2-1 剣神と賢人
目に映るものすべてが目障りだった。
聞こえる音すべてが耳障りだった。
何もかもが嫌だった。
それでも日常に従う。従うしかない。
日の出とともに目を覚まし、学校に向かう。規則正しく、ごく普通で平凡な学生としての時間を過ごし、放課後を迎えるとすぐに校舎をあとにした。
どこに行くわけでもない。用事があるわけでもない。家が好きなわけでもない。
家には帰らず、何をするでもなく、夜遅くまでふらついていた。
わけもなく川辺に立ち寄り、夕暮れを見ていた。読書やゲームもしない。ただ景色を眺めているだけだ。時間が過ぎるのを待っていた。
何も面白いとは思わない。楽しいという感情が揺さぶられることはない。
ただ生きること、息をすることさえ苦痛だった。
いつまで続くかもわからない地獄。誰を、何を恨むわけでもなく、ひたすらに苦しい。
言葉にするならば、それは絶望だった。
×××
突然、次代の意識が戻る。
詳らかに覚えていないが、夢を見ていたような気がする。次代は夢の内容を思い出そうと試みるも、それは手で雲を掴もうとするようだった。それどころか、わずかに残っていた記憶が次第に薄れていき、不明瞭な個所が増していく。最後には何も残らず、夢を見ていたということ以外を思い出すことはできなくなった。
〝なんだったんだ?〟
次代は夢の内容を思い出すことを諦めた。
〝それより、どうにも寝心地がいいな。
意識は思い出せない夢のことから、現在の寝心地の良さに向けられた。後頭部に触れる柔らかな感触は、安物の枕では味わえない。思わず顔をうずめたくなる。安らかな眠りには最適だ。
もうひと眠りしてしまおうとしたその時、
――むにゅ。
「いったっ!?」
痛いと言ったが、リアクションほどの痛みはない。反射的に「痛い」と言ってしまっただけだ。鼻を摘ままれた次代は体をびくりとさせ、うとうとしていた意識が一気に覚醒に至る。
膨らんだ胸が邪魔をして顔全体は見えなかったが、わずかに覗けた円らな瞳とクリーム色の髪色でそれが未来であると判断できた。
その過程で次代を見下ろす未来と目があう。
「おはよ」
次代の目には挨拶する未来がやや不機嫌に見えた。しかし、その原因を知る由はない。
「……おはよう」
次代は未来の顔色を窺いつつ恐る恐る挨拶を返す。
〝なんで怒ってんだ?〟
一体何が未来の機嫌を損ねているのかを知るため、次代は直近の記憶を辿った。
その先の記憶は全くと言っていいほどになかった。
「そうか……気を失ったのか」
戦いで受けたダメージは深く、次代は立っているのがやっとだった。戦いを終え、脅威が去ったことで集中が切れて気を失った。
夢とは違い、記憶は筒がなく思い出すことができる。なぜ夢という奴は目を覚ますと頭の中から容易く抜けてものなのか。次代は人間の不完全さに呆れた。
「ほんとだよ。倒れた次代を運ぶの大変だったんだから。まぁ、ほとんど式神にやってもらって、私は何もしてないんだけどね」
「そうか……それは悪かったな」
「別に謝ってほしいわけじゃないよ」
「ありがとう?」
「感謝も求めてないから。私はそんなに卑しい女じゃないし。むしろジダイは頑張ってくれたからね。膝枕はそのお礼?」
「膝枕? ああ……」
未来に言われて、柔らかい感覚の正体と未来が不機嫌だった理由を察した。さきほど顔をうずめようとしたのは未来の膝であったと。
〝そりゃ鼻も摘ままれるか〟
点と点が繋がっていき、大体のことはわかった。
実際に寝心地はよかった。
「すぐ起きる」
次代は膝枕から離れるように上体を起こす。
未来はそんな次代を見て、意外そうにした。
「もう少し使ってもいいんだよ?」
「別にいい。二度寝しかねない」
「寝心地よかったってこと? 顔をうずめようとするくらいだったしね」
未来は意地悪な笑みを浮かべる。
返答に迷った次代は、「あー」とフィラーを使用しつつ言葉を探す。
「悪くはなかった。でも、怒るくらいなら最初から膝枕なんてしなければよかったんじゃないのか?」
「だって、ここらへん固いし寝づらそうじゃん」
未来はあたりを見回して言った。
無機質な世界に落ち着ける場所はない。未来の言う通り、どこも横になれば目覚めるときには全身バキバキになっていそうだ。その流れで次代は体の節々に触れ、肩を回して調子を確かめる。
「そうかもな。おかげで体の調子も良い」
未来の膝枕は次代が思っているよりも効果があったのかもしれないと感心した。
〝痛くねえ……〟
何より鉄旋との戦いで受けたダメージが何事もなかったかのように消えていた。ダメージはかなり深く、少し休んだところで全快するようなものではなかったはずだ。
次代が身体の異様な回復力を訝しんでいると、聞き覚えのある声が話しかけてきた。
「キミたちの身体は魂の器だから、普通の肉体とは違うんだ。腕を切断されるとかでもなければ、非戦闘時の時間経過に応じて自動で回復するようになっているよ。だから、ハッキリ言うと未来クンの膝枕は関係ないよ」
