1-7

 次代は鉄旋が倒れたのを見て、笑うように息を吐く。

 思い描いたビジョン。そこに至るまでに想像よりも時間が掛かった。それは偏に【手札ホルダー】だけでなく、岩倉鉄旋のタフさが原因だ。

「ようやくか……」

 突然のことに目を瞠らせる未来と対照的に、次代の表情に驚きの色はない。まるで鉄旋が倒れることをあらかじめ知っていたかのような口ぶりだ。痛む体に鞭を打ち、壁を寄りかかりながらも立ち上がる。

「ジダイっ、大丈夫なの!?」

 ふらつく次代に未来が心配して駆け寄った。

「ああ、なんとかな」

 手を貸そうとする未来に次代は首を振って遠慮し、地に伏す鉄旋に向かってゆっくりと歩いた。

 鉄旋は倒れたまま顔を上げ、納得いかない表情で次代を睨んでいる。

「どうなっ――い、がるっ……」

 頭が働かず、舌が回っていない。依然として鉄旋は起き上がれずにいた。

脳震盪のうしんとうだ」

 次代が鉄旋の疑問に対して率直に答える。

「俺はお前の額に寸分違わず銃弾を撃ち込んだ。銃弾ではお前の【手札ホルダー】に傷をつけることができなかったが、何もお前の【手札ホルダー】は衝撃までなかったことにしたわけじゃないはずだ。同じ個所を連続的に叩けば、効果は次第に増していく。気づかないうちにダメージが蓄積され、お前の脳は耐えられなくなった」

 解説を終えた次代は銃口を鉄旋に向けた。

「馬――が……俺を?」

〝俺を銃弾では殺せない〟

 そう忠告するつもりだった鉄旋の言葉が途切れ、代わって次代が補足する。

「【手札ホルダー】を使用するためにはイメージが必要だ。脳震盪を起こした今のお前に【手札ホルダー】は使えない」

 エクザルフによるチュートリアル。

 そこで次代は《幻想魔手イマジナリーポケット》を発動させるためにイメージが必要であることを学んだ。だからこそ、鉄旋の《硬化防壁アイアロン》を攻略するには脳震盪を起こさせることが有効打となると考えたのだ。

 次代は至近距離でありながら、拳銃の後方にある凹型のリアサイトを通して鉄旋を見据えた。今はそこからはっきりと死が覗ける。トリガーを引けば、放たれる銃弾が鉄旋の頭を撃ち抜く。それは鉄旋の死を意味する。

