第7話 チップスとミーシャ

 山内治五郎が飛田組の社員に話していた。カストルは『年寄りが訓示をたれてる』とボルクに耳打ちした。


「今の状況を話しておく、火星の平均温度は摂氏マイナス五十五度、火星の表面温度は、冬の極点で摂氏マイナス百三十三度だ。地球とは比較にならない低さだ。いちころじゃな。ところが、夏の昼間の温度は摂氏二十七度になる。この気温の差だけでも居住には適さない。火星移住計画なんざ、初めっから妄想、虚言だった。だけど、飛田組はいち早く飛びついた。木の可能性を確かめたかったからな。両極にある極冠は二酸化炭素の氷で、ドライアイスだろ、昇華したり、凍てついたりしてるから、大気の変動が激しいんだ。もし、地球に当てはめたら、三十%も気圧に変化がある。強力な台風でさえ十%の変化だ。軌道が楕円だからドライアイスが昇華する大気の濃度にも著しい差が出てしまう。つまり、今の状況は極めて危険なんだ」

「計算によると一時間以内に落ち着くよ」

 ライラが発言した。

 治五郎さんがライラを見て心底嬉しい表情を見せた。


「そうか、ガイヤよ、飛田組の木造建築は、気温の変化にも耐えるんだよ。木は呼吸しているからね。しかし密閉はできない。だからドームで覆ってしまえば、日々の変化は建築物が対応している。つまり電柱シティは無事ってことだ。他のドームには多少の被害はあるがな」

「破損するドームがあるってことか?」

「破損したら二万人の命が失われてしまう。ただし、三時間耐えるだろう。今回はドームの破損は心配ない」

「中和剤は何のために撒いてるんだ」

 カストルが太い声で叫んだ。飛田組の人たちが驚いた顔をしていた。

「おう、カストルにボルクやっと会えたな。大きくなった、うん、大人と変わらん」

治五郎さんは両手を広げて二人を抱きしめた。


「ねえ治五郎さん、それなら火星の建物は木造にすればいいんじゃない?」

 ボルクの何気ない発言に飛田組から声が上がった。

「木は地球の貴重な資源だからな、第一、伐採と植林のルールも守ってこなかったから、家を建てるほどの立派な木は減少の一途だ」

「宮大工の技術は人類学を救えると信じているんでしょ、僕も同意するよ」

 ボルクは誰にでも愛されるんだ。もうすでにもみくちゃにされてる。カストルが抱き上げて、こちらに逃げてきた。


「ガイヤに何をさせたいんだ」

 ライラは治五郎さんの横に立った。

「キャロルが十一台ある、君たちの能力を合わせたら十一台分の超大型コンピュータにも優る」

「悪いが、互いの能力は基礎の部分で違うよ、共有できない」


「君たち、個人に別の指示を与える。協力して貰えんだろうか」

「治五郎さん、私たちは実験材料じゃないよ。あんたの頭で考えたことを話してくれるなら、考えてもいい」

 治五郎さんは「簡単な事だ」と前置きした。

「中和剤と言ったが、地球にはそう報告している。あれは南極のドライアイスを溶かす溶解剤だ。火星に海を作れば命が生まれるはずだ」

「治五郎さん、火星の大気を変えるなら、巨大で高速な装置が必要だ。無謀だと思うよ」


 カストルは中和剤としてではなく、溶解剤の効果を素早く計算した。

「ドライアイスは地表だけじゃないんだ、地中深くには表面の何倍もの体積の塊が埋まっている」

「ならばガイヤたちよ、飛田組は火星を脱出するぞ。すぐじゃない、だが急ぐ。地球に似た惑星は天の川銀河の中でありふれた存在であることが、最近の複数の研究で明らかになってきた。火星移住にこだわることはないんじゃ。ケプラー宇宙望遠鏡の観測データを解析せよ。太陽系外惑星に関する新たな研究は火星計画を初めた頃よりかなり進んでいるんだ。天の川銀河だけで、最大百億個の地球型惑星が存在する。 さらにこれらは、予想以上に地球に似ている可能性があるということだな」

