4-4

 次代は【切札ジョーカー】を発動させる。《幻想開扉イマジナリーゲート》によって開いた扉を抜けて上空に姿を現した。

 即座に銃口を未来に向けて銃撃するも、大量の式神が沸き出して未来を守る盾となる。束になった式神は厚く、銃弾では簡単に貫通することができない。

 次代は新たにコルトガバメントを左手に呼び出し、二挺拳銃で応戦した。

 絶え間なく銃弾を撃ち込み、貫通を図るも勢いは式神にあり、落下していく次代に銃弾を食らいながら目掛けて怯むことなく一直線に伸びていく。

 やはり銃による攻撃は尽く無力化される。

「遠距離は無理か」

 式神は次代を捉えるために加速し、目と鼻の先まで迫っていた。混濁する式神の波に飲み込まれれば、最悪の場合手足を砕かれ、二度と立ち上がることはできない。

 次代は式神によって未来の死角になっている地点を見定めて、《幻想開扉イマジナリーゲートを使う。

 次代が足を地面につけたその瞬間を未来は見据えていた。

「ジダイならそこだと思った」

幻想開扉イマジナリーゲート》による移動先を読んでいた未来は、次代の着地地点に式神を待ち伏せさせていた。

 分厚い壁にも見える大型の式神に見下ろされた次代は軽く笑った。

 一手一手に未来の強さを感じる。全力で戦っても未来に勝てる確信はない。だからこそ、熱くなってしまう。おかしな話だ。負けるつもりでいたはずが、今は本気で勝とうとしている。

「わざと死角に見せていたのか」

「そういうこと」

 未来は意地悪に笑う。更に畳みかけるため、次代を捉え損ねた式神の濁流の進路を変更させ、再び追いかけさせる。

 立ちはだかる巨大な式神とは反対方向から迫る式神の濁流に挟み込まれ、次代は退路を失った。

「逃げ場はないけど、また【切札ジョーカー】を使う?」

「挑発が露骨だな」

〝未来は俺の【切札ジョーカー】に対して何かを狙っている? それとも使わせないためのブラフか? どちらにしろ、勝機を見出さないうちの乱発はさけたいところだな〟

 次代は《幻想開扉イマジナリーゲート》での離脱を諦め、自力で式神を躱すことにする。空中を走る式神の速度を目測し、到達するまでの時間を逆算する。まずは正面を塞ぐ式神を抜き去るため、左右に揺さぶりをかけた。式神はロボットのように精密な調整を繰り返し、次代の進行を妨げる。式神の性質は人間より機械に近く、簡単に綻びは生まれない。

〝どうやら手数で押した方がよさそうだな〟

 次代は銃口を式神の脚部に向けて速撃ちし、両足を砕いた。

 式神の足元が崩れると同時に、真横を抜けて抜き去る。式神は振り返りざまにその手を次代に伸ばすも、足を削られたことで距離が十分でなかった。

 次代を挟み撃ちにしようとしていた式神の濁流が、今しがたいなしたばかりの式神を取り込み、さらに大きく膨れ上がった。

 式神は逃げる次代よりも速く、その背中に肉薄する。

 逃げ切れないと悟るや否や次代は足で急ブレーキをかけて勢いを殺し、体の向きを反転させて式神と対峙した。

 今すぐ真横に逃げても対応されてしまう距離感。次代は対応されないギリギリのタイミングを狙って真横に飛び込んで躱す算段を立てた。

「なっ……!?」

 飛び出そうとしたその時、次代の足元に小さな式神が押し寄せる。迫ってくる式神にばかり意識を向けていたせいで、別方向からの接近に気づくことができなかった。両足を固められ、動きを封じられた次代の視界が瞬く間に式神で埋め尽くされる。

