第25話 里霧有耶の宣誓 03
ああ、どうしてこうなってしまったのだろう。
「問い三の解き方は昨日やった三十二ページの――――」
数学の授業の最中、シャーペンをノックしながら、私――里霧有耶はそう思う。
やることなすこと全てが裏目に出ているような、そんな気がする。
「あ……」
問題を解こうとしても、途中式が間違っている。
それに気づいて、
やり直して、
繰り返して、
考え直す。
間違い続けていたら、シャーペンの芯がなくなっていた。
「はあ……」
小さな息を吐いて、芯がなくなって書けなくなったシャーペンを置く。
両腕にうずくまって、目を閉じる。
思い返してみれば、始まりは別クラスの男子の告白だった。
同じ学年ということもあって、顔だけは知っていた。
名前こそ、沙莉さりに聞くまでは知りもしなかったけれど。
送波秋夜そうなみしゅうや――それが、私に告白してきた男子の名前だった。
少し色の抜けた短髪で、背丈はたぶん不撓と同じくらいだと思う。同じクラスではないものの、常に友達と一緒に行動していて、クラスの中心人物だということは、傍から見ていてもわかる。
誰にでも優しくて、誰にでも笑顔を振りまいて、嫌な顔ひとつせず、頼み事を引き受けてくれる、そんな人だと、沙莉は言っていた。
それだけでなく、女子からの評判はいい方だったように思う。
沙莉の言葉を鵜呑みにするわけではないけれど、少なくとも、嫌な印象を抱くことはなかった。
いい噂しか聞かなかったし、特段チャラいわけでも、素行不良というわけでもなく、いわゆる『好青年』というのが、周りから下された送波秋夜の評価だ。
そして放課後、唐突に告白されて戸惑った私は、答えを躊躇った。
本当に唐突だった。これまで会話らしい会話なんて一言も交わしたことはないし、お互いに自己紹介をしたわけでもなかったのだ。
お互いに何も知らない状態。
そんな状態で告白する理由は、私の知る限り、可能性は一つだ。
自分で言うのはものすごく嫌だし、その言葉を使うことによって、自惚れてるとすら取られかねないので、使いたくはないけれど、私の持ちうる語彙でこの現象を表現するとしたら、この言葉以外に思いつかなかった。
要するに――一目惚れなのだと思う。
私に――里霧有耶に。
私自身、これまでにそんな経験は一度だってないし、これからもないと思う。
だから、その言葉を聞いたときは、理解できなかった。
告白されたこと以上に、その感情の起伏が、全く理解できなかったのだ。
少なくとも私は、よく知りもしない人と付き合う、なんて想像できない。
どういう食べ物が好きで、どういうモノが嫌いで、何に喜んで、何に悲しむのか。
お互いに知った上で、関係を深めて初めて、そういった関係になるのだと、少なくとも私はそう思う。
そういった考えを踏まえるなら、私が送波くんの告白に対して、答えを躊躇うのは当然と言えば当然のことなのかもしれない。
けれど、私が答えを躊躇ったのは、全く違う理由からだ。
送波秋夜の告白に答えを躊躇った理由、
それは、沙莉――拘崎沙莉こうさきさりが送波秋夜に好意を寄せているということ。
これが一番の原因だった。
本当だったら、告白された時点で断るべきだったと思ったし、言い訳になるかもしれないけれど、その場では混乱していて正常な判断ができなかった。答えを躊躇いはしたものの、最終的には断った。
この行動については色々な意見が出ると思う。
『恋愛に友達は関係ない、好きなら行けばいい』とか、
『好きなことを知っているのだったら、断って当然』だとか、
人によって様々な考えがある。
ただ、前提条件として、私が『好き』であることは必須だろう。
けれど、私はそんな感情は彼に対して持ち合わせていない。
だから、選択肢として「いいえ」以外の答えが出るはずもない。
私はこの返答によって、変に悩む必要もなくなって、沙莉のこと、送波くんのこと、両方の悩みから開放された。
妙な脱力感があった、普段味わうことがないような感覚を味わったように思う。
しかしこれが、話の顛末だったなら、里霧有耶は生徒会に入ることはなかっただろう。
話はこれでお終いじゃない。
知らない方がよかった続きがある。
*
話は少し前に巻き戻る。
私が送波秋夜に告白されてから数日後。
私が生徒会に入って、不撓導舟と出会う前のこと。
陽の光が朱色に染まり始めた放課後のことだった。
私はその日、放課後になるとともに、そそくさと帰路についていた。
別段、予定があったわけでもなかった私だったけれど、普段一緒に帰っていた高山琴が部活だったこともあり、学校に残る理由もなかった。
だからその曜日は決まって、放課後になるとすぐさま帰路につくというのが、普段のルーティンとなっている。とはいえ、生徒会に入ってからは、そんなルーティンはなくなってしまったけれど。
帰路についたはいいものの、その途中でとあることに気がつく。
「そういえば、明日、小テストあるんだったっけ」
独り呟いた私は、学校に一度戻るかどうか、頭の中で検討する。
結局、学校のロッカーに入っているノート類を取りに行くことを決め、着た道を辿って、学校へと踵を返す。
いまに思えば、戻らなければよかったと、踵を返すべきではなかったと、そう思う。
そして、何事もなく学校にたどり着いて、昇降口を経由し、教室へと這入る。