「つまり我々は火星を脱出する」

 ライラはとうとう自分から口にした。

「火星移住計画は破綻したんだよ」

治五郎さんが深いため息をついた。


 火星移住計画は破綻しているにも関わらず、失敗の上塗りをしているんだ。

「電柱シティは、すでに十年も前に火星には訣別している」

 山内治五郎の口からはっきり破綻したと聞いてしまった。


 ログハウスで一息ついている時に、ライラがひとり事のように呟いた。

 「今度こそガイヤを集めよう」

カストルも、ボルクもなぜか喜んでいる。

「火星移住計画は無駄なことだったんだよ、楽しい要素があるのか?」ライラは二人を横目で睨んだ。

「宇宙に行くんだよ」

 ボルクはカストルが捕まえていないと、ボールのように弾み出しそうだ。

「 ガイヤたちを集結させよう」

「どうやって連絡する?」


 ボルクが野菜室からほうれん草を収穫してきた。

「立派な株だな」

「カストル、牧草地の小屋でたくさんの野菜が育っているよ。種から育てたんだ」

「水栽培なの?」

 ライラもボルクの野菜は初めて見た。

「昨日もソテーで食べたじゃないか。家の土で栽培してるんだ。肥料もあるし、虫はいないからつかないし、立派な野菜が育つよ」

「ボルクが一緒でよかったよ。ところで、今日b地区とc地区、あと中央管理棟に行って来ようと思うんだ」

「ライラひとりで行く気? 」

「エアーシューターを乗り継ぐよ」

「三人で行こうよ」

 ボルクが口を尖らせた。

「そうだなボルク、食事をしてから出発だ」

 電柱シティに不満があるとすれば、外部との連絡手段がないってとこだ。


「チップスとミーシャどうしてると思う?」

「チップスは我慢強いから上手くやってると思うけど、ミーシャはねえ」

「おや、博愛主義のライラが珍しい反応をしたな」

「ミーシャは我儘だからね」

「ボルクまでそんな反応?」

「ならカストルはどうなんだ? ミーシャとはよく喧嘩してたよね」

「あの二人は声が甲高いだろ? 嫌いじゃないさ、仲間だからな。だけどうるさいんだよ」

「ライラはクールだからさ、あの二人も遠慮してたよな」

「あの二人は遠慮なんてないよ。あたしのものを欲しがって、よく奪われた。オモチャなんて二人一緒に取り上げるんだ。めんどくさいから諦めていたんだ。遠慮してたのは、あたしじゃないかな」

