第34話 里霧有耶の宣誓 12
落ち着け、私。
深呼吸だ、私。
自分に心の内でそう言い聞かせて、両手を大きく広げる。
「すー、はー……」
どうしてこれだけ緊張しているのだろう。
友達の誤解を解く、それだけだというのに落ち着かない。
やっぱり相手が沙莉だということが、私の中で大きいのだろう。
沙莉と真正面から言い合うとなると、覚悟を決めたとはいえ、身が竦む。
私は沙莉に言い返すことができるだろうか。
事実を事実だと、私は言えるのだろうか。
折れることなく、曲げることなく、私は私を貫き通せるだろうか。
図書館棟で、沙莉を待っている間、そんなことを思ってしまう。
まだ少し動揺しているらしい。
数分前のこと――、
「ほら、私の思っていた通りになった」
図書館棟の分厚い扉を開き、視線前へ向けると、腕を組んでいる女子がいた。
見透かすような瞳を湛えて、図書館棟のドンと呼ばれ、図書委員である彼女――染屋愛歌がそこにはいた。二つ名の部分は不撓が勝手に言っているらしいけれど、そう言わしめるだけの、図書館棟に関する知識はある人だと思う。タイトルを伝えれば、何階にあって、どこの棚で、何段目にその本があるのか、瞬時に答えてくれるのだから、二つ名が付くのも道理だ。
――ほら、思っていた通りになった。
言い返す言葉もない。
以前、彼女から忠告を受けたことがある。
『隠したところでいずれはボロが出るよ。確実にね』
そう釘を打たれた。
もちろん心当たりはあったし、彼女が言っていた通りになった。
生徒会長――不撓導舟を欺き、利用して、送波秋夜から距離を置こうとした。
生徒会を続けようなんてつもりは微塵もなかったし、送波の興味が他に移ったら、そのときは生徒会をやめるつもりだった。
しかし、そんな思惑は不撓に看破されて、いまに至るわけだけれど。
「染屋さん、本当にごめんなさい」
私は深々と頭を下げる。
謝罪の意味以上に、私がつけなければならないけじめのうちの一つだった。
「やめてくれよ、有耶」
宥めるような口調で、染屋さんはそう言った。
「もちろん私は気にしてはいないし、不撓も驚きこそしただろうけれど、ただ、驚いた――それだけだと思うよ。有耶が私に対して謝る必要なんて微塵もない。それだけの状況に置かれていたということは、厳見から聞いている。頭を上げてくれ有耶」
促されて、私は姿勢をもとに戻す。
「――えい」
そんな抑揚のない掛け声とともに、小さな衝撃が、私のおでこに走った。
「いたっ」
咄嗟におでこを覆い、突然のことで何がなんだかわからない私は、頭にはてなを浮かべた。
そんな私を見て、染屋さんは満足げだ。
「しかし、お咎めなしとはいかない。このデコピン一発で勘弁してあげようじゃないか」
話題を変えるように、染屋さんは胸の前で手を打った。
「はい、これでこの話はお終い!」
「これでお終いって……」
「そんなデコピン一発でいいのかって?」
染屋さんは肩をすくめて続ける。
「不撓が気に留めていないんだ、部外者である私がとやかく言う資格はないけれど、振り返らないためには必要なことだろうから、私が代行したまでだよ」
不撓はそういうところが甘いんだ、と呆れて言っていた。
「詳しい話を聞きたいところではあるけれど、今日はそんな時間はないんじゃない?」
そうだ、私が図書館棟に訪れた理由は、沙莉と話し合うためだ。
誤解を解くための話し合いをする場に、この広大な図書館棟を貸し切ってもらった。
「そうだった、沙莉――拘崎さんって、もう来てる?」
いの一番に訊くべきだった。
待ち合わせの時間を考えてみれば、既にここにいてもおかしくはない。どこかで待ち伏せていて、ここぞというタイミングで飛び出てくる可能性だってゼロじゃないはずだ。
しかし、その考えは杞憂だったらしい。
「まだ誰も来てないよ」
「そう。ならよかった」
沙莉と話す前に、心の準備をしておきたかったから、正直なところ助かった気持ちだ。
