2-7
×××
未来は滑り込むように物陰へ身を隠し、息を潜めた。じりじりと追い詰められる感覚が全身に巡る。緊張はとっくに通り越していた。
海神が操る思考駆動型ビット、《
ビットが息を潜めていた未来に気づくことなく通り過ぎたことを確認してポケットから携帯端末、リンクスを取り出し、片手で操作する。携帯端末の操作に慣れている未来は、画面に注視することなく、ビットの動きにも気を付けていた。
マップアプリを立ち上げ、現在地と次代の座標を示す青い点を確かめる。次代はすでに別ステージまで移動していて、簡単には合流できそうになかった。
〝ジダイに頼ってばかりじゃだめだよね〟
未来は呼吸を整えて顔を上げた。
物陰から出ると、散らばっていた海神のビットが未来を感知してすぐに近寄ってくる。集まった五機のビットは未来の頭上で列を為してぐるぐると回り、海神に未来の居場所を知らせる。
「見つけたぞ」
コツコツと足音を立ててやってきた海神は、細い目で未来を見据えた。渋みのある海神の声に緊張感が一気に高まる。喉がきゅっと締まり、一瞬呼吸を忘れるも、血の気がひく感覚に頭が冷やされ、すぐに落ち着きを取り戻す。
未来の頭上で回っていたビットらは、海神の下へ戻っていく。
未来が確認している限りでは、海神が操るビットの数は全部で五機。操れるビット数の上限を五機までと断定して行動するのはリスクが高く、あらゆる可能性を考慮する必要がある。
どうやって海神の守りを崩すか。まず未来が考えるべきことはそれだ。
式神でビットの防御を潜り抜けさせるのは至難の業であり、無鉄砲に突撃したところでその可能性も低い。今のところ海神の《
未来の【
未来は自身の【
〝自分らしくってわけじゃないけど……〟
未来は自分の意識にリセットをかけた。
昂る未来の闘志に応えるよう、式神が沸き出し次々と現れる。
「全力で行くから」
海神は現れた式神の軍勢を見据えて、未来の決意を推し量る。雰囲気が変わった。それは未来本人だけに言えることではない。未来の意思は式神にも伝染していた。
「どうやらそのようだな」
二人が見合ったのは一瞬のことだった。
未来が右手を広げたまま正面に向けると、無数の式神が空中を流れていく。
主人を守るべく一機のビットが、式神らの行く手を阻むも土砂降りの雨が生んだ濁流の如き勢いに、粘ることすら許されず弾かれる。瞬く間に弾かれたことで、海神が眉がぴくりと動いた。
「そういう使い方もあるのか。多様だな」
物量による力任せな突破。想定こそできるが、実際にそれを行えるだけの実力が未来にあるかは見せられるまでわからない。
迫る脅威に海神は狼狽えず、冷静な分析を続けた。
残っていた四機のビットがめいめい稲妻のようにジグザグと宙を駆け、ポジションを取る。迫る式神から主人である海神を守るために割り込み、四方に分かれると互いを線で結び、透明なバリアを張った。
式神は破竹の勢いで突っ込むもバリアは固く、絶えず流れ込んでくる自らの後続に耐えきれず、真横に流れていく。
すぐさま物量作戦に対応されたことで未来は歯噛みした。
〝これもダメか〟
海神が一筋縄でいかぬ相手であることは今更だ。ビットの機動力に負け、更には力比べまで負けることになれば、それこそ未来にとって絶望的だ。
未来は苦虫を嚙み潰したような表情で、散った式神に再度指示を出す。指示を待ち、幽体のように浮遊していた式神らは息を吹き込まれ、動き出す。今度は多方からビットの裏を取り、海神を目掛けて囲むように飛び掛かる。そして一つの点を目指した線が繋がり、球体型の檻に海神を閉じ込めた。
「これでっ……!」
未来は正面に突き出した右手をぐっと握ると海神を捕まえた式神の檻が収縮を始める。
その刹那、檻の隙間から覗く海神の細い目は未来を見ていた。瞳に光は宿っていない。けれど、それは諦めの色ではない。
得体のしれない焦燥に駆られた未来は、檻の収縮を速めて海神を握り潰そうとする。
その時、黄緑色の閃光が檻を貫き、縦横無尽に切り裂いた。
切断されたことで式神らは檻の形を失い、宙を漂う。酷い損傷を負った式神は形を保つことができなかった。
「悪くない攻撃だ。だがそれでは届かない」
海神に粛々と未来の攻撃を評価される。厳格な教師に面と向かってテストを採点されている気分だ。
〝これもダメ……〟
一度として攻撃が通用しない海神に、未来の思考が止まる。思いつく限りの攻撃をしただけに、出し尽くしたあとは何も残っていない。
「終わりみたいだな。ならば今度はこちらの番だ」
