第10話 夏に現れるヤツ 03
二階に上がっても、あいも変わらず人気を感じない。今のところ厳見の行動のおかげか、ゴキブリたちが追ってくる様子はない。今頃、虫かごの中に入っている餌を貪っているところだろう。
はあ、と息を吐く里霧は腰に手を当て、天を仰ぐ。
逃走に継ぐ逃走は、思っている以上に疲労が蓄積されているらしい。もし、もう一度、同じように追われるようなことになれば、逃げている最中に力尽きる予感がする。
体を動かすなんて、授業の体育と登校、下校くらいなものだから、当然、オレの体力は多くない。
里霧の体力事情はよくわからないが今の様子を見るに、それほど体力に自信があるようには思えない。
しかし、人を見かけで判断してはいけないとなんて言うし、オレは素直に訊いてみた。
「体力状況どんな感じ?」
「そんなに多くないことだけは確か。今日だけで全力疾走何回したと思ってるのよ」
思った通りだった。見かけどおり――と言うより様子通りだった。息切れ真っ只中である。
「まあ、少し離れるか。しばらくはあそこにいるだろ」
息を整えるため、大きく深呼吸。一、二、三、四。
「それに無策のまま挑んでも厳見と同じ末路を辿るぞ」
「それだけはなんとしてでも回避したいところね」
一日に二度もあんなことにはなりたくない。そんな意思が言葉に籠もっていた。
「自分で言っといてなんだけど――策って言ってもなぁ~」
どんな策を弄したら、あのスイミーみたいな奴らを撃退できるんだろうか。
思案しながら廊下を進む。
「…………」
この状況じゃ、根本的な解決策を打たない限りどうしようもない気がする。彼の諸葛亮や黒田官兵衛といった軍師でも白旗を上げるんじゃないかと思う。ちなみにオレは既に上げている。白旗をぶんぶん振り回しているほどに降参している。勘弁してくれ。
そういえば。
「いまさら訊くのもおかしな話だけど、里霧ってどうして生徒会に入ろうと思ったんだ?」
突然の、なんの脈絡もない質問に、里霧はきょとんとした表情を浮かべ、考えるように顎に手を当てる。
そして、天井を見上げて数秒、黙り込む。
なんだかんだで訊くタイミングを逃してしまっていたが、今、この空いた時間――でふと訊いてみたくなったのだ。何を思って悪評名高い生徒会に入ろうと決断したのか、今後のことを考えてもその動機を訊いておくのは悪い選択肢じゃないだろう。
こういう利点が、メリットがあるということをわかれば、下級生の勧誘にも繋がる。下の学年がいないと生徒会廃部とかいう面白おかしい状況になっちゃうしな。
そして、答えは返ってくる。
「部活にも入ってなかったし、生徒会って万年人手不足だって聞いたから。……まあ、思いつく限りだとそんなところかな」
思いの外、あっさりとした内容だった。よくよく考えると、そんな大層な理由を引っ提げて入ってくる方が少数派な気がする。部活とかだって入部理由は『興味があったから』そんな程度だ。
「それはそうと、これからどうするの?」
「これからって?」
「ゴキ――Gのこと」
なんで言い直した。
「厳見に犠牲になってもらってなんだが、マジでどうしようもないよな」
「一気に捕獲とか無理だよね」
「駆除するにしても捕獲するにしても、あの量だからな。一朝一夕にはいかないだろうな」
虫で大名行列してるあの軍勢だ、殺虫剤使うにしても、捕獲網を使うにしろ、それに見合うだけの物を用意しないといけないとなると、今日中の解決は見込めそうもないな。
もし、そのどちらかが学校にあるのなら別だが。
「とりあえず、爬虫類部の一年生を探しに行くか」
もしかしたら、解決の糸口を掴んでいるかもしれない。
ただ問題が一つある。
「行くのはいいけど、その一年生どこにいるのか当てはあるの?」
「行く場所はおおよそ見当がついてる」
厳見曰く、その一年生はゴキブリたちを追って奔走していると言っていた。
だが、本当に追っているのかというのは疑問に思う。あの大群を知っていれば、追うなんて選択肢は取らないはずだ。仮に見つかったところで手出しできず、厳見になるのがオチだ。
だとすれば、行く場所は必然的に絞られる。
導き出される答えは既に出ていた。
「今から行く場所は昆虫部だ」
昆虫部は爬虫類部と同様の位置に部室を構えている。ゴキブリを探すうち、その場所から随分と離れてしまったので、ヤツらとエンカウントしないかどうか左右を確認しながら迂回して、昆虫部を目指す。
その際、比較的ダメージの低いオレが先行して道を切り開いていった。
一見、勇敢とも取れる光景だが、当のオレは気が気でなかった。比較的ダメージが低いというだけで、皆無というわけではない。
