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         ×××


 意識が覚醒するのはいつだって突然のことだ。前触れの有無はきっかけでしかない。今回の目覚めは何者かによる干渉だった。

 薄いながらに芯のある手が頬をぺちぺちと叩く。痛くもなければ、痒くもない。触られているという感覚だけがあった。

 目覚めは不完全。寝起きは人の気持ちを特別弱らせる。もう少し寝ていたいという欲からは逃れられない。外に出てしまえばどうということはないが、毎朝布団の中ではズル休みを決め込むか悩んでしまうものだ。しかし、今回に限り、それは許されなかった。

 優しいぺちぺちは強烈な殴打に変わる。目覚めの一撃を頬に入れられ、驚きのあまり双葉次代ふたばじだいは起き上がる。上体を起こした次代は何事かと周囲を見回した。

 見慣れない景色。知らない空。そして眼前の小さく白い紙人形。何一つとして理解が及ばない。

〝この紙人形はなんだ?〟

 寝起きで頭が回らないだけでなく、自分の常識を軽く超えてくる存在に次代は自分自身の目を疑った。白い紙人形、未来の式神は薄っぺらい紙一枚で人の形を模している。到底説明できない理屈で二足歩行を行っているにも関わらず、決してバランスを崩さない。

 次代は本当に倒れないのかと疑い、式神を突こうと試みるも、伸ばした指は式神の小さな手ではたかれた。危機察知能力まで備えている。抵抗することなく、そのままこてりと倒れてくれれば理解に苦しむことはなかったのに、謎は深まるばかりだ。

「ん?」

 はじめは奇怪なものを見る目で式神のことを認識していたせいで気づかなかったが、式神は次代に何か大切なことを伝えようとしているようだった。身振り手振りはやや大げさであり、必死さが伴っている。急いでいるようにも見えた。

 式神には目も鼻もなければ、口もない。口がなければ喋れない。最低限、そのくらいの常識は守ってくれているらしい。しかし、身振り手振りよりも言葉でコミュニケーションを取る方がずっと楽だ。妙なところで気が利かない。

〝で、何を伝えようとしているんだ?〟

 次代は意図を汲み取ろうと目を凝らして、式神のパントマイムに付き合った。

「う~ん……」

「はいっ、どーん!」

 何かがわかりそうだと思ったその時、能天気な声音と共にやってきた丸っこい足が躊躇なく式神を蹴り飛ばした。

「なっ!?」

 目の前から式神が消え、代わりに丸みを帯びた黒い足が次代の視界を占領する。

 次代の視線が自然と足からどっぷりと蓄えた腹へ、なで肩を抜けて「クシシシッ」と嗤うエグザルフの顔に向かった。

「タヌキ……?」

「ネコだよ」

「あ、そう……」

「次間違えたら怒るからね」

 エグザルフは機嫌悪そうにすかさず訂正を入れる。タヌキと思われることはエグザルフにとって心外なようだった。二度目はないぞと言っている割に、次代の目にはすでに怒っているように見えている。

〝タヌ……じゃなくてネコが喋った? そもそもコイツもなんで当たり前のように二本足で立ってんだ?〟

 式神というイレギュラーな存在が一瞬意識からそれたと思えば、次にやってきたものも同じく次代の理解を逸脱していた。

「ようやくお目覚めみたいだね、双葉次代ふたばじだいクン」

「……双葉次代?」

 エグザルフの挨拶に、次代は眉をひそめる。その言葉は確かに次代へ向かって告げられていた。しかし、次代には自身の名が呼ばれた感覚はなく、思わず振り返ってみるも後ろに他の誰かいるわけでもない。

「キミのことだよ、双葉次代クン」

 エグザルフは察しが悪いな、と次代を見据えた。

 次代は自らを指さし、その言葉に間違いはないかと確認する。

「う~ん、記憶がないのは少しばかり面倒だね。そう、キミが双葉次代だ」

「双葉次代? 俺が?」

「うん。キミはいわゆる記憶喪失でね。自分が誰かを覚えていない。もし違うというのなら、自分の名を名乗ってみるといい」

「え、ああ……」

 言われた通りに次代は自分の名前を名乗ろうとするも、それ以上言葉が出てこなかった。自己紹介する流れ。それ自体は体に染みついている。それどころか慣れによるものなのか、何か発しようと喉元まで音が出てきている。しかし、肝心の発声するべき言葉、名乗るべき自らの名前が出てこなかった。