海神を中心にして回っていた五機のビットが前方でぴたりと止まり、照射口を一斉に未来へ向けて光を灯した。
黄緑色の光が発射寸前でチャージキープされる。空気が揺れ、繰り返される振動の音が響く。
未来はその光を前に、体が動かなかった。光の速さで放たれる光線を避ける反応速度も、岩倉鉄旋のような鉄壁も持たない。喉元にナイフを突きつけられているような気分だ。
数秒後に自身の身体が黄緑色の閃光に撃ち抜かれ、倒れる姿が脳裏を過る。
〝これで終わり?〟
たった一度の勝利。それは自分一人で掴んだものではない。一人で敵わなかった相手、岩倉鉄旋を倒せたのは双葉次代がいたからだ。それも未来は次代の言う通りに動いただけで、その勝利は未来にとって誇れるものではない。
〝まだ何もしてないじゃん〟
このままでは終われないと自らを鼓舞する。
「私だって……っ!」
未来は正面に向き直り、海神と対峙した。
時を待たずしてビットから照射された黄緑の光線。その眩い光は未来の視界を奪い、襲い掛かる。
この短時間で一面を覆うほどの障壁を作れば、海神の攻撃を防げるだけの強度を保つことはできない。一方で、それぞれの閃光に対して必要最低限の範囲で盾を張ることができれば、光線の威力に耐えられる密度で迎え撃てる。
未来は霞む視界の中で、身を守る式神の盾を五つに分けて作った。
一つ、二つと閃光を弾く。一つでも抜けられたら終わりだ。未来は残りの光を捉え、五つすべてを防ぎ切った。式神の貫通は不可能だと悟ったビットは照射をやめる。
「今のを防ぐか。貫けると思ったのだがな」
「一度それで式神たちを撃ってくれたの忘れた?」
未来は強気に海神を煽る。
最初の攻防で式神を貫かれた際、どれだけの強度があれば耐えられるか、大体の把握は済んでいた。しかし、上手くいくかどうかはぶっつけ本番であり、内心未来は平静を保つのがやっとだった。
「そうか。ならばこれでどうだ」
海神は未来の煽りに動じることなく、次の一手を打つ。多方面から攻撃していたビットが一つに集まり、小さな円を時計回りに描き出した。
「え……?」
未来は五機の動きに嫌な予感がした。
ビットは先と同じように光を集め、攻撃態勢に入る。それが何を意味するか、分からない未来ではない。それゆえに、頬を引きつらせて絶句したのだ。
一点集中。
五機のビットは一か所に光を集め、放つ威力を高める。繰り出される光線の威力は計り知れない。
未来は式神を総動員させ、自分にできる最大出力の盾を作った。
放たれた光線が式神の盾に衝突する。凄まじい威力に、着弾と同時に盾をガリガリと削り、束になった式神を引きはがしていく。
未来は壊れていく盾に次々と式神を補填し、強度を高めて対抗する。光線は絶えず照射され、未来を撃ち抜くその時まで終わる気配はない。
「……っ!」
必死の抵抗の最中、未来は下唇を噛む。次々と剝がされていく式神の補填が間に合わない。破られるのも時間の問題だ。
〝どうしたら……〟
万策尽きようしたその時、銃声が聞こえ、式神にかかる負荷が弱まる。
光線を放つビットの一機が銃弾に崩され、光線が弱まったのだ。
「未来、全力をあいつに撃ち込んでやれ。邪魔する奴は俺がすべて退かす」
不意に聞こえた次代の声に胸がじんわりと熱くなった。どうしていつもタイミングよく窮地に駆けつけてくれるのだろう。もはや狙っているとしか思えないくらいだ。
未来は式神の盾で光線を押し返す。次代がビットにちょっかいをかけたことで、出力が落ちた光線を弾き返すのは難しいことではなかった。
開けた視界の先で、初めて動揺した海神を見た。
海神は瞳孔を大きく、神妙な面持ちで視線を巡らせる。その先で、パーカーの上にレザージャケットを羽織る次代を見た。
「不知火、約束を破ったな」
次代が現れたということは、出雲が敗れたことを意味する。海神は自分が思っているよりも出雲が負けたことを信じられずにいた。
その動揺が、海神の動きに迷いを生む。
光線を弾き、道は開けた。
対峙する海神の動きは明らかに鈍っている。
盾を模っていた式神らは、一度分離し、新たに巨躯な腕を形作った。
未来は全力の一撃で勝負を決するため、式神と共に海神へ走り出す。式神の腕は未来の背後に浮かび、体の一部のようについてくる。
「……っ」
次代の介入に気を取られていた海神だったが、未来の接近に対応しようとビットを飛ばした。
まっすぐに飛び込んでくる未来は無防備であり、光線を当てることは容易い。
