている。その先のシンクに水が溜まる。

 常識的な流れだ。だけど、常識的なのはここまでだった。


 シンクの中で、まるで透明な仕切りでもあるかのように、一定の場所を水が避けて溜まっていく。それは立体的で、まるで透明な壁が迷路を作っているように見えた。


「……迷路?」

「いや違う。これは……文字じゃねえか……?」


 僕の思い付きに、ザンさんが半信半疑で答える。

 だが、ステンレス製のシンクは銀色だ。


 その銀色に、透明な水を使って立体文字を描かれても、何と書いてあるのか読めない。

 目を凝らして読もうとしていると、ごぼっぼごっという音と共に蛇口から水が出なくなった。

 ただ、それは一瞬だった。


 壊れたかと勘繰った次には、トロトロした緑色の水がドバッと流れ出てきた。

 光沢のない緑色の水は叩きつけられるようにして飛び散ると、次第にシンクの底を塗りつぶしていく。


 溜まり、押し上げられた透明な水は、こぼれる前に上部についた排水口から逃げるようにして流れて消えていった。……やがてシンクが緑色で満たされると、ザンさんが言った通り、浮かび上がってきたのは文字だった。

 ドロドロな緑色の水を避けるようにして出来た、空気の文字だ。


『わたしは にんげん は たべない』


「私は、人間は食べない……?」


 ミシェルさんが読み上げると同時。

 ザバン! と音をたてて、緑の水が空気を飲みこむ。

 波打って一面を緑のドロドロが支配したかと思うと、緑色はウネウネと動き回り、やがて新たな文字を浮かび上がらせる。


『つぎの 4じ に おまえら は しぬ』


 そうしてまたザバン! と波しぶきをたて、蛇口からは、もとの透明な水が出るようになった。

 しばらく様子を見てみたが、緑色の水は、もう出てこなさそうだった。

 蛇口をひねって、水を止める。


「……本当でしたね」

「ああ。だが、腑に落ちない点もある。私は人間は食べないとは、どういう意味だろうか?」


 ずごごごごごっ! と、緑色の水が、下部の排水溝に吸い込まれていく。

 あとから水を流してすらいないのに、もうシンクは銀色だ。緑色の痕跡は、何もない。


「これは私の直感なんだけど、この異界、感情を喰ってるんじゃないかしら」

 その様子を見つめながら、ミシェルさんが言う。


「なるほど。それで、あの感情の肖像画か。喰った感情を記録してやがんのか」


「………………」


 だが、ザンさんの意見を聞いたミシェルさんの顔は暗い。

 何か別のことを考えているようにも見えた。


「分からないことも増えたが、ひとまず、一歩前進だな。他には何もなさそうだし、どうだろう、あの肖像画の部屋に戻ってみては」


 白石さんの言葉に、全員が押し黙る。

 わかる、その気持ちは、僕だって同じだ。


 この部屋には、もうヒントのような物は見当たらない。

 だから次に進もうってのは、妥当な判断だ。

 だけど、あの言葉が気になる。

 『無暗に部屋を移動するな。我々はおそらく、記憶を失っている』


 あの言葉さえなければ……。

 いや、何回の移動で記憶がなくなるのさえ分かれば、もう少し積極的に動けただろう。

 分からないってのは、怖い。


「……不安だが、行くしかねえだろうな」


「私は、正直いやよ。でも、そんな事も言ってられないもんね。……はあ、くそっ! ただし、左の部屋から確認させて。それで、口紅の跡を数えさせて」


 口悪く言ったミシェルさんに頷き、廊下へと通じるドアを押し開ける。


「……気色わりぃなあ」


 廊下に出ると、ザンさんが項垂れた。僕も、まったくもって同意見だった。

 この赤黒い花柄の壁紙、妙に生生しいのだ。

 てらてらしてるというか、触ったら何かがねっちょりと手につきそうで、正直、視界にもいれたくない。

 なのに壁一面これだ。嫌でも目に入る。


「なに、ただの壁紙。害はないだろうさ」


 それならいいけど、やっぱり不気味だ。


「……さて、右の部屋にはドミニク君を含む、おそらく過去に来た者たちの肖像画。左には、私たちの肖像画があるわけだが……最初に入るのは、左の部屋でいいんだったな?」

「はい」


「では、行こうか」


 白石さんが左のドアを開ける。

 全員で中に入ると、目に入ってきたのは殺風景な部屋と、16枚の肖像画だ。

 すべて、壁にかけられている。


「……おかしいじゃねえか。肖像画なら全部はがして、床に並べておいたはずだろ?」


 やっぱり、僕たちは記憶を失っているのだろうか……。 

 僕たちは並べた肖像画を、もとに戻していたのか……?


「ミシェルさん。口紅の跡は、何個ありますか?」


 言いながらミシェルさんを見ると、彼女はもう、自分が描かれた肖像画の方に歩いて行って、壁から外しているところだった。

 肖像画が外されると、そこには口紅と思われる紅い点が、1つ。


 ミシェルさんは自らの唇に人差し指をつけ、紅い点の横に、そっと触れる。

 すると同じ色合いの紅い点が、2つになった。


「…………これで、証明されたわ。私たちがこの部屋に来たのは2回目よ。さっき私が話した2つ目の説――ドミニクは存在しておらず探索の記憶は奪われて、偽の記憶を植え付けられている、その説は否定できたわね。……もっともこれで、3つ目の説が合っている可能性も上がったわけだけど」


 ミシェルさんが自嘲気に微笑んだ。

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