3-2
×××
次代のポケットの中で何かが振動する。突然一人で動き出すものと言えば、携帯端末のリンクス以外になかった。何事かと訝しんだ同じタイミングで未来は首を傾げる。
「……何かな?」
次代のリンクス同様、未来のものにも通知が届いているようだった。未来は誰からの通知なのか、見当がつかないままリンクスを取り出した。
『参加者の諸君、ごきげんよう!』
リンクスからホログラム映像が照射され、等身大サイズのエクザルフが映し出される。映像は宙に浮いていてエグザルフの足が地についていないとはいえ、実物が目の前にいるようにも感じられた。
次代のリンクスからも同じようにホログラムが照射されていたが、未来のリンクスと同じものを見せられているとわかる。リンクスの電源を落とそうとするも、操作がロックされているようで、次代はホログラムを照射する光ごとレザージャケットのポケットに押し込んだ。
『キミたちに二つお知らせだよ。良い報せと悪い報せ、どっちから聞きたいって? こういうのは良い報せから話すのが定番だよね。それに乗っ取って、今回は良い報せから話すとしよう』
エグザルフが一方的に話すだけで、次代たちに返事を求めている様子ではない。これが通話の類ではないことがすぐにわかった。
『それじゃあ良い報せから。それはね、参加者が残り僅かだということだよ。つまるところ、この戦いの決着が近づいているわけさ。よくここまで勝ち残ってくれた。僕は誇らしいよ』
良い報せを話すエグザルフは、それが喜ばしいことだと小躍りして見せる。しかし、すぐに表情が険しい剣幕に変わり、怪談を語るような口調でゆっくりと話を続けた。
『次は悪い報せ。生存者の減少に合わせて、一部ステージの閉鎖を行います。これだけ広かったら、そもそも遭遇することがなくなってしまうからね』
エグザルフの言うことは尤もだった。九つのブロックから構成されるキューブの面積は広大であり、生存者が絞られた状態なら出会うことすら困難になる。戦いが加速することで困る参加者はそういない。
〝悪い報せには思えないけどな〟
『閉鎖するのは、ステージ1、ステージ3、ステージ4、ステージ6、ステージ7、ステージ9の六箇所。ステージが閉鎖されるまでに移動を終えないと強制失格になるからよろしくね。それじゃあ、さっそくステージの閉鎖を開始するから。皆の健闘を祈るよ。ばいばーい』
別れ際に手を振るエグザルフのホログラム映像がぷつんと切れたことで静寂が訪れる。未来は真っ暗になったリンクスの画面をしばらく眺め、本当に終わっているかを確認するとポケットにしまった。
〝ステージの閉鎖か〟
状況を整理するべく、次代はリンクスを取り出してマップを立ち上げた。
ステージは全てで九つ。そのうち閉鎖されるステージは1,3,4,6,7,9。現在、次代たちがいるステージは1。隣接するステージは2と4。そのうちステージ4は閉鎖されるため、必然的にステージ2を目指すことになる。
〝武器庫があるステージ1を拠点にすれば戦いやすいと思ったが、それはできないか〟
今後のことを考え、マップと睨めっこする次代の肩を未来が落ち着かない様子でぽんぽん叩く。次代は物思いに耽り、それを気にかけようとはしなかった。
「ねぇ、ねぇジダイってば!!」
応答しない次代に、未来は肩を揺すって強く呼びかけた。
「なんだよ?」
「あれっ、あれ見て!」
しつこいと感じて軽くあしらおうとするも、激しい身振りで訴えるので、次代は不可解ながら未来の指示に従う。
「嘘だろ……」
未来が指さす先を見た次代は唖然として呟いた。
遠くの空から揺らめくオーロラが押し寄せてきている。次代たちに向かって流れてくるオーロラのカーテンをくぐったものは、粒子へと変換されていく。壁、地面、何一つ残さず、オーロラが通り抜けたあとには暗闇だけが残されていた。
