4-1 二つの手札


 樹原界徒はステージ5の中心に立っていた。両手をポケットに入れ、何もない黒い空を見上げている。底知れない闇の深淵を覗くことはできない。

 この世界には何もなかった。ひたすら続く静寂に、色を失い乾いた景観。空気に退屈が帯び、息苦しい。ここでの戦いは界徒にとってあまりにつまらないものだった。あと少しこの時間が続けば、退屈に精神がやられてしまう寸前のところまで来ていた。

〝まぁいい。ようやくここから出られるんだからな〟

 自分以外に残った参加者は次代と未来の二人だけ。近づく終わりに口角をあげる。

「……来たか」

 界徒の耳がぴくりと動く。静寂から小さな音が聞こえた。双葉次代と那月未来、二人の足音は次第に大きくハッキリと界徒の耳に届く。

 空を見上げていた視線をゆっくりと下し、挑戦者たちに向ける。

「思っていたよりも早かったな。殺される覚悟はできたのか?」

 冗談めいた言葉を、真面目な表情で口にする。自分の勝利を信じて疑わない界徒にとってそれは偽りない本気の言葉だ。

 次代は表情一つ変えることなく返答する。

「覚悟を決めて死ぬのは、諦めるのと同じことだ」

「それはつまり、諦めていないというわけか」

「ああ」

「ふん。確かに、ここまできて大人しく首を差し出されても面白くはないか。女、お前はどうなんだ」

 界徒は未来に視線を向け、話を振る。

「死ぬ覚悟なんて一度もしたことない。いつだって死ぬのは怖いから、私は自分の死を覚悟したりなんてしない」

「つまらない回答だな」

 界徒は白けた表情で未来を嘲笑った。

「私から聞いておきたいことがあるんだけど」

「ほぉ……どうした、言ってみろ」

「あなたが自分のパートナーを退場させたって本当の話?」

「あのタヌキが話したか。まあいい……そうだ、俺がこの手で葬った」

「……っ!? どうしてっ!」

 パートナーを自ら討ったことを悪びれることなくすんなり認めた界徒に、未来の怒りが剝き出しになる。言い訳が聞きたかったわけではない。弁解してほしかったわけでもない。ただ「そんなことはない」と否定してほしかったのだ。

「なぜお前が憤る。俺のパートナーをどうしようとお前たちに関係ないことだろう」

「仲間じゃないの?」

「仲間だと? それは俺が決めたことではない。エグザルフが勝手に定めたことだ。俺はお前たちのように仲良しごっこを楽しむつもりはない」

「だからって、自分で退場させるなんて……!」

「何事も否定から入るのは簡単だ。俺からすればパートナーと言う存在は足手まといに過ぎず、最悪裏切ることだって考えられる。この戦いに俺なりの最善を尽くして何が悪い」

 界徒の言い分に未来は反論できなかった。それが間違っていると頭ではわかっていても、界徒を説き伏せる言葉が出てこない。

 不意に次代が未来に代わって話す。

「俺はパートナーがいたからここまで戦ってこられた。お前の言い分がすべて間違っているとは言わないが、正しいとも思わない」

「ジダイ……」

 未来の気持ちは次代と同じだった。

「はっ……」

 界徒は次代の話に肩を上下させて笑う。

「どうしてお前たちはさっきから自分本位な話ばかりをしている? いや、お前たち如きに俺の考えを理解しろという方が難しいか」

「そうか。これ以上話し合っても無駄みたいだな」

 次代は《幻想魔手イマジナリーポケット》で拳銃を呼び出す。

「いや、どうやら少しは話が分かるようだな」

 ポケットから手を出した界徒は、人差し指を次代に向けた。赫々を帯びた滅紫の光を放ち、次代が構えようとした拳銃だけを的確に撃ち抜く。

「……っ!?」

 反応できないまま次代の右手から拳銃が失われる。

 次代にとって拳銃を失うことは痛手にならない。危惧したのは、界徒が放った一撃の脅威的な速度だ。樹原界徒の【手札ホルダー】、《災禍征世ディザスターコントロールは、触れるものすべてを壊す滅紫の光を放つ。目にも止まらぬ速度で放たれれば、躱すことは容易でない。