 鉄旋を守る《硬化防壁アイアロン》も今はない。撃てば鉄旋は死ぬ。

 次代の銃を持つ手が強張る。

 手汗がにじみ、銃把に染みこむのを感じた。嫌な汗だ。

 引き金はさほど重たくない。しかし、誤射するほど軽くもない。つまりは次代にその気がなければ銃弾が発射されることはないということだ。

 この手に鉄旋の命が握られている。

 仕組まれた戦い。生き返りをかけた本気の殺し合い。加えて、ここは死後の世界。次代たちはすでに死んでいる。

 殺していい言い訳はいくらでも思いつく。しかし、状況がどうであれ鉄旋を撃てば、殺人を犯したことになる。

 次代が躊躇ったのは、殺しが記憶を失いながらも残っていた自分の中の倫理観に反していたからだ。ただ、それは次代が戦う理由と関係ないことだった。

〝泥をかぶるのは俺だけでいい〟

「ジダイっ!!」

 トリガーを引く覚悟をしたその時、次代の前に未来が飛び込んだ。

「未来……」

「ダメだよ、人を殺したら後戻りできないよ」

 未来は言葉と眼で次代に訴える。

「どいてくれ」

「どかない」

 両手を広げた未来は頑なに動こうとしなかった。

「今ここでそいつをやらなきゃ、俺たちがやられる。未来だって生き返りたいんだろ?」

「それでも誰かを犠牲にして生き返るのは違うよ」

 次代は未来の話を聞き入れるつもりはなかった。

 それでも力強い眼差しに負けた次代は銃を下す。

「てめえらが馬鹿で助かったぜ!!」

 動けるほどに回復していた鉄旋がばっと起き上がり、未来に襲い掛かった。

「しまっ――!?」

 未来の背後から被さる鉄旋の影。

 脳震盪で倒れてしばらく何もできないと次代は油断していた。

〝まさかこんなに回復が早いなんて〟

 次代は焦燥に駆られた。今から銃を構え直しても間に合うかわからない。他に打てる手はないかと刹那に探す。

「――ダメじゃないですか。キミは負けたんですよ」

 不意に冷たい声が耳に届く。

 鉄旋に重なる影はコンバットナイフを振り下ろし、前のめりになった鉄旋の心臓あたりを背中から突き刺した。

 ぐさりと刺さる刃。痛みに鉄旋が悶える。

「なっ……!?」

 ナイフを刺された鉄旋は咄嗟に振り向こうとするも、倒れていく最中に体が消滅していき、粒子となった鉄旋は黒い空へ吸い込まれるように昇って行った。

 最後はあっけなく、俄かに信じがたい一瞬だった。

 鉄旋を模っていた粒子が霧散した跡に立つ一人の青年。

 肩まで伸びた白銀の髪の男は白いシャツ、黒のスキニーを身に纏う。高い背丈はすらっとしたモデル体型で、それに劣らない端正な顔立ちをしている。

 転流桐馬てんりゅうとうま

 彼もまたこの戦いの参加者だった。

「まさか、キミが彼の【手札ホルダー】を攻略するとは……。先々で彼との闘いは避けられないと警戒していましたが、意外な結果となりましたね」

 桐馬は女性ならば誰しも虜になってしまう甘いマスクで微笑み、次代に話しかける。対して次代は返事をすることなく、じっと桐馬を見ていた。

 明るい返事は期待できそうにないと桐馬がくすりと笑う。

「もしかして僕を警戒しているんですか?」

「当たり前だ」

「安心してください。今はキミたちに危害を与えるつもりはありません。疲弊したキミたちを倒しても面白くないですからね」

 桐馬は戦う意思がないことを次代たちに示すため、右手のコンバットナイフをふとももに巻かれたホルダーに収めた。直後、桐馬は未来にものすごい形相で睨まれていることに気づく。

「どうして殺したの?」

 未来は単刀直入に問いかけた。

「キミが割って入らなければ、僕が殺す必要はありませんでしたよ」

「そういうことが聞きたいんじゃない」

 未来ははぐらかすことを許さない。それを見て桐馬は未来の心情を察する。

「彼は敗者です。生かしておく理由はないでしょう」

「そんな理由で納得できるわけない」

「理由ならいくらでもありますよ。ただ、それらがキミを納得させられるかはわかりませんが……。彼には殺意があった。放っておけば殺されていたのはキミです。もしかしたら彼、キミのパートナーまで殺されていたかもしれない」