 三人は電柱シティの管理センター前のステーションで一度吐き出されて、c地区に行くシューターに乗り換えた。


「目が回るよ」

 街に出た瞬間に、カストルは飛びついたボルクを背負う羽目になった。

「これが電柱シティと同じドームシティなの? 見てよ、あのビルの絵が動いている」

「ボルク忘れたか? 街を散歩する授業を受けただろ、ほらプロジェクションマッピングだよ、昔からある」

「僕は電柱シティのほうがよっぽど住みやすいよ」

 ミーシャとチップスは海辺の高層マンションだ。

「ほら、あそこの鉄塔みたいなタワーだな」

ライラが言わないうちに、カストルが指差した。


「感性の違いは基礎能力の違い。遺伝子情報なら、あの子たちのルーツを知りたいよね」

 ボルクはカストルの背中で勇ましい。

「あっ待って、ライラ! ここなら全部のドームにメールが出せるんじゃない?」

 ライラはカストルのベルトに下がっているポーチから支給品のイヤホーンを取り出して、耳の穴に入れた。

『緊急連絡、ガイヤたち春だぞ』

と、声に出して言った。


「こんな装置のこと、すっかり忘れてた」

「俺たちはまるっきり田舎者だな」

「だけどそれだけでみんな来るかな?」

「わからなかったらヒジュが連絡するよ、さっさと帰ろ」


 支給品の便利なツールセットにもまったくお世話にならない生活だった。田舎暮らしを嫌うメンバーをどうすれば引き止められるのか。


「多分俺たちは地球の文化に二十年は遅れているよ」

 カストルがつくため息は、自分たちガイヤのプライドをふんにゃり曲げた。


 電柱シティが霧に覆われた日。電柱シティは内部の乾燥が進むと、ミストで覆われる。ボルクは牧草地の動物達を小屋に集めておやつの野菜を与えていた。


 霧の向こうから、巨大シルエットが近づいて来る。カストルの姿を探したが、さっきまで柵のペンキを塗っていたのに姿が見えない。


 ボルクは危険を察知して、じりじりと小屋まで下がった。

「そうだ、霧のせいだ! あんなにでかいシルエットの奴なんて、飛田組にもいないもの」

「ボルク、どうした? お茶にしてくれよ」

 カストルの声が後ろから聞こえた途端に、腰が萎えた。

「おっと! ボルク、な、なんだぁ〜、ライラ、ボルクが腰を抜かしちまった」

 ボルクはシルエットを指差した。

「ボルク、暗視カメラに切り替えろよ。瞬き三回だ」

「自動制御してるな?」

「だって僕は空き容量が少ないんだ。普段はその脳は閉ざしているんだ」

 カストルはボルクを抱き上げてベッドに寝かせた。ライラが代わりにミルクを持って来た。


「ライラ、お客さんが来たよ。ミーシャとチップスが柵を越えたところだ」

「まだ宿泊地も決まってないのに、早いね」


 ライラは支給品の中から新しいカップを探し出した。ひまわりの柄の陶器のカップがまだあった。

「ライラのお宝だ、支給品を貯め込むのが趣味なのか?」

「カストルからかうなって、ライラは女の子だよ、ほら、奴らが来た」


「カストル、ライラ、ボルク、お元気だったぁー」

「これお土産よ。なんだと思う? 」

 二人とも、身体よりでかい翼を背中に背負っている。キラキラ輝く被膜のようなマントをずっぽり被り、中は水着姿だ。

「おい、裸で来るなよ! 電柱シティにそんな奴はいないぞ!」

 カストルが二人を毛布で包んだ。

「そうなの? だから入国審査に引っかかったんだわ」

「失礼しちゃうのよ、ずっとドローンが付いて来るの」

 ボルクがベッドから飛び起きて、牧草地に走った。

「ようこそ、よく入れたね」

「電柱シティは野蛮だわ、裸で歩くなって外部スピーカーでがなり立てるのよ」

「管理棟のドローンだよ、なんだってそんな格好で来たんだ」

「本当、どうかしてる。ミーシャも私も流行の最先端の服、やっと買ったのに」

 チップスが顔を両手で覆い泣き始めた。

「チップス、ミーシャ、可愛いよ。よく似合う。だけど電柱シティの赤い明かりの下では、そのキラキラマントは透明の被膜にしか見えない」

「だったら水着を見て、これ深海にも対応できるのよ」

「電柱シティに海なんかないぞ」

 カストルは『疲れた』と言い、ライラに任させて出て行ってしまった。


「チップスもミーシャも変わりない?」

「ライラ、会いたかったわ。私たち、ここに住むの?」

「君たちのために、家をお願いしたんだ。内装は作り変えてもいいからね」

 カストルがボルクを連れて戻って来た。

「二人もガイヤだと言ったら、簡単にドローンは引き返したよ。もう大丈夫だ」

「チップス見違えたよ、スタイルいいんだね。長い足を全部見せてさ、ショッキングピンクの水着に白いレースのトリミング、女優さんみたいだ」

「ボルクありがとう」

「あたしも褒めて! 」

「ミーシャ、なんで星条旗の水着なの? アメリカ人だっけ? ルーツがわかったんだね」

「ボルク怒るわよ、可愛いとか、スタイルがいいとか褒めてよ」

「サンダーバードの女性隊員みたい、強そうだよ、電子連射銃を担いで宇宙戦争に行きそうだ」

 ボルクは頭を休めると言っては地球の昔の映画やアニメにハマっている。カストルが堪えきれずに吹き出した。


「なんでおまえそんなに筋肉を付けたんだ? 腹筋が割れてる女なんて初めて見たよ」

「聞いてよ、海辺のリゾートなんてないのよ、砂浜はあるけど、海は投影されてるの。誇大広告だわ。高層マンションから見える景色はドームの壁よ」

「退屈だからね、マシンをたくさん入れて、鍛えてたってわけ」チップスがミーシャをチラチラ見ながら言った。


「仕事はしないの?」

「仕事? 支給品で足りるもの。ときどきミーシャはレストランの店員をしてるわね。私はインストラクターをたまにやる」

「つまり、二人のリゾートは…… 」

「楽しくなかったのよ、春はどこ?」

 明日になれば霧も晴れる、のどかな田舎の風景は気に入ってくれるだろうか。

 ライラは二人を観察している。ボルクはヘッドホンをつけてモニターの前に逃げてる。

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