 界徒がその気であったなら、この瞬間にも次代はやられていたかもしれないのだ。

「未来、式神で俺たちを隠せるか?」

 次は避けられないと判断した次代は、未来に助けを求める。式神で身を隠すことができれば、界徒は狙いを定めることはできず、十分な時間稼ぎとして機能する。

「うん! 任せて」

 未来は次代の意図を汲み取ると式神を呼び出し、一帯を覆い隠す式神のカーテンを広げた。式神が視界を遮る直前に次代は界徒の位置を把握し、呼び出したコルトガバメントを素早く構える。

〝……?〟

 その時、次代は界徒の表情一つ変えない余裕な態度に違和感を覚えた。

 答えは次代が自分で導くより先に示される。

「式神が消えた!?」

 次代たちと界徒を隔てた大量の式神が残らず消失し、式神が呼び出される直前と変わらない景色が広がる。

 何かあったのかと未来に視線を向けると、未来もまた突然のことに困惑していた。周囲を見回し、式神の行方を辿るも痕跡は一つとない。完全に消滅していた。

「未来、もう一度だ!」

「う、うん」

 何が起きたのかわからないまま、未来は再度式神を呼び出そうと試みる。

「え……?」

 式神を呼び出そうとしたことで、未来は《式神使役バトルマーチ》が発動しないことに気づいた。

 未来の呼びかけに式神が応じない。真っ先に自身の不調を疑ったが、おかしなところは一つもなかった。

「どうして?」

 今までに経験したことない感覚に未来は戸惑っていた。呼べば必ず現れていたはずの式神が姿を見せない。それは自分の手足を失った感覚に近い。

「未来っ、前見ろ!」

 次代の注意につられて顔を上げると、界徒の手のひらに禍々しい光を見た。

〝間に合わないっ〟

 咄嗟に次代が界徒の右手に向けて発砲したことで、界徒の狙いがずれて《災禍征世ディザスターコントロール》は未来の頬のすぐ真横を突き抜けた。

〝やりかえしたというわけか〟

 右手をピンポイントで狙うことで攻撃を諦めさせ、未来を守った。界徒は次代の度胸とその技術を称える。 

〝今のを躱すか〟

 次代は牽制のつもりでいたが、反応できないようであれば界徒の右手を撃ち落としてもかまわないと考えていた。銃弾の速度は肉眼で捉えられるものではない。しかし、界徒が偶然躱したようには見えなかった。その眼は銃弾を確実に捉えていた。

〝【手札ホルダー】に恵まれているだけじゃないってわけか。強引だが、【切札ジョーカー】をぶつけたほうがよさそうだ〟

 界徒の実力は未知数。このままでは戦略を立てることもできない。相手の手の内を暴くなら、自身の最大戦力をぶつけるのが手っ取り早い。

〝《幻想開扉イマジナリーゲート》〟

 次代は界徒の背後に自身を送ろうと【切札ジョーカー】の発動を念じた。しかし、界徒の背後を取っていたはずの次代は変わらず同じ場所に立っている。【切札ジョーカー】を使用していながら、何も起きていないことに次代は戸惑う。

〝【切札ジョーカー】が使えない?〟

「どうした? 何もしないのか?」

 何かを仕掛ける雰囲気を発したにも関わらず、一歩として動かない次代を界徒は訝しむ。

 次代は未来が式神を呼び出せなかったことを思い出した。それが何を意味しているのか。気づかずにいられるほど鈍感ではない。

〝【手札ホルダー】の発動が封じられているのか〟

 自らの考察ながら、すぐには信用することができなかった。というのも、直前まで《幻想魔手イマジナリーポケット》を使用することができていたからだ。

 次代が最後に《幻想魔手イマジナリーポケット》を発動させたのは、未来の式神が消える直前のこと。その間に【手札ホルダー】が使えなくなっている可能性は否めない。答え合わせをするべく、次代は《幻想魔手イマジナリーポケット》でコルトガバメントを呼び出した。

