第3話 来客

今日は人生の中で最も憂鬱な日だ。そう思わせるのは生徒会室に積まれた紙の山。


「今回も随分と寄越したな──行事企画書」


名前の通り、生徒が企画した行事が書かれている書物だ。行事といっても学校全体で行われる大々的なものではなく、あくまでも個人主催のものや、部活単位でやるものが行事企画書として提出される。


年間行事予定表には記載されていない――突発的に開催される企画書が生徒会に全て集まるのだ。


しかし、今となってはこの惨状だ。


「エベレスト行ってみた――行ってみたじゃねぇ、一体いくら金かかると思ってんだ」


 さらには、


「学校内でトマト祭り――後始末のこと一切考えてないな」


 続いて、


「クローラートランスポーター展示会――スペースシャトルでも飛ばす気か?」


 ※スペースシャトルを乗せる台の名称。


 このように、もはや行事企画書にかこつけて大喜利大会が始まってしまう始末。


 そして丸を書いて否決の否の字を連ねていく。


 生徒総会で大バッシングを喰らいながらも新調したプレジデントチェアのおかげで体が痛くならない。


 朽木同然だったあの椅子で長時間座ってから言ってほしい。教室に置いてある椅子が恋しくなるほどに、全身を痛めるんだぞ。まじで。


 するすると判子が進んでいく。見るまでもなく――いや見ている上で、おふざけ半分のものが続いているのがわかる。今のところ、名前無記名だし。


 否!


 ……否!


 一応……否。


 否。否。


「あの~、すみませ~ん」


 無我夢中で駆けていた指先は声に応じて停止した。


 今日もまた、何か困ったことでも起きたんだろう。今日も部室にムカデが出たとかで呼び出された。あれは強敵だった。


「生徒会室ってここでいいですか?」


 そんな慎ましやかな姿勢で現れたのは女子生徒。


 肩に届きそうな艷のある髪に、色白い素肌。生徒の中でもめずらしい真っ黒なワイシャツを着ているせいか、より色白に感じさせる。


「ここで間違いないけど、行事企画書でも届けに来たのか?」


 とは言ったものの、これ以上増えないことを願いたい。


「そうじゃなくて……」


 彼女は言い淀んで視線をきょろきょろとして落ち着きが失われた。


「それじゃあ、部活の助っ人とか?」

「え~と、生徒会ってどうやったら入れるの?」

「なん……だと……」


 これまでめぼしい人間のところに勧誘に行っては惨敗し、新学期早々に部活勧誘の隣で人を募っても誰一人として生徒会に入ることはなかったのに、ここに来て、この五月に来て、なんの前触れもなく現れるだと。こんな事は飛行機が墜落する確率、天文学的数値、麻雀で言うところの四槓子、宝くじ一等が当選し、宇宙から地球へ墜ちてくる隕せ――、


 待て、落ち着け。この女子が口にした「どうやったら生徒会に入れるの?」というのは、あくまで物理的な意味で言っただけで、生徒会という委員会に入りたいという意味で言ったわけではないのかもしれない。オレが生徒会長になってから数ヶ月、勧誘に行くことはあれど相手からくるようなことは一度だってなかった。