 押し寄せてきた式神に為す術なく飲まれた次代は体ごと空高くに運ばれていた。式神の力強い拘束により、手足の自由が奪われている。力づくでは抜け出すことができなかった。

〝使わざるを得ないか〟

 連なる式神のわずかな隙間から覗いた景色に焦点を定めた。他に打てる手はなく、《幻想開扉イマジナリーゲート》の発動を選択した。

「使ったね。【切札ジョーカー】……」

 次代が着地した瞬間、未来は呟いた。

 その瞬間、一枚の壁を模した式神がそれぞれ四方から次代を包囲する。辺同士を接続させ、前後左右の逃げ場を奪うと締めに真上から蓋を被せて立方体に閉じ込めた。

「捕まえた」

「これが狙いだったのか」

 互いの姿は見えていない。それでも会話にはなんら支障はなかった。

「どう? これなら【切札ジョーカー】で逃げられないでしょ」

「俺の【切札ジョーカー】を知っていてそう言ってるのか?」

「うん。だってジダイの【切札ジョーカー】は見えているところにしか移動できないからね」

 未来の言う通り、次代の《幻想開扉イマジナリーゲート》は自身が見えているところに意外に座標を指定することができない。

「気づいてたのか?」

「一度ジダイを式神で捕まえた時、隙間を用意していたのはわざとだからね」

「そういうことか」

 次代視点、何度か未来に勝利を狙えるタイミングがあった。未来はそこで勝負せず、次代から情報を引き出す機会として利用し、勝利を確実なものにしようとした。

 ずっと未来に泳がされていたというわけだ。

「だが、このままだと未来も俺に手出しすることはできないと思うが」

「ううん。さっきまでジダイを追いかけてた式神が、その檻ごとジダイを圧し潰すから、痛みも感じさせずに終わらせてあげる」

「それは優しいな」

 未来の予告通り、式神の濁流はとぐろを巻くようにうねり、天に昇っていく。

 次代は外の状況がわからないまま、自身を囲む式神の壁に触れる。

〝殴ってどうこうなるものじゃないか〟

 コルトガバメントを呼び出し、壁に銃弾を撃ち込む。貫通することはできても、親指ほどの風穴はすぐに修復され、元の形に戻ってしまう。

「ジダイじゃその檻は破れない。そしてこれでおしまい」

 式神は頂点に達すると先端を真下に向けて、次代を捕らえる檻に向かって下降し、強烈な一撃を落とした。

 凄惨な光景を未来は寂しげに見据える。これで終わりなのかと自身に問いかけた。そんなはずはない。次代はどんな逆境にも立ち向かってきた。それはきっと今回も変わらない。

「まだだ!」

 刹那、次代の声が未来の鼓膜を揺らした。

 未来は咄嗟に前後左右を見回すが、次代の姿はどこにも見えない。幻聴だったのか、と自身を疑った。

「上だ」

 その言葉に未来が空を見上げると、式神を後ろに連れて落ちてくる次代が見えた。瞬間、【切札ジョーカー】を使用した次代は、未来の正面に現れて銃口を向ける。

「悪いな。今度は断りなく借りさせてもらった。このままだとお前も潰されるぞ」

 式神の勢いは凄まじく、このまま次代を追うように指示を続ければ、主人である未来も巻き添えを受けてしまう。

「わかったよ」

 未来の意思一つで次代をしつこく追い回していた式神があっさりと消えた。

「どうやって抜け出したの?」

「一瞬でも穴を開けられれば十分だ」

 次代は未来に向けていた拳銃を小さく跳ねさせ、足りない言葉を補足する。式神の壁に銃弾を撃ち込んだ時、穴はすぐに塞がりこそしたものの、風穴を開けることができていたという事実を次代は見逃さなかった。

