第3話 電柱シティの夜空
治五郎さんが見せてくれた電柱シティは、深夜に一時間だけ天頂付近のバリアが解除されて空が見える。火星の大気は二酸化炭素が充満している。人間は外では活動するどころか生きていられない。
第三ドームまで二千kmのエアシューターを通す作業が一番大変な作業だったと、治五郎さんは過去を振り返った。
第一ドームの実験棟から離れる決意をしたのは、ガイヤがカプセルから出て来た時だと言った。それから三年間はガイヤたちの隣にいてガイヤたちの成長を見ていたんだ。
「ライラ、俺は憶えてるよ、治五郎さんは研究チームのサブだった、ボスはまだ第一ドームにいる、そらまめたちの上司だよ」
「中東のずっと昔から紛争をしている国の代表だった人で、人種で言えばアジア人、ユダヤ系の人だとデータにあるんだ。データに個人情報が載る時点で、すでに人種差別が起きてるよね」
ボルクが欠伸をしながら眠そうな表情だ。
「ボルクはさ日本人の血が入ってるよね」
「ライラ俺も感じていた。だけど、初期入植者180人にと照合しても、ボルクの誕生に係る人のリストは見当たらない。俺たちはだいたいが正体不明なんだ。わざと隠しているとしか思えない。俺は白人だろ」
「さあ、どうかな、カストル肌の色だけじゃわからないんじゃないの」
カストルは移送用のボックスに、朝ボルクが絞ったミルクを三缶と夕食用に焼いたもも肉、肉の関節の隙間にチップを隠した。
「これ、本当に皆んなに届くの?」
「うん、中央の管理さえ通過すればガイヤって行き先を指示するだけだってさ。エアーシューター以外の通信は遮断されている」
「治五郎さんの指示に従うことにしたよ、実験棟の三人はそのままで、後のメンバーは電柱シティで一緒にいた方がいいんだ」
「カストル、リンダが来るよ!」
「リンダ? だからあいつはめんどくさいって言ったよな」
「カストル、顔が赤い!」
ライラはカストルを真っ直ぐに見つめている。カストルはライラから顔を背けた。
ボルクはチーズケーキも箱の隅っこに詰め込んだ。健気な奴だ。
「チップが見つけられない場合はどうするの?」
ボルクの手が止まる。
「ガイヤは情報源として常にチップからの情報を取り込むんだ。近くに知らないチップがあっても必ず見つけるんだって」
「勝手に仕込みやがって!」カストルが苛立たついでにチーズケーキを押し込んだ。
「勝手に上書きされるってこと?」
「ボルク大丈夫さ、いらないものは排除されるから」
「まあ、どうせ俺たちには理解できない、ライラに任せるよ」
ボルクは荷物を牛を拭くための大きな布で包み、b地区ガイヤとc地区ガイヤ宛のプレートを取り付けた。実験棟にはプレートなしでガイヤとだけ箱に書いた。
「ドローンに運んでもらえばいいのに」
「だから、電柱町はエアーシューター以外は外部と接続されていないんだ。ドローンだって電柱シティの中だけを飛んでいる竹とんぼだよ」
「えー、あれ虫かと思ってた。ドローンなんだ。あっ、政府の支給品は、毎日衣類とか食料も届くよ」
「これは政府の支給品じゃないよ、電柱シティは自給自足さ。肉はこの牧草地で獲れるし、野菜や米は畑で作ってる。燃料はこのドーム独自で地球からの木や、火星の資源を掘削している。ガスも大気から作られて、牛のゲップも回収されてるだろ」
「お皿やフォークだって支給されてるよ」
「電柱シティは作れない物は物資で交換しているらしい。独立してるんだよ」
「治五郎って、すごい奴なんだな」
カストルが詰め終わった箱に蓋をした。
「うん、まあしばらくは情報収集して、電柱シティを楽しむことにしよう。皆んなも直ぐには来れないだろ」
ライラは軽いため息をついた。
「そうだ、空を見に行こう」
カストルがシューターの荷物を発射すると外部作業用の非常箱を開けた。
「なんだ、それ?」
「ボルクが納屋から引っ張り出して来たんだ」
「夜中にバリアが解除されるなら、外部作業用の準備をした方が安全だよ。電柱シティの住民は深夜に出歩かないんだ」
ボルクの頭脳が目覚めたって事になるだろうか。会話が成立しているんだ。
ライラはボルクを目で追っている。
木箱の外部作業用のスーツは三セット入っていた。明るいグレーの無地だ。標準装備か、前任者が残したものか広げてもタグはついていない。
「多分どこの家にもあるよ、絶対必要だからな。さあ着て、ほらボルク、ヘルメットは最後に被るんだ」
カストルがすぐに手を出してボルクにスーツを着せた。
「ボルク、町に出たらグレーと間違えられるよ」
「ライラひどいよ。僕これは着たくない。グレーって地球外生命体だろ? 君だってやせっぽちで、なんだっけ、あの虫みたいな宇宙人だよ」