〝俺は誰だ?〟

「驚くのもわけないよ。自分が誰であるかわからないにも関わらず、それがおかしいことだと実感しているんだから。次代クンは記憶喪失という言葉に引っ張られすぎているのかもしれないね」

「どういう意味だ?」

「キミは持てるすべての記憶を失ったわけではないということさ。いわゆる意味記憶というものはキミの中に残っている。だから僕と普通に会話もできるし、自分なりの感覚がある。それに僕を見て、『ネコが喋って、二本足で立っているんだろう?』と思っただろう。それはキミの中にネコがなんであるかを認識している証拠さ。むしろこちらが欠けていれば、キミは赤ん坊同然の知性だったかもしれない」

「なら俺は……」

「そう! キミは自分にまつわる記憶のみを失っているのさ」

 エグザルフは指をぴんと立て、誇らしげに語る。

「記憶喪失って……、一体どうして?」

「どうしてだろうね~。もしかしたら死んだときのショックで記憶が飛んじゃったのかもしれないね」

「死んだ? 誰が?」

「キミだよ」

「は?」

「だからキミが死んだんだってば」

 困惑する次代に、エグザルフは表情を変えることなく淡々と事実を述べる。

「そんなわけないだろ。俺はこうして喋るんだし、手足だって動く」

 次代は喋り、手先を動かし、自分の生存を主張できる材料を次々に挙げた。

「そう思うのも仕方がない。記憶がないと死んだ実感もないからね」

「いやだから……」

「ここはアナザースペース。いわゆる死後の世界だ。ほら、周りを見てごらん。キミは生きているうちにこんな景色を見たことがあるかい?」

 エグザルフに言われ、次代は改めて周囲を見回した。

 世界は白と黒、二つの色だけで構成されている。空は薄暗く、黄昏時を思わせる。光源がないにも関わらず、周囲は明るい。これを説明する手立ては次代になかった。

 次代の知っている世界とはかけ離れた無機質な世界。

「改めて伝えるとしよう。双葉次代クン、キミは一度死んだ、そして生き返るために戦う資格を手に入れたんだ」

 両手を広げ、エグザルフは高らかに宣言する。

「戦う? 生き返る?」

 エグザルフの言葉にぴんと来ていない次代は、耳に残ったワードを繰り返す。

「そうさ! 生き返る権利を賭けた殺し合い、デスゲームだよ。なに、難しく考えることはない。最後に生き残った人が生き返ることのできる簡単なルールさ。キミたちの人生はまだ終わっていない。ここで戦い、敗れて退場することになるその瞬間まではね」

 エグザルフは興奮気味に、楽しげに説明する。

「つまり俺は死に、生き返りを賭けた戦いに参加する資格を得たと」

「良い解釈だね。それじゃあ――」

「どうでもいいな」

 話を次に進めようとしたエグザルフの言葉を遮り、一蹴する。

「え、今なんて言ったかな?」

「記憶がないせいか、生き返りたいと思う気持ちもない。悪いが、そのデスゲームとやらは俺抜きでやってくれ」

「えー……」

 ノリが悪い次代に、エグザルフは肩を落とす。

「そんなこと言わないでさ。急に気が変わるかもしれないよ」

「……」

「キミの記憶がいつ戻るかわからないんだし、説明くらいは聞いておいて損ないんじゃない? どうせ何もしなかったらキミはこのまま死ぬんだよ。冥途の土産に聞いていくといい」

 今はその気でないが、エグザルフの言うことには一理ある。話だけなら聞いてやると次代は頷いた。

「わかったよ。聞くだけならな」

「さて、舞台はここアナザースペース。さっきも言ったけど、死後の世界だ。もっと言えば、生と死の境と表現するべきかな。生き返るチャンスがあるキミたちを完全に死んだと表現するのは語弊を生むからね。そしてここはキューブ……」

 エグザルフは唐突に説明を止め、ぱちんと小さな指を鳴らした。

 呼応するように次代が羽織るレザージャケットのポケットから光が放たれる。

「取り出してみて」

 エグザルフは光源を指して言う。

 次代は指示通りにポケットに手を入れ、平たい薄い物体を取り出した。

 ポケットから取り出された瞬間、遮られていた光が照射され、空中に九つのブロックが映し出される。ホログラム映像だ。

「キミが今手にしたそれはリンクス。参加者全員に配布している通信機能を持った携帯端末さ。いわゆるスマートフォンってやつだよ。通信以外にも様々な機能があってね、一例としてこんな風にマップとしても利用できる」

