第32話 里霧有耶の宣誓 10


「おい――、なにやってんだよ、秋夜!」


 沈黙を貫い……いた後ろの二人――組も流石に黙っ……てはいられなかったらしい。


「こんなことやって、あとどうなるかわかってんのか!」


 二人は送波を叱責す――当の送波本人……は、一切耳を貸さず、視線も動かさない。


 そんな様子を見て、二人……、のうち一人はすぐさま扉の方まで駆け……、いる。


「俺は帰るぞ! なにもやってないのに、こんなことで停学とか嫌だからな!」


 教室の扉を開き、この場を離れようとする一人の生徒は、声を聞いて制止した。


「待て、どこに行く」


 朦朧とした意識の中で、オレはそう言った。


「戻れ、まだ終わってないぞ」


 最初の一振りで避けきれていなかったせいか、額を切ってしまっていたらしい。

 額の出血のせいで、視界は真っ赤に染まっている。


 制止を促したはいいものの、血と意識が朦朧としているせいで、遠くがほとんど見えていない。いや、見えていないのではなく、視界が定まらないと言った方が正しいだろう。


 がしゃん、とオレの側頭部を直撃した椅子が、地面に落ちた音がした。


「言った……、はずだ。オレは道を踏み外したとしても、拒絶されようとも、オレは何があっても絶対にお前を正すまで言ってやる」


 何度でも、しつこいくらいに。


「送波秋夜――お前のやっていることは間違っている」


 意識が朦朧としていようとも、お前が折れるまで、オレは絶対に折れない。


 それだけが、不撓導舟が唯一、歴代の生徒会長よりも優れているところだろうから。例え、血だらけになろうとも、絶対に折れてなんてやるものか。


 赤色の視界を睨みつけながら、オレは送波のシルエットを目で追う。


 すると、送波は怖気づいたのか、数歩後退し、声を荒らげた。


「いつだって、いつだってそうだ。お前みたいなやつは正義ヅラで説教して、自己満足の正義を掲げて、それは間違っていると否定する。俺とお前の何が違う、やっていることは一緒だろ! 誰かを不幸にしていることは変わりないだろうが!」