「そうなのか……、って」
唐突な説明に感心するも、すぐに違和感を覚える。
すぐに辺りを見回すとにんまり笑うエグザルフと目が合った。エグザルフがさらっと未来の膝枕について触れたことで、当人である未来はムッとしていた。
「やぁ、次代クン。まずはキミたち二人に初勝利おめでとうと言うべきかな。まぁ、二対一と数的有利であったけど、彼の【
「一々言わなくていい」
エグザルフはわざとらしく次代の【手札】について言及する。未来にことと言い、さっきから一言多い。実際に未来や鉄旋の【手札】と比べて《
「でもでも気にしないでね。岩倉鉄旋クンのパートナーは桐馬クンたちに殺されちゃっていたから。最初から二対二の戦いは実現できなかったよ」
「あいつが」
桐馬たちから感じ取った強者の風格。それを踏まえれば、エグザルフの言葉を疑うつもりにもならなかった。
結果として転流桐馬には助けられてばかりということになる。それは少し釈然としなかった。
「というわけで、勝利を祝おうじゃないか。一応大金星なんだから。イェーイ! ほら、未来クンもハイタッチ!!」
「はいたっち……」
手のひらを向けられ、エグザルフにハイタッチを強要された未来は、難しい顔をしながらハイタッチに応じる。殺し合いを望まない未来にとって、勝利を祝うことは好ましくない。加えて、膝枕に対するエグザルフの発言を根に持っていた。
「いえーい♪ ほら、次代クンも」
「俺はしない」
流れで次代にもハイタッチを求めるも、応じないと手を引っ込めて首を振った。
次代はどうにもエグザルフのことは好きになれそうになかった。理屈ではないが、本能的にエグザルフを遠ざけてしまう。
「つれないなぁ」
「勝手に言ってろ」
「まぁ、いいけどね。それで、キミたちはこれからどうするんだい?」
ハイタッチを諦めたエグザルフは二人の今後を問う。
「え……」
「それは……」
次代と未来は互いに見合う。何かしら考えがあるか、無言で問いかけ合い、二人とも首を振った。
「決まっていないみたいだね。それなら武器庫に行ってみるといい。次代クンは自分の【
「武器庫、ね。そういえばそんなこと言ってたな」
最初にエグザルフと話したとき、武器庫の存在を示唆していた。
エグザルフの言うことには一理あり、実際にどんなものがあるかを知っておけば、《
「他に何かあるわけでもないし、そうしよっか?」
「そうだな。見ておいて損はないと思う」
エグザルフの提案を受け入れようとする未来に次代はこくこくと頷き、了承した。
「それじゃあ決まりだね。武器庫はステージ1にあるから行ってみるといいよ」
「ステージ1? たしかここは……」
「ステージ4だったはず」
次代の疑問に未来がすかさず答える。
「ほら」
未来はリンクスを取り出し、立ち上げたマップで自身の現在地を見せる。ステージ1はステージ4と繋がっているため、移動に時間はかかりそうになかった。
これからの段取りを立てるために未来がマップと睨めっこして通るルートを考えていたところ、次代はエグザルフに見られていることに気づいた。
「どうかしたか?」
「いや、なんでもないよ。結局キミは戦うことにしたんだね、と思って」
「お前の思惑通りか?」
「そんなわけないじゃないか。僕はあくまで一人ひとりの意思を尊重したいんだから。キミが戦わないというのなら強制はしないって」
「よく言うよ」
「でも、キミが戦ってくれる気になったことは僕にとって嬉しいことだ。そっちの方が盛り上がるからね。ぜひキミが戦うことにした理由を知っておきたいな」
「そんなに難しい話じゃない。俺が戦うことを放棄したら未来に迷惑が掛かると思っただけだ」
「未来クンが可愛いから?」
「ちがっ!?」
エグザルフの踏み込んだ質問に、次代は動揺する。
そんなはずはなかったが、いざ問われるとちょうどいいアンサーが出てこない。なんと返したらよいか、次代は苦戦する。
「へぇ、じゃあ未来クンは可愛くないってこと?」
狼狽える次代に、エグザルフは追撃する。
「そういうわけじゃない」
「ふぅん」
〝見た目なんて気にしたことなかったな〟
次代の目から見ても、未来は魅力的な女の子だ。しかし、そういった話を本人がすぐ近くにいるところでするべきではない。故に肯定も否定もしづらい。デリカシーがないエグザルフに罪があると言えばそれまでだが、誰かが断罪してくれるわけでもなかった。
「二人とも、何話してるの?」
マップとの睨めっこを終えた未来が、こそこそと話す二人を見て首を傾げる。
「いや、なんでもない」
「そうそう。ちょっとした恋バナだよ」
「お前は黙ってろ。あとこれ以上余計なことを言うな」
懲りずに人を動揺させようとする発言を重ねるエグザルフに、次代は釘を刺した。
「なになに? どうしたの?」
次代たちのやりとりで謎が深まり、結局二人が何を話していたのか、わからずじまいで終わった。
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