粒子へ変わり、黒い空に消えていく。それは退場者していった者たちの最後に似ていた。つまりは、オーロラのカーテンをくぐれば、エグザルフが言っていたように強制失格になるということだ。
「これってマズいよね?」
「ああ、まずいかもな」
未来の問いに次代はこくりと頷く。
オーロラの速度からして悠長に歩いて移動している時間はない。早急に動き出す必要があった。
「未来、走れるか?」
「もちろん」
二人は顔を見合わせると、同時にステージ2を目指して走り出した。
オーロラは一定の速度で二人の背中を追いかける。オーロラが進むスピードは走る次代たちよりもやや早く、少しずつ迫っていた。
触れるものを粒子へ変えながらも、勢いが弱まることはない。
〝確かにこれは悪い報せだったかもな〟
次代は走りながら後ろを見て、オーロラの向こうから覗く深淵にごくりと息を呑む。そこには何もないからこその虚無、恐怖があった。
二人はオーロラに追いつかれないように走り続け、ステージ2へと繋がる連絡通路へ向かった。閉鎖されるステージ1を脱出するまでは、一秒たりとも足を止めることは許されない。
「あったよ! あそこ!」
少し先を走る未来が、正面に見えた連絡通路を指さす。ラストスパートを全速力で駆け、迫るオーロラを振り切った。
未来が次代よりも少し早く連絡通路に到着する。
「ジダイっ!」
失格の危機を乗り切り、次代に続くよう声をかけるべく振り向いた未来の視界に次代はいなかった。
オーロラはついにステージ1全域に掛り、すべてを消滅させた。
「ジダイ……?」
未来の目の前には完全に消滅した暗闇だけが残っていた。
×××
連絡通路を目指して走っていたはずだった。ゴールはすぐそこにある。先を行く未来の背中を追いかけていたはずが、気づけば次代は真っ暗な空間にいる。
〝俺はオーロラに飲み込まれたのか?〟
追いつかれた感覚はない。次代はあのまま逃げ切れるはずだった。なのにどうして、真っ暗空間に閉じ込められているのか。理解が及ばなかった。
「ごめんごめん。次代クンと少し話がしたくて、急で悪いけど呼んじゃった」
暗闇の中からエグザルフがどこからともなく姿を現す。エグザルフは急な呼びかけに応じてくれた友達に詫びるような態度の軽さだった。
「これは一体どういうことだ?」
エグザルフを見て冷たく言い放つ。次代はエグザルフとの交流に良い印象を持っていなかった。武器庫に行くよう勧めてきたのが親切心ではなく、エグザルフの計略であったことは記憶に新しい。
「怖いよ次代クン。それがゲームマスターである僕に向けていい顔かい?」
「お前こそよく俺の前に顔を出せたな」
「それは出雲クン、海神クンをキミたちにぶつけたことを怒っているのかい?」
エグザルフはしらばっくれることをしない。こうも開き直られると怒りを募らせることが馬鹿らしくなった。
「それにしても、まさか連戦連勝とは。キミたちもやるね。正直驚いているよ」
字面は褒めているが、次代はその言葉を素直に受け取ることはできない。
〝俺はコイツの言うことすべてが気に入らないのかもな〟
次代は俯瞰的に自分を見つめ直すことで、自身の怒りを鎮めた。
「ところで、次代クン、今のキミはどうだい?」
「それはどういう意味だ」
「どうもこうも、キミは生き返ることに対して執着がなかったからね。今のキミは生き返りたいと思っているかい?」
「それは記憶がなかったからな。当然だろ」
「だから過去ではなく、現在のキミに聞いているんだよ」
エグザルフの言う通り、記憶を失った次代は生き返ることに対して執着がなかった。しかし、今は少しずつ変わり始めている。那月未来の影響だ。
生き返りたいという願いと誰かを犠牲にしたくない、その両方の気持ちに葛藤しながらひたむきに進む彼女の姿にあてられ、生に対する心持ちに変化が生まれている。