「そうだ、一緒だ!」

「――っ!」


 予想していた解答と違ったのだろう、送波は目を見開いて困惑の表情を露わにした。


「自分の意志を通した結果、誰かが不幸になる――そこまではオレとお前に違いはない」

「それじゃあ――」


 オレは言葉を差し込んで、送波の言葉を遮った。


「しかし、オレとお前の最大の違いは、行動に対する覚悟の差だ」


 言葉を突きつけるように、言葉で斬りつけるように、オレは続けた。


「オレはお前の趣味にいちゃもんをつけるためにここへ来た。その結果、ぶん殴られて、血だるまになった。今も頭がくらくらする。視界も朧気だよ」


 現に、今も立っているのがやっとだ。


「だが、オレは自分の行動に後悔はしていない」


 微塵も、全くと言っていいほどに。


「その論でいくと、俺が自分の行動に後悔しているってことかよ!」

「そうだ」


 送波は言い返すわけでもなく、悔しさなのか、ただ腹が立っているのかわからないが、激しい感情に駆られて、歯ぎしりをしているようだった。


 オレがわざわざ言葉にするまでもない。


 送波秋夜本人はわかっているはずだ。

 後悔の原因を。

 知っているはずだ。


「…………」


 暫しの静寂が教室を包み込む。


 その間、誰も彼も一歩も動きはしなかった。とても教室内に男子四人がいるとは思えないほどに、静まり返っている。


 送波の拳は爪がめり込むほどに力が入っている。


 いまオレに、その拳が飛んできても不思議ではないほどに力強く固められていた。


 過去を顧みて、今と照らし合わせて、後悔しているからこそ、付け入る隙があった。


 そうでなければ、その握られている拳は真っ先にオレを仕留めにいっていただろう。


 そして、長い静寂を終えて、ようやく結論のときは訪れる。


「――俺が悪かった」


 送波は一言、そう謝罪した。


 連れの二人は態度の急変に驚くとともに、開いた口が塞がらないといった風だった。


「これまでのことは、それぞれ全員に謝罪しに行く」


 綺麗に四十五度の角度を保って、送波は頭を下げている。


 オレとしても、もう一撃を貰う覚悟だったが、不要な覚悟だったらしい。

 覚悟はしていたが、本当にもう一撃なんて貰ったら、意識を失っていただろう。


 それこそ、死んでいてもおかしくはない。

 それはそれとして。


「今後やらないという保証は?」


 オレは緩んだ気をもう一度引き締めて、問う。


「もし同じようなことがあったら、学校に言いつけるなり、お前の好きにすればいい」


 里霧が要求したのは、拘崎との仲直りであって、送波に復讐することではない。


 しかし、復讐でなくとも、他に被害が出ている以上、生徒会長として決着をつけなければならなかった。


 随分と時間を使ってしまったが、そろそろ幕引きだろう。


「ま、それはそれとして――お前たち三人には、罰を与えるとしよう」


 オレは頷いて腕を組み、得意げにそう言った。


「今後やらないと言ったとしても、今回やってしまった落とし前はつけないとな!」


 ブレザーの内ポケットに手を突っ込んで、厳見から受け取った、単一電池ほどの大きさをしているガムテープの塊を取り出す。


「おい、なんだそれ……」


 罰を与えるようなものには見えないガムテープの塊。


 送波の困惑は当然だろう。

 オレも何も知らなければ、未知の塊に検討がつかずに困惑している。


「まあ、封を開ければ……開けてもわからないだろうが、少し経てば嫌でもわかる」


 ぐるぐる巻きにされたガムテープを剥がしていく様は、まるで切り落とされた指がこれから現れるんじゃないかと、そう思うような雰囲気だった――オレが。


 考えてみれば、現在の不撓導舟は、額を切った上、大声を上げたせいで、それなりの出血をしているのだった。


 傍から見れば、ホラー映画に登場する殺人鬼そのものと言っても過言ではない。


 心なしか、開封を見守る三人の表情に緊張が走っているようにも感じる。


 そして、何事もなく無事に開封し、ガムテープの中身は露出する。オレは極道でもなければシリアルキラーでもないので、もちろん中身は切り落とされた指ではない。


「小瓶?」


 送波の言う通り、厳重に封がしてあった中身は小瓶。それも液体の入った小瓶だ。

 過去に、爬虫類部をきっかけとして生徒会を苦しめた、昆虫部開発の品。


 たった一滴地面に垂らせば、周囲一帯に黒い渦を巻き起こし、人ひとりを容易に飲み込んでしまうほどの大群を呼び寄せる餌――禁忌の餌。


 その液体が詰まった小瓶は厳見を介して、いまオレの手元にある。


「何なんだその液体は?」


 訝る送波。


 オレは答えるよりも先に、禁忌の餌を一滴、教室の床へと垂らす。


 瞬間、教室はぐらつき始めた。


「なんだこれ、黒いのが、うぐっ――」

「これは禁忌の餌って言ってな、大量にゴキブリをおびき寄せる秘薬だ!」


 オレが口上を述べる前に一人逝ってしまったか……。


「なんでゴキブリがこんなにいるんだよ!」


 床一面どころか、既に腰の位置くらいまで、ゴキブリの大群は水面を上げていく。

 ゴキブリの大群が水面を上げているという字面は中々のインパクトだ。


「罰とは言っても、オレもそこまで鬼じゃない。お前たちと一緒に、甘んじてこの大群に呑まれよう!」

「したり顔でなに言ってんだ! ゴキブリの大群に呑まれることが確定してる時点で鬼だろうが!」

「さっきまで、爽やか猫かぶりしてたのに、急にどうした?」

「お前はなんで冷静なんだよ!」


 既に水面は胴体にまで迫っている。


「だって、オレ……これ二回目だしな」


 そして、肩を越え、もう少しで飲み込まれるというところで、オレは思い出した。


「そうだ、送波」

「なんだ! こんなときに!」

「……グッドラック!」


 何か言おうとして、その答えが頭から綺麗さっぱり消えてしまった。

 答えを探す時間はもうなかった。その末のグッドラック。

 深い意味はない。


「てめぇ! やっぱり殴らせろ!」


 そう、言い残して、不撓導舟、送波秋夜を含む、計四人はゴキブリの海へと還っていった。



――――――――

読んでくださり、ありがとうございます!

残りわずかですので、お付き合いいただければ幸いです。


どうして送波が引いたのか、その訳をいつか書けたらいいね。

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