「この繋がっている箱に俺たちがいるってことか?」

「そういうこと。赤い点が打たれているブロックがあるだろう。それに触れてみてほしい」

 エグザルフの言う通り、次代は赤い点が打たれているブロックに触れた。すると他のブロックが消え、次代が触れたブロックが拡大して表示される。

 どことなく見覚えがある。

「……ここと同じ?」

 次代は辺りを見回し、ブロックに表示されている景観と似ていることを確かめる。遠くに見えるオブジェクトはブロックにも表示されていた。

「赤い点がキミの現在地を示している。そしてここはステージ7」

 エグザルフが指先をフリックさせると再びマップはキューブの全体図に戻る。

「次代クンから見て、左の奥からステージ1、2、3と続く。次の段に移ったら4、5、6。あとはわかるよね?」

「ああ」

 一番手前の左がステージ7。次代の位置を示す赤い点はそこにあった。

「連絡通路はそれぞれ隣接するブロックに用意されているから、ステージ間の移動はそれを使ってくれるといい」

 1は2と4に繋がる一本の道がある。2は1、3と5に繋がっている。斜めに繋がる連絡通路はないようだった。

「九つのブロックを有するキューブ。ここがキミたちの戦場だ。参加者はキミを含めて20人。ここまで大丈夫?」

「まぁ……」

 完全に理解したかと問われると「YES」と答えられる自信はなかったが、次代の中でこれといった疑問を思いつかなかった。

「それじゃあここからがチュートリアルの醍醐味。戦いと言えば、特別な力が付き物だよね。ワクワクするでしょ。その特別な力をここでは【手札ホルダー】と呼ぶんだ。そして【手札ホルダー】の能力はランダムで与えられる。さぁ、リンクスにあるプロフィールアプリを開き、キミの【手札ホルダー】を確かめてみるといいよ」

「プロフィールアプリ?」

「人の上半身のシルエットが記された四角いのがあるでしょ?」

 次代はリンクスに視線を落とし、エグザルフが言う上半身のシルエットを探し、アプリを起動させた。アプリが切り替えられたことでマップを照射していた光は消え、画面に双葉次代のプロフィールが映し出された。

 双葉次代ふたばじだい 16歳 男

 記されているのは名前と性別。その先は文字化けして読むことができない。

「キミは記憶がないからね。人物について記せないのさ。それはさておき、画面をもっと下にスクロールして」

「ああ……」

 エグザルフの説明はどこか引っかかったが、深く受け止めず言う通りに画面をスクロールさせた。


手札ホルダー】《幻想魔手イマジナリーポケット》自身の所有物や所有者を持たない物を瞬間的に呼び寄せることが可能(呼び出せる対象は自身が持てるものに限られる)。


「《幻想魔手イマジナリーポケット》……」

「その【手札ホルダー】、ハズレだね」

 次代の後ろに回り込み、リンクスの画面を覗き込んだエグザルフはそう言って「クシシシッ」と笑った。

 その物言いにやや腹が立つ次代だったが、元から戦うつもりがなかったなど自分の中であれこれ理由をつけて怒りを鎮める。

「まぁまぁ怒らないで。実際、キューブには巨大な武器庫があってね、そこに参加者の誰でも使える武器がたくさん格納されているんだ。それをキミは自由に使えるんだから、【手札ホルダー】自体はそんなに悪くないと思うよ」

「でもお前は今、ハズレって……」

「それは他の参加者たちに与えられた【手札ホルダー】を見てから自分で判断するといいよ」

「別に、戦わないつもりはないからハズレで構わないけど」

 ぶつくさとぼやく次代にエグザルフは提案をする。

「せっかくだから見せてよ。《幻想魔手イマジナリーポケット》。【手札ホルダー】を発動させるためにはイメージが必要なんだ。なんでもいいから、自分がすぐにパッと思いつく武器を想像して、それを呼び出してみて」