「生き返るのも悪くないかもしれないと今は思ってるよ」
「そっか! そっか! それは良いことだ! それじゃあこれまで戦い、勝利してきた次代クンにご褒美というわけではないけど、記憶の一部を返してあげよう」
「は?」
突然のことに次代は困惑する。エグザルフが何を言っているのか、わからなかった。それではまるで、次代の記憶が偶然に失われたのではなく、何者かによって故意に失わされていたような口ぶりだ。
「返すって、一体どういう意味だ?」
「こういう意味さ」
エグザルフは小さな手を次代に向け、ぱちんと指を鳴らした。
冷たい風が頬を撫ぜる。
点在する明かりが夜の世界を照らす。
〝これ以上、生き続けることに意味はない〟
退屈は痛みに変わる。
喪失は苦しみをもたらす。
生きるために吸う空気は毒にも思える。
高い建物に備え付けられている非常用の鉄骨階段を上がっていく。
闇は静かで階段をコツコツと上る音が耳から離れない。
立ち入り禁止の札が掛けられたチェーンを越え、屋上に辿り着く頃に吹き付ける風が静寂を食らい、周囲の音を搔き消すほどだった。
〝もっと早くこうするべきだったな〟
痛みに耐えていれば、何かが変わる気がした。いつか救われる時がくるんじゃないかと甘い期待をしていたのかもしれない。
結局、何もない時間が過ぎ、痛みはより深く、苦しみは増大した。
〝俺はただ余計な時間を、苦痛を味わっただけだ〟
一分一秒と惜しい。
迷う必要なんてなかった。
肩の高さまである柵をよじ登り、落ち着くことなく、躊躇うことなく夜の闇に飛び降りた。
「……っ!?」
それは一瞬の出来事だった。次代の中に流れ込んできた記憶は鮮明で、ダイジェスト映像を見せられたかのようだ。
「……俺は、自殺したのか?」
見せられた死の記憶がでたらめではない、とそれを補完する記憶が甦る。その中には岩倉鉄旋との戦いの後に見た夢とまったく同じ記憶があった。
それらの記憶はまごうことなく自分のものであると確信できる。見せられた記憶以外にも、取り戻している記憶はあるようだった。
そして何より今の次代は、確かに自分自身を双葉次代であると認識ができる。
次代は拳を握り、わなわなと震わせた。
「お前が俺の記憶を奪ってたのか」
「ご名答。僕はキミを戦わせるために記憶を奪った。自分から死を選んだ次代クンが生き返るために戦うはずがないからね」
エグザルフの言葉に次代は茫然とする。しかし、真っ白になっていく思考の中で一つの疑問が浮かんだ。
「……待てよ。それならどうして今更になって俺の記憶を返した?」
次代の言及にエグザルフはくすりと笑う。戦わせるために記憶を奪っていたのなら、それを返すことは戦意を喪失させかねない。次代が聞かされたエグザルフの意図に背く行為だ。
「そっちの方が面白いからに決まってるじゃないか」
「面白いから? それだけのために……」
「そうだよ。なにか?」
「ふざけるなよ」
「生きることが苦しくて自殺したキミに言われたくないなぁ。僕だって面白いことがないと退屈で死んじゃうよ」
「エグザルフっ……!」
次代は怒りに震え、表情が憎悪に塗れる。《幻想魔手》で呼び出したコルトガバメントをエグザルフに向けた。
「もっと言うなら、キミのその顔が見たかったんだよね」
「……っ!」
神経を逆なでするエグザルフに、次代は怒りを抑えられず、トリガーを引いた。
銃弾が放たれた感覚はあった。エグザルフの脳天に狙いを定めて引いたトリガー。右腕に伝わるリコイルは本物。うっすらと上る硝煙に見間違いはない。にもかかわらず、エグザルフは何事もなかったかのようにケロリとして次代の前に立っていた。
「残念だけど、僕のことは殺せないよ」
エグザルフはそういうと、小さな体で高く跳び、次代の手から拳銃を掠め取る。
「殺されないと言っても、銃口を向けるのは気持ちがいいものじゃないね」