ならば、この質問の解答は一つしかないだろう。


「ドアを開ければ誰でも入れるぞ!」

「いや、そんな物理的な話してないんだけど?」


 物理じゃない⁉


「ま、まさか生徒会に入りたいというのは、高等学校という教育機関であるところの委員会の一つとされる生徒会に入りたいということなのか⁉」


 気が動転しすぎて、変な訊き方をした気がするが、気は動転しているので、そんなことを気にしている余裕もないオレだった。


「まさかも何も最初からそう言ってるんだけど。どうしたら部屋の入り方になるの?」


 訝しげな表情を浮かべ、小首を傾げていた。


 我ながら、この気の動転ぶりには驚くほかなかった。


「まあ、要件はわかった。とりあえず、そこの席に掛けてくれ」


 促すと、その女子生徒は生徒会室に設置されているソファーに腰を落とす。


 顧問などの数名を除いて、久しぶりにソファーがその役割を果たした瞬間だった。


 オレは新品の椅子とおさらばして、机を挟んだ対面にあるソファーに座る。


 そうだ、自己紹介をしてなかった、を文頭に自己紹介を開始する。


「オレは二年の不撓導舟。生徒会長をやらせてもらってる」


 例え学年が違かったとしても、生徒総会から数日しか経っていないわけだから名前くらいは覚えているだろう。しかも、生徒会に入りたいなんていう人間ならなおさらだ。


 オレに続くようにして女子生徒も簡単な自己紹介を始める。


「私も同じく二年生の里霧有耶さとぎりゆうか


 里霧有耶と自身を名告った彼女は続けて言葉にする。


「何度も言ってるけど、生徒会の入り方を聞くために今日は来たんだけど……」


 言葉を続けようとする女子生徒――里霧だったが、何故か辺りを見回しだした。


「顧問の先生とかは来てないの?」

「そういえば、ここ二日くらい見てないような気がするな」


 いつものことなので大して気にはしていなかったが、仮にも顧問という扱いであるはずの先生が生徒会室に二日も顔を出してないのはいいのだろうか。多分いいわけない。


 あの顧問が生徒会室に顔を出してくるときは決まって「転入生来るから学校案内頼んだわ。こういうのは学生同士の方がいいだろ?」とか、「なんかバスケ部が人足りないらしいから助っ人行ってきて」とか、そんな面倒なことを言ってくるときだけだ。


 もしくは、暇なとき。ふらっと現れてふらっと去っていく。そんな人間がうちの顧問。


「え、そうなの? 職員室行ってもいなかったから、ここにいると思ったのに」

「ま、そういう人間だからな、うちの顧問は。授業しているとき以外はどこにいるかよくわからないんだ。探すよりも現れるのを待った方がいい」


 先生は職員室にいるというのが相場が決まっている。それはもう犯人が現場に戻ってくるくらいに決まっている。しかし、うちの顧問にはそれが当てはまらない。これほど神出鬼没という言葉が似合う先生は他にいないだろう。


 というか、いる場所がわからないって、先生的に色々どうなんだ?


「とは言っても、いつ現れるかわからないからな~」


 オレはブレザーの内ポケットに日々忍ばせている生徒会に入るための用紙を取り出して、眼前の机に滑らせた。


「これは?」


 里霧は差し出した用紙を手にとって、すらすら目を通す。


「生徒会入部届だ。学年、クラス、名前、それとサインを書いてくれれば、その時点で生徒会役員になるという優れものだ!」


 得意げに言ってはみたものの、どこらへんが優れているのかオレは知らない。


 だって普通の用紙だもの。


「え? 生徒会って選挙とかもっと仰々しいことやってから入れるものだと思ってた」


 里霧は目をぱちくりさせている。


「本来なら、もっと厳かなものなんだろうが、生憎と生徒会はオレ一人で万年人手不足なんだ。来るもの拒まず……っていうのが今の志操学園生徒会の実態だ」

「そんな実態知りたくなかった……」

「オレもこんな実態にしたくなかった……」


 生徒会で常備されているボールペンを里霧に渡す。受け取って、用紙に書き出す。


「それにしてもおかしな話ね」


 唐突な物言いに、オレは「なにが?」と反射する。


「生徒会にいるのがあなた一人っていうところが」


 生徒会長になってから早数が月。最初こそは一人であることに疑問を持っていたが、今となってみれば、考えもしなくなった。おかしいと理解していたとしても、それが日常になってしまえば、非常は日常へと変貌する。


 最初こそ疑問に思っていたが、今ではそう思うこともなくなった。


「だってそうでしょ? ひと学年、数百人いるこの学校で誰も生徒会に入ろうともしないなんて」


「もしかしたら、誰かが生徒会に入れないよう暗躍しているのかしれないな!」


 記入を終えると同時に里霧はオレの冗談を一蹴した。「そんな人がいたら驚きね」と。


「でも、まあ、生徒会をよく思ってない人が多いのは事実だし、意外とそういう暇人がいても不思議じゃないかもしれないわね」


 書き終えた用紙を手渡され、それを受け取る。


「それじゃあ、今日のところは帰る。ちょっと用事があるから」


 里霧はゆっくりと立ち上がって、横に置いておいたスクールバックを肩にかける。


 重い足取りで扉まで行くと、手のひらを掲げて「じゃ」と言って去っていった。




――――――――

読んでくださり、ありがとうございます!

今後も続いていきますので、お付き合いいただければ幸いです。

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