1-1 立ちはだかる壁

 那月未来なつきみらいは与えられた異能、【手札ホルダー】と呼ばれる力を行使し、式神を操る。その名を《式神使役バトルマーチ》。操る式神の見た目が紙人形を模しているのは、未来の式神に対するイメージの影響が大きい。

 手のひらサイズの式神は、生まれたての小鹿よりも頼りなく薄っぺらな両足でひょこひょこと地面を走る。勢いよく地面を蹴りつけて紙飛行機のように天翔ける。何十という式神が群れを為し、激流となり標的に向かった。

 未来は自身の右手で式神を先導する。

 式神は基本的に自身の意思で動くことができる。加えて未来が大まかな動きは手を動かすことで、細かい指示は指先をフリックさせることで自由自在に操ることが可能だ。

 式神たちが標的に定める相手、巨躯な男性は大胆不敵に待ち構えている。

 岩倉鉄旋いわくらてっせん

 ベリーショートな髪型に無骨な顔、厳つい表情は近寄りがたい雰囲気を形成している。二メートル近くある筋骨隆々な肉体。黒いタンクトップ越しでも見て取れる立派な胸板に、大木のような腕。特別な訓練でも受けていなければ、肉体をここまで仕上げることはできない。

 ボトムは迷彩柄のミリタリーパンツ。パンツがダボついているため、体のラインは隠れているが、上半身からおおよその察しはついた。

 対する未来は齢十七を迎えたばかり。

 淡いクリーム色の髪はセミロングほどに切り揃えられ、左右のもみあげよりも少し前に触覚のような細い髪束が垂れている。高校入学を機に髪を染めて背伸びをしてみたが、全体のあどけなさを完全に拭い去ることはできなかった。

 クリムゾン色の半袖ロング丈パーカーの中に白いシャツ、ボトムスは深緑色のホットパンツと上下ともに動きやすいラフな格好をしている。

 那月未来はどこからどう見ても普通の女の子。見るからに強敵ではない。鉄旋が未来と対峙して不敵に笑うのはそのためだ。成人まであと数年と言っても、鉄旋からすれば未来は赤子も同然。負ける道理がなかった。

 そんな油断をつくように、式神は鉄旋の動きを封じ込めようと怒涛の勢いで張り付いた。瞬く間に鉄旋の身体は何層にも重なる式神によってガチガチに固められてしまう。

「あ?」

 鉄旋が慣れた感覚で自身の身体を動かそうとするが、びくともしない。紙と言う見た目のわりに式神の拘束は強力だった。

「よしっ!」

 未来は式神による拘束が効いているとみて、思わず拳をぐっと握った。

「おいおい、こんなもんで俺を抑え込んだつもりか? 笑わせるな!」

 鉄旋は未来を嘲笑し、すぅっと息を吸い込んだ。

 次の瞬間、けたたましい雄叫びを上げた鉄旋は己の力を以てして四肢に張り付く式神を吹き飛ばす。地面に叩きつけられた式神は、衝撃によるダメージを受けて形を保てず、姿を消滅させた。

「うそっ……」

 未来はそれを受けて苦しそうに歯噛みする。

〝こんなあっさりやられるなんて……〟

 フィジカルの強さは鉄旋の外見からわかっていたつもりだった。それでも少しは苦戦してくれることを期待していた。できることならば、戦意を喪失させようと考えていた未来だったが、そう簡単な話ではなかった。

 実力でどうにかしようという算段が破綻したことで、未来は説得する方向にシフトする。

「……本当に殺し合うつもりなの?」

 すると鉄旋はあからさまに不機嫌な顔をした。

「あ? 今更何言ってんだ。俺たちが生き返るためにはここで勝ち残るしかねえんだろ。だったら、殺し合うのは必然だ」

「そんなの……そんなの間違ってるっ!」

「俺からすれば、間違ってるのはてめえだ。話し合いで解決すると思ってんのか? それともなんだ? てめえは俺のために死んでくれるとでも言うのか」

「それは……」

 未来は言い淀む。返す言葉が見つからない。漠然と殺し合いをすることは間違っているという考えだけが、未来の中で渦巻いていた。

「ここにいる連中で、てめえ以外にそんなくだらねえことを思ってるやつはいねえよ」

「……」

 未来の思考に嫌気がさした鉄旋は、さっさと決着してしまおうと前に進む。

 近づかれたら未来に為す術はなくなる。これまでは鉄旋を傷つけまいと加減していたが、最早そんな甘えたことを言っている場合ではない。無理やりにでも鉄旋を戦闘不能に追い込むつもりで挑まなければならないと悟った。

