遥かなる電柱シティの物語

きしべの あざみ

第1話 物語の始まり

   西暦2030年、地球は将来への不安や未来への希望を乗せて、火星への移住を開始した。火星の大地に、はじめに各国が協力して実験棟を建てた。その後に、研究者や野心を抱いて入植した者たちが、六棟のドームを作った。


 実験棟は今や管理棟として、火星のあらゆる情報を集め、制御している。現在でも地球からの物資は、一旦管理棟に集められ、各棟に分配される。人も物資も管理棟に運ばれて管理されている。


 初期入植者はわずか六人で、一棟だけのドームで寝起きを共にしていた。


 そして火星の住人には、地球人でも火星人でもない私たちの世代がいる。初期には地球から火星まで二百七十日もかかりやって来た。そこに資材を運び、ロボットたちの力で居住できる完全循環システムのドームを建てた。


 次に入植したのが、六棟のドームを建てた父親と母親世代、百八十人。その次には、各棟に三百人ずつが入植してきた。ここで火星の人口は爆発的に増えて行く。そして今やガイヤと呼ばれる私たち特殊な世代がいる。火星人でも地球人でもない、宇宙で誕生した実験材料、ガイヤ世代だ。


 ガイヤは二百七十日の旅の途中で、宇宙船のカプセルで培養され誕生した。その後に、原子力推進システムが導入され、火星への旅はわずか二か月となり、カプセルベイビーは私たち世代だけで、培養実験は終了した。


 科学の発展には、時としてこうした矛盾に満ちた事由が起こる。私たちガイヤはいわゆる宙に浮いた存在だ。カプセルベイビーは初期ドームの入植者百八十人のうちの誰かを親に持つが、誰かは分からない。知らされていないのだ。


 八人がカプセルの中で発生し、培養され、実験棟で誕生したのだ。その頃にはすでに火星の居住区は完成していて、いわゆる、一般家庭に似せた保育室で生まれた子供は育てられた。


 空白の一年に生まれたベイビーガイヤは宇宙ベイビーの研究材料だった。『人類は神の領域を犯した』と、囁く者もいた。



  私の名前はライラ、黒い瞳と白い肌、栗色の髪を肩の下で揃えている。たまには束ねていることもあるが、あまり手をかけない。


 私たちは地球人から生まれたのだから、地球人と呼んでくれてもいいのに、ガイヤと呼ばれて区別されている。


 カプセルから出されたときには、すでに三歳だった。後の七人も同時にカプセルから出された。そして、第二世代の中から優秀な子供三人を実験棟に合流し、ガイヤたちが十八歳なるまで共に実験棟で育った。


 地球の記憶はある。

記憶とは、培養中から現在に至るまで、埋め込まれたチップに書かれた知識である。それは莫大な知識のはずだった。知識をどう活用するかは本人の潜在的な能力次第なのだ。知識は詰め込まれているが、取り出すすべを知らない。必要だと願えば一気に飛び込んで来る。


 未知の人類、私たちの行動は一挙一動が記録されているのだろう。そして、人としての禁止項目はすでにインプットされている。どんなに腹を立てて怒りにかられても、人を殴ることは出来ない。ロボットじゃないんだ!大昔に作られた、ロボット憲法なるものを参考にした取り扱いマニュアルが参照される。


 誕生してから十八歳になるまでは、プログラムされた生活と学習をした。言語は何種類も頭に入っていて、言語回路は脳と直結している。つまり、学習しなくても会話することも、理解することも文字にすることもできる。


 火星のドームにいる者たちの言語は、すべて理解できるのだ。ガイヤは世界中の優秀な学者が開発した大コンピュータで、『マザー』または、『キャロル』と言う名前で呼ばれているガイヤは、このマザーコンピュータのことをキャロルとだけ呼んでいた。ガイヤはキャロルの知識そのものを搭載している。


 ガイヤの可能性はまだ未知である。一台一台に違う能力をインプットしてあるとの噂もある。いや、ここは個人個人と言うべきだ。人類には違いないのだから。


 なにより違うのは、基本の能力だ。遺伝子は引き継がれていて、たくさんのデータの処理能力も違う。病気のリスクも違う。それは成長していく過程で個性となって現れる。


 十八歳の五月に私たちは実験棟を出ることになっていた。掌に新たにチップが埋め込まれた。チップには身分証となる個人データが含まれている。火星の住人はすべて管理されているのだ。


 生活を維持するのに必要な最低限の補償はチップを見せるだけで手に入る。着る物、食糧、住居も与えられる。それほど心配もしていなかったし、心の準備はまったく思い当たらなかった。