誰だってあんな経験をすれば身が竦むだろうし、二度と出くわしたくはないだろう。
それになにより、こんなことで新しい生徒会役員を失ってなるものか――という、その思いだけがオレを突き動かしていた。
最後の曲がり角の安全を確認して、爬虫類部、昆虫部が軒を連ねる廊下に忍び出る。
「ここって爬虫類部の部室がある……」
間を空けて、もしかして、と思いつく里霧。
「もしかして昆虫部もここらへんにあるってこと?」
部活にも入ってなかったと言っていた辺り、どこに何の部活があるのかなんていうのは知らなくても当然か。まあ、部活に関心があったところでは爬虫類ならいざ知らず、昆虫を扱う部活に入っている里霧の姿は想像できない。
「爬虫類部の三つ先のところだな」
行く先がわかったところで、足早に目的地である昆虫部へ向かう。爬虫類部を通り過ぎ、三つ先にある昆虫部と部室名が掲げられている扉に手をかける。
一度、深呼吸を挟み、後ろで待機している里霧に
トーンを落として言った。
「行くぞ、いいな」
眉に皺を作っているオレの顔を見てか、里霧は首を傾げた。
「え、別にいいけど……なんで?」
「よし! じゃあ開けるぞ!」
「え、ちょっとま――」
このとき、人の部屋に入るときは事前にノックをするという常識を忘れていた。ゴキブリの大群に追われて、謎に事後処理を押し付けられて、礼儀作法など存在しない世界――喰うか喰われるかの世界を体験したせいで、オレの中の常識が欠落していた。
しかし、その数秒のおかげで最悪の事態を回避できたのだ。
昆虫部――昆虫の研究を生業とし、生態、や食に関するものまで取り扱っている部活動。そして、今回の事件で二次被害を及ぼしたゴキブリの餌、禁忌の餌とさえ呼称された物を作り出した部活動。
そんな物を作り出してしまうほどに虫が好き(?)な昆虫部は、ときたま昆虫を部室内で放し飼いをする。部員曰く、昆虫たちを散歩させているのだそうで。
もしかしたら、その時期、時間が今なのではないかと危惧したせいで、不穏な空気感が出るような発言をしてしまった。実際のところ、あの大群よりは何十倍もマシだ。
開けると、一匹の蟻がてくてくと、廊下に向かっていく。
「「…………」」
二人して、蟻の行く末に目を取られていた。
「蟻って愛嬌あるよな」
「確かに」
里霧も同意したところで、部室の中へと入る。脱走しそうだった蟻を連れて。
昆虫部部室の壁は棚に覆われていた。鉄製で黒色に塗装が施されているものが壁一面に。
その棚に置かれているのは部活の名に冠している通り、昆虫を飼育しているケース、ケージ類が所狭しと並んでいる。
一見すると爬虫類部と似たようなレイアウトになっているが、蟻の巣を観察するために作られた石灰が敷き詰められているケースを見れば、昆虫を扱っている部活なのだと認識することができる。
「すみませーん、生徒会なんですけど、部長って今、いらっしゃいますか」
オレの中の欠落した常識が姿を取り戻しつつあった。
すると、部室にいた数人の中の一人から声が上がる。
「部長ならいませんよ」
と、何かの道具を自作している傍らで振り向きざまに、昆虫部員はそう言った。
「何か用事があるなら伝えておきますけど」
爬虫類部に続き、こっちもか。
「爬虫類部が餌用に飼ってたゴキブリがいたんだが、全てが脱走してな。昆虫部だったら何か解決方法を知っているんじゃないかと思って」
はあ、と得心いかない様子で話を聞く部員。
しかし、なにかに思い至ったようで、そういえば、と口にする。
「厳見先輩も同じようなこと言ってました」
先輩――というくらいだからこの部員は一年生か。
それにしても、当然といえば当然なのかもしれないが、流石は厳見だな。入学して間もないだろう後輩にまでその顔を知られているとは。
『友達百人できるかな♪』の歌詞をそのまま実行した男は伊達じゃなかった。
まあ、厳見の場合、百人程度じゃ済まないわけだが。
「それと関係が?」
しきりに頷く里霧。初めて理解者を得たようなそんな感じに見えた。
「それ関係です」
オレは力強く、その言葉を肯定した。
質問の回答としては若干おかしかったような気もするが、まあ、それはそれとして。
「それなら頼まれていたモノの修理終わってますよ」
何かの修理を頼んでいただろうか。
…………。考えてみたが思い当たらない。何かの修理を頼むにしても、昆虫部に頼むなんてことは万にひとつもない。
機械が壊れたならメーカーに送って直してもらうし、服が破れたなら裁縫部に縫ってもらうだろう。
それに、直近で生徒会の物が壊れたなんて記憶にないぞ。壊れかかった物はあったがこの間、新調したばっかだしな。
