第8話 ボルクと古代シュメール文字

「ライラ、始まったな」

 治五郎さんがモニター越しに笑いかけてる。

「火星脱出計画の可能性を探ろうと思います」

「ガイアが加われば時期が早まるかも知れんなぁ」

「地球が火星に見切りをつけないうちに、密かに準備だけはしておきます。治五郎さん、皆んなをどこかに収容しないと」

「飛田組の使ってない家がある。好きなように使うといいよ」

 治五郎さんは話が簡単だ。ライラはチップスとミーシャを、飛田組の日本家屋に案内することにした。


「ライラは行かないの?」

「ヒジュが来るかも知れないよ」

「電柱シティまで来れば問題ないよ。リンダもリゲルも一緒に来るんじゃない、誰もいなけりゃログハウスで遊んでるさ」

 カストルに背中を押されて、飛田組エリアに出かけた。


「あんたたち、よくこんなごちゃごちゃした街で暮らせるわね」

 ミーシャの言葉にボルクが普段は見せたこともない鼻にシワを寄せた顔で唸っている。

「ボルク、落ち着きなって!」ライラが押さえた。


「電柱なんてなんのために建ててるの、埋めちゃえばスッキリするのに」

「ミーシャ、チップスここが飛田組のエリアなんだ。ほら、温泉もあるんだよ」

 ライラが地図を示しながら、空いている家屋を確認している。

「カストル十人集まるかも知れないから、この一番広い家を貸してもらおうよ」


 ボルクは看板の前で立ち止まったまま動かない。

 ライラはチップスとミーシャを連れて路地を曲がって行った。

「わぁー素敵じゃない、全部木で出来てるの」

 チップスが飛び跳ねるように中に入って行った。ライラは大きなため息をついた。人ってのは、生まれたときから少しも変わらないんだ。


 ミーシャとチップスは性格はまったく違うけど、何故か仲良くやれる。二人で楽しく過ごしてくれるならその方が楽だ。二人は屋敷を調べている。

カストルが入り口でライラを呼んだ。


「ボルクの様子が変なんだ!」

 ボルクは看板を見ていた。

「ボルク、どうかしたの?」

「あっ、あっ、この図形だけど、出雲大社の社殿にもあったよね」

「ああ、確かお社台の正面に刻まれていた。紋章だろ? 家紋じゃないか?」

「これ、僕にインプットされてる。カストルは分かる?」

「いや、俺の頭にはこんな図形はない、ライラは?」

「うー、多分あの社殿を見たときにも、何にも感じなかったよ」

「これ、古代文字が含まれている。あり得ないよ、何故宮大工がわざわざ彫るんだ?」

「ボルク危険だ、遮断するんだ。後から皆んなで調べよう!」

カストルがボルクを引き寄せた。

「僕、読めるかも知れない。古代シュメール文字なんだ、豊国文字にも似てる」

「そうか、そうか、屋敷の中を見物して、なんか美味い昼飯でも食べよう」

 カストルはボルクを肩に担ぎ上げて、羊の鳴き声のような鼻歌でその場から離れた。


 ミーシャとチップスが台所で支給品のセットを見つけて、はしゃいでいる。

「治五郎さんから、私たちにプレゼントだって、今日はすごいご馳走よ、ほら、生のケーキまで十個もあるわ」

 ライラとカストルはさりげなくボルクを見ていた。ソファーに座ると寝息を立てはじめた。


「ボルクどうしちゃったの?」

 チップスがケーキを持ったまま、ボルクを覗き込んだ。

「なんかシュメール文字を見つけたらしい。今脳みそを休ませている」

「ふーん、シュメール文字かぁ」

チップスの思考はそこまでだ。興味がまるでない。自分の中を探ろうともしない。


 ライラは箱からすぐに食べられそうな食料を選んで皿に並べている。ミーシャはどこに行ったのか、カストルが探している。


チップスとミーシャは温泉でくつろげたことだろう。支給品に入っていた浴衣は、治五郎さんからの贈り物だ。

「治五郎の奴、僕をなんだと思ってるんだ?」

 ボルクはロケットがたくさん描かれた紺地の浴衣がご不満らしい。


「ミーシャ、温泉大丈夫だったかい」

 朝顔の柄の浴衣が大人びたミーシャに似合っている。

「はあ? どう言う意味よ、気持ちよかったけど」

「火星の温泉に入ったのは、君が初めてなんだよ」

 カストルはミーシャを見て苦笑いを浮かべている。

「皮膚が溶けないでよかったわ。カストル、女子には優しくしなさいっていつも教えてるでしょ」

「俺は女の子には優しいよ」


「ゆずと、きんときだわ。ゆずー、こっちこっち。そらまめは? そらまめは来ないの?」

 縁側で涼んでいたチップスが団扇を振っている。チップスは銀河の柄の浴衣だ。チップスが好みそうなカラフルな星型がプリントされている。支給品でも、治五郎さんはそれぞれに合った柄を用意したんじゃないだろか? 

