第20話 オモイおもい05

 

 廊下を進み、階段に差し掛かる。


 階段を降りるため、視線を下にやり、踊り場を見据えた。


 すると、その階段の踊り場にあった二つの人影が視界に入る。

 特にやましいところはないが、反射で進む足を退かせて身を隠し、オレは壁に張り付いた。


 誰一人いないという環境がそうさせたのかもしれない。


「ん?」


 そこにいたのは、知っている人影、知っている顔――それも今日、見た顔だ。

 紛れもなく、見間違いようもなく、オレの視力に賭けて、そこにいたのは山田一だった。


 微かに聞こえてくる声は二つ。


 そのうち一つは山田のものだというのはわかる。もう一つは声の高さからするに女子のものだろう。


「用事って、もしかしてこれか?」


 空き教室から離れてから、それほど時間は経ってないし、山田の言っていた用事というのはまあ、これのことなんだろうな。十中八九。


 話している内容からするに、随分と親しい間柄らしい。


 もしかしたら、もう既に手遅れな可能性すらあるな。この場合の手遅れというのは、この二人が既に付き合っていて、福意の入り込める余地がないという意味だ。


「まあ、このことは本人には黙っておこ――」


 見て見ぬふりをして、別ルートで帰ろうと踵を返そうとする。


 そうしようとすると、背後で何かが落ちた音がした。


 ガタッっという鈍い、重さのあるものが落ちたような音は、広がることなく消えていく。


 嫌な予感を覚えながら、今度こそ踵を返す。


 視線は下のまま。

 落下物を捉えるために下のまま。


 その落下物はオレの予想を裏切ることはなく、想像の範疇だった。


 鈍い音の正体は学校指定のスクールバック。


 色の深さからして、まだそれほど使い込まれていない。

 然るに、一年生のものであることは容易に想像できた。


 視線をスクールバックから上へ。


「――――あ」


 いま、一番ここに居合わせてはいけない人間がそこにはいた。

 福意初がそこにいる。


「…………」


 沈黙。


 何一つ、一言も、一片たりとも発さない。


「……あの福意さん?」


 踊り場の二人――山田と女子生徒に視線を向けたまま、呆然と立ち尽くしている。


「…………」

「ふ、福意さん?」


 目を見開いて、一言も喋らない。ただ見つめるだけ。

 その間、瞬きをすることはなかった。


 こわい。


 こんな場面に鉢合わせたら、誰でも真っ先にこう思うんじゃないだろうか。


 告白の場面ではないのか。

 二人は付き合っているのではないのか、と。

 そんな風に考えるのが、健全な高校生じゃないだろうか。


 そうとなれば、この状況を別のものとして捉えさせなければならない。


 福意の精神衛生上、オレの気まずさ上、最速最善で。


「まだ二人が付き合っているかどうかを決めつけるには早いぞ! もしかしたら、なんかほら、日直的な何かのやり取りかもしれないだろ! それに、うちの学校は男女交際禁止だろ!」


 階段の踊り場で、しかも二人きりで話している言い訳が、他に思いつかなかった。


 この言い訳は、さすがに苦しいか。


 ちなみに、男女交際禁止ではない。

 焦った末のただの蛇足だ。


「それもそうですね! 何事も早とちりはよくないですよね!」


 素直で助かった!