「約束の時間までそれほど時間もないだろう。近くにいたら有耶もやりづらいだろうし、私は三階の方で見守るとするよ」
それじゃあ、頑張って――そう言った染屋さんは、私を通り過ぎて、階段の手すりに手を掛けた。
「そうだ、有耶」
そのまま登っていくのだと思っていたけれど、こちらを向いて、普段よりも大きな声で言った。
「いつまで染屋さんと呼ぶ気なんだい?」
「え?」
「私は有耶と名前で呼んでいるんだ。だから、有耶も私のことは愛歌――と、下の名前で呼んでくれ」
「え、それいまじゃないとダメ?」
「言うタイミングがなかったんだよ。いま言っておかないと、なあなあになるだろう?」
すぐに答えが出ないと踏んだのか、染屋さんは、
「まあいい。答えはあとで訊くよ」
そう言って、ゆっくりと階段を登り始めた。
答えをあとに回してくれたのは、私に気を使ってくれたのだろう、それはわかっている。
しかし、その気遣いを受けてしまったら、私は変われない。
だから――――、
「ありがとう、愛歌!」
親指を立てて、私は叫ぶようにそう言った。
愛歌はくすっと微笑むと、同じように親指を立てた。
「グッドラック、有耶」
ネイティブな発音の愛歌だった。
そして、現在――、私は図書館棟の一階、受付前で拘崎沙莉を待つ。
ひとしきり深呼吸をして、落ち着いてきた。
これなら、平常心で臨めそうだ。
瞑っていた目を開けて、壁に掛けてあるアナログ時計を見遣る。
約束の時間まで、あと二十秒。
沙莉の性格上、約束の時間きっかりに来るだろうことは解りきっていた。授業や遊びの約束なら、沙莉は時間の少し前に来てくれるのだけれど、今回は例外だろう。
恐らく沙莉は、入り口の扉の前で時間を確認しているはずだ。
私だって気まずいけれど、沙莉だって何も思っていないわけではないだろうし……、もし、私が沙莉の立場だったら、時間より早く行こうとはしないだろう。
そんな沙莉の立場を思案しながら、一階入り口の扉をじっと見つめる。
アナログ時計が刻む律動は、静寂の空間の中でより際立って耳に残る。
心臓の音と同じように。
そして、秒針は頂点に到達した。
「時間だ」
私が小さく呟くと同時に、図書館棟の分厚い扉は開かれる。
そこから現れたのは、予想外な人物でも意外な人物でもなく、私の待ち人――拘崎沙莉だった。
沙莉は辺り一帯に視線を配ると、図書館棟の異変に感づいたらしく、眉根を寄せている。
「誰もいないみたいだけど、図書館棟っていつもこんな感じだったっけ?」
至って普通の言葉が飛び出してきたことに、私は大いに戸惑った。
しかし、その言葉はどうやら独り言だったらしく、沙莉の表情は段々と険しくなっていく。
「で、話ってなに?」
あのときのような高圧的な態度だ。
重心を片側に寄せて、腕を組み、投げ出すように顎を突き出している。
だけど、怯んではいられない。
「この前と一緒、誤解を解きに――」
言いかけて、思いとどまった。
違う、違った。
本当に私がしたいことを思い出せ。
「私は、沙莉と仲直りがしたい!」
「はい!?」
鳩が豆鉄砲を食ったような驚きようで、沙莉の激しい剣幕は一気に崩壊して、目を見開いていた。
それもそのはずだ。
今まで曖昧にしてきた私の意見を、堂々と真っ向から突きつけたのだから、多少なりとも狼狽えるだろうなとは思っていた。もし逆の立場だったら、私も同じ反応をするだろう。
「待って、意味わかんない……」
広大な図書館棟で人影が見えない異常空間と、予想外の返答によって、沙莉の中のキャパシティは許容量を超えたらしく、沙莉は目眩を起こしたかのように、額に手をやっている。
しかし、私は構わず、沙莉に告げる。
「私の悪かったところは、自分の意見をはっきりさせなかったこと。言いたいことを何一つ、言ってこなかったこと。私がもっと強く出れていたらって、いまでも思うよ」
いつしかの放課後、沙莉に言われた言葉を、私は回想する。
――なんで一言も言い返さないわけ?