 未来は新たに大量の式神を生み出し、鉄旋に向かわせる。

 連なり犇めく式神は、未来の指示に従い、六つの隊に分かれて多方から攻撃を仕掛ける。紙と言えども束になれば、その威力は計り知れない。

「おもしれえ……」

 思わず笑みがこぼれる。迫りくる式神に対して鉄旋は怖気づくどころか喜びを感じていた。

 右手を小指から順に折っていき、ゆっくりと拳を握る。真っ先に鉄旋へ到達する式神に狙いを定め、拳を放った。

 鍛えられた肉体から繰り出された一発に真正面から衝突した式神の群れはダメージに耐えきれず尖端から分解し、雪崩のように鉄旋の真横を流れていく。

 鉄旋は楽しそうに息を吐いた。

「はっ!」

 第一陣を受け切った鉄旋は間髪入れずに流れてくる式神に被せるような強烈なワイドブローをお見舞いし、無理矢理に軌道を変えた。

 決して未来の攻撃が弱いわけではない。鉄旋が異常なのだ。だからこそ、強力な攻撃を捌くことで鉄旋のボルテージはますます昂っていく。

 更なる追撃に鉄旋は小さく助走をつけ、円盤投げをするように体を回し、遠心力を加えた拳で迎え撃つ。

 最初の一撃をはるかに凌駕する渾身の一撃は、式神の雪崩に衝撃を一瞬のうちに伝達させ、連なっていた式神は強制停止命令を受けたようどたどたと一斉に地に落ちた。

「もっとよこせっ、あ……?」

 ノリに乗った鉄旋はこのまま未来が放った六つの攻撃をすべて返り討ちにしてやろうと息巻いていたが、次の攻撃がこないことに眉をひそめる。

 未来と鉄旋の間には距離だけがあり、残っていたはずの式神が見当たらない。未来が複数の式神を展開していたことは記憶に新しかった。

 鉄旋は決してバカではない。しかし、特別勘が鋭いわけではない。特にこの状況において戦いを楽しむばかり、視野がいつもより狭くなっていた。

「これでっ、おしまい!!」

 右手を高く上げた未来は、その手を鉄旋に向けて振り下ろす。

 変わらず鉄旋の視界に式神は現れない。

 前後左右見回すも、未来が操る式神は見つからなかった。となれば、残すところは限られてくる。

 咄嗟に見上げた鉄旋の頭上に集まった式神は、巨大な拳を模していた。

 すでに式神の鉄槌は下されていて、今になって気づいたところで鉄旋に回避するだけの時間は残されていなかった。

 式神が何十、何百にも連なった威力は鉄旋がこれまで受けてきたものの比ではない。直に受ければどうなるか、放つ本人さえわからない未来の全力だ。

 絶体絶命の状況で鉄旋は「はっ」と笑う。

 ついぞ避けようとする仕草を見せることないまま、鉄槌は下された。

 叩きつけられた式神の威力は凄まじく、大気が震撼し、強烈な風圧が一帯に広がる。衝撃により煙が巻き起こり、見通しが悪くなった。

 未来は風で揺れる髪を押さえて、衝撃の中心を見届ける。

〝死んでないよね?〟

 鉄旋の身を案じながら苦笑する。

 無理やりにでも止めるために放った全力の一撃だった。下手すれば、鉄旋を殺してしまいかねない。上手いこと殺すことなく戦闘不能に追い込んでいることを願った。

 ギシッ。

 一瞬気のせいだと、空耳だと疑った。

 首の骨を鳴らすかのように重厚な鉄の音が聞こえたからだ。

 ギシッ、ギシッ。

 未来は徐々に薄れていく煙の中に影を見る。

「そんな……」

 胸の内がざわつく。心臓を直接握られたかのような不快感を覚え、呼吸が苦しくなった。あの姿を、鉄旋をもう一度この目で見るまでは信じられない。信じたくはなかった。

 血の気が引き、顔が青ざめていることを未来は自覚した。

「やれやれ、今のは結構危なかったぜ」

 立ち込めていた煙が流れ、開けた視界の先で未来と目を合わせた鉄旋は言った。