「ほら! あの二人はここで解散するみたいだし、福意の思うような最悪な展開にはなってないだろ?」


 とは言ったものの、黒よりのグレーくらいの関係性な気がしてならないが……。


「まだ安心するには早いですよ、生徒会長! もしかしたらこの後、学校の外で合流するかもしれませんし、別の子と会うかもしれません」


 福意は続けて言葉にする。


「そして、なにより、そんな不安を抱えたまま帰るなんて私にはできません!」


 表情は朗らかなのに、心の奥底の方で憎悪に似たような感情が沸々と湧いているような……。


 そう思わせるのは、笑っていない目のせいかもしれない。


「それじゃあ、山田くんの後を追いますよ」

「え? オレも一緒に行くの? というか、今から?」

「当たり前じゃないですか、私の相談はまだ終わってませんし。それに、いま帰ったら、何もかも有耶無耶で終わっちゃうじゃないですか!」


 有耶無耶で終わらせようよ、もう……。


「相談はついさっき終わったのでは……」

「私が終わってないと思っているので、終わってません」

「暴論だ……」


 山田が階段を下ったことを確認し、文字通り後を追うために階段に。


 すると、ついさっきまで山田と楽しそうに会話を繰り広げていた女子生徒と視線があった。


 どうやら彼女は上の階に用事があるようだ。


「…………」


 冷たい視線を送ったかと思えば、今度は微笑む福意。

 そのまま何事もなく、階段上ですれ違った。


 良かった、急に殴りかかるんじゃないかと思った。


 殴りかかっている様子を想像すると、身の毛がよだつ。


 鳥肌が立った。

 もう、マジで怖いよ。


 最初はしっかり者とか、お淑やかとか、そんな印象を抱いていたオレだったわけだが、もうそんな


 イメージは遥か彼方へと消え去った。オレの中での福意のイメージは、黒く染まってしまった。


 そんな悲しいことを考えているうちに、今度は校舎裏に躍り出る。


 そして、本日何度目だろうか、またしてもオレは身を隠していた。福意もまた同様に隠れている。


 最近、隠れすぎじゃなかろうか。

 Gの件然り、福意の件然り。


「また待ち合わせですか……」


 福意は、ため息を吐くと抑揚のない言葉遣いで呆れていた。

 階段で山田と邂逅してからというもの、福意の態度は絶対零度。


 その様子を見ていると、本当に山田のことが好きなのか訊いてみたくなるほどに、福意の視線は冷えきっていた。


「頼むからこれ以上、福意の地雷を踏み抜かないでくれよ」

「いま何か言いました?」

「いえ、何も」

「?」


 心の声が漏れてしまった、危ない危ない。


「お、どうやら、山田の待ち人が来たみたいだぞ」


 オレは福意と視線が合わないようにするために、山田の姿を視界に収めていると、校舎裏に二つ目の人影が現れる。しかも、その人影はよりによって、女子のものだった。


「あ――――」


 見た瞬間、オレは頭を抱えた。


 抱えるしかなかった。

 抱えざるを得なかった。


 当の山田はものすごい笑顔でその女子を迎えていた。


 恐る恐る、福意の表情を盗み見ると、目を見開いて、いまにも殺意の波動に目覚めそう――というより、たったいま目覚めてしまったのかもしれない。


 ほら、その証拠に、手を添えていたコンクリートの壁にヒビが……。


 ……?


 コンクリートの壁ににヒビがっ!


「…………っ!」

「ストップ、待て、早まるな!」


 無言で駆け寄ろうとする福意の両腕を拘束し、一時的に抑制することに成功する。


「ちょ、ま、暴れるな」


 が、怒りは留まることを知らず、腕を回し、足を蹴り上げ、胴をくねらせた。


「止めないでください、生徒会長! 私はこれ以上、この光景を見ていられません!」

「気持ちはわかる! わかるが、いま出て行ってどうなる!」

「あの女を消しますっ!」

「消すってなに⁉」

「文字通りの意味です!」

「文字通りってあれか、物理的にってことか⁉」

「概念的に消し去ってやります!」

「概念的に消し去るってどういうことだよ!」


 火事場の馬鹿力というやつなのか、福意の振り解こうとする腕は、凄まじい力を誇っている。


 少しでも拘束する力を緩めたら、一瞬で腕をもっていかれそうだ。


「そろそろ腕が限界だわこれ……」


 このまま、山田ともう一人の女子のやり取りが終わるまで、福意を留めておくのは無理だ。


 せめて、止める人間がもう一人増えたなら――――。


「――なにしてんの?」


 頭上から声がした。


 声に反応して、福意の勢いも一時的に落ち着いた。


 見上げると、一階の窓で頬杖をついている里霧が覗き込んでいた。


「あれ? 帰ったんじゃなかったの?」

「あんたは何してんの? 襲ってんの?」

「襲おうとしているやつを治めてる」


 状況に反して冷静な会話だった。


「じゃなくて――――里霧も一緒にコイツを止めてくれ! そろそろオレも腕が痺れてきた!」

「はあ……」


 随分と危機感もテンションも低いな、里霧。

 一応、危機的状況ではあるはずなんだが。



          *



「行ったか……」


 ああ、疲れた。


 脱力して、壁にもたれ掛かる。

 もたれ掛かったはいいものの、砕かれたコンクリート片が突き刺さった。


「痛い……」


 校舎裏での山田と女子生徒の密会(?)は終わり、暴走していた福意も正常な判断力を取り戻した。


 暴走の反動か、福意は中腰で膝に手をついて、息を切らしていた。


「それで、さっきのはなんだったの?」

「それはプレイボーイ山田の方? バーサーカー福意の方?」

「なにその売れない芸人みたいな二つ名」

「ちゃんと的を射てるだろ?」

「まあ、それはいいとして……あの後、なにがあったの?」

「あの後の経緯を簡単に説明するとだな――――」




 階段の踊り場で、山田と女子Aが二人きりで会話していたところを見つけてしまったこと。福意がその現場を目撃してしまったこと。後を追って、女子生徒Bと楽しげに会話しているところを見て、暴走してしまったことを、里霧に説明した。


「あ~、そういうこと。それはバーサーカーになるのも頷けるわね」


 頷けちゃうんだ……。


「まあ、もしかしたら、委員会とかの話かもしれないし――」

「「ない、絶対にない!」」


 フォローに入ったはずなのに、食い気味で否定された。


 しかも二人から。


 これを皮切りに福意の瞳はまたしても黒く染まりだす。


「委員会のことだったら、教室でもいい訳だし、立て続けに別の女子と会うのに別の場所に行くのはどうしてですか? しかも放課後になってすぐじゃない理由は? 一人ならまだしも、二人とも放課後になってから結構な時間が経っているじゃないですか。人の目があると困ることってことの証左になりませんか? それに山田くんは委員会にも部活にも入っていないんですよ? しかもあの二人同じクラスの人じゃないし、二人目の人はたぶんですけど、学年が上の先輩だと思うんですよ。もうこれは浮気じゃないですか? 他の可能性があるとは到底思えません。部活にも委員会にも入っていない人が上の学年の人に会う理由ってなんなんですか? 雑談ですか? それなら私でもいいじゃないですか。階段の踊り場? 校舎裏? なんでそんなところで雑だ――――」


 以下省略。


「あれ? この数分で別人に変わちゃった? 福意ちゃん、こんな感じだったっけ?」

「さっき言った通りだろ?」


 ついさっきまでは――階段の踊り場で山田の密会現場を目撃するまでは、温柔敦厚でした。


 ですが、それはもう過去の話。

 今ではもう……恋愛狂戦士。


「里霧さんが思うような彼女は、もう既に……」

「え? キモ……」

「え? うそ……」


 きもい要素どこにあったんだ!


 あ、言い方か……。


 冗談じゃないですか。

 冗談じゃないですよ。


 まったく……。


「先輩方、早くしてください――――次、行きますよ」

「「次?」」


 次ってなんだ?

 二人に会った後にワンモアがあるのか?

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