 一瞬でも穴を開けることができれば、外に繋がる景色が見え、《幻想開扉イマジナリーゲート》の条件を満たすことができる。

「それで私の頭上にピンポイントで式神ごと移動させたってこと?」

「上手くいってよかった」

「なるほどね」

 未来は片頬を笑わせた。詰ませたと思っていたが、それでも次代なら窮地を乗り越えてくると予感していたからだ。まさか本当に実現するかどうかは、半信半疑であったが。

「この勝負、俺の勝ちだな」

 勝利宣言し、未来に銃口を向け直した。

「まだだよ」

 突如未来はふわりと浮かび上がり、マリオネットのような人間離れをした動きで次代の右手から拳銃を掠め取り、裏を取って着地した。

 次代の目にはまるで未来自身が式神同様に操られているように映っていた。

〝一体何が起きた?〟

 眼前で起きたことに困惑する。

 振り返り、再び未来を見たとき、次代は銃口を向けられていた。

 銃口から覗く深淵。込められた銃弾の姿は見えない。見えないからこそ、撃たれる恐怖が増幅する。

 それでも次代が怯えた顔を見せないのは、この結末を望んでいたからだ。

「私の勝ちだね」

 未来はわざとらしく勝ち誇って見せた。

 勝利は目前。右手に握る銃で次代を撃てば、最後の一人となり、生き返ることができる。生き返ること。それこそが未来の願いだ。

 にもかかわらず、未来の目は笑っていなかった。喜んでいなかった。

「俺の負けみたいだな」

「認めちゃうんだ」

「まぁな。負けたのは普通に悔しいけど」

「ジダイに悔しいとかあったんだね」

「全力で戦ったからな」

「そうなんだ、意外」

 会話が途切れ、二人は無言のまま見合う。

 次代は未来に撃たれるのを待った。

 しばらくして未来は苦しそうに目を伏せ、銃口を下げた。

「ごめん。やっぱりジダイのこと撃てないや」

「何言ってんだ。勝ったのは未来だろ」

「わかってる。でもさ、ジダイのことを見捨てて、諦めて、生き返っても、私は心から笑えないから」

 未来は変わっていない。

 この戦いに身を投じた時から、誰かを犠牲にして生き返ることに苦悩を感じていた。戦う覚悟を決めたと言っても、それは本心を隠して強がっている自分でしかない。未来が抱いていた感情が消えたわけではなかった。

「これでいいんだ。俺はお前がいないと生き返っても意味がない」

「嬉しいこと言ってくれるね」

「俺は未来に生きていてほしい。未来は俺を犠牲にして生き返ったら、心から笑えないって言うけど、俺のことなんて忘れていい。生き返ってやりたいことがたくさんあるんだろ?」

 次代の言葉に未来は首を振った。

「忘れられないよ。私は弱いから、このまま生き返ってもきっと耐えられない。……全部背負って戦うって決めたんだけどね」

「何言ってんだよ」

「やりたいことはあるけど、その全部がジダイのことを諦めてまでやりたいとは思わない。私は都合の悪いことを忘れたふりして生きていけるほど強くないよ」

「それを俺に押し付けるって言うのか?」

「ごめんね。でも誰かのために戦えるジダイなら乗り越えられるって思うから、ジダイに託したいの」

 未来は容易に説き伏せることができそうにない目をしている。

「なんでだよ……」

 聞き入れてくれない未来に次代は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「考えたよ。迷ったよ。その答えがこれなんだ。きっとジダイも同じだと思う。私を殺して生き返りたいだなんて思ってないよね。でもね、それは譲れない。譲らない」

 同じだからこそ、未来の気持ちが痛いほど理解できてしまう。受け入れがたくても、その思いを否定することはできない。

「もう時間もないみたいだね」

 未来は崩壊する景色を見回す。壁、床、キューブを構成する物質が壊れ、黒い空に昇っていく。終わりはもうすぐそこまで来ている。

「ジダイ、最後まで一緒に戦ってくれてありがとう。本当に嬉しかったよ。これからジダイに酷いことするから先に謝っておくね。ごめん」

 告げられた感謝の気持ちと突然の謝罪。

 次代は何も言えなかった。

 未来は次代のそばに寄り、その手に拳銃を握らせて元の位置に戻る。次代は受け取ることに抵抗できなかった。

「なっ……!?」

 未来を捉える視界にコルトガバメントが映り込む。

 銃口は未来に向けられていた。すぐに次代は自分が拳銃を構えていることに気づく。体の感覚はある。確かに自らの手で未来に銃口を向けていた。しかし、それは次代の意思に反している。