 戦闘不能に追い込むのは愚か、鉄旋は五体満足に立っていた。

 手を当てた首を小さく折るとギシッと重たい音が鳴る。

 鉄旋の肌は灰色に変色していた。未来がそれを鉄であると認識できたのは、鉄旋が数回鳴らした音だ。あれは骨の音ではなく、鉄の音だった。

「まさか、【手札ホルダー】……?」

「ご名答。こいつが俺の【手札ホルダー】だ」

 岩倉鉄旋の【手札】、《硬化防壁アイアロン》。

 体の表面を、あらゆる攻撃を弾く頑丈な鉄でコーティングする能力。更には体の動きに合わせて鉄は常に可変するため、動きが鈍ることもない。それどころか、《硬化防壁アイアロン使用時は身体能力が向上する。鉄旋の【手札ホルダー】に隙はなかった。

 それはまさしく絶対防御の盾。未来の全力を受けて、五体満足でいられるのがその証拠だ。

「あ……? どうした、もう終わりか」

 口をわなわなと震えさせて立ち尽くす未来を見て、鉄旋は顔をしかめた。

 鉄旋からすれば、まだ力の一片を見せたに過ぎない。この程度で諦められてしまっては面白くない。楽しい時間はこれからなのだから。

 対峙する未来は戦意を失っているように映る。たとえ敵わないとわかっていても力の限り抵抗することを望むが、それは優位に立っているからこそのエゴだ。

「つまんねえな」

 未来が仕掛けてこないとわかるや否や、鉄旋は走り出す。

 身体能力向上の恩恵を受け、ガタイの良さからは想像できない俊敏な動きで未来との距離を詰め、拳を握る。

 鉄旋が、死の恐怖が迫ったことで未来は放心状態から戻った。

「……っ!?」

 咄嗟に両腕をクロスさせて身を守る。鉄旋の一撃をその程度の防御で守れるはずがないとこれまでの過程で思い知らされていた。

「……なんだ?」

 鉄旋が距離を詰めきり、腕を振りかぶったその時、未来の式神が二人の間に割り込み、主人を守る防壁を為した。

 鉄旋は止まらない。防壁ごと未来を撃ち抜く自信があったからだ。

 迷いのない一撃を繰り出し、式神の防壁を砕くと、その裏に隠れる未来まで鉄旋の拳が届いた。

「ちっ……」

 鉄旋は思わず舌打ちをする。攻撃こそヒットしたが、式神の防壁により勢いが殺されていた。その上、拳が未来を捉えたのは鉄旋の腕が伸び切った後だった。

 それは鉄旋にとって満足いく攻撃ではなかっただけで未来からすれば、もらった一撃はひとたまりもない。受けた衝撃に未来は吹き飛ばされ、地面を転がり体のあちこちを打つ。全身が酷く痛んだ。

 式神が未来を守らなければ、今頃命はなかっただろう。

「はぁ……はぁ……」

 命こそ繋ぐことはできたが、状況は傾く一方だ。未来の【手札ホルダー】は鉄旋と相性が悪い。これでは鉄旋を説得するどころか、倒すこともできない。

「どうすれば……」

 自分一人ではどうしようもない状況。唯一この状況を打破できるとすれば、それはパートナーの存在だけだった。

 未来は地に伏しながらも《式神使役バトルマーチ》》で式神を作る。現れた式神に表情はないが、顔色の悪い未来を前に心配しているようだった。

「お願い。パートナーを見つけて」

 式神は主人の指示に従い、パートナーを見つけるため、すぐにこの場を去る。

〝諦めるにはまだ早いよね〟

 未来は痛む体に鞭を打ち、ふらつきながらも立ち上がった。呼吸は乱れている。決して万全の状態とはとても言えない。それでも今は立ち向かうしかない。

「まだ立てるか。そうでないとな」

 鉄旋は立ち上がる未来に、口角を上げて嬉々として笑った。

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