「だから、もうそうならないために――一言も言い返せない私をやめるために、言い争うことになったとしても、沙莉と仲直りがしたいっ!」
言っていることが滅茶苦茶なのはわかっている。
それでも、その滅茶苦茶も含めて、私の意見だから。
「アンタ言ってること滅茶苦茶……」
呆れたと言わんばかりの表情を浮かべると、沙莉は小さく息を吐いた。
「有耶の意見はわかった。それじゃあ、訊くけど――」
沙莉は再度、私を睨みつけて、その剣幕を取り戻した。
「アンタは結局どっちなわけ?」
何が……と、私が訊き返すより早く、沙莉は続ける。
「秋夜と付き合ってんの? いないの?」
「はあ?」
本気で驚いて、さっきの沙莉みたいな声を出してしまった。
私が知らない間に、事態がさらに深刻になっていた。
この数日で?
そんなことになっていたの?
噂の真偽は定かではないが、私は全力で否定する。
「そんなわけないじゃんっ!」
告白だとか、アプローチだとか、そんなところで揉めていたはずなのに、もう訳がわからない。
「でも、ここ最近、秋夜が周りにそう言って回ってるんだけど?」
アピールするかのように、誰彼構わず、送波が吹聴していると、沙莉は言った。
私にその質問をするあたり、本人発信のその噂を、沙莉は信じきれていないのだろう。
いや、信じたくない、というのが正しいのかもしれない。
「私は何度も、断ってるし、それに送波と私が二人きりで一緒にいるところ、沙莉は見たことある?」
「ない……かも」
告白されている場面を除外するにしても、私はできるだけ、送波のことを避けていた。
元々クラスも違うし、接点がなかったのだから、避けることはいくらでもできる。
「あれは勝手に送波くんが言ってるだけで、私だって何度も告白されるし、付き合ってるだなんて事実無根の噂流されて、迷惑してる!」
迷惑なんて表現をすると、すこし軽くなってしまうけれど、悪意を持って、人間関係を悪化させる送波は許せない。けれど、それ以上に、私の行動も許せなかった。
騙して、利用して、はいさようなら――なんて都合が良すぎる。
それでも、手を貸してくれた人たちのためにも、怯んではいられない。
「沙莉こそ、どうなの?」
思っていたことを全部ぶつけてやる。
「送波くんのこと好きなの?」
私は、沙莉の目を真っ直ぐ見据える。
「すきって……」
あまりに直接的な言い方の気恥ずかしさからか、沙莉は言い淀む。
こういう話には弱いらしい。
それなら、私から。
「私は送波と付き合ってないし、私は――」
お腹に力を入れて、叫ぶようにこう言ってやった。
「送波のことが大っ――嫌いだっ!」
まるで、短距離走を走り終わったかのように、全身に入れていた力が一気に抜けた。
支えられなくなった自重を受け止めるように、両手を膝に置く。
そして、沙莉に向かって、私は人差し指を指し示した。
「今度は沙莉の番っ! 送波のこと、好きなの? どうなの?」
沙莉の口元に力が入ると、俯いてから天井を仰ぐ。
そして、
「好きじゃなかったら、ここまで問い詰めないでしょっ!」
天井が突き抜けるような大きな声で叫んでいた。
ストレートに「大好き」と言わないあたりが沙莉らしい。
「はい」
視線を上に向けたまま呼吸を整えている沙莉に、私は歩み寄って手を差し出す。
「これで誤解は解けた?」
「すこしはね……」
「ならよかった」
「それで、その手はなに?」
「言ったでしょ、私が図書館棟に呼び出した理由は、沙莉と仲直りするためだって」
「仲直りの握手ってわけね」
「そう!」
大きな息を吐く沙莉。
「有耶、アンタ変わったね」
「そう?」
少し積極的になったとは思うけれど、他の人から見て、それだけ明確に違うのかな。
「だって、有耶――アンタいま、めっちゃ笑顔だよ。ちょっと前なら考えられないほどに」
私は目を見開いて、沙莉の言葉を反芻する。
その間に、沙莉は何か呟いていたけれど、私はその言葉を聞き取ることができなかった。
そして、沙莉は姿勢を正して私に向いた。睨みつけるでもなく、至って真剣な顔をしている。
「ごめん。私も今まで高圧的だった……謝る」
一礼して、すぐさま向き直ると、差し出した私の手を握る沙莉。
「それじゃあ、仲直り……」
顔をそらしながら、少し照れくさそうにそう言った。
「…………」
「えっ⁉」
沙莉が取り乱すのも無理はない。
だって、
「有耶、なんで泣いてるのっ⁉」
嬉しすぎて、涙が溢れてしまったから。
――――――――
読んでくださり、ありがとうございます!
残りわずかですので、お付き合いいただければ幸いです。
明日、最終回完結です。
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