「それは違うよ、サイズは書いてあったけどね、ミーシャが着ても可愛いんじゃないか?」


「見て、三人とも変わらないわ、そらまめも後ろから来ている、迎えに出るね」

 チップスが素足のまま、畳の上を駆けてゆく。

「ちわぁー」

「よう」

「しばらくです」

 三人三様の挨拶をしながら入って来た。ゆずときんときは、すっかり大人の顔だ。そらまめは黒縁のゴーグルをかけたまま部屋に入って来た。


「そらまめ、グラス外したら?」

「僕が来ても邪魔じゃない? ガイヤじゃないから気にしてたんだけど、無理矢理連れて来られたんだ」

「そらまめ仲間じゃないか。嬉しいよ」

 そらまめは白い肌に青い縁のグラスが目立っている。はにかみながら笑う顔は子供の頃と変わらない。いつもガイヤたちの近くにいたんだ。カストルは三人まとめて抱きしめた。

 ライラもそれぞれと握手を交わす。


「ヒジュたちも来たんだけど、管理棟に行ったよ。治五郎さんに会ってから来るんだって」

 ゆずは低い声でぼそっっと話す。

 ゆずときんときときたら、上下揃いの研究所の制服姿だ。カーキ色が工事現場の人みたいで、おっさんくさい。


「まさかそれが私服じゃないでしょうね」

「チップス、私服じゃ不満か? 二人ともこの作業服が気に入ってるんだ」

 ライラが言わなくてもチップスとミーシャが話してくれる。


「ねえ、お三人さん、早速だけど温泉に浸かってきたら、すごく気持ちいいのよ。ほら、こっちだってば」

 ミーシャに手を掴まれて、三人は数珠つなぎになって温泉に行ってしまった。


「ラ、ライラ、あの子たちえらく騒がしいな、三ヶ月も離れてたら、あのうるささは忘れてたよ」

「うん、かなりキョーレツだね。夜にはロッジに戻ろうか」

「僕も連れてって」

 ボルクが泣きそうな声でこっちを見てる。


「おっ、ボルク、落ち着いたかい? さっきのシュメール文字って、どんな文字なんだ?」

「ライラ、古代シュメール人が使っていた文字なんだけど、僕だけにインプットされてるみたいだ。象形文字みたいにペトログリフが世界中から見つかっている。資料はそんなに多くはないから、心配しないで」

「焦ったぜ、君の容量がいっぱいになるかと思った」

「古代シュメール語が日本で見つかったのは、まだ今世紀に入ってからだよ。日本に入ったのは縄文時代。だけどシュメール文明は紀元前六千年くらいに栄えたんだ。縄文時代よりずっと後だよ。シュメール文化の発祥の地が日本だと言う学者もいるんだ。飛田組の建造物に使われているってことは、宮大工には継承されてるってことだよね」

「まさか、治五郎さんはシュメール文字を残したいとか? いや文字としてじゃないな、図形としてつまり家紋として使われているだけかも」

「考え過ぎだよ。でも、なんだかすごく気になるんだ。僕はあの文字が読めるらしい」

「参考文献はないの?」

「それが不思議なんだよ、ペトログリフの画像はある。まだ解読されていないんだけど『火星の地中に文明の名残りがある』と刻まれたものもある」


「えっ? 火星に? 火星に人類がいたってこと? 」

 ライラが眉間に皺を寄せた。

「だって水も酸素も窒素だって……」

「ここには温泉があるじゃないか、どう説明する? 治五郎さんは隠してもいない。逆に地球が認めてないんだ。火星に有利な事実は隠すんだよ」

「なんのために?」

 なんのために隠さなきゃならないんだ。


 ボルクはまだ解凍されたデータを理解していないようだった。ヒジュたちが揃ったら、シュメール関係のデータが入っていないか聞ける。


 やはり全員が揃う必要があるのかも知れない。

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