 エグザルフは「ほら」と次代を急かす。

「まぁ、それくらいなら……」

 頼みを了承した次代は、目を瞑り、言われた通りに《幻想魔手イマジナリーポケット》の発動をイメージした。

〝武器、武器か……。オーソドックスなのは銃とかだよな〟

「まじか」

 イメージの直後、目を開くと次代の右手には一丁の拳銃が現れていた。手にはちゃんと重みがあり、それが実物であると感じ取れる。

「コルトガバメントだね。いいセンスだ」

 エグザルフは次代の手に現れた拳銃、コルトガバメントを見て、うんうんと頷いていた。

 漆黒の銃身に、茶色のチェッカリングの自動拳銃。ティルトバレル式ショートリコイル機構。弾を発射させる際の反動を利用して自動装填する仕組みのことだ。

 次代には銃に対する知見がなく、銃は銃という認識しかできない。

「これは僕の勝手な憶測だけど、《幻想魔手イマジナリーポケット》で呼び出す際に、ある程度の変化を加えられるんじゃないかな。拳銃はセーフティーの都合上、基本的に撃鉄は倒れていると思うけど、それを起こした状態。いわゆる遊底を一度引いた状態でも呼び出せるはずだよ」

「すぐに撃てるってことか」

「うん。試す機会があったらやってみるといいよ」

〝一瞬で凶器を取り出せる。これでハズレか〟

 他にどんな【手札】があるのか、軽く想像してみるも、これといったものがすぐに思い浮かぶことはなかった。

 右手の拳銃を眺めているとエグザルフに蹴り飛ばされた式神が、次代の足元に再び寄ってきてジーンズの裾を懸命に引っ張る。次代にはこれを無視していいものとは思えなかった。

「エグザルフ」

「どうしたんだい?」

「こいつについて何か知ってるか?」

 次代が式神を指さすとエグザルフはわざとらしく口をぽかんと開けて、「ああ……」と呟いた。明らかに何か知っている。だからこそわざわざ遠くへ蹴り飛ばしていたわけだ。

「それはチュートリアルの最後に繋がることだよ。これからちょうど話そうと思っていたところだね」

 流れで説明してもらえるならと次代は黙って頷いた。

「まずその紙人形。それは【手札ホルダー】によって生み出された式神だ。与えられた使命は、パートナーを探して連れてくること」

「これも【手札ホルダー】なのか……」

 どういった仕組みで動いているのか、まるで説明がつかない。眼前の式神は明らかに異常だ。しかし、それが【手札】によるものであるならば、少しは頷ける。現に次代はたった今、《幻想魔手イマジナリーポケット》を使ったばかりなのだから。今更何が起きても早々驚きはしない。

 次代にとって【手札】とは未知であり、説明できないものだ。

「待て、パートナーってなんだ?」

「目の付け所がいいね。そう、最後に説明するのはパートナーについてさ。一人で戦うのは心細いかなと思って、勝手ながら僕の方でパートナーを組ませてもらったよ」

「本当に勝手だな」

「パートナーを見捨てて戦いを放棄しようっていうんだから、キミも大概勝手だと思うけどね」

「それは違うだろ」

 次代はエグザルフの言うことは間違っているとすぐに否定した。エグザルフは張り合うことをせず、あっけらかんとした態度で話を続ける。

「うん、そうだね。じゃあパートナーのことは見捨てるといいよ。僕が勝手に始めたことだ。キミがそれに付き合う必要はない。あ、ちなみにその式神はパートナーからのSOSだから。交戦中の相手が強敵でね、彼女一人では太刀打ちできそうもないんだ」

 その言葉は次代の罪悪感を刺激するには十分すぎた。

「……それを早く言えよ」

「まだチュートリアルを済ませていなかったからね。説明なしに戦うわけにはいかないでしょ。パートナーの下に向かいたいなら、マップを開いて青い点の位置に向かうといい。それがパートナーの位置を示している」

 次代はすぐにリンクスに目を向け、並ぶアプリの中からマップを見つける。

 しずくを逆さにしたピンのアイコンには馴染みがあり、反射的にそれがマップのアプリだとわかった。

 再びキューブのマップが照射され、ステージ4に青い点を見つける。

 ステージ4は現在地のステージ7と隣接していて、そう遠くない。

 すぐに向かおうと次代は立ち上がる。

「戦うのかい?」

「そういうわけじゃない。俺のせいで殺されたと思われるのが嫌なだけだ」

「今はそれでいいよ。いってらっしゃい」

 次代は返答せず、パートナーと合流するために走り出した。

 エグザルフは遠くなっていく背中を見届ける。

「楽しませてもらおうじゃないか」

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