 桐馬の言葉は真実だ。未来が一人愚かに命を落とすならまだしも、次代までやられていた可能性はゼロではない。

「それでも自分のために誰かを殺すなんて間違ってる!」

 未来は負けじと言い放つ。

 その言葉に桐馬は白けた表情を見せた。

「そんな子どもでも語れる短絡的な正義感で守れるのは、キミのちっぽけなプライドだけですよ」

「なっ……!?」

 未来は言葉を失う。相手の気持ちを考えることなく、ずけずけとした物言いをする桐馬に次代は黙っていられなかった。

「なら、お前は生き返るためなら他の奴はどうでもいいって言うのか」

「もちろん、僕が生き返るためなら他の誰かなんて気にしませんよ。ですが、僕は生き返ることに興味がない。ただ、ここでの戦いを楽しみたいだけですから」

「戦いを楽しむだと?」

「ええ。互いの命をかけて本気で殺し合う。しがらみだらけのくだらない人生では味わうことのできない体験。僕はこれを楽しまずにはいられませんよ」

 これから起こる戦いに恍惚と思いを馳せる桐馬。

「狂ってるな」

 次代は桐馬を辟易した。

 桐馬の言う通り、この場所で本気の殺し合いをすることは生きているうちにできることではない。しかし、それを楽しもうとする気概を認めたくはなかった。

「いずれキミにもわかる時が来ます」

「そんなことはありえない」

「今はそう答えるでしょうね。とにかく、次に僕と戦うその時まで死なないでくださいよ。キミとの戦いはきっと心躍る極上の味を堪能できるはずですから」

 桐馬はそう言って踵を返し、立ち去ろうとする素振りを見せた。

「――行かせないっ!!」

 未来は右手を振るい、式神たちに桐馬を拘束するよう指示する。

「……っ!?」

 未来の意思に反して式神は動こうとはしなかった。それは地を這う蔦に巻きつかれ、四肢の動きを封じられていたからだ。

「桐馬様に手出しすることは私が許さないわ」

 突如として艶のある声が聞こえる。

 声の正体は背中を見せ、無防備な桐馬を守るように颯爽と現れた。

 簡潔に言い表すのなら、美女。長く美しい髪に、整った顔立ち、抜群のプロポーション。どこを取っても非の打ち所がない。同性である未来から見ても彼女の容姿は完璧だった。

「ありがとう、千笠」

「桐馬様のためですから」

 真城千笠ましろちがさ。それが彼女の名だ。

 服装は黒を基調としているが、肩や足が肌を露出させているため、黒子のようでもない。豊満な胸が作る谷間を晒しているため、むしろ視覚的に刺激が強い。

「あなた、桐馬様が見逃してくれると仰っているのに、それを無下にするなんて随分と下品な女ね」

 千笠は未来を嘲り、非難する。言い方はさておき、言っていることは間違っていないだけに未来は言い返すことができなかった。

「体が貧相だと余裕がないのかしら?」

 立て続けに未来を挑発する。多少のことは聞き流せるが、容姿について触れられると黙っていられないのが女という生き物だ。これには流石に我慢の限界がきたか、未来はこめかみをぴくぴくとさせて、反撃の言葉を探す。

「下品なのはあなたのほうでしょ。その恰好、恥ずかしくないの?」

 千笠の露出多めの恰好を指摘して鼻で笑う。ちなみに未来は悲観するほど貧相な体つきでもなく、それこそ平均的だ。もちろん、千笠と比べればどうしても見劣りしてしまうのだが。

「あら、わかりやすい女の嫉妬。確かにあなたが私と同じように着飾っても、ただ丈が短いだけよね」

 容易く言い返され、未来はぐぬぬぬと奥歯を噛む。見た目に関しては何を言っても千笠には敵わず、それどころか千笠の言うことすべてが正しく聞こえてしまう。

〝何を張り合ってんだ?〟

 未来と千笠のいざこざに次代は首を傾げていた。

 それは桐馬も同じであり、千笠に注意をする。

「千笠、そこまでです」

「ですが桐馬様っ……――」

「同じことを二度も言わせないでください」

 思わず言い返そうとするも、桐馬は冷徹な声音で千笠を諫めた。

 これまでに見せなかった桐馬の新たな一面。取り付く島もないほどに突き放すような冷たさ。言われているのが自分でないとわかっていても、思わず身震いしてしまう。

「……はい」

 それを受けた千笠は震え上がるどころか、うっとりと聞き入っている。

 千笠は桐馬に対して異常なまでに心酔していた。はたから見てもそれはまるわかりだ。未来にあれだけ気の強い振る舞いをしていても、桐馬の前では従順な犬に早変わりしてしまう。

 その姿を見ることは未来にとって不快であった。

「きも……」

「あら、人の粗探しに取り組む暇があるなら自分を磨くことね」

 聞かせるつもりがなかった未来の呟きを千笠は聞き逃さない。またも態度を豹変させ、凛として嫌味に応えた。切り返しの速さは呆れるを通り越して尊敬できる。

「僕のパートナーが失礼しました。そういえば、自己紹介がまだでしたね。僕は転流桐馬てんりゅうとうまです」

双葉次代ふたばじだいだ」

「ジダイくんですか。では、いずれ決着をつけるとしましょう」

 次代たちをよそに未来と千笠が目を合わせる。目線がぶつかり火花が散ったのは一瞬のことだった。

真城千笠ましろちがさよ。あなたの相手は私がしてあげるから」

那月未来なつきみらい。あなたこそ次に会うまでせいぜい死なないようにね」

「心配してくれるのね。可愛い」

「なわけないでしょ。はやくどっかいってよ」

 未来はそう言ってガルルルッ、と犬歯を立てた。

 挨拶を済ませると桐馬と千笠の二人は次代たちの前から姿を消す。

 未来にとって二人は受け入れがたい相手だった。それ以上に彼らから感じた強烈なプレッシャーから解放され、張りつめていた緊張が一気に緩んだ。

 同じタイミングで隣に立っていた次代が倒れる。

「ジダイっ!?」


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