「ガイヤだって地球外生命体さ。これ重たくて移動は楽だと思うよ、加圧してたって電柱シティの圧は実験棟より低いみたいだ」
三人連れだって牧草地に出た。ボルクは外部作業用スーツを新たに注文したらしい。
治五郎さんが言ってた通り、天頂付近のシールドが解除されているのがはっきり分かる。
「なんだよ、電柱シティのドームも投影されているのか、本物の空って暗いんだな、赤銅色なんかじゃないんだ」
ライラは電柱シティだけは本物ばかりだと思っていた。裏切られた気がした。
解除されたシールドはドームの破れ目に見えた。薄いテントが破れたような穴が空いている。
「だけどシールドが外れただけで、ドームはなんともない。作業用スーツなんかいらないだろ」
「紫外線の線量がすごく上がっている、そんなに長時間はやめた方がいいよ。ほらホボスが浮かんでる」
衛星ダイモスの姿は確認できない。
「思っていたより小さく見える。地球は見えるのかなあ」
「ここからじゃ、明け方に見えるかも知れないけど、今はまだ昇ってないようだ」
カストルはロマンチストな一面を覗かせる。ライラはその姿に可能性を感じた。ガイヤには、感情が欠落していると指摘されているからだ。地球はガイヤに危険な匂いを感じはじめていた。
ボルクはすでに草原に仰向けにひっくり返っている。作業用スーツはとっくに脱ぎ捨てている。
「銀河が見える、やっぱり画像よりも実際に観ると全然違うね」
思っていた空と違って、深い藍色の暗い空だ。自転速度は二十四時間くらい、地球が昇る時間を調べてみよう。ライラはヘルメットを脱ごうとベルトに手を掛けた。
「ライラ、やめろ! 脱いじゃだめだ」
カストルが素早い動作でライラの手を押さえた。
「なんだよ、まだドームの中だ、ほんの少しばかりシールドが外されただけだよ」
カストルはライラのメットのベルトを締め直した。ボルクにはうけたようだ、カストルに無理矢理付けられたフルフェイスのメットの中で声を上げて笑っている。
宇宙船が低い位置で横切った。葉巻型の輸送船だ。輸送船はアルシア山の東に降りてくる。オリンポス山は地球の地図も表記されているが、オリンポス平原は南側の裾野にあたる場所にある。クレーターではないので、地図上ではドームの位置だけが示されている。
「ガイヤたちが集まれば、ロッジに住むのかなあ」
「彼らは高層マンションの方が好きなんだよ」
「電柱シティじゃ五階以上の建物はないよ。明日時間があれば、木造建築の飛田組のエリアに行こうよ。案外近いんだ」
カストルに促されて三人はロッジに戻った。牧草地を横切り、ロッジのドア手を掛けたときに、突然ドームが真っ暗になり、サイレンが鳴り始めた。
カストルに背中を押されて、三人はロッジに飛び込んだ。
すぐにモニターに『電柱シティは安全です』と文字が写し出される。
「モニターって、受信もできるのか?」
「電柱シティにも放送局があるし、火星の探査機の画像を一日中流している放送局もあるよ」
「知らなかった」
「二人とも色々なことを考えすぎだよ、はやく今の生活を覚えてよ」
「ボルクは大したもんだ」
カストルとライラの目が合った。
ボルクはすごく成長している。
「輸送船が不時着したんだって、密輸船で三百人が乗ってるらしいよ。命はないね」
「なんだって密入国なんかするんだ!」
「民間機の方が安いから、地球脱出を闇で請負う業者がいるんだ」
「とにかく無事を願って寝るぞ」
カストルはさっさと宇宙服を脱いでしまった、ボルクも芋の皮を剥くように、クルクルと回されてパジャマに着替えた。ライラも暗い中で手早く着替えて、モニターの前に座った。まもなく明かりがついたけど、ドームのほとんどはまだ停電している。
「皆んな怖いだろうね、停電だけならいいけどライフラインが切断されてたら大変だ」
ボルクがミルクを温めながら呟いた。カストルがまた涙声になっている。
「ボルク、サンキュー」
「なんで泣くんだよ、僕困っちゃうよ」
「気にするな、嬉しいだけなんだ」
カストルはベッドに入るのをやめて、マグカップを両手で包んでいる。
「あっ、大した事故にはならなかったみたい、八割のドームの電気は無事らしい、密輸船には近くの調査車やドローンが救助に向かってる。一時間後には到着できるって、船は緊急用シールドを搭載してたんだって、焦るよな」
カストルがライラの頭をかき混ぜた。
「カストル、感激屋のお爺さんみたいだよ、実験棟のマネルバ爺さん」
ボルクは記憶力も戻ったようだ。
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