 この手が、未来を撃つことはありえないことだ。

 銃を下げようとするも、体が言うことを聞かない。もはや指先一つ次代の自由にはならなかった。

「どうして?」

「――さて、なんでだろうね?」

 次代と未来が向かい合う間にエグザルフが割って入る。丸い手を顎に当て、悩むポーズを取っているも、すべてを知っているかのように嗤った。

「お前が何かしたのか?」

「まさか。パートナー同士の戦いに水を差すような野暮な真似はしないよ。それもいよいよ大詰め、クライマックスの見せ場なんだから」

「じゃあ誰が……」

「僕でもないとすれば、キミが疑うべき相手は限られていると思うけどね」

 エグザルフは白々しく未来のことを示唆する。

〝未来が? 未来の【手札ホルダー】は式神を操る力のはず……〟

「……【切札ジョーカー】か」

「正解。オーバーリンクに達し、次代クンの【切札ジョーカー】が開放された時点で、未来クンも同様に【切札ジョーカー】が使えるようになっていたというわけさ。そしてその力は……」

 エグザルフは途中で口を噤み、あとの解説を未来に任せる。

「私の【切札ジョーカー】は対象を私の意思で自由に動かせるの」

 先ほど未来が見せた人間離れした動きは、未来自身を対象に取り、式神を操る感覚で動かしていた。

「エグザルフ、この力でジダイが私のことを撃っても、私が自殺したことになる?」

「う~ん。判断は僕基準だからね。もしかしたら次代クンが自分の意思で撃っているかもしれないし、それを僕に見極める術を持たないから、未来クンの自殺とはみなさないよ」

「ほんとうに?」

「何度も言ってるけど、僕は嘘をつかないからね。それに未来クンがこんなに面白いことをするとは思わなかったよ。これはそのお礼ってわけではないけど、約束を反故することはしないと誓おう」

「なにそれ……」

 未来は小さく笑う。それは次代の知らない未来だった。表情が宿っていないのか、作り笑いなのか、それを知る術はない。

 終わりは近づいている。

 仮にエグザルフが嘘をついていたとしても、未来の決断は揺らぐことはなかった。自ら撃たれることで命を絶ち、次代を生き返らせる。

 それを実現させるには、この手段しかない。

「未来、やめてくれ」

 次代は震える声で訴えた。

 寂しげな顔をするだけで何も言わない。未来の顔は来たる死を受け入れていた。

「未来っ!」

 強く彼女の名を呼ぶ。それでも未来は応じず、じっと次代を見ているだけだった。

「……やめろ! ……やめろよ!」

 次代は未来に向けられた銃口を下ろそうと抵抗するも、体は思う通りに動かない。銃口の向き先は固定されていた。

「どうして動かないんだよ!」

 次代は自分の無力を嘆いた。すべてを擲ってでも阻止したいと思っていても、意志の力だけではどうすることもできない。現実は非情だ。

「哀れだねえ、次代クン。キミには【切札ジョーカー】による支配を解くことができない。唯一手段があるとすれば、キミが未来クンとのオーバーリンクを断ち切ることだ」

「オーバーリンクを断ち切る?」

「そう。オーバーリンクが途切れれば、【切札ジョーカー】の開放条件が満たされなくなって、その力も消える」

「どうすれば……」

「今のキミは未来クンを殺したくないから抗っているわけだし、土台無理な話なんだけどね。クシシシッ!」

 次代が未来を思うほど、繋がりが強くなり、オーバーリンクを断ち切ることができなくなる。目的を達しようとする気持ちが邪魔をする。

 エグザルフの言う通り、次代がオーバーリンクを断ち切るためには矛盾が発生してしまうのだ。

「だったらどうしてっ!」

 次代はエグザルフに怒り咆えた。

「決まってるじゃないか。キミのその顔が見たかったからさ」

 エグザルフは悦に入り、満足げな表情を見せる。

「……っ!?」

「ジダイ、最後まで繋がっていてくれてありがとう」

 未来の言葉が聞こえた瞬間、引き金にかけられていた指が次代の意思とは無関係に引かれた。銃口炎が眼前で弾け、射出された銃弾が未来を撃ち抜いていた。うっすらと立った硝煙の匂いが鼻をくすぐる。