ビットはぴたりと未来をマークし、光をチャージする。
自らの危機を前に、未来はビットに目を向けることはなかった。
〝邪魔するものはすべて俺が退かす〟
次代がそう言ったからだ。
未来は次代を信じ、よそ見することなく海神の下へ向かった。
次代は未来に向けて照射しようとするビットの照射口に次々と銃弾を命中させていく。攻撃を受けたビットは衝撃を受け、やむなく攻撃を中断する。
その間にも未来は海神に届こうとしていた。
海神は五機すべてのビットを集結させ、五角形のバリアを発生させた。未来は立ち止まることなく、バリアに全身全霊の拳を叩き込む。バリアは固く、未来の全力を以てしても打ち破ることはできない。
「諦めろ。お前の攻撃は私に届かない」
海神は厳しい口調で忠告する。それを受けて、未来は笑って返した。
「諦めないよ。私は一人じゃないから」
次代が放った銃弾がペンタゴンの一角を撃ち抜き、バリアに揺らぎが生じる。合わせて未来は式神の拳を押し込むも、海神のバリアは侵入を許さない。次代の介入を予期した防御態勢だった。
「だったらっ!」
未来は声を上げ、もう一本、対となる左腕を作り出す。式神の両手をバリアに指を突っ込ませて襖を開くようにバリアを抉じ開けた。
バリアが破られた反動でビットの活動が止まり、地面に転がった。
邪魔するものは何もない。海神との距離はなくなり、未来は式神の拳を振りかぶった。
「……どうした、やらないのか」
海神は未来に問いかける。
繰り出されるはずだった鉄槌は、海神に落とされず、今もまだ宙に浮いていた。
「……やっぱり私は自分のために誰かを殺すなんてできない」
未来の意思に影響され、式神の腕は姿を消した。
海神はそれを見て目を細める。
「お前がやらなければ私がお前を殺す。それがわかっているのか」
「わかってる、わかってるよ。でも、だからってそれが人を殺していい理由にはならないから」
「私にお前の道理は通用しない。私はお前を容赦なく殺すぞ」
海神の言葉に、未来は言葉を詰まらせる。
「……っ! 殺し合わなくてもみんなが生き返れる方法があるかもしれないじゃん」
なんとか捻り出した反論に根拠は欠けていた。そうなったらいい。未来の自分勝手な願望を語っているに過ぎない。
「お前の理想が叶えられなかったとき、生かしておいた者たちがお前に大人しく命を差し出してくれるとは限らない。ましてや、それ以前に寝首を搔かれぬという保証もない。それを承知の上で言っているのか」
「……」
未来の理想は叶うならば誰もが望む結末だ。しかし、それができないからこの場所で未来たちは戦っている。海神の指摘は尤もであり、未来は黙るしかなかった。
「そんなバカげたことを言うお前のことだ。それでもかまわないと言い出しかねない。だが、それで困るのはお前だけではないはずだ」
未来は海神の言葉に、次代を見た。
次代は口を出すつもりがないのか、静観しているだけだった。いっそ、次代の口から「生き返りたいから、そいつを殺してしまえ」と言われた方が楽だった。しかし、次代は未来に何も言わない。
「お前は何のために戦っている」
「私は……」
本当は戦いたくなんてない。互いの命を懸けて争うなんてバカげている。
それでも戦いの渦中に飛び込んだのは、生き返りたいからだ。でも、自分のために誰かを犠牲にするのは間違っている。自分の中の正義が殺し合いを否定した。
「生き返りたいよ」
「お前はきっと誰かがやっているからという理由で、自分を肯定することができないのだろう。だから迷っている。自分を騙すことができない」
「だったらどうしたらいいの?」
未来は自身の中の葛藤に苦しむ。
「甘えるな。迷い続けろ。迷って、考えて、苦しみながら進め。迷うことをやめるな。絶対の答えなんてものはない」
「何言ってるかわからないよ」
未来の声は今にも枯れそうなほど弱々しい。
「お前が善人である限り、この戦いはお前に苦痛を与えるだろう。だがそれでよい。決して痛みから逃げないことだ」
「逃げるなって」
「それがお前を人たらしめるということだ。悪いな、お前には重荷を背負わせることになる」
転がっていたビットが急に稼働し、照射口が光を灯して動き出す。
「未来っ!」
次代がビットの動きに気づき、注意を促す。
照射口から伸びるポインターは未来を通過し、海神に止まる。
放たれた黄緑の光線は海神を撃った。
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