〝呼び出せる?〟

 次代の予想とは裏腹に、《幻想魔手イマジナリーポケット》は健在であり、いつもと変わらない感覚でコルトガバメントを手元に現れる。

手札ホルダー】も【切札ジョーカー】もまとめて使えないのであれば、それらが使えないのだと判断するまでのこと。しかし、《幻想魔手イマジナリーポケット》が使えることで次代の推測が複雑化する。

〝【手札ホルダー】が使えないわけじゃないのか? だったらどうして《幻想開扉イマジナリーゲート》が使えない? 【切札ジョーカー】は転流桐馬との戦いだけで許されていた? もしくは一度使った後にクールタイムを必要とするのか?〟

 あれこれと考えるも、一向にそれらしいものは見つからない。

〝あいつの【手札ホルダー】が影響している? いや、あいつの【手札ホルダー】は攻撃的なものだった。あの光が相手の【手札ホルダー】に干渉しているとは考えられない〟

 次代の中で交錯する思考。ヒントは少なく、検証なしに仮説だけで導き出せるほど優しい問題ではない。その上、【切札】が使えず、強引に情報を引き出すことも望めない状況だ。

「そういえばあの時も……」

 次代は桐馬の最後を思い出す。界徒の首を取るため、幻影と共に飛び込んだ。あの時、次代の目には桐馬の幻影が消えたように見えた。【手札ホルダー】の力を維持できないほど桐馬が消耗しているのではないかと疑っていた。

 今の次代たちと同じように【手札ホルダー】の使用が封じられていたのだとしたら、樹原界徒は【手札ホルダー】を封じる【手札ホルダー】を所有していると考えられる。しかし、そんなはずはないと次代自身が否定する。その仮説があっているのだとしたら、新たに仮説が一つ追加されることになるのだから。

「お前、【手札ホルダー】が二つあるのか?」

 次代は素直な疑問を界徒にぶつけた。

 確信はない。むしろ界徒に「そんなことはない。思い違いだ」と言ってもらいたかった。界徒が首を縦に振った時、それこそ最悪な展開だ。勿論、界徒がその問いに答える義理はない。

「ほう、気づいたか」

 界徒は微笑し、次代の問いに答えた。YesともNoとも言っていない。しかし、その口ぶりからして答えは一つだ。

 考えられる最悪のケースに次代は苦笑する。

「素直に答えてくれるとは思わなかった」

「くだらない嘘は必要ない。お前自身の力で気づいたのならば猶更な。それで、もう一つの【手札ホルダー】の力に察しがついているのだろう」

「ああ、【手札ホルダー】を封じる力だ」

「……だから式神が消えて、呼び出せなかったんだ」

 次代の推測を聞き、未来はこの状態を理解した。それを一瞥した界徒は、込み上げてくる笑いを飲み込み、言葉を紡ぐ。

「説明する手間が省けたな。お前の考えている通りだ。だが、それと同時に認めるべきだ。【手札ホルダー】を使えない虫けら同然のお前たちが、俺には遠く及ばないことをな」

 界徒は二人を嘲笑すると、両手をそれぞれに向ける。

〝くる……っ!〟

 次代は《災禍征世ディザスターコントロール》に身構える。避けるのは至難の業。界徒の両手に眩い滅紫が蓄えられる。緊張が走った。

「ジダイっ!」

「わかってる」

 界徒の攻撃が放たれるまでのチャージ時間はほんのわずかだが、次代たちが意思疎通するには十分な時間だった。容易く照準を定めさせないため、次代と未来の二人は分かれて走り出す。

「醜くも抗うか。まぁいい」

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