 胸を撃たれた未来は衝撃で後ろに倒れていく。遠のいていく未来の表情は痛みを訴えることをせず満足していた。

 未来は粒子となり、空に溶けていく。

 倒れていく未来が地面に背をつけるよりも先に完全に姿が消える。

 同時にすべての景色が消滅し、真っ暗な世界が残った。

 体が【切札ジョーカー】の支配から解き放たれ、次代は自由を取り戻す。押し寄せる悲しみと虚無に打ちひしがれ、膝から崩れ落ちた。

「うわああああああああああああ!!」

 感情を言葉にできない。次代は膝をついたまま天を仰ぎ、悲痛を叫んだ。これまでの何もかも否定されたようだった。

 泣いたってどうにもならない。誰も助けてはくれない。どうしようもない絶望だけが残る。

 そんな中、エグザルフが眼前に立った。

「おめでとう、次代クン。最後まで勝ち残ったのはキミだ」

 エグザルフが次代の気持ちを推し量るわけもなかった。行き場のない怒り。己の拳をぷるぷると震わせた。

「何がおめでとうだ。ふざけるなよ……」

「キミは最後まで勝ち残った。それは紛れもない事実だ。それとこれだけは言わせてほしい。次代クンのおかげでとても楽しかったよ。キミの戦いは見応えある最高のエンターテイメントだった」

 エグザルフは次代に拍手を送る。

 殴って、蹴り飛ばして、銃で風穴を開けてやりたい。次代はエグザルフを憎んだ。それなのに、手が、足が上がらない。ただ涙を流すだけだった。

 未来と共に戦った記憶が脳に甦る。決してなだらかな道ではなかった。険しく熾烈な戦いを二人で乗り越えた。二人だから乗り越えられた。

〝どうして俺だけが、生き残ってるんだ〟

 次代は自分の手を見つめる。未来を撃った己の手を。他でもない。未来を殺したのはこの手だ。

 未来の【切札ジョーカー】に操られた手が引き金を引いた。その感覚は確かにこの手の中にある。自らの意思とは関係ないとしても、体に刻まれている。あの瞬間、本当に操られていたのか、それさえもわからなくなるほどに。

「お別れの時間だ。次にキミが意識を取り戻したら、生き返ったことにすぐ気づくだろう。それじゃあ、さようならだ。次代クン」

 別れの挨拶を告げられると次代の意識は段々と遠のいていき、やがて意識が途切れた。



          ×××



 雑踏の音に意識が覚醒する。

 ビルの隙間から覗く青い空に浮かぶ見切れた白い雲。

 周囲を見回すと自分が薄暗い路地裏で倒れているとわかった。

 たくさんのゴミ袋が次代の下敷きになっている。

 歪で不揃いな凸凹に、鼻を刺す異臭。これほど寝心地の悪いベッドはこの世にまたとない。

 次代は立ち上がり、路地裏から出ると日の光に晒された。

 酷く眩しい太陽に思わず手をかざす。

 その光は忌々しくもあり、懐かしくも感じた。

 太陽は南中高度を越え、時刻は昼過ぎ。右も左も行き交う人で溢れていた。

 次代は何をするでもなく、歩き始める。

 見えてくるのは知っている景色だ。世界には色があり、白黒の世界にいた次代には刺激が強かった。

 行き先は信号の赴くままだ。青い標識に従い、横断歩道を渡る。

 誰かが大声で喋っているわけではない。それなのに、とても騒がしい。世界には音が溢れている。喧騒の中心にいるような気さえした。

 歩行者用の信号が点滅を始め、横断する歩行者が数を減らす。

 急ぐことをしなかった次代が白線を渡り切る頃には、信号が赤に変わっていた。

 数秒もしないうちに対向車線から走り出した車が後ろを走り抜ける。距離は十分にあり、万一にもあたることはないが、車が起こした風に頬が撫ぜられて背筋がぞくりとする。

 死の匂いがした。

 迫る死。キューブでの戦いと比べれば、簡単に回避できる些細なものだ。

 青い空も眩しい太陽も溢れる雑踏も響くことはなかった。次代に生命を実感させたのは、他でもない死という概念だ。

 死を通して、戦いの、アナザースペースで過ごした時間の記憶が甦る。

 その瞬間、次代は生き返ったと知った。


         -了-

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イグナイテッド・ワン M2 @oborocross

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