放課後になってから結構な時間が経っているということもあってか、教室の中に残っている生徒は誰一人としていなかった。
「えっと~、これ数学、現国じゃなくて……あった世界史」
生徒それぞれの番号が振られたロッカーの中から、目的のノートを取り出して、足早に廊下に出る。
目的は果たした。
もうこれ以上、学校に用事はない。
教室を離れ、静寂に包まれた廊下を進んでいると、私が訪れた教室とは別の教室から数名の声が微かに聞こえた。
まだ学校に残ってる生徒がいるんだ、なんて呑気なことを思い浮かべながら、教室の側を離れようとしたそのとき、低い声音が、私の鼓膜を刺激した。
「そういえば、里霧に告白したんだって?」
「え? マジで?」
一人は平坦な口調で、もう一人はお調子者のような声だった。
そして、その声に、思わず立ち止まってしまった。
身に覚えのある話で、明確に『里霧』と私の名字が呼ばれてしまっては、何かしらの反応を示してしまうのは、人間としての性なんだと思う。
この場に留まるか、立ち去ってしまうか、二者択一の選択を決め倦ねていた私は、次の言葉でこの後に取る行動は決定する。
「ああ、ついこの間な」
聞き覚えのある声だった。
それも、最近聞いた声だ。
「あっ――――」
数秒も経たずして、私は誰の声なのか、思い至った。
間違いなく、間違えるはずもなく『送波秋夜』のものであると、私は確信した。
その後を知る必要も、知る義務も私にはないけれど、聞いて、聞き続けて、盗み聞いてでも、知らなければならないと、そう強く直感した。
送波秋夜がこの場にいて、先日の告白の件について触れているなら、尚のことだ。
私は教室側の壁に、音が出ないように背中でそっと寄りかかる。
「どうして俺たちに言わなかったんだよ」
「その現場見たかったわ~」
「悪い悪い」
まるで、冗談を言い合っているような、そんな雰囲気が言葉から感じられた。
「それで……結果は?」
「ん、ああ結果? ものの見事にフラれた」
「あー、そりゃあ、残念だったな」
「まあ、別に付き合うことになろうが、そうでなかろうが、俺としてはどっちでもよかったんだけどな」
「どっちでもいい? なに言ってんだ、どう考えたって付き合えた方がいいだろ?」
そこから少し、送波くんは間を置いた。
見えないからわからないけれど、たぶん、頷いていたんだと思う。
「まあ、普通はそうだろうさ。俺だって普段ならそう思うし、振られたら悲しいね」
「そう言うってことは、今回は普段じゃないってことか?」
またしても間は作られた。
「拘崎いるだろ?」
「ん? あ~、えっとあれか、最近秋夜とよくいる女子か?」
「その女子がどうした?」
「拘崎は間違いなく俺のことが好きなんだよ」
再び間が訪れる……が、今回のものは少し雰囲気が違うように思う。
「で……好きだから何なんだ?」
「考えてみろよ、拘崎は俺のことが好きなんだぜ? その好きな男が普段仲良くやってた里霧に――その友達に告白したんだぜ、それを知ったら拘崎はどう思うよ?」
「まあ、あれだろうな、怒り狂うかもな、拘崎の性格上」
と言って、「ま、実際のところはどうか知らんけど」と付け加えたのだった。
「そうなんだよ、怒り狂うんだよ!」
ものすごく楽しそうな口調とともに、手を叩く音が教室の中から漏れ出ていた。
「入学してからの付き合いで、それなりの信頼があるはずなのに、色恋沙汰になった途端に拘崎のヤツ、急に里霧に目くじら立てやがったんだぜ! 俺が、好きでもない、里霧にに、告白しただけなのになぁ!」
大きな笑い声が上がる。
「申し訳ないなあ」
送波秋夜は高笑う。
「俺が告白した挙げ句、拘崎には事実無根のありもしないコトを言っちゃって!」
思い通りと嘲笑う。
「良好だった人間関係にヒビを入れる快感を一度味わったら、そこいらの娯楽じゃ満足できないね」
怒りという感情がなかったわけではない。それでも今は、普段の様子とは打って変わって、見る影もない送波秋夜の豹変に混乱していて、何も考えられなかった。
頭が真っ白になっていた。
周りからあれだけ慕われて、あれだけ頼られていて、笑顔を振りまいていた彼の面影はとうにない。
振りまく為に作られた笑い声ではない、この声は本心からなのだと思わせるには十分な前振りだった。
送波秋夜の本心はここにある。
趣味――人間関係を掻き乱すこと。
「まあ、付き合うことになったらなったで、もっとグチャグチャになりそうだな」
他二人の声は聞こえない。
独り言のように続ける送波くん。
「いや待てよ。もし仮に、俺が何度も告白するとしたら、拘崎のヤツ、里霧に何しでかすんだ?」
そこから、私は自分の耳を塞いだ。
何も聞こえないように。
そして、私は逃げるようにして、この場を立ち去った。
廊下から、正門へ。
「――――――――っ」
聞きたくない。
訊きたくない。
知りたくない。
真っ白だった頭は、思考を再開するとともに、受け入れがたい現実を拒否し続けた。
帰り道は泣いていたんじゃないかと思う。
記憶が定かではないけれど。
拭った制服のブレザーが濡れていたことを覚えてる。
――――――――
読んでくださり、ありがとうございます!
今後も続いていきますので、お付き合いいただければ幸いです。
序盤との寒暖差……
今日は4話分、投稿します。
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