「それでも何か仕事を探さないと」

 ライラは栗色の髪をくるくると帽子のように纏めて、フォークのような髪留めで止めた。


「これは、髪留めじゃないの、フォークよ。持った方がいいわ、支給品だとフォークもナイフも一本ずつしかもらえないの。いい、靴も靴下もまだ使えるのは持って行こう」


 ライラは女の子。ガイヤには女子が四人、男子が七人いる。ずっと一緒に育ったけど、ここでお別れだ。

「ライラはどこに行くんだっけ?」

「私は電柱シティって、ずっと前から決めてる」

「じゃ、俺もそうする」

 カストルが荷物を背負った。いつもカストルにくっついているボルクも離れる気はないらしい。


「電柱シティに行く奴はいないのか?」

カストルが振り返ると、他のメンバーは皆首を横に振った。

「ねえ、せめて新しいドームにすれば? 電柱シティなんて初期のドームでしょ、私は一番天井が高いb区の高層ビルに住むわ。ヒジュ、あなただって牧草地は似合わない」

 黒い縮毛のリンダがたっぷりした唇を尖らせた。ショートカットの髪の先には、樹脂のカラフルな動物がたくさんぶら下がっている。アクセサリーだ。

「リンダは独特だよね、ほら、街にもそんなファッションの人はいないだろ」

 ヒジュはそう言いながら、一瞬ライラに目を向けたが「俺たちもマンションがいいや」と、キッパリ言った。リンダがほっとしたような顔をした。


 電柱シティは初期の第三ドームだ。このドームだけ愛称で呼ばれている。A地区だとか、gエリアなんて名前よりずっと分かりやすいし、人間的な感じがする。ライラはこの呼び名だけでも住んでみたいと感じたんだ。


 女子の二人組は海があると言うリゾート地のcエリアの海岸近くに行くと言う。リゲルはしばらくうつむいて考えていたが、ヒジュの横に立った。

「なら、俺たちが先に行くよ」ヒジュとリンダ、リゲルがエアカー乗り場のドアから出て行った。


 リゾート地に行くんだと言ったチップスとミーシャは新しい支給品だけが詰まったショルダーバックにふわふわしたワンピース姿で二人並んでエアカーに乗り込んだ。すでにライラ達の姿はない。


 ゆずと、きんときと、そらまめは、同じエリアの実験棟に残ることに決めていた。三人は火星人で二次入植者の子供だ。ガイヤの学習能力にも優る記憶力が認められて、十五歳の時にガイヤに合流した。いわゆる天才だ。


 三人はすでに幾つもの応用が出来、研究者として切望されていた。運動能力は平均に満たなくても、人類の発展にはきっと役立つと自分たちも、プロジェクトのメンバーも信じている。


 ゆずもきんときも、平均以上の頭脳の持ち主で、ガイヤの友人、サポートに抜擢された。彼等はガイヤではないけど、幼い頃から実験棟で共に過ごした良き理解者だ。


「みんな行っちゃったね、このドームにいれば、僕たちは化ものなんかじゃないって証明されているけど、外の世界はどうなのかな」

 そらまめがドームの天井に目を向けた。

一部の秀でた者たちは、必ずと言っていいほど迫害を受けるとヒジュは被害妄想のように言っていた。ビジュがナーバスなだけだ。これまでにそういう事には出会わなかった。


 火星の大地は人類を拒み続けている。地球から制御を受けながら、ドームの中では気圧も、温度も湿度も管理されている。命を地球に握られている状況を誰もが受け入れているのだ。


「さて、お役所にさっさと登録して居住地を決めよう」

 ライラとカストルとボルクの三人は手ぶらで街を移動した。管理センターの入植管理マシンに手をかざすと、幾つかの質問をされた。お役所の装置はすべて合成音声だ。違和感なんかない。生身の人間と向き合う方がはるかに緊張する。

「三人並んだ家でいいかい?」

「同じ家でもいいよ、ああ、だけど自立するんだったね」

「三人で自立するんだよ」ボルクはカストルのシャツの裾を握り締めている。


 ゆずは装置の質問に手際よく答えている。

「環境省の自然応用部門に空きがある。あとは、海洋研究所、なんでも地球の海洋生物を火星に適応させる研究をしているらしい」

「俺はそこにしたいな」

そらまめに、二人が頷き同意した。

ゆずときんときは環境省の自然応用部門を希望した。

「ねえ、僕たちもガイヤって記入しないと、ダメなの?」

ゆずは、困った顔で操作をそらまめに変わった。身分にガイヤと入れることに三人とも抵抗を感じた。ガイヤと合流してからはいつもガイヤたちと呼ばせていた、自分たちもガイヤのグループ、いやガイヤの一員だよね。ゆずはきんときとそらまめの返事を待ったけど、二人とも素知らぬ顔だ。


「火星にもすでにカースト制度が導入されたわけ? 僕たちがガイヤだったらなにか良いことがあるかも知れないってことかな」

「問題ないんじゃない、三人とも採用だって、空きは二人分だったのに、あっさり採用された。仕事を待っている人間は二十人だって」

「僕が割り込んだんだよ。ほら、ガイヤだから採用された。予め決まっていたんじゃない? 」

 そらまめはニヤニヤ笑っている。

「カースト制度があるなら、いきなり上部だな」

 きんときとゆずはそらまめに笑いかけた。


 三人は気分よく、与えられた居住区に向かう。移動方法は巡回バスだ。無人のバスに乗り管理棟から離れた。見慣れた街でも、管理棟を出た途端風景まで違って見える。ドームは透明なハイパーグラスで、火星の荒涼とした大地が見える。

「見て見て、バスが管理棟に戻ってる」

「なんだ、実験棟って管理棟に隣接してるんだ」

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