奪い取ったコルトガバメントを矯めつ眇めつ眺める。
銃を構えていた次代の右手がすとんと落ちた。
目が熱くなり、今にも泣き出したい衝動が喉元からせり上げてくる。次代はひたすら涙を堪えていた。
「キミが泣くのはダメだよ。本当に可哀想なのは、自殺して、生き返りたいと思う気持ちを持たない次代クンに負けた人たちなんだから。まぁ……全部僕が仕組んだことだから、キミが気にする必要はないよ。クシシシッ」
エグザルフは次代がその言葉を真に受けるはずがないとわかっていながら、慰めの言葉をかける。
〝俺は……〟
「それじゃあキミとのおしゃべりはここまでだ。元の場所に戻してあげる。それじゃあ、この先も頑張ってね」
×××
次の瞬間、次代は消えたステージ1を背にして連絡通路の入り口に立っていた。
目の前にはまじまじと次代を見る未来がいる。
「……ジダイ?」
突然消えたと思えば、すぐに現れた次代に未来は驚いていた。
「今、ジダイどこにいたの?」
未来は問いただす勢いで話しかける。
次代はそのテンションについていけず、口ごもってしまう。訳を話そうとすれば、思い出したくないことまで考えてしまうからだ。
「なんでもない」
「そっか……そうだよね、なんでもないよね」
未来の疑問は解消されていなかったが、次代が消えて現れるまでの時間を気のせいだった、とすることで自分の中で折り合いをつけた。
次代から生気が感じられない。もともと活発な性格ではないが、未来が知っている次代とは明確に違う。しかし、エグザルフとのやり取りを知らない未来は事情を察することができなかった。
「それにしてもなんとかなったね」
未来は次代が背にしていたステージ1を見る。ステージ1は完全に消滅している。境界を跨げば、地面を踏むことなくどこまでも落ちていきそうな暗闇に、底が見えない。
「みたいだな」
次代は消えたステージ1を眺めながら、武器庫のことを思い出す。《
次代は恐る恐る《
武器庫から呼び出そうとするも、右手には何も現れない。何も応えてはくれなかった。
「そりゃそうだよな」
嫌な予感が的中した。
武器庫から新たに呼び出すことはできないが、完全に武器が使えないわけではない。直前に呼び出していたコルトガバメントが運よく残っている。
次代の武装は一丁のコルトガバメント。そして武器庫で偶然拝借していた弾倉が残っていた。
これではこれまで通りの戦いはできない。けれど、何もないよりはマシだった。
「ジダイ、どうかしたの?」
未来は深刻そうな顔をする次代を見て、心配する。
「なんでもない」
「でも……、ジダイなんか変だよ?」
「余計なお世話だ。人のことより自分が生き残ることだけを考えろ」
食い下がる未来に次代はきつい口調で返した。
「何それ。やっぱり今のジダイはおかしいよ」
そういった未来は怒りながらも次代に怯えていた。
「おかしかったらなんだ? 俺にどうしてほしいんだよ」
次代はイラつきを隠すことができなかった。対して未来は、見たことのない次代の様相に迷い戸惑う。
「俺たちは所詮、生き返るために互いを利用しているだけの関係だ。勝てればいいだろ」
次代は突き放す言葉を連ねた。パートナー関係と言っても、そこに良好な関係を築く必要はない。この戦いが終われば関係は終わり、勝っても負けても赤の他人に戻るだけだ。それならば、この関係において尽くせるベストは勝つこと以外にない。
記憶を取り戻したからと言って、次代の人格が変わったわけではない。勝利に執着することでしか、自分を保つことができないのだ。
「そんなのって……」
未来は次代の言葉を認めたくなかった。しかし、それを言い負かす論はなく、感情が訴える継ぎ接ぎだらけの言葉を飲み込む。
次代は未来に目をくれることなく歩き出した。
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