考えて、壊れた物はないと結論付けた。うちに壊れた物はないぞ――と、オレが言うより先に里霧が部員に訊き返した。
「修理って何を?」
そうだ、そのことを聞いていなかった。生徒会室に壊れた物はないと結論付けたわけだが、それはオレが認知している、知っている物の中でのことだ。もし仮に電子機器の内部が壊れていたり、見る人が診なければ発見できないものはオレに発見できる道理はない。何が壊れていたのかを先に訊いておくことが今、取るべき選択肢だったかもしれない。
「昔、先輩方がお遊びで作った大きな虫かごです」
生徒会と一切関係がなかった。全然、預かり知らぬことだった。
「これが使えるんじゃないかと思ったんで、部品を集めて修理してたってわけです。何分、大きさが規格外でして、それぞれのパーツを分解して修理してたんですよ」
やたらと分厚いお手製の説明書をぱたんと閉じた。
「捕らえる手筈はこちらで考えておいたので、校庭にこれを持っていきましょう」
促される通りに、オレと里霧はそれぞれでパーツを持ち上げる。
「これ結構、重いわね……」
「なにを捕まえるつもりでこんなもん作ったんだ?」
その巨大な体躯に備えられている格子の間隔は、小指が半分になったとしても通らないくらいに狭い。それでいて、若干の伸縮性もある。その気になれば、イノシシや人間でさえも、この虫かごで捕まえることもできるだろう。
やっとの思いで校庭にパーツを持ち出して、一息つこうかというところで、部員は涼しい顔で言う。
「それじゃあ、生徒会長、ゴキブリの大群を連れてきてください」
呆然としていた。オレは答えを出すために大分時間を要した気がする。脳の処理が追いついていない。
「お前は鬼ごっこの最中に鬼の目の前に行けと言うのか?」
「まあ、そういうことになりますね」
そうしないと捕まらないですし――と付け加えて、虫かごの蓋を開けた。
「やり方は簡単です。生徒会長はゴキブリの大群をここまで引き付けてください。そして、この虫かごの中にダイブしてもらいます。あとは蓋を閉じて捕獲完了――という流れです」
「質問いいですか?」
オレは手を上げた。
「どうぞ」
「オレが引き付けるにしても、どうやって引き付けるんだ?」
棒読みだった。なんの感情もなく、抑揚もない声でオレは訊いていた。何故なら、どうやるのかなんてことは理解しているし、その行動の顛末も知っているから――だから全てを悟った棒読みだった。
笑顔で渡された。
禁忌の餌を。
昆虫部が禁忌と称したその餌を、躊躇いなく、余すことなく。手渡してきた。
オレの表情が死んでいくのを感じる。表情筋という表情筋がその役割を終えたように、微動だにしなかった。目の方も、ハイライトが入っていたのなら、今頃、既に消え去っていることだろう。
「あとは任せます」
無心で蓋の方を見やる。
通常の虫かごであれば、蓋は上部に取り付けられているものが多いだろう。しかし、この虫かごは横に取り付けられている。要するに、オレはこれから確実に行き止まりに辿り着く鬼ごっこをしなければならない。負けが確定している鬼ごっこ。
負けるだけならまだしも。
「そのあとがなぁ~」
頭を抱えずにはいられなかった。
容易に想像できる――厳見と同じ結末が。
しかし、仕方がない。やらなければ終わらない。
腹を括って、肩に掛けている小さな虫かごに餌を詰める。
すると、蓋の開閉具合を確認していた里霧が詰め寄ってきて、
「頑張って……」
目尻に涙を含めてそう言った。今生の別れであるかのように。
「いや、死なないからね? 不吉な雰囲気醸し出して送り出さないでくんない?」
ほんとにそれで死んだら洒落にならないからね。
この言葉が遺言にならないよう祈りながら、大きな虫かごがある地点から遠ざかっていく。ようやく百メートルは離れたかというところで、後ろを振り返る。
「こんだけ離れててもデカさがよくわかるな……」
校庭から校舎に向かうための階段を登りきったところから見ても中々のものだった。これからあの箱いっぱいにゴキブリが入ると思うと恐ろしい。
虫かごの中で蠢くゴキブリたちを想像したら鳥肌が止まらない。
「はやく終わらそう」
自分を抱きしめるように両手で両腕をさすって、止まった足をもう一度、校舎の方に踏み出す。
――――――――
読んでくださり、ありがとうございます!
今後も続いていきますので、お付き合いいただければ幸いです。
見返してみるとあるセリフが期せずして、パロディしてる……
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